IoT, AI等デジタル化の経済学

第168回「名目GDPで日本を抜いたドイツに、日本は何を学ぶべきか(2)」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

2 同じものづくりの国でありながらドイツとどこが違うのか

(1)輸出を原動力として栄えるものづくり国家ドイツ

ドイツは、製造業を主力産業とし、日本並みに出生率が低く、人口減少・少子高齢化が進行し、国内市場は縮小している。1989年に東西統一が行われ、西独に比べて生産性が約1/3の東独2千万人を抱え込み、1/10の価値の東独マルクを西独マルクに等価交換した。その結果、景気が大きく落ち込み、「欧州の病人(Sick man of Europe)」と呼ばれた。だが、その後、約15年で、ユーロ圏で最強の経済力を有するに至り、「欧州経済のエンジン」「独り勝ちのドイツ」と呼ばれるまでなった。その過程で競争力の強い中小製造企業「隠れたチャンピオン(Hidden Champion)」が経済発展の中心的役割を担い、大企業をしのぐパフォーマンスを発揮した。

ドイツは日本と同様、企業数の99.7%が中小企業であり、ドイツ人は自らの国を「中小企業の国」と呼ぶ。中小企業は国の経済の屋台骨を支えるという意味を込めて「ミッテルシュタンド(Mittelstand=経済の(ミドル)中心に(スタンド)立って支える)」と呼ばれている。欧州への移民問題や欧州の一部の国の債務問題などを見れば分かるように、今やドイツの財政力なくして欧州は存続しえないと言っても過言ではない。

(2)輸出の比較

注目したいのは、ドイツの輸出の多さと伸び率の高さである。

ドイツは、人口、企業数など日本の2/3のサイズしかないにもかかわらず、日本に比べて1.6倍(2022年)の輸出がある。名目GDPに占める輸出の比率も、日本は22.8%だが、ドイツは37.4%と大きい(2022年)。ドイツの輸出の伸びは、2022/1995=+3.17倍となっており、一方日本は、2022/1995=+2.18倍であり、輸出の伸び率は、ドイツの方が圧倒的に大きい。(日本の失われた30年は1995年頃を起点としているので、両国の比較の起点を1995年とした)

貿易総額(輸出+輸入)で見れば、ドイツは、米国、中国に次ぐ世界第3位であり、日本(世界5位)の1.73倍ある。ドイツは、面積は狭いが、「貿易大国」であると言ってよい。そうした外国貿易を可能にしているのが、世界に冠たる「ものづくり」である。

かつて、日本からの製造業の輸出を象徴する言葉として、「日本は加工貿易の国」と言われた時代があった。外国から原材料を輸入し、加工し、外国に輸出して外貨を稼ぐことにより、日本国民は生活していることを象徴的に表現した言葉である。

だが、時代がたつに従って、日本からの輸出はさほど伸びず、ついに、貿易収支はマイナスになった。逆に増えたのが、海外生産によって得た利益である。海外で得た利益の一部を海外で再投資し、一部を日本の本社に送金する。こうして得た利益は、日本国内で付加価値を創出しないし、雇用も生み出さない。そうして日本の本社に内部留保、正確には利益余剰金が500兆円を超えるまでに積み上がった。

そこに、株高、ゼロ金利、円安などが重なり、一部の企業、一部の個人にのみ、お金がたまるという現象となって現れた。アベノミクスで唱えられたトリクルダウンは起きなかった。

一方、ドイツは輸出をどんどんと増やし、貿易によって大きな金額を稼いできた。輸出の急増ぶりがそれを物語っている。かつて「欧州の病人」と言われたドイツが、わずか15年で「独り勝ち」と呼ばれるほどに強くなったのは、まさに「輸出」であることが、ここからはっきりと見える。

一方、日本企業は、国内では、投資を抑え、人件費を抑えるという構造に変わっていった。それをほぼ全ての企業が同時に行ったため、日本国内は、「デフレスパイラル」となり「失われた30年」が発生した。

