4 ドイツ産業クラスターが育てる「隠れたチャンピオン」
(1)ドイツ産業クラスターによる「技術力の高い売れる製品」開発
(1)―1 フラウンホーファー研究機構によるイノベーション支援
フラウンホーファー研究機構(Fraunhofer-Gesellschaft zur Förderung der angewandten Forschung e. V:以下、FhGと略する)は、非営利であり、2024年3月時点で、研究所数76、職員数30,800人、年間収入30億ユーロ(うち契約研究の収入が26億ユーロ)であり(出典:同研究機構年次報告書)、企業から得たノウハウで企業の営業活動を妨害しないよう自身による生産販売は禁止されている。
収入のうち約1/3が企業からの受託収入であり、連邦政府から提供される基礎資金が約1/3、EUなどから獲得する競争的資金が約1/3である。すなわち、2/3が自身の努力で獲得する資金である。このため、同研究機構の研究員は、外部の産業界や企業との交流会や研究会に積極的に出かけて行って、営業活動を行っている。日本の大学で見かけるような研究室に閉じこもり外に出かけて交流しない研究者や、企業との共同研究を獲得できない研究者は解雇される。
FhGのミッションの1つとして、R&D機能を持たない中小企業のために自身が有するイノベーションノウハウを提供し、産業界のために働くことを使命とし、最終的に売れる製品化を開発することを掲げている。
FhGは、Joseph von Fraunhofer (1787–1826)の「ドイツに応用技術研究所が必要」との意思を体現する研究所として1949年に設立、1953年まではわずか3人の職員でマーケティング調査を行っていたが、1954年に政府予算で初めて研究施設が完成、以降、実績を積み上げ、現在に至っている。特に東西統一後、旧東独にあった多くの研究所が予算不足のため閉鎖されようとしているのをFhGが買収し(その多くは軍事研究所であった)、中小企業のための製品開発を行う民生用研究所として再生した。FhGが保有する多くの研究所が、買収で獲得したものであり、新規に設立した研究所は少ない。
2000年頃以降、ドイツ企業が積極的に海外進出を始めて以降、国際競争力のある製品を開発するため、FhGに対する産業界のニーズが強まっている。
FhG自身は、ドイツのイノベーションシステム全体における位置付けを「基礎研究で生まれたイノベーションを新製品につなげるというR&Dサービスを産業界に提供すること」としている。すなわち「橋渡し機関」が自らの存在意義であるとしている。日本では、この位置は「死の谷」と呼ばれ、基礎研究と実用化が分断されるボトルネックとして大きな問題になっているが、FhGは、その最も困難な役割が自身の立ち位置であると宣言している。
日本では、FhGと同じ業務を実施している研究機関は存在しない。台湾には、日本の家電メーカーから製造工程を一括受注する企業がある。日本企業は最初から最後まで全て自社で実施することで有名だが、台湾に製造工程だけ外注しようとすればできる環境が整っている。同様に、ドイツには、企業から、製品の企画開発を一括受注する機関があると理解すればよい。
かつてわが国でも全国各地に、地域産業への技術指導を使命とする公設試験研究機関(公設試)や地方大学などが整備された。例えば、上田市にある信州大学繊維学部が挙げられる。上田市は、かつて養蚕が盛んな地域だった。今でも養蚕に用いられた大きな建屋や蔵が街中に残っている。養蚕から採取された絹糸を用いた上田の紬織は有名だった。また、明治時代、日本が養蚕の輸出で外貨を稼いでいた頃、上田から海外に向けて多くの養蚕が出荷されていた。上田の養蚕業は、日本の外貨獲得の中核的存在であった。その重要な養蚕業を振興するため、明治43年(1910年)、蚕糸に関する最初の高等教育機関が、長野県下初の官立学校として設立され(上田蚕糸専門学校)、繊維科学技術全般にわたる高等教育機関に発展し(上田繊維専門学校)、さらに1949年学制改革により信州大学繊維学部として発足し、現在に至っている。
だが長い時間を経て、また大学紛争など多くの出来事を経験し、多くの地方大学は、論文を書くことを目的とする学術研究機関化していった。大学紛争時代、大学は「大学の自治」と称して、外との交流を閉ざし、特に産業界との交流を拒んだ。その後遺症が今でも残っている大学もあり、外部の産業界との交流を快く思わない教官などが存在すると聞いている。そのため、理解のある教官のみが、自主的に外部の産業界との交流を行い、しかもそれが研究実績として認められないという状態が多いと聞いている。大学の周辺に地場産業が存在している地方大学においても、論文は実績として認められるが、産業界との交流が実績として認められなければ、産業界との交流は時間の無駄と考える人が多くなるのは必然である。
