今後も高まることが予想される中東の地政学リスク
イラクの政治情勢、ソレイマニ暗殺で混乱に拍車か

藤 和彦
上席研究員

2020年早々原油価格が乱高下している。

1月3日の米WTI原油先物価格は1バレル=64ドル台に急騰、昨年9月のサウジアラビア石油施設攻撃直後の高値(63ドル後半)を超えた。

1月3日未明にイラン革命防衛隊の精鋭組織(コッズ部隊)のソレイマニ司令官が、イラクの首都バグダッドで米軍のドローン攻撃で殺害され、「最高指導者ハメネイ師の懐刀を暗殺されたイランが米国との間で軍事衝突を起こす」との懸念が広がったからだった。

その後、8日未明にイラン革命防衛隊はイラクの米軍基地を十数発の弾道ミサイルで攻撃したが、米国側が報復を示唆しなかったことから、市場関係者は「差し迫る危機は回避された」と判断。8カ月ぶりの高値(1バレル=65ドル台)を付けていた原油価格は急落し、1バレル=60ドル割れの状況が続いている。

年初来の原油価格高騰は、「戦争への不安」という心理要因から引き起こされたもので、世界の原油供給に悪影響がまったく及んでいなかったことから一過性で済んだ。

米国とイラン両国のつばぜり合いが今後も続く可能性があるが、世界の原油市場への供給がゼロに近いイランを巡る情勢が多少変化したとしても、原油市場が大きく反応することはないだろう。

世界の原油需要の伸びは限定的

足元の原油市場を巡る需給状況について見てみると、昨年12月のOPECの原油生産量は前月比5万バレル減の日量2950万バレルだった。減産合意枠から逸脱していたナイジェリアやイラクが減産遵守に努め、サウジアラビアが今年1月からの新たな協調減産を前倒しで実施したことなどにより、OPEC全体の生産量が11月に続いて減少した。

世界第1位の原油生産国となった米国はどうだろうか。原油生産量は日量1300万バレルと過去最高を更新したが、将来の原油生産の指標である石油掘削装置(リグ)稼働数の減少が止まらない。シェール企業は今年も投資家から支出削減を求められており(12月28日付ロイター)、第1四半期の原油生産量はマイナスに転じる可能性がある。

米国以外の非OPEC産油国では、ブラジル、ノルウェ-、ガイアナなどの増産が見込まれているが、「OPECプラスの減産により今年前半の世界の原油供給の伸びは緩やかなものになる」と筆者は考えている。

次に需要サイドを見てみよう。

世界最大の原油消費国である米国の状況は原油在庫の動きで判断されることが多いが、冬場にもかかわらず原油在庫が減少する傾向が出ている。その増減に原油輸出の動向が大きく影響するようになっているからである。

米国からの原油輸出は拡大傾向にあり、昨年末には日量446万バレルと初の400万バレル超えを記録したが、原油の主要生産地である南部地域での輸出積み出し施設の整備が急ピッチで進んでいることから、米国からの原油輸出は引き続き増加する見込みである。これにより、ガソリンなどの石油製品の在庫が増加しているにもかかわらず、原油在庫が大幅に減少するケースが相次いでいるのである。

世界最大の原油輸入国である中国の今年の原油輸入量も増加する可能性が高い。12月の原油輸入量は日量1078万バレルと過去最高を記録した11月(同1113万バレル)と同様に好調である。中国国内の原油需要は昨年から停滞気味だが、国内の余剰分を「石油製品の輸出」という形で処理する傾向が鮮明になっており、今年の石油製品の輸出枠も昨年の1.5倍以上に拡大された(12月31日付OILPRICE)からだ。

国際エネルギー機関(IEA)は1月10日、今年の世界の原油需要の伸びについて「日量100万バレル強と低い伸びにとどまる可能性がある」との見解を示した。供給の伸びを勘案すれば、今年前半の原油価格は1バレル=60ドル前後で安定的に推移することだろう。

サウジの地政学リスクが再び上昇

だが、原油価格が高騰するリスクはまったくなくなったのだろうか。

筆者は前回のコラム(「2020年の原油価格は『前半高騰、後半は急落』」)で「中東地域の地政学リスクが急激に上昇する」との警告を発したが、以下に示す理由から「ソレイマニ司令官暗殺が今後の原油価格高騰リスクをさらに高めたのではないか」と懸念している。

