社会保障・経済の再生に向けて

第8回「社会保障再生に最も必要なもの - 社会保障危機を招く3つの「神話」からの脱却 -」

小黒 一正 コンサルティングフェロー

前回まで全7回に及び、社会保障再生に向けた提言を行ってきた。その概要は、「社会保障再生プラン-公平性と効率性の同時達成を目指して」[PDF:327KB]という資料にまとめた。これは1つのプランであって、筆者が現時点で最も理想的と考えている社会保障の将来像である。その内容は筆者の力不足もあって上手に説明できていないかもしれないが、社会保障再生に向けたいくつかの政策手段とその目的・有効性を概説してきた。

ところで、現在再び、総理のリーダーシップもあって、与党・政府でも除々に社会保障再生に向けた検討が進みつつある。この機会に是非とも、社会保障再生に向けた取り組みの本格的進展が望まれる。だが、これまで実際に検討がスタートすると、一部世論の反発や政治側の尻ごみによって抜本改革は進まない傾向があった。その背景には、改革議論で常にクローズ・アップされる3つの「神話」が大きな影響を与えていると考えられる。

実際、政府・与党が4月10日に決定した追加経済対策に、税財政改革の道筋を示す「中期プログラム」について「必要な改定を早急に行う」との一文が挿入されたことが波紋を広げている。報道によると、この一文は社会保障の安定財源を確保する観点から消費増税の道筋を付ける「仕掛け」である可能性もあり、増税はまるまる国民の負担になるというような記事も多かった。だが、これまでのコラムで説明してきたように、「社会保障財源としての消費増税がまるまる負担になる」という、この「神話」は厳密には正しくない。ケインズは「いかなる知的影響からも無縁であると自ら信じている実務家たちも、過去のある経済学者の奴隷である」との有名な言葉を残した。正しい「神話」であれば問題はないが、そうでない「神話」が、無意識のうちに我々の思考や判断に影響を与え、社会保障危機を招いているとすればとても不幸な話である。

そこで、本コラムでは、前回までのコラムの総括として、社会保障危機を招いていると思われる3つの「神話」を取り上げ、その考察を行ってみたい。

第1の「神話」:社会保障安定化のための増税はまるまる負担

これは最も強い「神話」であろう。だが、第3回のコラムでも説明したように、事前積立の導入によって世代間格差が改善すると、現役期に支払った負担は概ね、老齢期に給付として返ってくる。そして、社会保障における各世代の受益と負担が概ね一致する。これは、政府を銀行とみなすと、現役期の負担は概ね、老後のための強制「貯蓄」となることを意味する。だから、社会保障安定化のための増税はまるまる負担という、「神話」は誤解である。社会保障における「真の負担」とは、現役期に支払う負担から、老齢期に受け取る受益を差し引いたものである。これが真の負担であり、前回までのコラムでは「純負担」と呼んでいたものである。そして、この「純負担」はずっと小さくできる。

その理由は、第4回のコラムにある。この回でも概説したように、社会保障は暗黙の債務を抱えているが、これは社会保障発足時にあまり負担をせずに給付を受けった世代の純受益の合計である。他方、その後の世代は負担が受益を上回り、この暗黙の債務を返済していく(そうでないと、暗黙の債務が発散してしまう)。つまり、発足時の世代が「得」した分、その後の世代は「損」をする。これが世代間格差であって、この損が「純負担」である。だが、第4回のコラムでも概説したように、この暗黙の債務は長期間で償却すれば、ずっと小さくできる(だた、暗黙の債務が存在する限りはゼロにはできない)。これは、第3回のコラムの事前積立でいうと、その世代間格差を平準化する期間を十分に長くすることに相当する。

以上のとおり、社会保障安定化のための増税はまるまる負担という、「神話」は正しくない。ただ、この「神話」を葬り去るには1つの条件が必要である。それは、世代間格差を改善し、社会保障における各世代の受益と負担を概ね一致させることである。それには、第2回のコラムで概説したように、社会保障予算をハード化し、事前積立を導入する必要がある。そのとき、この「神話」は完全に消滅するだろう。

第2の「神話」:社会保障改革は成長にマイナス

これも根強い「神話」であろう。だが、上述のとおり、事前積立の導入や社会保障予算のハード化によって世代間格差が改善すると、現役期に支払う負担は概ね、老後のための強制「貯蓄」となるので、この見方も正しいとは限らない。その際、強制的に「貯蓄」させられるのだから、その分、消費が減少する可能性もあるのではないか、という反論もあろう。

図表1 社会保障改革と消費
社会保障導入現役期老齢期
生涯賃金負担(強制貯蓄)消費貯蓄受益消費
2億円1億円1億円1億円
2億円0.7億円1億円0.3億円0.7億円1億円
2億円0.8億円1億円0.2億円0.8億円1億円