一方、ドイツでは長い時間を経て、大学や研究所はより産業界に貢献する方向に傾斜していった。理工系大学・学部の教官は、民間出身でなければなれないという規則がある。大学が民間との共同開発を進める上で、民間に営業活動をできる教官は必須だからだ。特に自身の出身企業と交渉して、学生を企業の開発陣の中に置かせてもらい、学生に企業の製品開発を体験させることが多い。学生によるその成果は大学・大学院の論文として認められる。
ドイツの三大工科大学であるアーヘン、ベルリン、ミュンヘンの各工科大学は大学収入の1/3が民間企業との共同開発による。
このように、地方に立地する研究機関に関して、ドイツと日本の両国が選んだ道は反対方向だった。
FhGの給与はさほど高くないとのことだが、社会に貢献するという点で仕事のやりがいがあることで、ドイツ国内の有名企業などをしのぎ、理系の若者の最も魅力的な就職先、就職人気ナンバー1となっている。
FhGは外国企業からの受注を目指し、かつ外国の技術情報を入手するため、海外事務所を置いている。日本にも、代表事務所を置いている。日本では顧客は大企業ばかりであり、中小企業の顧客はいないとの説明を受けた。ミュンヘンのFhG本部の幹部は、日本は中小企業が顧客にならない特異な市場であると説明した。中小企業がFhG日本事務所を来訪することもあるが、FhG側が提示する金額を見て驚いて帰っていくという。なかには値引きを要求する中小企業もあるとのことだが、FhGは、非営利なので受託プロジェクトごとに要した経費を回収する独立採算制になっているため、ある企業に対してコスト割れの料金で仕事を引き受けると、その赤字を他の企業に回すことができない仕組みになっていると説明すると、中小企業は引き上げていくと言う。
FhG幹部によれば、日本の中小企業は、技術ノウハウに対して対価を支払うという概念がない、これまで技術は無料でどこからか入手してきたのだろうと言っていた。確かに、系列の下では、技術ノウハウは親会社から無償で提供を受けてきたのであり、同幹部の見方は正しい。
(1)―2 イノベーションインフラとしての大学の役割
ドイツには409の国立および国から認可された3種類の大学がある。それは、総合大学・工科大学(university)、専門大学(University of Applied Science; UAS)、芸術音楽大学(College of Art and Music)である。日本のような女子大や文系単科大学はない。ドイツの大学の大きな特徴は、大学のうち6~7割を占めるUASの存在と授業料が無償の点である。
UASは各地域産業と密接に協力し、地域産業の期待に応える人材を輩出する役割を持っている。例えば、シュトットガルト(Stuttgart:ダイムラーベンツ、ポルシェの城下町)やミュンヘン(München:BMW本社工場が立地)などのように、地元に自動車産業がある場合には、卒業後、自動者産業で貢献できる人材を育成する。
業務内容は大きく分けて、職業訓練校卒は工場の現場作業員、UAS卒は工場の班長・工場長、総合大学・工科大学卒は大企業の幹部・役員・研究職に進む人材を育成している。この区分から分かるように、ドイツの若者は、上位2割に入らなければ、文系教科や芸術などを学ぶことができない。それ以下だと、本人の得手不得手や本人の希望に関係なく工場の現場で働く人材として育成される。
10歳のときに、若者の進路が決定する「デュアルシステム」には、ドイツ国内でも多々の批判があるものの、現時点でも、ドイツは教育システム自体が、ものづくりを国の基盤としてとらえ、それを維持するメカニズムとして社会に組み込まれている。
(2)ドイツ産業クラスターによる「海外販路開拓」
(2)―1 在外ドイツ商工会議所による海外販路開拓
ドイツ商工会議所は、世界80カ国に120カ所の拠点を持っている。日本にも駐日ドイツ商工会議所があり、ドイツから日本に進出するドイツ企業を非常にきめ細かく支援している。
ドイツの中小企業は来日すると、すでに細かく手配した商工会議所の後に付いて一緒にいろいろなところを訪問し、最終的な決断をすればいいだけになっていることがある。商工会議所は、依頼するとそこまで準備してくれる。中小企業がまったく見知らぬ国に行って最初から全て調べる労力と比べたら、雲泥の差である。
駐日ドイツ商工会議所への取材によれば、ドイツから日本に進出するドイツ企業を支援する具体的な業務内容とは、以下の通りである。
- 日本で代理店を探している企業に対しては、候補先企業のリストを送る。
- 日本で支店を作りたいという企業に対しては、 日本での必要な手続きを送り、また弁護士を紹介している。
- 日本市場の情報が欲しいという企業には、個々の分野の専門家を紹介している。
