IoT, AI等デジタル化の経済学

第176回「AIがマクロ経済に与える影響(2)」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

2 長期的視点から見たAI技術の変遷

AI技術は、過去の歴史を見ると、約20年おきにブームを繰り返している。一時期ブームになると、やがて静かになり、ほとんど世の中の人々の記憶から忘れ去られる。そしてまた約20年ほど経つと、再び大きな話題となって世の中に登場する。登場するときは、AI分野で大きな技術進歩があったときである。その観点から、AI技術は約20年に一度、大きな技術進歩を起こすということが分かる。

(1)今は第三次AIブーム

第一次AIブーム(1950年代 ~ 1960年代)
1960年代に起こった「推論と探索」を行うプログラムに関するブームである。パズルや迷路を解いたり、単純な数学の定理を証明したり、チェスを指したりといった知的な活動を行えるようになった。

第二次AIブーム(1980年代 ~ 1990年代)
“知識” を記憶し保存することでルールの存在しない現実問題を対処する「エキスパートシステム」が登場した。ある分野のエキスパート(専門家)の知識をコンピュータに保存してそれに基づいて推論を行うものである。

第三次AIブーム(2006年 ~ 現在)
2000年台、ディープラーニング「深層学習」の登場である。入力データから自ら特徴を判別し、特定の知識やパターンを覚えさせることなく学習して行くことができるもので、非常に深い計算を行うことで機械が自ら “どのような行動を行うべきか” を学習することができる。そして2013年に生成AIが登場した。

出典・抜粋) https://ai-scholar.tech/learn/c0/0-2

今は第三次ブームの真っ最中である。第三次ブームはディープラーニングにより始まり、今は生成AIの時代である。今後、第三次AIブームがどうなるか。いつ収束して、第四次AIブームがいつどのような技術として登場するか。誰にも分からない。

(2)生成AIは、情報工学の発展プロセスのほんの小さな1局面でしかない

今、世の中は生成AIの話題で持ちきりだが、一つ一つの新しい技術の登場に一喜一憂されている方々に対しては、生成AIは過去から続く長い長いテクノロジーの発展の歴史のほんの1コマでしかない、ということをお伝えしたい。

テクノロジーの発展の歴史を振り返ると、ある時期はほとんど変化がないが、ある時期は飛躍的に伸び、数多くの新しい局面が登場することがある。だが日本人は、貪欲で、そうした新しいテクノロジーを日本人なりに吸収し、生活を豊かにしてきた。それはかつて日本人が中国や西欧から新しい文化を輸入し、日本的に改良しながら吸収し、日本独自の文化として発展させていた歴史に似ている。今、新しい文化は、海外からでなく、テクノロジーの世界からやってくる。

(3)人間はAIを管理できるのか

AIは機械の1つである。機械の例として、人間によく知られている航空機・自動車を例に挙げて、このテーマについて説明しよう。

  • 悪意を持って作られた機械は、人間には管理できない。人間の操縦とは関係なく、勝手に暴走し、勝手に機関銃を撃ちまくるように作られた航空機や自動車は、人間はコントロールできない。
  • 誤った使用や不適切な使用をした場合、人間は管理できない。例えば、飲酒運転、居眠り運転、アクセルとブレーキの踏み間違い、操作盤のミスなどが挙げられる。最近、高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違え、自動車が暴走し、人間を跳ねることがある。かつて羽田飛行場で、パイロットが洋上で逆噴射を行い、飛行機が海に落ちたことがあった。
  • トラブルが発生した場合、人間は管理できない。例えば、航空機でバードストライクや落雷があった場合、かつて北朝鮮の工作員が韓国の飛行機内で爆弾を爆発させたため飛行機が飛び散ったことがあった。自動車の場合は、例えばアイスバーンの上ではコントロールできなくなる。

以上、航空機と自動車の例を挙げたが、AIの場合もまったく同様である。

だが、これまで航空機や自動車で多くの人が亡くなっているにも関わらず、航空機怖い、自動車怖い、その製造使用をやめようなどという議論はまったく起きないが、AIでは1人も亡くなっていないにもかかわらず、AI怖いと言う日本人の声が起きている。