同じものづくりの国でありながら、国内投資をして輸出するか、海外投資をするか、両国の進んだ道は大きく分かれた。国内投資して輸出すると、国内に付加価値が創出される。それが雇用を生み出し、賃金を増やし、国内消費を拡大させ、それがGDPの増加へとつながる。いわゆる「プラスの連鎖」であり、通常の健全な経済成長のパターンである。

一方、海外投資をすると、国内投資の余力が失われ、国内に付加価値が創出されず、国内に雇用は生まれず、賃金も上がらないし、再投資も行われない。国内消費は冷え、GDPは増えない。「負の連鎖」「デフレスパイラル」である。GDPの主要構成要因である「国内消費」「投資」「貿易収支」の3要素が失速したのである。日本の「失われた30年」は、こうして生まれた。

(3)人口・労働の比較

日本もドイツも、先進国としての出生率の低さは共通している。国内市場を対象にビジネスを行っていれば企業の売り上げは伸びない、と言う点でも同じである。そうすると、輸出するか、海外生産するか、選択は2つしかない。

ドイツは就業者数が大きく増えている。27年間の伸び率で比べても、日本は2022/1995=+4.0%であるがドイツは2022/1995=+19.0%と大きく増えている。輸出によって得た付加価値が、国内で雇用を創出している様子が見て取れる。

ドイツは欧州の中でも特に失業率が低く、中でも若者層の失業率が低い。若者の就職口がなくて、若者が街をぶらぶらしている社会は荒んでいる。かつて英国病と呼ばれていた英国の社会は荒んでいた。若者がきちんと就職できるドイツは幸せな国と言える。輸出によって得た付加価値により、若者に就職口が確保され、国内の雇用者が増え、人々に大きな恩恵を与えている。

岸田政権が政権公約に掲げた「賃金を上げる」ことであるが、1995年から2022年の27年間の賃金上昇を見ると、日本はほとんど増えていない。むしろ実質で見ると減少すらしている。日本人はいくら働いても、否、働けば働くほど賃金が下がっていく国で住んでいる。真面目に仕事をするのが、ばからしくなる。そうした気持ちが、日本を泥船のように沈ませている。人間は、今日より明日、明日より明後日の方がより良い生活になると信じられることが一番幸せを実感できると言われている。日本人は30年前から、幸せを実感できない国になっている。将来に大きな不安を持ち、貯蓄に励む若者たちの姿が、それを物語っている。

ドイツの賃金は、1995年から2022年の27年間で、+19.2%増えている。米国の賃金上昇は+45.5%と素晴らしい。賃金だけを見ても、国民を不幸にする日本政府の経済政策は間違っているが、ドイツも米国も政府の経済政策は間違っていなかったことが分かる。

日本の賃金水準は、1995年にはOECD平均であったが、1995年から2022年の27年間、現状維持を続けた結果、2022年には、OECD平均の77.7%、米国の53.6%まで低下してしまった。今、「日本人の賃金はアメリカ人の半分」とよく言われるが、まさに正しい。日本人が「失われた30年」の結果、いかに貧しい国民に成り下がってしまったか、よく分かる。

今、身の回りを見ても、収入が増えない中で、物価が上昇し、国民は節約を強いられているのに、外国から普通の庶民が大量にやってきて、「日本は、安い、安い」と大量の買い物をしている光景を目にする。日本国民は、今や身近なところで、自らの貧しさを肌で感じている。やがて日本人家庭は、息子、娘が、他の先進国に出稼ぎに行きたいと言いだす日を迎えるだろう。かつて途上国から大量の若者が日本に出稼ぎに来ていたように。もう少し時間がたつと、かつて生活困窮者を国が外国(例:満州、ブラジル)に移民させていたように、移民政策が始まる日が来るかもしれない。

日本企業は雇用者に対する能力開発投資の予算(OFF JT)を減らしてきた。日本企業は、能力開発に対する投資の水準が低いだけでなく、投資額を減らしてきた。その低さは先進国の中でも際立っている。かつて米国の大学には多くの企業派遣の日本人がいた。特にMBAコースが人気だった。だが、今は、中国や韓国の学生が増えている反面、企業派遣の日本人学生はほとんどいない。日本企業の能力開発はON JTだけで行うようになったことが、労働生産性が落ちた要因の1つとも言われている。

