社会保障・経済の再生に向けて

第14回「成長戦略(2) - 知識経済の強化に向け、IT技術をフル活用して教育の再構築を」

小黒 一正
コンサルティングフェロー

前回は、少子高齢化や経済のグローバル化が進展する中、これから成長戦略に寄与すると期待される有望テーマとして、外国人材の活用を取り上げた。今回は、IT技術の進展によって急速に拡大する知識経済において、将来の成長エンジンとなる「人財」育成を担う教育を考察したい。

知識経済で求められる教育とは何か?

世界銀行(1993)“The East Asian Miracle”等によると、「普遍的な教育の浸透が人的資本の形成を促進し、東アジアの急速な発展をもたらした」と分析している(図表1)。かつての日本も、同様のメカニズムにより、教育の浸透が経済成長に一定の影響を与えた点は否定できまい。

図表1:教育水準と1人当たり実質GDPの関係
図表1:教育水準と1人当たり実質GDPの関係
(出所)『情報通信白書平成21年度版』のデータを活用し作成

だが、少子高齢化や経済のグローバルが進展し、中国やインドなどの新興国が台頭する中、日本を取り巻く内外の環境は大きく変容しつつある。実際、日本の失業率は5%後半で高止まりし、有効求人倍率も低迷しつつある。その背景には、アメリカ発の金融危機の影響などの景気要因もあるが、国際的な産業部門での厳しい競争も大きな影響を与えている。このような状況で、生活水準を維持していくには、成長力を強化し、雇用を創出していく戦略が不可欠である。

成長の主な源泉には技術進歩、物的資本、労働力等があるが、国土も狭く資源も少ない日本にとって、これからの最大の武器は「人財の質」となろう。すなわち、成長のメイン・エンジンは「頭脳(付加価値の高い知識と技術)」になる。また、グローバル経済での生き残りをかけ、従来の発想にとらわれず、世界に通用する先端技術や新ビジネスを創出する「人財」も育成していかねばならない。さらに、このような高技能労働者のみでなく、IT技術の進展に追い付けない低技能労働者がアジア新興国から供給される安価な労働力に負けてしまうことのないよう、その技能を高めていく政策も重要である。

この点で、中長期観点からは、低技能労働者も含め、人財の質を高める供給側の教育改革が重要な鍵を握る。だが、現在、日本の教育は、マイケル・ポーターの競争戦略の用語を用いて一言で表せば「どっちつかず(stuck-in-the-middle)」の状況にある。これは、日本が必要としている世界最高水準の研究においても、 低コストで知識を習得せしめる訓練においても、然るべき水準に達していないという意味である。知識経済への対応には、最先端の知識の創造と、広範で層の厚い知識労働者(Creative Class)が必要である。具体的には、最先端の研究を担う「リサーチ・ユニバーシティ」の強化と、知識経済において、職業訓練を担う、研究ではなく訓練に特化した高等教育機関が必要である。 現状が「どっちつかず」=非効率となっているのは、研究と訓練が峻別されておらず、本来どれだけ職業訓練ができているのかに基づき行われるべき企業による従業員の選別が、研究の序列に従って行われていることに原因があるのではないか。そもそも、教育(”education”)とは、「教授・指導や通学によって人の力と能力を開発すること(to develop the faculties and powers of (a person) by teaching, instruction, or schooling)」(ランダムハウス辞典)である。すなわち、「職」を得るための能力開発であり、全国民を研究者にすることではない。それは望ましいことでも可能なことでもない。全国民を対象に為すべき教育は職業訓練であり、雇用適性(employability)の確保である。この原点に立ち戻るならば、教育と雇用を一体的に捉え、改めて、人的資本形成機能の強化を図る必要があろう。

この点で、Kozma (2005)は、IT技術の進展によって急速に拡大する知識経済において、これから必要となる教育改革の方向性を提示している(注1)。具体的には、シンガポールやフィンランド等の教育改革を参考にしつつ、1) 「知識獲得」(Knowledge Acquisition)、2) 「知識深化」(Knowledge Deepening)、3) 「知識創造」(Knowledge Creation)の各アプローチにおいて望ましい教育政策、カリキュラムやIT技術活用などの方向性を提示している。

