はじめに
労働者が大都市に惹きつけられる要因として、大都市における賃金の高さが挙げられる。たとえば、平成25年賃金構造基本統計調査によると、東京都における所定内給与額は月額36.5万円であり、他方、青森県における所定内給与額(男女計)は月額23.2万円である。もちろんこのような賃金格差は、教育水準や職種や産業構造の違いなど、様々な要因によって説明されうる。しかし、そのような要因を取り除いたとしても、地方と比べ都市ではより高い賃金を得られることがわかっており、このような賃金の上昇分は都市賃金プレミアム(urban wage premium)として経済学の分野で知られている。このような都市における賃金の上昇分は、前回紹介した3Dの密度(Density)と深く関連していると考えられている。連載第2回目の本稿では、なぜ大都市では賃金が高いのかについて、空間経済の視点からこれまでの既存研究を整理しつつ、また近年明らかにされている新たな知見についても紹介する。
大都市において賃金は高いのか?
大都市ほど本当に賃金が高くなっているのかを確認するために、まずは現実のデータを概観してみよう。図1は、一人当たり年間所得と人口密度の関係を表したものである(注1)。図1(a)が示すように、三大都市圏を中心に大都市ほど1人当たり年間所得が高くなっているのがわかる。そして、都市の指標として人口密度を図1(b)に示しているが、都市部ほど人口密度は高くなっている。大都市ほど1人当たり所得が高いという正の関係は、図1(c)において、より明確に見ることができる(注2)。
ここまでは単純な所得と都市規模の相関関係として概観しただけであるが、非常に明確な正の関係が見られる。大都市ほど賃金を高めるという因果関係は本当に存在するのだろうか。次に、空間経済の視点からそのメカニズムについて考えてみる。
集積の経済が賃金を高くする
空間経済の視点から賃金を分析する理由の1つは、なぜ空間的に賃金格差が生まれるのかを明らかにすることである(注3)。大都市ほど賃金が高い一般的な解釈は、集積の経済による正の外部性と関連する(注4)。Marshall (1890)が指摘したように、集積地における投入産出連関効果の高さ、労働者と企業のよりよいマッチング、観測できないような活発な知識波及などから生じる正の外部性が企業の生産性向上をもたらし、その結果、賃金の上昇がもたらされていると考えられている(注5)。実際に、Combes et al. (2010, 2012)の研究によると、集積の経済が企業の全要素生産性を押し上げているという結果が得られている。日本のサービス産業を分析したMorikawa (2011)においても、集積によって企業の全要素生産性が高まっていることが明らかにされている。
既存研究を調べてみても、その他の要因をコントロールした上で、大都市ほど賃金が高くなっているという結果が多く支持されている(注6)。日本に関していえば、森川 (2014, 第5章)において労働者の個票データを用いた賃金と集積の経済の分析が行われており、集積の経済が生産性向上を通じて賃金の上昇をもたらしていることが明らかにされている。
集積の経済の背後のメカニズム
近年の学術研究では、このような集積の経済からの便益がどのような理由で生じているのかを明らかにするために、より厳密な分析が行われ始めている。先に述べた集積の経済の効果を正の外部性としてひとくくりにする既存の分析手法では、どのメカニズムが背後で働いているのかがブラックボックスのままになってしまう。そこで、近年の実証研究で注目されている大都市において賃金が高い理由について2点考えてみたい(注7)。
1つ目は、労働者の空間的ソーティング(spatial sorting)に起因する。つまり、もともと能力のある労働者ほど大都市に集まりやすいことから、都市部において賃金が高く観測されているという考えである。たとえば、大卒という肩書きだけでは実際には観測されない労働者の能力や技術の差異までもコントロールすることができない。その結果、既存研究の枠組みでは観測不能な労働者の要因が同時に集積の経済の効果として推定されていたという問題がある。そこで、Combes et al. (2008, 2010)はフランスの労働者パネルデータを用いて空間的ソーティングの影響を検証した結果、これまで集積の効果と推定されていた半分程度は労働者の能力や技術によって説明されることを明らかにしている(注8)。