その恐怖心が、日本におけるAIへの投資や資源配分を遅らせ、今後の企業競争力や国力を大きく左右するAI技術の遅れをもたらし、日本の産業競争力が世界に大きく後れを取る原因となっている。

(4) AIが普及すると、一定数の人間が取り残されるのではないか

かつて、パソコンが導入されたとき、1本の指でぽつぽつとキーボードを叩く年配者が多く見られたが、彼らはやがてどこかへ行ってしまった。AIも同様であろう。

パソコンやAIに限らず、新しい技術が職場に導入されたとき、どんなに再教育・再訓練・リスキリングしても、追従できない人が、常に一定数発生する。その人々をどう処遇するか、それは、各企業が判断すべき人事上の問題である。

一方、古い技術の下では働けなかったが、新しい技術の下では働けるという人も一定数存在する。例えば、古い工場では働けなかった若者が、綺麗なオフィスでのアプリ工場では働ける、といった具合に、新しい技術の登場は、一定数の新しい雇用を生み出すという効果があることも強調しておきたい。

世の中は、上記の新しい技術に適用できない人ばかりが注目されるが、明るい面もあるのである。(図1)

図1:AI時代に新しく労働市場に参入できる人々と退出する人々
図1:AI時代に新しく労働市場に参入できる人々と退出する人々

(5) 生成AIに対する期待と限界

1) 期待
生成AIは、人間では到底網羅できない広範囲で膨大な情報を高速で読み取ることができる。このため、知識ベータベースが膨大化することから、そこから得られるアウトプットは、人間の知恵と経験を超えることが可能である。

  1. 全ての医療関係の文献を読み取り、目の前の患者の最適な治療法を提案できる。一方、人間は、自分が得た知識や経験の範囲でしか考えられない。
  2. 囲碁AIは、過去の全ての対局を読み取り、目の前の対戦において最適な一手を提案できる。一方、人間は、自分が得た知識や経験の範囲でしか考えられないため、最近の対戦は常にAIが勝っている。

2) 限界
AIは読み取った情報の範囲内でしか考えられないので、読み取った情報が誤っているとアウトプットも誤る、読み取った情報が古いとアウトプットも古くなる。生成AIはネット上の情報を読み取るので、ゴシップ記事やフェイクニュースもAIには区別がつかず、全ての情報と一緒に読み込み、アウトプットに用いる。

例えば、ある人の個人情報を生成AIに聞くと、ネット上の情報はよく間違えているので、生成AIの回答はよく間違っている。この回答を見ると、今の生成AIはまだまだ初歩的であり、アウトプットをそのまま鵜呑みにするのでなく、必ず人間の目を通すことが重要であることがよく分かる。

人間は、常識を持っていて、常識的に正しいか誤っているかを判断できる。この点がAIと大きく異なっている。

(6)AIをスムーズに人間社会に導入するための王道は、新しい事業を興して、失う雇用よりも、もっと大きな雇用を創出すること

動力で駆動する機械の時代は、新しい産業が勃興し、新しい仕事が生まれてきたが、その仕事ができる人材を、ゆっくりと待っていても、必要な量が確保されてきた。だが、AIの時代では、新しいテクノロジーの急速な勃興に必要な大量の人材が、急にはそろわない、という問題が深刻化している。

テクノロジーの発展で余剰になった人材をリスキリングし、新しく必要とする分野にスムーズに移動することが必要である。そうしないと、失業の問題よりむしろ、新しい事業が立ち上がらず、日本が世界の競争に負けてしまうという危機がある。

特に日本人は、情報化(DX)投資のみならず、新しい技術や機械設備の導入を、コスト削減・人員削減のための「自動化投資・効率化投資・省力化投資」として考える傾向が高い(守りの投資)。