1月3日付ロイターは「ソレイマニ司令官はイラク国内の米軍に対する攻撃を画策していた」と報じたが、別の目的もあったようである。

イラクのアブドルマハディ暫定首相は1月5日、イラク議会で「3日朝、ソレイマニ司令官と会う約束があった。以前、イラク政府がイラン政府に提示していた書簡に対する回答をソレイマニ司令官は携えていた」と述べた。その書簡の内容の詳細は明らかになっていないが、アブドルマハディ氏は「地域の緊張緩和に言及したもの」とコメントした。

イラク政府は昨年後半からサウジアラビアとイラン間の緊張緩和に取り組んできた。

イランに対する強硬路線を取り続けてきたサウジアラビアも、昨年9月14日の同国の石油施設への大規模攻撃を契機に融和姿勢に転じつつあり、中東の2大国間の「緊張緩和」という極めて重要な交渉役をソレイマニ司令官は担っていたようだ。

米国も両国の関係改善を望んでいたとされるが、自国のドローン攻撃により、サウジアラビアとイランの関係は振り出しに戻ってしまったとすれば、皮肉としか言いようがない。

イランとの関係改善の道が絶たれたサウジアラビアに既に悪影響が及んでいる。

「昨年9月のサウジアラビアの石油施設の攻撃にイランが関与した」との説が有力であることから、「イランが再びサウジアラビアの石油施設を攻撃する」との懸念が高まっており、原油価格が高騰したにもかかわらず、サウジアラムコ株の下落が止まらない(1月13日付日本経済新聞)。

複数の米メディアが10日、「イエメンでも別のコッズ部隊高官(シャラハイ司令官)を殺害する作戦を実施したが失敗に終わった」と報じたことも気になるところである。シャラハイ司令官は殺害されたソレイマニ司令官がイエメンの反政府武装組織フーシへのてこ入れのために送り込んだとされている(1月12日付Wedge)ことから、ソレイマニ司令官殺害の報復のためにイランとフーシが連携して再びサウジアラムコの石油施設攻撃を企てるのではないだろうか。

さらに、イランがホルムズ海峡を封鎖する動きを見せていないにもかかわらず、サウジアラビアの石油タンカーがホルムズ海峡の運航を停止する事態も発生している(1月8日付OILPRICE)。

サウジアラビアを巡る地政学リスクが再び上昇しているのである。

「根本的な体制変換」を求めるイラクのデモ

しかし筆者が最も懸念しているのはイラク情勢である。

ソレイマニ司令官暗殺に対する米国への対応を見ると一枚岩に思えるイラクだが、昨年10月以降、生活苦を訴えるシーア派の国民による大規模な抗議デモが続いている。政治エリートたちが自らの縄張りの拡大に終始している状況に、民衆の「堪忍袋の緒が切れて」しまったからである。

事態への対処を誤ったことから、昨年11月下旬にアブドルマハディ首相が辞任を表明したことばかりか、12月末にサレハ大統領も辞任する意向を示している。

国難とも言える状況下で、暗殺されたソレイマニ司令官は、イラクの「親イラン」勢力を立て直すという重い課題を抱えていた(1月4日付日本経済新聞)。退任を表明したアブドルマハディ氏を難産の末に首相の座に就けたソレイマニ司令官は、イラク国民の怒りがイランにも向かっているという“逆風”にもめげずに「親イラン」派の後継選びに孤軍奮闘していた矢先の「殉職」だったのである。

抗議デモ参加者は、弾圧の元締めであった宿敵ソレイマニ氏の暗殺に歓呼の声を上げており(1月5日付BBC)、「根本的な体制変換」という彼らの要求が現実味を帯びてきたと考えているだろう。抗議デモを苛烈に弾圧していたシーア派民兵組織はソレイマニ氏の統制下にあったが、彼が亡くなったことでその行動が過激化する恐れがある。

ソレイマニ司令官によりイラクから追い出されたイスラム国(IS)が再び勢力を回復するとの観測もある(1月13日付BBC)。

再び液状化しつつあるイラクでは、昨年末に南部の油田で日量約8万バレルの原油生産が失われる事案が発生している。治安の悪化に加えて、ソレイマニ司令官暗殺を理由に米軍の撤退を執拗に求めるイラク政府に対してトランプ大統領が腹を立て「日量約380万バレルに及ぶイラク産原油の輸出に対して制裁を科すのではないか」との憶測も出ている(1月8日付ブルームバーグ)。

このようにソレイマニ司令官の暗殺により、原油価格が100ドルを超えるリスクが一層高まってしまったのではないだろうか。

2020年1月17日 JBpressに掲載

2020年1月27日掲載

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