小林慶一郎のちょっと気になる経済論文

第14回「合理的バブルとしてのデフレ均衡とリフレ政策の有効性」

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

マスターくん
某私立大学大学院修士課程2年生(経済学)。経済学者志望で目下猛勉強中。

小林 慶一郎写真小林フェロー:今回は、Benhabib, Schmitt-Grohe, and Uribe (2002) "Avoiding Liquidity Traps." Journal of Political Economy, vol. 110 (3): 535―563 のデフレ均衡と、リフレ政策の有効性について考察してみたいと思います。

貨幣減少による古典的デフレ

日本の失われた20年では長期デフレが続きました。金融危機後の欧州経済でも、長期デフレに陥る危険が懸念されています。長期デフレを分析するツールとして、「デフレ均衡」のモデルが近年注目されています(Bullard 2010など)。デフレ均衡とは、永久にデフレが続くような均衡のことです。

もっとも古典的なデフレ均衡は、Friedmanが考えたフリードマンルールを中央銀行が採用したときの均衡です。

マスターくん画像マスターくん:フリードマンルールとは、「貨幣量を実質利子率と同じ率で減らす」という金融政策のことですよね。このとき名目金利はゼロになる(ゼロ金利)。貨幣量が減るので、デフレ(貨幣の価値が財・サービスに対して増価)が起きる。

小林 慶一郎写真小林フェロー:そうです。Bullard (2010)が考えたモデルは、Benhabib et al. (2002) を単純化したもので、貨幣という資産は存在しないと仮定したモデルです。もともとのBenhabib達のモデルでは、貨幣はモデルに組み込まれています。Benhabib達のモデルでも、デフレ均衡では、貨幣量が減ることになるので、フリードマンルールによってデフレが生み出されるのとほとんど同じメカニズムといえます。

合理的バブルとしてのデフレ

マスターくん画像マスターくん:でも、日本でも、欧州でも、貨幣量を中央銀行が増やしているのに、デフレ(またはデフレの懸念)が長期的に続いています。これは前述の古典的なデフレ(貨幣量が減るから発生するデフレ)とは異なりませんか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:貨幣量が増えるのにデフレが続くようなデフレ均衡を説明できる1つの有力な仮説は、「デフレは貨幣という資産における『合理的バブル』である」という仮説です。

「合理的バブル」とは、資産の価値がファンダメンタルな価値を超えていると皆が分かっているが、「必ず誰か他の人に売り抜けて、自分は損をしない」と皆が思っている状態のことだといえます。皆が「自分は必ず売り抜けられる」と思っているので、資産の価格が上昇をつづけるバブル状態であっても、市場で売り買いが成立するのです。

貨幣を1つの資産だと見ると、「貨幣の価値が上昇すること」は「物価が下落すること(デフレ)」です。皆が「貨幣の価値が高すぎる(物価が安すぎる)」と思っていても、皆が「自分は貨幣を売り抜けることができる」と思っている限り、貨幣の合理的バブルとしてのデフレが続くのです。

マスターくん画像マスターくん:なるほど、ある経済が合理的バブルのある均衡に陥るかどうかは、その経済にいる人々の期待の合理性の度合いによるんですね。

小林 慶一郎写真小林フェロー:もし、その経済に参加している全員が「自分も他のすべての人も、ともに合理的である」と信じているとき(この信念を「強い合理的期待」と呼びたい)には、「合理的バブル」は発生し得ないのです。なぜなら、強い合理的期待の下では「バブルで割高になっている資産を、自分は他人に売り抜けられる」という期待が生まれないからです。逆に「他人も自分と同じくらい合理的なので、割高なバブル資産を買ってくれない。だから自分はバブル資産を売り抜けできない」という予想が生まれるので、資産価格はファンダメンタルな価格に戻ってしまうのです。

一方、合理的バブルが発生する条件は、全員が「自分は合理的だが、他人の中には合理的でない者がいるはずだ」と信じていること(この信念を「弱い合理的期待」と呼びたい)です。このときには「自分だけは(非合理的な他人に)バブル資産を売り抜けられる」という期待が生まれるので、合理的バブルが発生します。

ちなみに、専門用語でいうと、「強い合理的期待」とは、均衡における人々の行動が、一次条件(First Order Conditions、FOC)と横断性条件(Transversality Condition、TVC)を、両方とも充たしていることを指し、「弱い合理的期待」とは、FOCは充たされているが、TVCは充たされていないことを指します。したがって、合理的バブルとしてデフレが続いている均衡の特徴はTVCが充たされないことです。

合理的バブルとリフレ政策の有効性

もしも、長期デフレが、「貨幣の合理的バブル」だとすると、その経済では「弱い合理的期待」しか成立していない(TVCが成立していない)。皆が「自分は合理的だが、他の多くの人は、デフレが進んでも、貨幣を財サービスに比べて割高だとは思わない非合理的な人々だ」と期待しています。

このとき、リフレ政策(貨幣供給量を極端に増やしてインフレ期待を醸成しようとする政策)は、有効性を失ってしまう(少なくとも理論的には)。

マスターくん画像マスターくん:どうしてそうなるのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:なぜなら、クルーグマンの議論(Krugman 1998)やバーナンキの議論(2004年の日本での講演)の核心は、「経済の均衡ではTVCが成り立つはずだ。だから、貨幣量を増やせば、貨幣価値は下がる(インフレになる)はずだ」というロジックです。クルーグマンやバーナンキは強い合理的期待を想定します。強い合理的期待の下では「(他人は自分と同じくらい合理的なので)自分はいつまでも貨幣を割高なままで売り抜けられない」と皆が考えるので、貨幣量を中央銀行が増やせばインフレ期待(「貨幣の価値は下がる」という期待)が生まれるのです。

逆に、もしも皆が「自分だけは、いつまででも、貨幣を割高なままで売り抜けられる」と考えていたら、中央銀行が貨幣量をいくら増やしても、「貨幣の価値は下がる」という期待は生まれない。いくら貨幣量が増えても、「(非合理的な他人がたくさんいるので)自分だけは売り抜けられる」という期待を壊すことはできないからです。

専門用語でいうと、デフレ均衡が合理的バブルとして発生しているなら、その国の経済ではTVCは充たされません。一方、リフレ政策がインフレ期待を醸成できるためには、その国の経済においてTVCが成立していなければならない。だから、合理的バブルとしてデフレ均衡が続いている経済では、理論上、「リフレ政策はインフレ期待を醸成できる」とはいえないのです。

2015年12月9日

2015年12月9日掲載

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