脱炭素の現在地 排出量取引の積極活用 必須

有村 俊秀
ファカルティフェロー

2015年の温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」以降、各国は脱炭素へ向けて炭素税や排出量取引といったカーボンプライシング(炭素価格)の取り組みを進めてきた。炭素価格は市場の効率性を生かした排出規制であり、炭素価格の対象となる排出量も着実に増えつつある(図参照)。

図:カーボンプライシング(炭素価格)の対象となる排出量の割合

一方、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻があり、世界経済はインフレやエネルギー価格の高騰、経済安全保障の問題に直面している。その結果、金利上昇による大型風力発電事業の停滞や化石燃料への揺り戻しも短期的にはみられる。

だが長期的には、各国の50年カーボンニュートラル(温暖化ガスの実質排出ゼロ)宣言の方向性は揺らいでいない。そして脱炭素の実現のため、電力部門での再生可能エネルギー導入が求められている。また低炭素にとどまらず、脱炭素へ向けた水素エネルギーの活用、カーボンリサイクルを含む二酸化炭素(CO2)の回収・利用・貯留(CCUS)や空気中のCO2の直接回収(DAC)などへの関心も高まっている。

市場も脱炭素への動きに注目しており、欧州連合(EU)の排出量取引のCO2価格にも表れている。05年に創設され、08年に本格稼働した排出量取引(EUETS)は、08年のリーマン・ショックによる景気停滞やドイツなど欧州各国の固定価格買い取り制度による再エネ電源の普及で長い間価格が低迷し、その効果に疑問を持つ声も聞かれた。

だが当局が市場での排出枠総量を管理する市場安定化リザーブの活用に加え、EUのカーボンニュートラルの方向性が示されるにつれて価格は上昇した。足元でも排出量取引の価格は比較的高値を維持しており、削減インセンティブ(誘因)につながっている。

21年開催の第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)以降も、EUはカーボンニュートラルの達成に向けてEUETSの強化に取り組んでいる。一つはETSを他部門に拡大する「EUETS2」で、27年に運用が開始され、建築部門、輸送部門の燃料燃焼へ拡張される予定だ。輸送部門では様々な変化が生じ、短距離移動における航空から鉄道へのシフトが起きつつある。欧州各国を結ぶ深夜列車が最近復活しているのもその象徴だろう。

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一方、EUの動きで世界的に注目されるのは、国境炭素調整措置(CBAM)の導入だ。域内で排出規制を強化しようとすると、各国・地域の産業界から競争力の低下への懸念が示される。また排出規制のない地域での排出が増える炭素リーケージ(漏洩)も懸念される。EUETSでは対象企業に排出枠を無償配分することで対応してきた。しかし排出枠の無償配分からオークション(競売)への移行が決まり、それに代わる対策としてCBAMが導入されることとなった。

CBAMは、エネルギー集約的な産業の製品をEUが輸入する場合、域内の輸入業者がEUETS排出枠を購入する形でEUETSと同等の炭素価格を負担させる制度だ。対象はセメント、肥料、電気、鉄鋼、水素、アルミニウムだ。23年10月から製品の製造に伴うCO2の排出量を報告する義務が生じており、26年には支払い義務が始まる。当初は排出量の一部だけを支払うが、域内のETSの排出枠の無償配分が減るにつれて排出枠の購入義務が増える。そして34年に無償配分がなくなる際には全排出分を購入することになる。

CBAMは一義的には炭素リーケージ対策であり、EUもそれを錦の御旗として掲げる。だがCBAMを巡っては、世界貿易機関(WTO)のルールと矛盾する可能性も指摘されており、EUに輸出する多くの国が不満を表明している。実際、この論争を呼ぶ政策がEU域内で支持されるのは産業保護からの観点もある。筆者が欧州の会議に出席すると、WTOルールとの抵触が一層問題視される輸出還付を求める声も聞かれる。

だが様々な障害や批判がありながらもEUがCBAMを続けるのは、EUの脱炭素への揺るぎない確信の表れともいえる。CBAMでは、輸出国が国内に炭素価格を導入していれば、その分だけ排出枠の購入義務が減免される。つまりEUとしては、各国に炭素価格の導入を促すための制度ともいえる。実際、CBAMの導入により、トルコや東南アジア諸国連合(ASEAN)各国で炭素価格の導入や検討が加速している。

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日本国内のカーボンニュートラルへの道筋はどうなっているか。23年に成立したグリーントランスフォーメーション(GX)推進法により、韓国や中国にも後れを取っていた炭素価格が日本でも本格導入されることとなった。28年度には輸入される化石燃料を対象に炭素賦課金が導入されることも決まった。同時に排出量取引が大規模事業者を中心に導入され、33年度には発電事業所に対し排出枠のオークションが導入される。

日本の政策の特徴は、政府が発行するGX経済移行債を原資に企業のイノベーション(技術革新)を促進し、炭素価格により技術導入を進めるというものだ。欧州は当初EUETSを中心に規制的に進める一方、米国はインフレ抑制法による補助金に頼ってきた。日本の取り組みは、両者の特徴を生かした政策ともいえる。ただ、これらの導入時期は30年度の温暖化ガスの13年度比46%削減に向けては悠長なようにもみえる。

現時点の日本の排出量取引は「GX-ETS」という参加が自主的な制度であり、海外のステークホルダー(利害関係者)には分かりにくい制度にもみえる。海外の投資家、政策担当者、非政府組織(NGO)などからは不透明な制度に映る可能性があり、日本の脱炭素の取り組みの評判に影響するかもしれない。加えて義務的でない炭素価格はEUのCBAMの減免措置の対象にはならないだろう。

このGX-ETSは、26年度には義務的な制度に移行する見込みである。脱炭素に必須なイノベーションであるCCUSや水素エネルギーの活用が経済合理性を持つためにも、排出量取引の義務化が急がれる。

また日本企業にとって、自主的な制度では決定しにくい投資判断も、義務的な制度になれば積極的にできるだろう。制度開始時期に排出枠の無償配分を活用すれば、企業の負担を抑制することも可能だ。同時に排出枠のキャップ(上限)の水準を30年度の排出削減目標に整合するような形で設定すれば、日本経済の30年度目標、そして50年の脱炭素への足掛かりとなろう。

世界各国で炭素価格の導入が浸透していくなか、炭素効率性の高い経済への転換が日本の競争力維持に重要だ。EUのCBAMについて筆者が武田史郎・京都産業大教授らと実施した応用一般均衡分析によると、現状の提案では日本経済に負の影響は予測されていない。だが対象がさらに広がれば、日本経済に負の影響を及ぼす可能性もある。日本の競争力を維持するためにもGX-ETSの積極的な活用が有効かつ必須だ。

2024年2月16日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2024年3月4日掲載

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