原油市場を動かす次の材料は何か
「サウジゲート」の浮上? シェールオイル生産の急減速

藤 和彦
上席研究員

米WTI原油先物価格はペルシャ湾での緊張にもかかわらず1バレル=50ドル台後半で推移している。

まずイランを巡る情勢について見てみよう。

市場でイランファクターは織り込み済み?

ペルシャ湾ではこのところ新たな事案は発生していないが、有事に対する備えが徐々に整ってきている。

7月22日、自国籍のタンカーがイランに拿捕された英国政府が欧州諸国による共同防衛案を提案すると、フランスやイタリアなどがただちに賛同の意を示した。

米国政府もこの動きを歓迎している。就任したばかりのエスパー米国防長官は24日、欧州諸国が独自に検討しているホルムズ海峡を通る船舶の共同防衛案について「米国が提唱する有志連合構想を補完する内容だ。助けになる」と述べた。

原油輸送のホルムズ海峡を回避する動きも生じている。サウジアラビアのファリハ・エネルギー産業鉱物資源相は25日、「ホルムズ海峡を迂回するためサウジアラビア東西を結ぶ原油パイプラインを拡張したい」と表明した。

1980年代に建設されたサウジアラビア東部から西部の紅海沿岸へ抜ける原油パイプラインの輸送能力は日量500万バレルであり、現在200万バレル強の原油が輸送されている(主に欧州向け)。現在日量700万バレル弱であるサウジアラビアの原油輸出量全体をカバーすることができないことから、過去何度もパイプライン増設の構想が持ち上がっていたが、建設コストの高さなどが障害となっていた。サウジアラビア政府はホルムズ海峡を巡る緊張の高まりからようやく重い腰を上げ、「2年以内にパイプラインの輸送量を700万バレルにまで引き上げる」計画があることを明らかにしたのである。

国際エネルギー機関(IEA)も準備を始めている。7月22日、ホルムズ海峡の緊張の高まりから「世界的な原油市場への十分な供給の確保に石油備蓄を放出できる」との見解を明らかにした。

IEA加盟30カ国は、緊急時に備えて90日分の輸入量に相当する石油備蓄を行う義務を有しており、加盟国全体で15.5億ドルの石油を保有している(日本の国家石油備蓄量は約3.6億バレル)。IEA加盟国が備蓄原油を放出した直近の例は2011年6月である(計2000万バレル放出)。中東情勢の不安による原油価格高騰などに対応したものだった(日本は国家石油備蓄の放出に参加しなかった)。

有事への備えとは対照的に、ホルムズ海峡での原油輸出は今のところ大きな影響を受けていない。市場では「イランに敵対している米国や英国、そしてイランさえも実際に戦争を望んでいるわけではない」との認識が強まっている。イランの地政学リスクについての過剰な期待感からの「買い」が過去何度も裏切られてきたこともあいまって、イランファクターは「既に織り込み済み」のようである。

だぶついている中国の原油市場

一方、世界の原油需要に対する不透明感は相変わらず根強い。国際エネルギー機関は7月18日、今年の世界の原油需要見通しを再び引き下げる方向で調整していることを明らかにした。

その主な要因は中国経済の減速である。世界最大の原油輸入国である中国の原油需要は旺盛だが、国内の石油製品市場での供給過剰状態が一層深刻になっている。

米国政府は7月22日、「同国の対イラン制裁に違反してイラン産原油を輸入した」として中国国営の石油会社に対する制裁を発動した。米国がイラン産原油の全面禁輸に踏み切って2カ月半経った現在も、イラン産原油は中国に輸入され、保税倉庫として知られる場所で保管されている(7月22日付ブルームバーグ)。このような原油は税関を通過したり輸入データに反映されないことから米国の制裁をくぐり抜けてきたが、米国も「堪忍袋の緒」が切れたのかもしれない。

6月の中国のイラン産原油の輸入量は、前月比25万バレル減の日量21万バレルだったが、これを上回る規模のイラン産原油が中国市場に届いている可能性が高い。中国の原油市場のだぶつき感は統計上の数字より高まっていることだろう。

世界最大の原油需要国である米国では、夏のドライブシーズンにもかかわらずガソリン需要が想定ほど高まっていない状態が続いている。また、世界第3位の原油需要国であるインドでは、6月の原油処理量は前年比7.1%減と2カ月連続でマイナスとなっている。

米軍の支援を求めたサウジアラビア

買い越しに転じていたヘッジファンドが再び「売り」傾向となるなど、原油市場は膠着状態にある。そろそろ新しい材料(思惑)が求められ始めているのではないだろうか。相場を動かす力は「事実」ではなく「思惑」だからである。

市場を動かす次の材料として筆者の念頭にあるのは、(1)中東の地政学リスクの拡大と(2)シェールオイル生産の急減速である。

まず「中東の地政学リスクの拡大」から見ていこう。サウジアラビアのサルマン国王は7月19日、同国に米軍を駐留させることを決定した。

米軍はサウジアラビア北東部のキング・ハーリド軍事都市で共同訓練を実施する予定である。パトリオットミサイルの受け入れや滑走路の拡張も行われることになっており、米軍は500人超の部隊を派遣する準備を進めている。