「知識獲得」アプローチとは、知識の質よりも量を重視し、標準的なテストなどによって多くの事実や概念の獲得を目指すもので、教師には深い専門的知識よりも、むしろ教育の各テーマに関する包括的かつ正確な知識が求められる。他方で、「知識深化」アプローチとは、現実世界の複雑な問題を解決する技術を学生に身に付けさせるため、関連する横断的テーマや応用について理解を深めることを目指すもので、教師には学生の学習プロセスに加えて、各テーマに関する深い専門知識が求められる。また、「知識創造」アプローチとは、知識経済を主導する研究開発や新知識の創造を目指すもので、教師には専門家としての経験に加えて、外部とも交流しつつ、互いに専門性を高めていく能力が求められる。

東アジアの知的センターを目指して、政府主導の「教育ポータルサイト」構築を

以上の各アプローチにおいて、Kozma (2005)は、これからの知識経済においては、動画コンテンツや内外ネットワークなどのIT技術をフル活用し、人的資本の向上を図る重要性を強調している(図表2)。

この文脈で、日本の教育の現状を見つめ直すと、初等・高等教育にかかわらず、これからチャレンジする価値のある多くの課題が見えてくる。たとえば、まずは、「知識獲得」と関係の深いさまざまな基礎科目(国語、数学、英語、社会、理科など)について、もっとインターネットなどのIT技術を活用して、教育の質を高めていくことが望まれる。その上で、現実世界の複雑な問題を解決する技術を身に付けるため、「知識深化」や「知識創造」に関係が深いコンテンツを追加していくのである。

図表2:ICT競争力と一人当たり名目GDPの関係
図表2:ICT競争力と一人当たり名目GDPの関係
(出所)『情報通信白書平成21年度版』のデータを活用し作成

そもそも、Haveman and Wolfe (1984)が指摘するように、教育は正の「外部効果」をもつ(注2)。また、教育は「準公共財」としての性質も有する。純粋公共財は、1) 同時に多数の人が消費できるという「非競合性」と、2) 受益に見合う負担をしていない者をその財・サービスから排除できないという「非排除不可能性」の2つの性質をもつが、教育は前者の性質を強くもつ。しかも、近年はIT技術の発達に伴い、教育を巡る環境は大きく変化しており、その外部性や公共財的性質は、グローバルになりつつある。

たとえば、アメリカでは、PBSやTeaching Company等の民間会社が、政治・経済の仕組みや歴史に関する高品質の教養DVDを提供し、日本でもインターネットを通じて容易に入手可能になりつつある。また、You Tube(正確にはYouTube EDU)などを通じて、海外の有名大学や有名教授の講義(外交・安全保障、ファイナンス理論、マクロ経済学、ミクロ経済学、公共経済学、相対性理論、量子力学、線形代数、解析学など)やコンファレンスの一部を小中学生でも無料で聴講できるようになりつつある。その目的は、世界中の優秀な学生を惹きつけることにあるが、良質のコンテンツは一種の公共財の性質を有している。また、欧米では、スタンフォード大学などに代表されるように、初等教育の段階からでも、IT技術を活用しつつ、数学や英語などの教育の質を高める動きがある。

このような動きを受け、日本でも、インターネットを活用した大学が登場しつつあるが、その内容は脆弱かつ過少であり、もっと多様かつ質の高い講義を受け、自らの能力を高めたいと願う国民の潜在的ニーズにマッチしていない。

しかも、初等教育から高等教育の流れをみると、さまざまな課題がある。たとえば、いまの教育システムでは、原則、飛び級はできない。また、現在のところ、放送大学やNHKの教育番組などがいくつかの基礎科目を提供しているものの、その内容は部分的で質はさまざまであり、たとえば、小学生が中高生のカリキュラムを体系的かつ自律的に学ぶことができる環境にはない。このため、潜在的な人的資本形成を阻害している。

