RIETI海外レポートシリーズ 国際金融情報スーパーハイウェイの建設現場から

第九回「投資銀行におけるオフショアリングとアウトソーシングの建設期(2)」

松本 秀之
コンサルティングフェロー

1995年頃から勢いを増す国際金融のパラダイムシフト。この時期に多国籍投資銀行の事務処理部門が「建設」したものは、同じ国内の別会社に業務委託を行うアウトソーシングの仕組み、別の海外拠点を拡大し大規模ビジネスプロセス情報システム開発センターとするグループ内オフショアリングのビジネスモデル、あるいは国境を越え別会社に情報システム開発の業務委託を行うオフショアアウトソーシングの枠組みでした。今回は、ある多国籍投資銀行が行ったグローバル情報システム戦略のケースから、グループ内オフショアリングのポイントを探ります。

大西洋を跨いだビジネスパートナーシップ

1995年頃から、ある多国籍金融グループ傘下の投資銀行が、グループ内オフショアリングの拠点を、シンガポールに構築し始めます(注1)。この金融グループは、スイスの伝統的商業銀行とアメリカの伝統的投資銀行との、大西洋を跨いだビジネスパートナーシップによって誕生した、先進的な多国籍金融グループです。このスイス米系金融グループは、グローバル化および多国籍化の草分け的存在であり、1990年以降、チューリッヒ、ニューヨーク、そしてロンドンの3つの拠点が連携して、グローバル経営の意思決定を行っています。

このスイス米系金融グループの淵源は、1856年にスイスに設立された商業銀行に遡ります。この商業銀行は設立後から第一次世界大戦に至るまで、スイス国内に支店網を着々と広げて行きます。第一次世界大戦以降、他の金融機関を吸収しながら新たな支店や子会社を増やし、マーケットシェアを順調に拡大して行きます。1929年の世界恐慌以降も、継続的に支店網を拡大し続けますが、第二次世界大戦以降から1960年代までは思うように収益が拡大せず、別のスイス系大手2銀行の後塵を拝することとなります。この劣勢を挽回するために、1970年代に入ると、スイス国外に国際的なビジネスネットワークを構築することによってマーケットシェアを獲得し、収益性を向上させる戦略を模索し始めます。

1978年、このスイス系金融グループは、先進的なアメリカ系投資銀行との、ビジネスパートナーシップを締結します。提携先であるアメリカ系投資銀行は、1940年代にアメリカのビッグフォーの一角を占めた歴史のある投資銀行であり、1970年代後半は低収益構造に悩んだものの、1980年代中頃には、広範囲に亘る金融商品を取り扱うことによって収益性が回復し、ニューヨーク金融街ウォールストリートのマーケットリーダーに復活していました。また、このアメリカ系投資銀行はアジア地域でのビジネスも拡大し、1972年には東京市場に駐在員事務所を開設、1985年に同駐在員事務所が支店へ昇格、1988年に東京証券取引所の会員となった歴史を持ちます。

新たなグローバルビジネスモデルとグローバルブッキング体制

このアメリカ系投資銀行は、ブラックマンデー前後の1986年から1988年までの間、株式や債券などに関るさまざまな取引で損失を出すこととなり、資金繰りが悪化します。そこで、ビジネスパートナーシップを締結していたスイス系金融グループは、アメリカ系投資銀行へ積極的な資本参加を行うこととし、1989年にスイス米系金融持ち株会社を設立、その傘下に商業銀行と投資銀行を置く組織構造にします。

1992年、統合したスイス米系投資銀行では、2つのグローバルビジネスモデルが導入されています。1つはロンドンオフィスで新しく考案された、デリバティブ取引を用いたグローバルビジネスモデル。もう1つは別の米系投資銀行からニューヨークオフィスに持ち込まれた、債券グローバルトレーディングのビジネスモデルです。ロンドンオフィスとニューヨークオフィスの2拠点で開始した別々のグローバルビジネスモデルは、取り扱う金融商品および執り行う取引手法は異なっていたものの、情報システムに対する要望は極めて似通ったものでした。両者共に、アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアパシフィックの3つの地域を跨いでビジネスを展開するための、グローバルブッキングを可能とする情報システムを必要としていました。

1993年、ロンドンおよびニューヨーク発の2つの新しいグローバルビジネスの取引高は急増します。1994年から、ビジネスの劇的な変化に対応する為に、スイス米系投資銀行はグローバルな組織構造改革を断行します。それまでニューヨーク、ロンドン、東京、香港、シンガポール、そしてシドニーといった各拠点は、それぞれ独立して経営を行うローカル型でした。それをアメリカ、ヨーロッパ、アジアパシフィックという3つの地域に区切り、その地域の中で経営を横断的・統括的に行う、リージョナル型に変化させて行きます。この組織構造の変更に伴い、スイス米系金融グループのトップマネジメントが、シミュレーションのマトリックス分析から導き出されたコストパーチケットを参考として、アジアパシフィック地域ではグループ内オフショアリングの拠点をシンガポールに創設する、という意思決定を行います。

