IoT, AI等デジタル化の経済学

第172回「名目GDPで日本を抜いたドイツに、日本は何を学ぶべきか(6)」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

6 名目GDPで日本を抜いたドイツから日本が学ぶべきこと

(1)ドイツから日本の「地方・中小企業」への示唆

日本の「地方・中小企業」がドイツから得られる最も大きな示唆は、「企業が移転すると最も困る地方政府が最もがんばる」ということであろう。

ドイツの現地調査は、冒頭に述べたように、もし、ドイツが採用した手法が日本にも導入可能なら、「失われた30年」が解消され、日本もドイツのように、再び力強い経済成長が可能になるのではないか、との問題意識から始めたものであった。

その観点から、筆者が日本への導入を勧める手法、中でも日本の「地方・中小企業」が導入すべきと考える手法を以下の通り提案する。

1) 他の地域と較べて比較優位な地域資源の最大限の活用

日本では、あそこの地域はあの施設を持っているから、自分の地域も同じ施設が欲しいという横並び的な産業振興を展開することが多いが、ドイツでは他地域との差別化を最も重視する。

日本では、地方自治体の方々に、「他地域と比較したここの産業の優位性は何か」、と聞くと、判で押したように、「職人の技能によるものづくり」だという答えが返ってくる。みんなの答えが同じものは、比較優位ではない。民間企業が販売する商品が、他企業のものまねだと売れないのと同様、地域の産業振興も、他地域のものまねでは、誰も注目してくれないし、企業から選ばれる都市にならない。

2) 地元企業を「地域イノベーションサイクル」により育成し、「域外からマネーをがっぽり稼ぎ、域内で気前良く使ってもらう」という地域経済循環を形成

イノベーションが地域から常に生み出され、新製品が継続的に市場に輩出され、企業の売り上げが伸びて成長する「地域イノベーションサイクル」を制度設計する。ドイツが、東欧への工場移転圧力、東欧からの低価格品の流入圧力に対抗するため、製品を差別化し、ドイツでしか作れない高付加価値製品にシフトしたのと同様の制度設計である。

3) 企業誘致は、企画・開発・設計部門に重点を置く

ドイツでは、「大卒の若者に仕事を、知的な若者に定住を」を念頭に企業誘致を行っている。都会から地元の大学に来て、当地が気に入り、定住を希望する若者に職場を、また都会の大学に出ていったが、卒業後、地元に帰りたい若者に職場を用意する。マネーを稼ぐ能力が高い若者に優先的に地元に残ってほしいという姿勢を鮮明にしている。

これに対し、日本の地方自治体は、現場作業員が働く工場を誘致している。これは現場作業員に地元に残ってほしいが大卒者は地元から追い出すという政策を取っていることになる。 ドイツとは逆である。

4) 地方自治体が地元企業を率いて海外の展示会に頻繁に出展することで海外販路開拓

地方政府、経済振興公社または産業クラスター事務局や中核機関による、毎年 10 回前後の海外展示会への出展は、毎年のルーティン業務として予算が計上され、当たり前のごとく実施されている。それはこちらから質問しなければ説明を忘れてしまうほどドイツ人にとっては当たり前の慣習になっている。

東京ビッグサイトでは、隣国(中韓台)を除けばドイツ企業が圧倒的な存在感がある。日本での販路開拓に対する強い意欲を感じることができる。一方、日本において外国の展示会に出展するケースも見られるが、ほとんどが年1回程度でしかない。頻度がまるで違う。

5) 地方政府の下に、経済振興公社という大きな実働部隊が存在

経済振興公社は地方政府の経済部局から予算執行および事業実施機能を分離したような存在であり、かつての日本の「事業団」に類似している。主要な業務は、海外販路開拓と外資誘致である。日本では土地公社や住宅公社は存在しているが、経済振興公社は存在していない。ここにも日本の地方自治体が、お金を稼ぐことに関心がないことが分かる。

6) 地域外から所得を獲得する能力が最も大きい製造業を最優先で振興

地元中小企業から調達し、地元から雇用することで、域外から獲得した所得を地元に落とし、地域内でマネーが循環する経済構造を形成する。

7) 長期の方向性を見通すことができる強力なリーダーシップ

長期を見通せる人が、手取り足取り全てを指導する。狭い近視眼的な視野しか持っていない人が多い地方では、そうした人の大局観からの言動は、何を言っても何を実行しても反対されるのが常である。だがそうした高い壁や岩盤のような固い反対勢力にもくじけず、地域の未来のために身をささげて努力する人が必要である。