企業の最大の資産は従業員である。その従業員に支払う賃金を下げ、能力開発投資を下げ、非正規を増やす、という3点セットで、日本企業は従業員を冷たく扱ってきた。うわさでは、従業員のコスト削減に成功した役員は、出世すると聞いたことがある。これでは真面目に働く気になれない。日本企業の業績の低さは、従業員を冷たく扱ってきた結果であるとも言える。日本企業には、「企業の最大の財産は人である」という概念がまったくない。日本企業の生産性が低いのは、仕事に責任を持たない非正規が増えたためだと主張する経済学者もいる。

(4)投資の比較

1990年頃のバブル崩壊以降、国内市場だけでは売り上げ増が見込めないため、海外市場を目指して海外生産が活発化することで、日本企業のグローバル化が進んだ。その結果、国内には、海外に出ていく力のない、生産性が低い企業・事業所が残った。一方、海外生産を活発化させた企業は、日本国内では国内投資を抑え、雇用者数を抑え、非正規を増やし、雇用者への能力開発投資を抑え、賃金を抑えてきた。一方で、外国資本による株保有比率が上がり、それに伴って株の配当が増えた。

現在の日本の海外生産比率は35.7%(出所:国際協力銀行)である。一方ドイツは約25%(Euro Stat.)である。日本は、かつて自動車と電機が日本経済を支える両輪と言われていたが、その2業種が、それぞれ5割以上、3割以上が海外生産となった。しかもこの2業種のほとんどは系列で成り立っている。親会社が中小企業に図面と技術を与えて、出来上がった部品は全量親会社が買い上げてくれていたが、親会社が海外に出ていくと国内に取り残された中小企業は誰からも技術を教えてもらえなくなり、技術の劣化が進んでいる。日本経済は99.7%の中小企業が支えているとされたが、その中小企業の崩壊が進んでいる。日本の産業は土台から崩壊しているのである。

(5)労働生産性の比較

「失われた30年」の間、国内の製造業の生産性の伸びは鈍化したものの、生産性自体は少しずつでも増えていった。だが、国内需要が伸び悩んだため、製造業の雇用者は減少した。一方、ドイツは、生産性上昇分を輸出し、国内雇用は増え続けた。海外に出ていった日本と、国内で生産を続けたドイツとの比較では、製造業の雇用に大きな差が生まれた。

労働生産性を、1時間あたりで見ても、1人あたりで見ても、ドイツの労働生産性は日本の約1.5倍である。

日本の製造業の生産性は低く、日本は米国・ドイツの約2/3しかない。日本は製造業でも、他の先進国と比べて、生産性は低い。日本がものづくりの国とされていたのは、遠い昔の過去の栄光でしかない。日本人はこの現実から目をそらしてはいけない。

(6)日本とドイツの各種経済指標の比較(まとめ)

日本とドイツの最も大きな違いは、「輸出」、特に「製造業の輸出」である。約10年前まで合計特殊出生率が日本並みまたは日本よりさらに低かったドイツで、これほど高い経済パフォーマンスを発揮する原動力は、「製造業の輸出」が主要因であると断定してよい。

ドイツは日本と同様、ものづくりが国を支える国である。ものづくりは絶え間ない労働生産性の上昇がある。市場が国内に閉じていれば、労働生産性が上がった分だけ雇用者数は減少する。だが輸出が安定的に伸びているので、労働生産性が上がっても、雇用者数と賃金は上昇する。

労働生産性、雇用者数、賃金の3つが恒常的に上昇している国は先進国の中でドイツだけである。日本も輸出が増えれば、岸田政権の最大の課題である賃金上昇も実現する。

ドイツも日本並みに出生率が低い。そのため企業が成長するためには、積極的に外国に出掛けていって、拡大する海外市場の販路開拓をしなければならなかった。ドイツ人はそこに果敢にチャレンジし、成功したのである。現在では、ドイツは米国、中国に次ぐ世界第3位の貿易大国である。