シンガポールへのグループ内オフショアリング

同1994年、アジアパシフィック地域の事務処理部門も構造変革を始めます。グループ内オフショアリングの拠点を構築する為に、まず情報システム部門や証券管理部門あるいは経理部門などの上級マネジメントが、東京オフィス、香港オフィス、シドニーオフィスからシンガポールオフィスに転勤します。翌1995年、手作業のプロセスを削減すること、各拠点のシステムを統一すること、そしてコストを削減することを狙って、アジアパシフィック地域で新しい自社システム開発のプロジェクトが始まります。このプロジェクトを遂行するために、数名のハイブリッドマネージャーが、東京オフィス、香港オフィス、そしてシドニーオフィスからシンガポールオフィスへと転勤します。

1996年、再びグローバルレベルでの構造改革が行われ、スイス国内のリテール銀行部門、グローバルネットワークを活用する商業銀行部門、グローバルな金融取引を行う投資銀行部門、そして資産運用を行う信託銀行部門の、4つのビジネス・ユニットに分割されます。この組織構造改革に伴い、グローバルなレポーティングラインが明確化されます。

1998年、自社システム開発プロジェクトは成功裏に終了し、アジアパシフィック地域にある各拠点の事務処理部門では、統一された情報システムの運用が開始されます。1999年1月の欧州通貨統合と2000年1月のコンピュータ2000年問題の、2つの大きな国際的プロジェクトの経験から、シンガポールオフィスを中心としたアジアパシフィック地域の事務処理部門が使用する情報システムは、フロントオフィスが行うグローバルビジネスを充分にサポートすることのできる、極めて質の高いものに成長していきます。そして、2004年には情報システム部門の業務を、ロンドンオフィスとニューヨークオフィスからも、シンガポールオフィスにグループ内でオフショアリングすることとなりました。

ケースから学ぶグループ内オフショアリングのポイント

今回のレポートの結びとして、スイス米系投資銀行のグループ内オフショアリングのケースから浮かび上がってきたポイントをまとめます。

1)国境を越えた資本提携と先進的多国籍金融グループの出現

1987年のブラックマンデー以降、金融業界における国境を越えた資本提携は加速している。大西洋を跨いだビジネス提携としては、今回分析したスイス系商業銀行とアメリカ系投資銀行の例のほか、ドイツ系金融グループによるアメリカ系投資銀行の買収が、ほぼ同時期に行われている。このことから1980年代後半以降、国籍が異なった金融機関が手を組む事に対する違和感は低下していると考えられる。

2)投資銀行ビジネスモデルのグローバル化

1990年代前半からロンドン市場やニューヨーク市場で行われていた先進的な金融取引を、アジアパシフィックを含む他の地域に導入するアイデアが活発に議論され実施に結びついている。この先進的金融取引の増加に伴い、事務処理部門ではアメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアパシフィックの3つの地域を繋ぐグローバル情報システムの構築が急務となっている。

3)組織構造:ローカル型からリージョナル型そしてグローバル型へ

グローバルブッキングを活用したビジネス展開を狙うフロントオフィスの要望に応えるために、証券管理部門、情報システム部門、経理部門、人事および総務部門などのバックオフィスも、組織をローカル型からリージョナル型そしてグローバル型へと変化させている。各拠点長に対するレポーティングラインに加えて、業務部門のグローバルヘッドに対するレポーティングラインも持つというマトリックスマネジメントの萌芽が見られる。

4)多国籍金融グループのトップマネジメントによる意思決定

イギリス国内の情報システム部門のアウトソーシングに関する意思決定を分析したレィシティ博士らの研究結果(注2)と同様、投資銀行のグループ内オフショアリングに対する意思決定は、情報システム部門の上級マネジメントではなく、金融グループの経営トップによって行われている。

5)国境を越えた人材の移動と受け入れ側の国家戦略

情報システム部門、証券管理部門、経理部門などのバックオフィスの各部門から、上級マネジメントとハイブリッドマネージャーが、グループ内オフショアリングの拠点を構築する為に、国境を越えて転勤している。受け入れ側の国であるシンガポールは、金融とITに焦点を当てた国家の経済戦略を取っており、ここに国家サイドと企業サイドの利益の一致が見られる。

6)知識の移動と知恵の蓄積

人材の移動に伴って知識も移動している。アジアパシフィック地域の自社システム開発プロジェクトの成功、欧州通貨統合とコンピュータ2000年問題の2大プロジェクトの経験から、スイス米系投資銀行のシンガポールオフィスには知恵が蓄積され、数年後にはロンドンオフィスやニューヨークオフィスからのシステム開発要望に応えることができる状態にまで成長している。

さて次回は、このスイス米系投資銀行がグループ内オフショアリングの拠点として選択した、シンガポールの国家戦略を分析します。

2008年5月8日
写真
脚注
  1. Matsumoto H. (2005), "Global Business Process/IS Outsourcing to Singapore in the Multinational Investment Banking Industry", Journal of Information Technology Cases and Applications Research (JITCAR), Volume 7, Number 3, Research Article One, pp. 4 - pp. 24, Ivy League Publishing, Won best paper award at 4th Annual International Outsourcing Conference, Washington, U.S.A., September 2005
  2. Lacity M.C., Willcocks L.P. and Feeny D.F.(1996), "Sourcing Information Technology Capability: A Framework for Decision-Making", Information Management: The Organizational Dimension, Earl (ed), Oxford. University Press, 1996, pp. 399 - pp. 425

2008年5月8日掲載

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