(2)ドイツ現地調査後の所感

以下に述べる所感は、あくまで筆者が感じたことであり、科学的データに裏付けされたものでないことをお断りしておく。

1) ドイツ人は、技術力が高く世界で売れる製品を開発し、世界市場で売る、という行動を取る点において、あらゆる点で基本に忠実である。お金を稼ぐことに忠実、素直である。日本人は、建前を述べることが多く、お金を稼ぐことをどこか後ろめたいと感じているのではないか。それがまた行動にも現れる。

2) 日本人もドイツ人も、考えること、構想する内容自体はほとんど大差ない。だが、ドイツ人は成果を出すまで最期までやり遂げる、という点が違うと感じた。ドイツ人は理論通りにやれば、理論通りの成果が出るはずだと信じ、真面目なドイツ人気質で、「真面目」「愚直」に実行し、最終的に理論通りの成果を出している。

一方、日本ではプロジェクトのスタート時には熱心だが、いったんプロジェクトが開始されると多くの人が関心をなくしてうやむやになり、そのうち成果には誰も関心を示さなくなり、やがて次の新しいプロジェクトに熱中するという現象がよく見られる。新しいもの、目新しいもの、みんなが注目するものに関心が集まり、地道な活動には関心がなくなってしまう。日本人はみんながボールに群がる子供のサッカー、ドイツ人は各自のポジションで自分の仕事を確実に果たす大人のサッカーだと感じる。

3) ドイツ産業の運命を決定付けたのは、東西統一後、陸続きでコストの安い東欧に隣接したことではないか。

産業界は、低価格の東欧品と競争しても負けるため、自分たちでしか作れない高付加価値品にシフトしていった。地方政府は、地元の企業が東欧に移転しないよう、地元で企業活動した方がもうかるようなインフラ整備を真剣に考えなければならなかった。

かつて日本が石油ショックに襲われたとき、日本の産業界は必至で省エネに励み、結果的に世界最強の産業競争力を作った。それに似ている。

ドイツは製造業が海外移転する前に政府が対策を打ち出して製造業を国内にとどめさせ、製造業の国際競争力強化に努めた。だが日本は、バブル崩壊後、「失われた30年」の間に、多くの製造業が海外に移転した。政治も行政も、国も地方自治体も、それを放置した。

4) ドイツ地方政府の考え方は、企業が地域域外でお金を稼ぎ、地元に配って潤すこと、税収を増やすこと、職があり安定した高収入があることなど経済的な豊かさを与えることが住民にとっての最大の幸福であり、住民への社会福祉サービスは、そのお金があればこそ充実できるもの、すなわち一家の大黒柱としての強い父親像のイメージを求めていると感じた。経済的豊かさの提供こそが若い女性を惹きつけ、人口増の好循環を実現させると考えていると感じた。

ドイツの地方政府は、優秀な若者や若い女性、企業を誘致し、つなぎ止めておくために大変な努力をしている。

5) かつてドイツが「欧州の病人」と言われた頃、シュレーダー改革と呼ばれたマクロ経済改革が行われた。国家の危機であるとして国民が一致団結してがんばったようだ。

中小企業は、ランプ1個で夜遅くまで新製品の開発に取り組んだと聞いた。地方政府は、再就職のための「職業訓練」にかなり力を入れたことを強調した。その結果、今の経済的繁栄がある。

シュレーダー改革が景気回復に与えた影響は、インタビューした方々の話ぶりからすると、大きかったことは確かである。また、ユーロ安の恩恵を受けてきたこと、欧州他国とは陸続きであること、国際市場進出に際して言語的なハードルが低いことなども確かに大きな要因であった。だが、シュレーダー改革やそうしたマクロ環境からイノベーションは生まれず、世界市場で売れる新製品も生まれず、新たな海外販路開拓も生まれない。

インタビューした方々は、うるさいくらいに「イノベーション」という言葉を何度も繰り返していた。このイノベーションに対するドイツ人の強いこだわりこそが、ドイツの産業競争力が伸びていった最も根源的な原動力だと感じた。

(3)日本が失われた30年から脱却するためにドイツから学ぶべきこと
- なぜドイツにできて、日本にできないのか -

1990年代末、ハーバード大学マイケル・ポーター教授が「産業クラスター」を提唱した。日本も産業クラスターを実施したがほとんどの地方で失敗したが、ドイツ地方政府は、中小企業振興策として産業クラスターを積極的に導入し、ドイツは世界の中で最も産業クラスターに成功したと言われている。