統計を見れば、ドイツが輸出を伸ばしたのは、BRICSであることが分かる。円安になっても輸出数量が増えない日本とは異なり、ドイツ人は遠くBRICSまで出掛けていって、販路を開拓していった。かつて、遠い国まで出掛けていって、植民地を開拓していった開拓者精神を、ここに見る思いである。

ドイツが「欧州の病人」と呼ばれていた頃、国家財政は大きな赤字で、国債を大量発行していたが、今では国家財政は累積黒字であり、国債発行もない。経済が強くなれば国家財政も健全化するというまるで教科書のような姿であり、日本が手本とすべき国家財政である。 国家財政に余裕があるため、教育費は無償である。このことが経済力に及ぼすプラスの影響も大きい。優秀な外国人留学生がドイツにやってきて、卒業後もドイツに住み、ドイツのために働く。ミュンヘン、アーヘン、ベルリンの三大工科大学は約20%が留学生である。優秀な理系の頭脳がドイツにやってきて、ものづくり国家に貢献する。

ドイツは若者層の失業率が欧州の中で最低である。かつて英国は、英国病と呼ばれたことがあったが、若者が、仕事がなくてぶらぶらしていた英国社会は荒んでいた。若者が働いているドイツは、とても幸せな国だと思う。

2015年ごろ、ドイツはメルケル首相の方針でシリア難民を大量に受けいれた。今では、彼らはドイツ社会に定着し、ドイツ社会の一部を担い、ドイツ人と同等の社会福祉を与えられている。2009年のギリシア危機ではドイツの財政支援が危機を救った。今や、ドイツの経済力なくして欧州は存続しえないと言っても過言ではない。

30年前、日本が沈没するきっかけとなった分水嶺は何か、日本はドイツと同じものづくりを経済基盤とする国でありながら、なぜ、これほどまでに大きな違いが生じてきたのか。「24時間働けますか」「モーレツ社員」「家族を犠牲にして会社のため」が代名詞だった日本人はいつの間にか働かない怠慢な国民になってしまったのだろうか。

日本は、1990年頃のバブル経済崩壊の後、海外投資を増やし、海外生産比率を高め、日本企業のグローバル化が急速に進み、大企業ほど海外で生産するようになった。業種では、1位自動車、2位電機、3位化学と生産性が高く国際競争力がある業種・企業から日本を脱出し、海外に進出した。結果、国内には生産性が低い企業・事業所が残った。

企業が稼ぐためには外国に積極的に進出し、販路開拓をしなければならない。だが日本に残った企業の経営者は、「外国怖い、外人怖い」と国内に閉じている。若者は、縮小している国内市場を対象に必死に営業努力をさせられ、エネルギーを消費させられている。(国際化への遅れ)

OECDによれば、2022年の就業者数は、日本6,720万人、ドイツ4,260万人、1人あたり年平均労働時間は日本1,607時間、ドイツ1,341時間である。すなわち日本企業は、ドイツの1.6倍の従業員を使って、1.2倍の時間働かせている。総労働投入量は、約2倍である。にもかかわらず、日本企業が作る付加価値がドイツと同じで、一向に増えないのは、企業リーダーの責任としか考えられない。

日本企業の多くが、過去に成功体験のある既存事業に固執したり、前例踏襲型で仕事をさせたり、事業のパフォーマンスに結び付かない無駄な作業をやらせるなど、若者に対して、仕事のエネルギーを向かわせる方向付けが間違っている。

日本国内では、国内投資を抑え、賃金を抑え、人材育成を抑え、非正規を増やし、労働生産性が低迷した。日本経済は、国内消費が伸びず、デフレが常態化し、負のスパイラルに陥った。労働生産性の推移を見れば、海外投資が活発化した1990年前半頃を起点に、大きく折れ曲がり、伸びが鈍化していることが分かる。「失われた30年」も、ここを起点としていることが分かる。

