「ライオンと鼠:日米規範文化比較論 -前編-」(1/5)
私がシカゴ大学で『日本社会論』を教え始めたのは比較的最近である。元々の私の専門は就業や、転職や、失業や、結婚や、出産や、離婚といった人生航路の分岐の原因や結果についての統計的な分析やその方法の研究で、何千人もの人を何十年にもわたって追いかけるアメリカならではの金のかかる社会調査データを基にしていた。またそういったデータはほとんどアメリカ社会に関するデータなので、その分析を専門とする私は自然にアメリカ社会についての専門家となり、日本についての関連する研究は出生歴や職歴に関して人々を追跡調査するパネル調査データが手に入るようになった最近になってようやく始めたばかりだった。
『日本社会論』のコースはこういった私自身の最近の日本研究とは全く別の意図で始めたものであった。それはアメリカに住む一日本人として専門を通じて日本の事をアメリカ人に伝えたい、また伝えなければならない、といういわば半ば欲求、半ば義務感の産物であった。
私は『日本社会論』を学術論文の議論を中心とした専門家向けの大学院コースでなく、より気ままで自由な学部学生むけのコースとして教えることにした。日本社会などというものを包括的に教えることはおよそ不可能なので、日本について教えるというより日本を題材にしながら社会や文化の比較の視点から柔軟な多文化的な思考を育むといった点を重視したからである。コースを取っている学生は15人程の少人数で、約3分の2が社会学科など社会科学部の学生、残りが人文学部極東言語文化研究学科で日本語や日本文化について学んでいる学生だった。クラスはもちろん英語で行なわれ、日本人の著作はすべて英訳を基にしている。
教えるといってもアメリカの大学のリベラルアート教育では、何々を教えるというより、何々で教える、というやりかたで、思考の自由と批評的精神が一番大切であり、教師はいわば料理の素材と処方箋についてのいくつかのヒントを与え、あとは学生に料理させ、その結果について「うまい」とか「まずい」とかを議論するといった風のものであった。
日によって中根千枝だの、ルース・ベネディクトだの、土居健郎だの、ロバート・コールだの、村上泰亮だの、ロナルド・ドーアだの、丸山真男だのの著作が素材として与えられ、料理された。日本を未だよく知らない若者達に彼ら大御所の著作を断片的かつ勝手気ままに議論させることは、日本的感覚から言ったら恐れ多いことかもしれないが、学生の知的精神に刺激を与えるというコースの目的にはかなっていた。素材はあらかじめ学生に与えられており、学生は前もってそれに目を通しておくことが、クラスの討論の前提になっている。
その日の素材は『法と社会』と言う英文の学術雑誌に出たアーサ・ロゼットと我妻洋の共著の『謝りの意味:日米の違いについて』と題する論文であった。論文では自分が悪かったと謝ることが、日本では当事者達の感情的な和解をまず達成することを目的とするのに対し、アメリカでは損害の賠償責任を認める行為である、などの日米の文化的違いの議論が中心であったが、私はその中ではむしろ簡単に触れられている、イソップ童話の『ライオンと鼠』の日本版とアメリカ版が違う、という話に焦点を当て、そこを学生に議論させることをもって、その日の素材の料理法の処方箋とした。
アメリカ版の『ライオンと鼠』の話とは、次のような話であった。
ある日、ねずみたちが集まってお互いの自慢話をしました。
──私たちの中で一番勇気があるのは、誰だろうか?
すると、一匹のねずみがいいました。
──それはもちろん私さ。ほら、向こうの草原に一匹のおすライオンが眠っている。私は、あのライオンの背中の上を駆け抜けることができるぞ。
他のねずみはみな感心しました。そんなことができるほど勇気のあるねずみはほかにいなかったからです。そこで、そのねずみは自分の勇気を証明するために出かけました。そばまで来ると、ライオンはまだよく眠っているようです。ねずみはしばらくライオンの様子をうかがっていましたが、やがて
──これならだいじょうぶ。
意を決して、ライオンの背中に駆け上がりました。ところが、ねずみが背中からおりるやいなや、今までよく眠っているように見えたライオンはパッと跳ね起きて前足でねずみを押さえてしまいました。
──誰だ、私の眠りのじゃまをするのは!