2013年、ドイツは「製造工程」にデジタル技術を導入することで、製造工程の生産性向上を目指すインダス通り4.0構想を発表した。その結果、新製品開発支援、デジタル化による製造過程の生産性向上、海外販路開拓支援、という前工程、中工程、後工程の全工程に対する地方政府の支援体制が構築された。

「made in Germany」 の名にふさわしい高い技術力を持ち、かつ世界市場で売れる製品を開発し、それを世界市場で売っていく、という意味で、極めて原則に忠実である。ドイツの企業競争力は、企業と地方政府が一体化した総力戦として発揮されている。

ドイツ地方政府は、企業が移転されると最も困る者が最もがんばる、住民を幸福にしないと住民が逃げ出すという動機で活動している。そのため、地方政府にとって、企業の競争力強化が本来の目的ではなく、地元で企業活動し、お金を稼いでもらい、地元から雇用し、地元にお金を落としてもらうことが本来の目的である。

ドイツ国内で企業活動すれば確かにコストは高いが、それを上回る利益を稼げるビジネス環境を提供すれば、低コストの東欧に移転せず地元に残ってくれるはずだと信じてがんばり、実現した。

もろもろのコストが高いドイツ国内で生産するのであるから、結果、出来上がる製品も高い。それを世界中に売るにはどうするか、と考え、ドイツ人が出した解答は、「他国の製品と差別化」、「高い付加価値」、「made in Germany のブランド」、「お金を出しても欲しいと思う製品を作り、出来上がった製品を世界中の市場に積極的に売る。」、というやり方だった。

ドイツの企業方針は、人が欲しがるものを作って高く売れ、である。

一方、日本製品は、その逆であり、他社製品と似たような製品、made in Japanのブランドなし、日本メーカー名のタグが付いているだけ、価格で競争、企業方針は、「いいものを安く」である。日本国内で新製品を発表するたびに値下げを続けたため、日本で30年間、デフレスパイラルが続く要因となった。

ドイツ地方政府は、住民に対して経済的な豊かさを与えることが住民にとっての最大の幸福であり、経済的豊かさの提供こそが若い女性を惹きつけ、人口増の好循環を実現させると考えている。ドイツの地方政府は、優秀な若者や若い女性、企業を誘致し、つなぎ止めておくために大変な努力をしている。日本の地方自治体でここまで努力しているところを筆者は知らない。「若者が都会に出ていく」と嘆いているだけにしか見えない。

ドイツ地方政府の考え方は、お金があれば何でもできる、お金がなければ教育福祉も何もできないという単純な発想でしかない。これと比較すれば、日本では、お金はどこからか沸いてくると思っているのか、お金の使い方ばかりが議論の対象となっている。政治家もお金を使う人間が評価されるが、ドイツは、「稼ぎが良い一家の大黒柱的存在」が高く評価される。

ドイツ人は、当たり前のことを、当たり前のごとく実行し、そして当たり前の成果を出しているに過ぎない。すなわち、「売れる製品を作り」「世界市場で売る」、という当たり前の基本を、ドイツ人特有の愚直さで、真面目に忠実に実行しているだけである。そうすれば、人口減少・少子高齢化の下であっても、企業は成長し、国の経済は成長する。ドイツのケースは、それが実行可能であることを証明している。

日本人は、「目に見える機械」を作るのは得意だった。例えば、自動車、家電、工作機械、半導体製造装置などは世界各国に向けて輸出されている。また、半導体など小さくするのも得意だった。だが、1995年のインターネット元年以降、「目に見えない技術」で勝負する時代に入ってから、日本人は、技術アレルギーを持ち、大きな恐怖感を感じている。変化を望まず、じっと立ち止まっている。「AI怖い」「デジタル分からない」という声を聞く。かつて自動車事故で毎年1万人が死亡していた頃でも「自動車怖い」という声は日本では聞かれなかったが、今、AIによる死亡事故は一度も起きたことはないのに「AI怖い」という声を聞く。日本人の技術アレルギーを何とかしなければならない。日本の若者は、デジタル技術で最新武装した外国企業を相手に、昭和の時代の古い武装で戦わされているのである。戦いに例えれば、世界はドローンを多用する時代に入ったので、ドイツはその世界水準で戦っているが、日本には依然として古い昭和の時代の価値観を持っている企業リーダーが多くいて、ちょうど、旅順203高地に突撃攻撃をしているような戦い方を、若者に強いていると言える。