- 日本に輸出したいという企業には、駐日ドイツ商工会議所が、ターゲットとなる日本企業を1社ずつ当たっている。
- 日本に工場を作りたいという企業には、立地候補地や必要な手続き等に関する情報を送っている。
(2)―2 ドイツ地方政府経済振興公社による海外販路開拓
ドイツでは、地方政府の下に、「経済振興公社(Business Development GmbH)」がある。地方政府が100%株式を保有する株式会社であり、地方政府経済部門の実働部隊である。日本の地方自治体の下には、土地公社や住宅公社はあるが、経済振興公社はない。こういった組織形態の違いが、日本とドイツの地方政府が一体何を重視しているのか、端的に現しているといえよう。
経済振興公社にとって、最も重要な業務は、「企業誘致」と「輸出振興」である。中小企業の輸出振興支援は、経済振興公社による活動が最も大きい。経済振興公社が行う輸出振興支援業務の主なものは、地元中小企業の外国の展示会への出展を支援することである。
(2)―3 なぜ「隠れたチャンピオン(Hidden Champion)」は海外販路開拓に成功したか
1) ドイツの「人的要因」
先天的なドイツ人の特徴のなかには、「アントレプレナー精神」「世の中に役立ちたいという熱意」「リスクをとる覚悟」と呼ばれるものが含まれよう。
なぜ「隠れたチャンピオン」は海外販路開拓に成功したか、とドイツ人に聞くと、いつも、「ドイツ人は、アントレプレナー精神が優れているからだ」と返ってくる。その言葉の裏側には「日本人はアントレプレナー精神がダメだ」という意味が込められていると、私は感じている。
2) ドイツの「構造的要因」
社会構造や経済構造といった「構造的要因」としては、ドイツには、系列構造が存在しないため、中小企業であっても、マーケティング、企画、開発、営業、販売といった機能を保有しなければならない点が挙げられる。その能力が自力によるグローバル化を可能にしている。
系列傘下にある日本の中小企業では、自らマーケティング、企画、開発、営業、販売を行う必要がないので、職人だけの製造工場を有しているだけで企業として成り立つ。職人と経理だけの企業では、海外販路開拓は難しい。
3) ドイツの「制度・政策的要因」
「制度・政策要因」としては、産業クラスター、経済振興公社、商工会議所などの海外進出を支援する機関の存在がある。しかも、それらが、きめ細かく、かつ厚みをもって支援していることが挙げられる。
日本では、商工会議所、産業クラスター、地方自治体産業支援機関などは、ドイツと比べれば、「仲良しクラブ」である。グローバル化の重要性を認識している責任者がいるところだけが、単独、かつ単発的に実施しているに過ぎない。
(2)―4 考察
1) 富士通総研FRIメルテイン・シュルツ上席主任研究員へのインタビュー
ドイツ企業では、役員は1~3年の海外勤務が普通、日本とは違う。入社の面接では、海外に行ったことがない学生は、それだけで入社できない。選考の対象外になってしまう。
一方、日本の役員は、海外勤務は1人で行く。子供が4歳を超えていると単身赴任する。外国では日本人どうしでゴルフをする。外国人と交流しない。ドイツ人はそういうやり方はしない。
2) 日本貿易振興会(ジェトロ)海外調査部欧州ロシアCIS課鷲澤純課長代理へのインタビュー
日本企業は、他の日本企業が出て行かないところへは、出て行かない。誰も日本人がいないところへは出て行かない。例えば、ポーランド、チェコ、ハンガリーなどはどの国に出ても同じだが、常に日本企業が多くいるところに進出する。日本人が多くいる、というのが海外進出の重要なファクターである。日本人同士群れて、夜はカラオケ、週末はゴルフをしたいのではないか。
3)オーストリア大使館商務部アーノルド・アカラー副商務参事官へのインタビュー
オーストリア人は海外勤務が大好きである。給与が上がるし、手当もある。日本に来るオーストリア人は、まず若い技術者が半年から1年、単身で来る。滞在期間中、2~3回、帰国できる。次に、子供の心配がない45歳以上の人が来る。オーストリアもドイツや米国と同様、CEOになりたいならば、3~4年は外国の支店で働いてもらう。帰国するとポストが上がる。
4) 難波名誉教授・藤本教授(アジア太平洋大学:APU)へのインタビュー
オーストリアの海外勤務の処遇に比べて日本企業の処遇はひどい。日本企業は、国内派は主流なので、海外勤務は、外に追い出されるという性格が強い。帰国しても自分が戻るポストはない。海外勤務中であっても、給与は同じ、海外手当もない。これでは誰も外国に行きたがらない。大企業でさえ、こうなのだから、中小企業は、職員を海外に派遣する制度が、もっと整備されていないだろう。この点こそが、日本企業がグローバル化できない最も大きな理由ではないか。
5) 日本的特殊要因の存在