だが、第3回のコラムで概説したように、これもそうとは限らない。この点は重要なので、もう一度説明しておこう。図表1上段のように、現役期の獲得賃金が2億円で、現役期と老齢期に1億円ずつの消費を予定している家計は、現役期に1億円の貯蓄をする。その際、社会保障として、政府が0.7億円の強制貯蓄をさせるとしよう(図表1中段)。この0.7億円は老齢期に概ね返ってくるから、合理的な家計であれば、強制貯蓄の0.7億円分だけ、元々予定していた貯蓄を減少させ、0.3億円の貯蓄をする。そして、現役期と老齢期に1億円ずつの消費をする。なので、貯蓄ができる家計であれば、消費は概ね減少しない。これは強制貯蓄を0.8億円に引き上げても同じである。その場合は貯蓄が0.2億円になって、現役期と老齢期に1億円ずつの消費をする(図表1下段)。

むしろ、大きな世代間格差が存在する現行システムの方が、現役世代の消費を大幅に減少させている可能性をもつ。なぜなら、世代間格差があると、たとえば、図表2中段のように、現役期の負担0.7億円のうち、老齢期に0.3億円しか返ってこないとする(純負担は0.4億円)。このとき、家計は、現役期の賃金2億円から0.7億円を差し引いた1.3億円のうち、0.5億円の貯蓄を行い、老後の給付0.3億円と合わせて、現役と老齢期に0.8億円ずつの消費を選択する。

図表2 世代間格差と消費
世代間格差現役期老齢期
生涯賃金負担消費貯蓄受益消費
2億円0.7億円1億円0.3億円0.7億円1億円
2億円0.7億円0.8億円0.5億円0.3億円0.8億円
2億円0.7億円0.7億円0.6億円0.1億円0.7億円

つまり、世代間格差の存在によって、消費が低下させられている。さらに、社会保障の将来像が不確定で、現役世代が老後に受け取る受益がさらに削減される可能性が高いと予測すると、その防御反応として過剰貯蓄を行い、消費は一層低迷する(図表2下段)。逆にいうと、むしろ、社会保障改革によって世代間格差が改善すると、その安心感から消費が回復する可能性もある。

以上から、社会保障改革が成長にマイナスという、「神話」も正しいとは限らない。

第3の「神話」:消費増税は低所得世帯に逆進的

ただ厳密には、上述の議論は若干修正が必要となる。そもそも上述では、貯蓄のできる家計を前提としたが、できない低所得の家計も存在する。そのような家計に、社会保障改革で追加的負担を課すと、その分まるまる消費が減少してしまう。またこれは、消費増税は低所得世帯に逆進的という、「神話」とも関係する。だが、これは、第3回第7回のコラムでも概説したように、適切な所得再分配で解決できる。第7回では、オランダの事例を参考として、所得依存の社会保険料に、所得再分配機能を担わせる提言をしたが、別の方法もある。たとえば、消費税を社会保障財源とするケースでは、事前積立による世代間格差の改善に必要となる税率に、若干プラスαの税率を付加し、その追加財源をベースに、(事後的な形で、)低所得世帯に再分配をすればよいのである(この再分配の追加財源は、中・高所得世帯が薄く広く負担すれば当該世帯の消費も大きく減少しないだろう)。

以上によって、消費増税による低所得世帯への逆進性やその消費減少は、適切な所得再分配によって解決できるので、この第3の「神話」も正しいとは限らない。

3つの「神話」からの脱却に向けて、明確かつ強い政治メッセージを

だが、これら3つの「神話」は、かつてケインズが指摘したように、無意識のうちに我々の思考や判断に影響を与え、社会保障改革の進展を阻む大きな要因となっている可能性がある。この脱却を図るには、明確かつ強い政治メッセージが必要であろう。

 まず1つは、事前積立の導入や社会保障予算のハード化によって世代間格差を改善する。その上で、社会保障安定化のための増税は「負担」でなく、「貯蓄」的性質をもつ点を強調する。
 もう1つは、社会保障改革は成長にマイナスとは限らず、消費増税の低所得世帯への逆進性には、社会保険料や消費税などの追加財源で、適切な所得再分配をする点を強調する。

このようなメッセージが、広く国民に伝わり、その内容の理解が進めば、社会保障危機を招いている3つの「神話」を脱却し、社会保障再生に向けた取り組みを本格化することができるのではないだろうか。

なお、上記の逆進性の対応には、国民の所得・収入を網羅的に把握する必要がある。この点で、第6回のコラムでは社会保障番号導入の必要性を概説したが、先般、厚生労働省は2011年度を目途に「社会保障カード」の実用化を図る基本計画を公表した。これが実現すれば、国民が自宅のパソコンから年金記録や特定診断の結果を閲覧できるようになるだろう。これは社会保障再生に向けて大きな前進であるが、「社会保障番号」の導入は見送っており、さらなる抜本改革が期待される。

今こそ、社会保障再生に向けて、明確かつ強い政治メッセージの発信が求められている。

2009年4月30日

2009年4月30日掲載

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