サウジアラビアにおける米軍駐留は16年ぶりのことである。前回は1990年の湾岸戦争開始から2003年にイラク・フセイン政権が崩壊するまでの13年間だったが、米軍の駐留に反発したオサマ・ビン・ラディンが過激派組織アルカイダを設立したことは記憶に新しい。サウジアラビア政府は国内のイスラム過激派の勢力を押さえ込んでいることから「二の舞」は生じないとの見方があるが、今後の動向には要注意である。

7月20日付ニューヨークタイムズは「ムハンマド皇太子が米国に対して特殊部隊や軍事顧問の派遣などの支援も求めてきた」と報じたが、サウジアラビア政府の今回の米軍駐留の決定の背景には泥沼化したイエメン情勢がある。

前回のコラム(「世界経済の脅威となったフーシ派のドローン攻撃」)でも述べたように、共に戦ってきたアラブ首長国連邦(UAE)がイエメンから撤退したことで、サウジアラビアのイエメン内戦での勝利が極めて困難な情勢になっている。7月中旬、バブ・エル・マンデブ海峡周辺の軍事拠点2カ所の指揮権がUAEからサウジアラビア側に委譲された。だが、空軍が主任務だったサウジアラビア軍が地上戦の指揮を執ることに現地の部隊の間で不安が広がっていることから、米軍の手助けを要請したというわけである。

イエメンと長さ1300キロメートルもの国境を接するサウジアラビアは、UAEと違いイエメン内戦の帰趨が自国の安全保障に直結している。

イランから支援を受けているとされるイエメンの反政府武装組織・フーシ派のサウジアラビアに対するドローン攻撃はとどまるところを知らない。たとえば直近の攻撃を挙げると以下のとおりである。

7月21日、サウジアラビア領内の2カ所(ナジュランとジャザーン)でドローンがサウジアラビア軍に大きな損害を与え、フーシ派は多量の軍事資材を獲得した模様である。

25日、サウジアラビア南部にあるキング・ハーリド空軍基地を攻撃し、戦闘機の格納庫や武器倉庫などを破壊したとのこと。

28日、フーシ派は「今後はさらに内陸に対する攻撃を行う」と警告を発しており、サウジアラビアの南部地帯の安全を悪化の一途をたどっている。

フーシ派のドローン攻撃をやめさせるにはイエメン内戦への介入をやめるのが近道だが、ムハンマド皇太子が「負け戦」の印象を与える撤退を決断するとは思えない。窮地に追い込まれたサウジアラビアにとってトランプ大統領の後ろ盾が頼りであるが、アルジャジーラが7月29日、「2016年の大統領期間中にトランプ大統領の顧問がサウジアラビアとUAEから15億ドルの資金を受け取っていた疑惑について、米FBIが調査を行っている」と報じたことは気がかりである。「サウジゲート」が勃発すれば、トランプ大統領は身動きがとれなくなるからである。

イランと友好関係にあるイラク政府も、「米国とイランの対立が激化すれば自国の領土が紛争に巻き込まれる恐れがある」と気が気でない(7月23日付ロイター)。

米国の原油生産に停滞の兆し

続いて相場を動かす力となり得るのが「シェールオイル生産の急減速」である。

元を質せば、目下の中東地域の地政学リスク上昇は米国発と言っても過言ではない。米国は2010年に原油需要の6割を輸入していたが、現在の輸入依存度は2割に過ぎない。このことが世界的な原油の安定供給についての米国の関心低下、ひいては「中東地域での火遊び」につながっている。

では、米国の自信の源であるシェールオイル生産は今後も順調に拡大するのだろうか。

米国の原油生産量は日量1240万バレルと過去最高となった後、足元の原油生産量は同1220万バレルにとどまっている。今後の生産量に影響を与える石油掘削装置(リグ)の稼働数は昨年後半以降、減少が続いている。

シェール企業は株主還元を求める投資家の圧力を受けて探鉱支出を削減している。シェールオイル生産に欠かせないフラッキング(水圧破砕技術を利用した掘削)サービスで世界最大手の米ハリバートンは、第2四半期の収入が前年比13%減となり、北米地域の従業員を8%削減することとなった(7月23日付ブルームバーグ)。また、シェールブームを牽引してきたパーミアン鉱区の生産量は過去8年間で4倍となった(日量400万バレル超)が、現在の1掘削井当たりの生産量は昨年の半分にまで激減している(7月28日付OILPRICE)。米国の原油生産が今後停滞状態に陥る兆しが増え始めているのである。

米国の原油生産が、短期的とはいえ減少が続くようであれば、「中東リスクがあっても米国の原油増産があるから大丈夫」という基本シナリオが崩れ、市場は一気に大荒れになるのではないだろうか。

2019年8月2日 JBpressに掲載

2019年8月13日掲載

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