だが、仮に、現在行われている初等教育から高等教育までの全講義のうちトップ水準のものを、うまく選定・編集し、政府が主導する「教育ポータルサイト」(例:日本版YouTube EDU)において、インターネット上にこれらを公開することができれば、学生を取り巻く学習環境は飛躍的に変化する。得意科目は、学生の興味に応じてどんどん予習ができるし、不得意科目はいつでも復習ができる。また、社会や理科などにおいても、日本史や世界史、実験風景などの良質な動画コンテンツと連動できれば、理解や教養を深めることができよう。ただ、教育上の知識でなく、付加価値の高い知識を提供する者の立場に立てば、むしろ、それら知識を高価で提供したいと考えるのが自然である。このため、それら知識も広くオープンに共有したい場合は、一定の限界があるものの、その必要性に応じて、政府が支援していくことも必要だろう。

さらに、このような試みは、教師側の教育技術の改善効果も見込まれる。たとえば、数年置きに、教育ポータルサイトに優秀な講義を追加していけば、自らの教育技術と比較して、オール・ジャパンで、教師側も質の高い技術を吸収し深めていく機会を提供できよう。

また、この教育ポータルサイトの質が高まり、その内容が充実していけば、低コストで、低所得世帯をはじめ、改めて学び直したいと考えている中高年世代に対しても、質の高い教育を受ける機会を拡大できよう。

なお、以上の試みは一度に進めることは現実的ではないが、まずは初等教育から高等教育の基礎科目について、いくつかの優れたパイロット校を選定し、さまざまなIT技術を活用し、外部の専門家の協力も仰ぎつつ、そこでの講義を公開していくことから進めていったらどうだろうか。その際、教育と雇用を一体的に捉え、小中学生でも、政治や経済の仕組みを、その早い段階から、体系的に学ぶことができるコンテンツを提供する努力も不可欠であろう。

加えて、公立の義務教育の立て直しや、教師の「人財」育成も極めて重要である。新政権は、教員の養成過程を6年制(修士号)とし、養成と研修の充実を図るとしているが、「知識深化」・「知識創造」の観点では、教育学の修士号取得者よりも、むしろ、理科系・文科系専門の修士号を有する教員の拡充も重要であろう。さらに、日本の大学は世界的には低い評価(上位50校に3校、最高位・東大=22位)で、優秀な研究者は欧米に集中する傾向にある。このため、日本の研究を目的とする大学(リサーチ・ユニバーシティ)は、使用言語を英語とし、海外の大学間の積極的交流も含め、教授陣・学生などの有能な人財を日本にどう呼び込むか、という視点も重要である。なお、IT技術は訓練(知識の伝播)の低廉化に威力を発揮することは自明であり、その活用は、知識工場である「リサーチ・ユニバーシティ」と職業訓練の場としての高等教育機関の双方から人材を集めた組織横断的プロジェクト・チームにおいて継続的に検討されるべきだろう。

このような試みの積み重ねによって、「知識獲得」、「知識深化」、「知識創造」の各アプローチも総動員しつつ、人的資本を向上させ、現在急速に進んでいる知識経済において、わが国を東アジアの知的センターに飛躍させることが望まれる。

2009年11月6日
脚注

注)本コラムを作成する過程で、(株)アバン・アソシエイツの平泉信之顧問、財務総合政策研究所・研究部の小林航主任研究官、大野太郎研究官、(財)世界平和研究所の大澤淳主任研究員等から有益なコメントを頂いた。記して感謝したい。なお、本コラムにおける誤謬は全て筆者に帰するものである。

  • 注1)Kozma (2005)“ICT, Education Reform, and Economic Growth”, Intel White Paper November 2005.
  • 注2)Haveman, R. H. and Wolfe, B. L (1984), "Schooling and Economic Well-Being: The Role of Nonmarket Effects," Journal of Human Resources vol. 19, pp377-407.

2009年11月6日掲載

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