ライオンはねずみをただ一口で呑みこもうとしました。
──待ってください。私を食べるのはいつでもできます。その前に私の話を聞いて下さい。
ねずみは急いで言いました。
──私は小さい肉のかけらで、食べてもあなたのおなかのたしにはならないでしょう。それより今私を自由にすれば、後で私はもっと良いことをあなたにできるでしょう。
──それは、どういうことかな?
──私はなりは小さくとも勇気があり、またあなたのように鋭い歯は無くても、あなたの歯で切れない物でも噛み切れる強い歯を持っています。ですから、いつかあなたが困った時にやってきて、きっとあなたを助けることができるだろう、と思うのです。
(まあ、何と大きな物の言い方をするねずみだろう)
と、ライオンは思いました。
(私を助けるって? そんな考えは全くバカげている)
しかし、ライオンは鹿を食べて昼寝をしていたところだったので、おなかが全くすいていませんでした。それで、
──確かに私は今、小さい君を食べなければならない程おなかがすいていない。だから君を自由にしてあげよう。運のいいねずみだ。
ライオンはねずみを放してやりました。たち去って行くねずみにライオンは後ろからからかうような声で呼びかけました。
──いいか、君は約束したぞ。いつかこの私を、ライオンを助けるとな。ハ、ハ、ハ、...
それからしばらくたったある日、ライオンはつい油断して猟師のしかけた網のわなに捕らえられてしまいました。ライオンは歯で網をかみ切ろうとしましたが、その歯はロープを切るのには向いていないので、何度も試みた後、ついにあきらめざるをえなくなりなした。
──何と言うことだ。少しの油断で命を縮めることになってしまった。これで私もおしまいだ。
こういって、怒りと悲しみの大きな唸り声をあげました。
絶望に打ちひしがれていたライオンは、突然何か小さな生き物がロープをかむ音に気がつきました。あのねずみです。ねずみはせっせとロープをかみ続け、ついにライオンが出られるのに十分大きな穴をつくると言いました。
──さあ、私は言った通りに約束を果たしましたよ。
ライオンは感激してねずみにお礼を述べ、そして、
──これからあなたたちねずみを、ただ小さいという、それだけの理由でバカにすることは決してないだろう、
と、言いました。
この話は、アメリカの学生にはなじみのあるものであったが、私自身には初めて読んだ時はむしろ新鮮な感じを与えるものであった。なぜなら、私にとってなじみの深い日本版の『ライオンと鼠』の話とは、次のような話であったからである。
ある日、うっかり者のねずみが誤って寝ているライオンの上に走り登ってしまいました。うす茶色の土もりと間違えてしまったのです。
ライオンは眠りからパットさめてとび起きると、すばやく前足でねずみを押さえました。
──誰だ、わしの眠りをさまたげるのは!
──ごめんなさい、許して下さい!
ねずみは悲鳴をあげました。
──ライオン様のお体とは知らないで登ってしまったのです。
ねずみは涙を流して、ひらあやまりにあやまり、ライオンの許しを乞いました。ライオンは最初は、気持ちの良い眠りをさまたげられて腹をたてていましたが、そのうちに一生懸命に許しを乞うねずみが哀れに思えて来ましたので、
──このうっかり者め、まあいい、できてしまったことは仕方がないから今回は許してやろう。しかし、これからは十分気をつけるのだぞ。
そう言って放してやりました。
──はい、気をつけます、気をつけます、ありがとうございます。
ねずみは何度も何度もおじぎをして喜んで帰っていきました。
それからしばらくたったある日、ライオンはつい油断して猟師のしかけた網のわなに捕らえられてしまいました。ライオンは必死に網を噛み切って出ようとしましたが、できません。ついに諦めて、
(もう、わしの命も終わりだ)
と、思いました。
その時です。ライオンはカリカリと綱を噛む小さいけれどしっかりした規則的な音を聞きました。そこでは、いつかのあのねずみが網を噛み切ろうと、せっせと働いていました。ねずみは、
──ライオン様、ご恩返しにまいりました。今お助けしますから、しばらくご辛抱下さい。
と、言いました。そして、次々と丈夫な綱を噛み切ると、ライオンをついに助け出しました。
助けられたライオンは喜んで言いました。
──おまえはよく私のことを憶えていてくれた。これからも末長く私のよき友でいておくれ。
そして、それから二人は死ぬまで仲の良い友達になりました。
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