だが、新しい技術や機械設備の導入には、新しい事業、新しい産業、新たな雇用を生み出す「攻めの投資」の面もある。例えば、パソコンやスマホの登場、アプリ事業などがそうである。

これまでAI技術を用いた新しい事業、新しい産業、新たな雇用を生み出す投資はまだほとんど見られていない。そのため、AI導入は、これまで多くが、「コスト削減・人員削減」の手段として用いられている。

AI分野で、それなりの雇用を生み出したのは、RPA・生成AIの製造販売事業くらいであり、生み出した雇用も微々たるものでしかない。

今後大きな雇用を生み出すと期待されているのは、AI搭載の自動運転車である(注1)。だが、その後は、まだほとんど見通しがない。

(7)AIの使い方は、過去の歴史に学ぶ

これまで人間は、「動力によって稼働する機械」が人間社会に広く普及拡大してきた長い歴史を体験している。AIをこれから使う場合も、過去に得られた教訓とまったく同じであり、原則は何も変わらない。

それは、「人間の幸福のために機械を使う」「あくまで人間が主役、機械は道具又は補助」ということである。

AIを導入すると、頭脳労働、特に高度な頭脳労働(人件費が高い)をメインとする産業が影響を受ける。中でも、知識と経験が主の仕事は、コンピュータが得意とする領域であるが、今までにはない新しい創造的な仕事は、コンピュータには不得意な領域である。人間は、今後、後者の領域で仕事をすることで、AIと役割分担することが望ましい。

企業が不足を感じている、①企業を牽引する上位2~3%の有能者、②デジタル技術などのハイスキルを持った専門家、③少子化により減少している若い労働者などの労働を補うAIの導入であれば、全ての人にとって歓迎であろう。

脚注
  1. ^ なぜ、AI搭載の自動運転車が、なかなか普及しないのか
    • 各種アンケートでは、人々が購入可能な範囲は、10~15万円程度の値上げまでとなっているが、実際のAI搭載の自動運転車は約3倍程度になる見込み。
    • これまで、自動車は運転する喜びを売っていた。例えば、「駆け抜ける喜び」「fun to drive」など。ところが、急に180度転換し、運転しない喜びを訴えてもなかなか浸透しない。
      販売市場は、現時点では、山間部に住む高齢者が麓に買い出しに出かけるときに自分の運転だと危ないので、自動運転車だとうれしいというくらいの小さい市場しか見いだされていないが、山間部に住む高齢者にとって、約3倍の値段は高価すぎて手が届かない。結局、自動運転車の大口市場はいまだに見いだされていない。
    • どんなに技術が進化しようと、AIの認識率は100%にはならないため、事故のリスクがある。自動車が事故に向かっているとき、人間がハンドルをAIから奪い、事故を回避することが求められる。すなわち、いざというときのために、高度な運転技術を持つ人間の乗車が自動運転車には必要、というトートロジーになっている。
    • 法律の整備が難しい。人を轢いたとき、誰に責任があるか。現在の法律では、車の所有者=運転者に責任があるが、自動運転車では、所有者は運転していない。所有者は、人を轢いたのは自分の責任ではない、AIのプログラムミスであると訴えるだろう。だが、その場合、所有者がプログラムの誤りを裁判で立証しないといけない。そのようなことは素人にはほぼ不可能と言える。
    • 究極のテーマ「トロッコ問題」が何も解決されていない。ブレーキが壊れたトロッコが急速度で転がり落ちている。先には子供たちがいる。このままではトロッコが子供の群れに突っ込んで多くの子供が死亡する。それを避けるためにはトロッコを傾けて谷に落とすしかない。だがそうするとトロッコに乗っている自分の妻と子供が死亡する。当然自分も死亡する。このような究極の命の選択に自動運転車が直面したとき、そのときの判断を若いAIプログラマーに任せてよいのか、という問題である。今の開発状況を見ていると、自動運転車が究極の命の選択に直面したとき、どう判断すべきか何も議論せずに、AIプログラマーだけに任せているように見える。

2025年2月12日掲載

この著者の記事