世界のデジタル化はインターネット元年と呼ばれている1995年頃から始まっている。ちょうど、日本企業が海外投資を急速に増やし始めた頃と一致する。不幸にも、「海外投資の急増」「デジタル化への遅れ」がほぼ同時期に起きてしまった。同じものづくりの国でありながら、約30年前、この2領域で日本がドイツと異なる方向に向かったことが、分水嶺だったのである。

ドイツは、ものづくりが国家を支えている、ものづくりこそが国民を幸福にする基盤であると位置付け、国の仕組み全体が、ものづくりが最高のパワーを発揮できるように作られている。教育(ヂュアルシステム、マイスター制度、職業大学、民間企業出身でないと大学の教官になれない、大学の権限が州にあるなど)についてもしかり。そうした多くの社会システムが複雑にバランスを保ちながら、国全体としてパワーを生み出している。

日本は、1つや2つの改革をしてもあまり意味がない。昭和の価値観を全否定し、これまでの日本社会をひっくり返すような改革をしなければ、失われた30年は止められない。

少子高齢化・人口減少の下であっても、緩やかなインフレを伴う持続的な経済成長を実現するためには、輸出により国外からの外貨獲得、国内にあっては産業振興による投資促進、賃金上昇等による消費拡大、生産性の上昇、雇用者の増加などを実現することが必要である。ドイツのケースは、以上が政策次第で実現可能であることを証明している。

なぜドイツ人にできることが日本人にできないのだろうか。

(4)提言

日本は、かつてのように、国内生産体制に回帰することが必要だろうか?

否、そうではない。賃金、雇用創出、投資など、企業の成長や日本経済の成長の源泉となる付加価値を日本国内で作り出すことが本質である。

そのためには、生産体制の国内回帰ができるのならそうすればいいが、新規工場を国内に作ることはできても、いったん海外に作った工場を閉鎖し、国内に設備機械などを物理的に移転することはとても難しい。現地で雇用している従業員を解雇するという深刻な問題も発生する。

それよりも国内に新しい産業を興して付加価値を作り出すことに重点を置く方が現実的である。

では、どうすれば日本もドイツのようになるのだろうか?

日本各地で講演をすると必ずこの質問を求められた。そのため、自分自身でも長い間考えてきた。そしてたどり着いた結論はやや過激ではあるが、今回、以下に述べたい。

まずその前提として2点ある。

1点目、財務省が「悪い財政出動」と呼んでいる投資、すなわち、いったんは景気がよくなるが、国のお金が直ちに特定の人のポケットに入ってしまい、すぐに景気が落ちてしまう「バラマキ」と呼ばれている投資は、法律で厳格に禁止する。

財務省が「良い財政出動」と呼んでいる投資、すなわち、産業の発展基盤を作る投資、そして企業が引き続きその分野に投資することで産業が大きく成長し、付加価値を生み出し、雇用創出、賃金上昇などにつながるような成長分野への投資に限定するよう、法律で厳格に規定する。

2点目、これまで国は景気対策として度重なる財政出動を行い、財政赤字が約1,300兆円になった。一方、企業側といえば、内部留保(正確には利益余剰金)は500兆円を超えるまでに積み上がっている。今度は企業が日本のために財政出動する番である。国によるゼロ金利政策や円安のおかげで、ほとんど努力なくもうけたお金がかなりある。

以上、2点が前提である。

ドイツは、官民ともにあらゆる資源をものづくり分野に集中的に投資している。ものづくりこそが国の発展を支える基盤であるという強い国民的合意が存在するからだ。

かつて日本も官民が協調して特定の産業分野に集中的に投資する「targeting industrial policy」と呼ばれる産業政策を実施し、高度経済成長を成し遂げたことがあったが、1980年代の日米半導体摩擦の際、米国から激しい攻撃を受け、その後、全面放棄してしまった。

このような経済政策の手法が存在したことを記憶している人でさえ、今はほとんどいなくなってしまった。自由主義経済が主流となった今、官民協調による特定分野への集中投資が日本人には発想さえできないのかもしれない。

産業の発展基盤を作る分野への集中投資、そして企業が引き続きその分野に集中投資することで産業が大きく成長するように、国と地方自治体、そして企業が一体となって日本の産業の復興を進めることが、30年間成長しなかった日本に最も必要なことである。

それこそが、ドイツにできていて日本にできていないこと、日本がドイツに見習うべきことである。

2024年9月10日掲載

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