ドイツの中小企業は、ビジネスモデルや製品そのものが、ずばぬけて国際競争力が高く、世界中で人気が出るのは当然と言えるようなものである。単に、どこにでもあるような部品を売っている企業ではないことが分かる。他社とは違うもの、差別化したもの、付加価値が高いもの、独自性が高いものを発想する力が備わっている。
一方、日本の中小企業は、系列下に組み込まれている企業が多く、その場合、親企業から図面またはデータをもらって指示通りのものを作り、出来上がったものは親企業が全量を買い取るため、企業内には、最低限、職人と経理だけいればよい。工場だけで企業が成り立つ。そのため、ドイツ企業は、自分の力で海外販路開拓をする力があるが、日本企業には外国販路開拓をする力はない。職人と経理だけでは知らない国での販路開拓は不可能だろう。
このように、そもそも日本とドイツの中小企業は、スタート地点が異なっているが、その点を除くと、グローバル化に関しては以下のような違いがあるといえよう。
- 日本・ドイツ両国とも、中小企業は、グローバル展開を行うための人材や情報が圧倒的に不足しており、企業単独でグローバル展開を行うのは困難であり、公的支援を必要としている点では同じである。
- ドイツでは、ほぼ全ての商工会議所、産業クラスター、地方政府経済振興公社などが、グローバル化を組織的に支援している。
- 日本では、商工会議所、産業クラスター、地方自治体産業支援機関などは、ドイツと比べれば、「仲良しクラブ」である。グローバル化の重要性を認識している責任者がいるところだけが、単独、かつ単発的に実施しているに過ぎない。
中小企業自身の力量不足に加え、支援組織の重い腰が日本の中小企業のグローバル展開の遅れの大きな背景にある。
だがグローバル化は、さほど難しいことではない。ドイツの中小企業はグローバル化しているといっても、その実態は、外国の展示会に頻繁に出展しているだけのところが多い。それだけで外国企業との取引が増えていくのである。しかもブースを訪問する企業とのやりとりの中で、世界市場のニーズをつかむことができる。
日本では展示会は見世物ショーと言われているが、欧米では、考え方が違っていて、展示会はそこでビジネスが決まる交渉の場、商談の場ととらえている。展示会は、中世時代、東西南北の通商路が交差するドイツ・ライプチヒにおいて、人、物、金の交流を行う通商市場ができたことに端を発する。それはメッセ(Messe)と呼ばれ、それがドイツ全土に広がっていった。ドイツはものづくりの国であるだけでなくメッセ産業の国でもある。今、ドイツ主要都市には大きなメッセ会場がある。ドイツ語のメッセを日本語で展示会と訳したところに日本人の誤解が生まれた。メッセは、「人、物、金の交流を行う通商市場」を意味する。それを日本人は、「物の展示を行う場」と誤解した。
ドイツ人訪問者は、展示している製品だけでなく、ブースにいる人を品定めしながら歩いている。この人間はよく知っているな、と感じられるビジネスパートナーを求めて歩いている。この相手となら一緒に仕事ができる、と思ったら、その場で交渉し、すぐに一緒に仕事を開始する。要は展示会とは、人間の展示なのだ。
その点、日本企業は、展示会の説明者に若い技術者を出すことが多い。その製品の技術内容に関してはよく知っているが、それ以外のこと、例えば会社の経営に関しては無知であるため取引交渉ができない。そのため、訪問者は、製品はなかなかよいが、ビジネスパートナーとして適切な企業かどうかという確認ができず、不満を抱えて、そのブースを通り過ぎてしまう。それがまた日本企業に、外国の展示会に出展してもなかなか商談に結び付かず、費用対効果が薄いと感じさせている。
ドイツ人に聞くと、日本企業の展示は評判が悪い。商品の説明をしている若い技術者は英語ができて製品に関して詳しいかもしれないが、ビジネスの話になると、途端に黙ってしまうからだ。日本企業はとてももったいない機会を逃していることを認識してほしい。
ちなみに、筆者も東京ビッグサイトにおいて、目ぼしい商品を展示している企業の説明者と、価格交渉・取引交渉をしようとしたが、「私はそういうお話はできません」とまったく話し合いにならなかった。「そうか、欧州企業はこういうイライラと落胆の思いを感じているのだな」ということがよく分かった。
私はよく講演で、「今作っている製品でいいから、とにかく欧米の展示会に一度でいいから出てみてほしい。ただしビジネスの決断ができる社長が出ることが条件です。そうすれば、これまでいかに狭い井の中の蛙だったことがよく分かります。大海は広いことが分かります。」と説明している。
だが地方の中小企業の社長は「いや、私は英語ができないので、若い職員に勉強のために派遣します。」と言う。その考え方自体がダメなのだ。英語ができなければ通訳を雇えば済むこと。欧米では、トップ同士が直接商談することが最も大切だということを分かってほしい。