2つ目は、大都市における労働からの学習効果(learning by working)の影響が大きいという点である。地方では経験できないような価値ある経験を大都市において積むことができ、その結果、大都市にいる労働者ほど賃金上昇率が高くなっているという仮説である。上記の静学的な要因とは異なり、こちらは労働者の動学的な側面に着目している。スペインの労働者パネルデータを用いたde la Roca and Puga (2012)の研究によると、もとの能力が同じでも大都市で働き始めることで中期的により高い賃金を得られるようになっていることを示している。また、Gould (2007)の分析結果によると、ホワイトカラー労働者に関しては、地方へ移ったとしても都市で得られた経験によって高賃金を享受し続けていることが明らかにされている(注9)。
以上のように、近年の学術研究では、賃金に対する集積の効果が総集計として観測されていた問題を解決し、空間的ソーティングや大都市における労働からの学習効果に要因分解をすることで集積の経済の背後にあるメカニズムを徐々に明らかしようと試みている。
アルバイトの時給と集積の経済:マクドナルドのデータより
集積の経済が賃金を高めているのかどうかを実際のデータを用いて検証してみよう。普段の私たちの生活の中で、店舗に貼ってある求人票を目にする機会は多い。そこには最低時給水準が記載されているのが一般的である。注意深い人は、全国どこにでも存在するチェーン店の都市部と地方部では時給に大きな差があることに気付いているかもしれない。実際、業務内容はほとんど同じにも関わらず、このような差が生じるのはなぜだろうか。このような時給の空間的差異は集積の経済によって説明されるのだろうか。
ここでのポイントは、同一企業のチェーン店を比較することによって、個人要因、産業要因、職種要因、企業要因から生じる影響をコントロールしているという点である。また、店舗毎の最低賃金水準を用いることで空間的ソーティングや大都市における労働から学習効果による影響も排除されている。したがって、店舗が立地する地域における集積の効果に焦点を当てられることになる。ここでは、マクドナルドのアルバイト募集のウェブページの公開情報をもとに、集積の経済の賃金に対する影響を検証してみる(注10)。
図2は、関東圏(茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)におけるマクドナルド店舗の最低時給水準と店舗のある都道府県の最低賃金を示している。各店舗の時給と人口密度の関係は青マーカーで表されており、各店舗がある都道府県の最低賃金と人口密度の関係は赤マーカーによって表されている。図2に示されているように、店舗別の時給は明らかに人口密度の高い地域ほど高くなっていることがわかる。都道府県別最低賃金についても同様の傾向があることがわかる。
次に最低賃金の影響を考慮してみよう。同じ都道府県内で比較した場合、人口密度が低いほど店舗別時給と最低賃金が重なり、人口密度が高くなるほど最低賃金から乖離し始める傾向があることから、集積の経済からの便益が存在していることが示唆される。より詳細に見てみると、人口密度が非常に高い地域ほど最低賃金を大幅に超えた時給を提示していることがわかる。たとえば、2014年度の東京と神奈川の最低賃金は、それぞれ888円と887円であるが、人口密度が約7000人/㎢まではそのほとんどが都道府県の最低賃金とほぼ重なっている一方で、それ以上から最低賃金を超えた時給を提示している店舗が現れている。ここで観測された内容は、統計的分析によっても支持される(注11)。この結果が示唆することは、大都市に立地する店舗ほど集積の経済からの便益を享受しており、その結果、より高い賃金が支払われているということである。
まとめ
連載の第2回目では、「なぜ大都市で賃金が高いのか」について空間経済の視点から解説した。その他の要因をコントロールしても、集積地において事業所の全要素生産性が高くなっていること、能力の高い労働者ほど大都市に集まる傾向にあること、大都市では労働からの学習効果が高いことによって、賃金が大都市において高くなっていることを紹介した。次回は、どのように集積を計測するのかについてこれまでの学術研究を紹介する予定である。