一方、ドイツ経済の転機は、1989年の東西ドイツ統一である。この時を契機に、「欧州の病人」と呼ばれるほど、経済がガタガタなった。この時、ドイツにとって、陸路わずか1~2時間の距離に、生産コストがはるかに安い旧東欧の土地が目の前に広がり、多くのドイツ企業は生産拠点を旧東欧に移転することを考えた。だが多くのドイツ企業は、国内に残って生産を続け、輸出する道を選んだ。ここが生産拠点を外国に移転する道を選んだ日本との分水嶺になった。

例えばBMW(本社:ミュンヘン)は、ミュンヘン、ライプチヒ、レーゲンスブルグの3カ所に主力工場があり、ここから最大の市場中国に向けて鉄道で輸出している。中国に進出し、生産工場を作っていった日本の自動車メーカーと大きく異なる。

歴史の偶然だろうか、日本の転換期とドイツの転換期はほぼ同一時期に起きた。

ドイツ人は、国内生産、すなわち「made in Germany ブランド」にこだわり、ドイツから世界に向けて輸出する道を選んだ。そのために、製品の高付加価値・高価格路線へと転換し、外国人が高いお金を払ってでも、どうしても欲しいというものを作るという方針を掲げた。

ドイツ企業が、コストが高いドイツ国内で生産すれば、その結果、出来上がる製品も高い。それを世界中に売るために、ドイツ人は、「他国の製品と差別化」、「高付加価値」、「made in Germany ブランド」、「高いお金を出しても欲しいと思う製品を作り、外国人に高く売る」、というやり方を考え出した。ドイツ企業の方針は、人が欲しがるものを作って外国人に高く売れ、である。ドイツ車が典型例である。

一方、日本企業は、その逆であり、「他国の製品と似たような製品」、「made in Japanブランドなしで、日本メーカー名のタグが付いているだけ」、「価格競争」、「企業方針は、『いいものを安く』」である。

ドイツは、「made in Germany」にあくまでこだわったが、日本は「made in Japan」をあっさりと捨ててしまった。ものづくり日本の「made in Japan」ブランドへのこだわりはこの程度でしかなかった。

ドイツは「企業も国も栄える」道を選んだが、日本は「企業は栄え、国は亡びる」道を選んだ。かつて日本経済を支えていた自動車と電機は、企業の連結決算を見れば、とてももうかっている。だが、付加価値を生み出す拠点が、日本から海外に移ってしまった。

それでは次に生じる疑問は、なぜ、日本とドイツは、製造企業の行動に、このように180度ともいえる違いが生じたのであろうか。両者とも利益を追求するという企業の行動原理に大差はないはずである。日本企業の経営者が30年間、判断を間違い続けたとも思えない。日本企業が海外投資を増やし、ドイツ企業は国内投資して輸出する方が「経済合理的」であると判断したからに他ならない。その判断を分けた背景こそが、本稿で指摘したい最大のポイントである。

日本もドイツも、企業は売り上げを増やし、利潤を増やすことを目的に行動している(経済学では、利潤最大化を目指して行動するとされている)。すなわち、各企業は、与えられた環境の下で、売り上げ・利潤を増やす道を探ったところ、日本とドイツで、上記のような違いとなって現れた。

日本国内の企業を取り巻く環境が、「製造業の空洞化」を進めた方が、企業の売り上げ・利潤を増やす道であった。一方、ドイツ国内の企業を取り巻く環境が、「企業の国内投資」を進めた方が、企業の売り上げ・利潤を増やす道であった。すなわち、日本とドイツでは、企業を取り巻く「投資環境」が違っていたのである。

企業の「投資環境」を作るのは、行政・政治の役割である。

ドイツの地方の行政・政治は、コストが高いドイツで企業活動しても売り上げ・利潤が増えるよう、企業立地後、とても手厚い、さまざまな支援をしている。

例えば、産業クラスター、フラウンホーファー研究機構、部品材料や商品の搬送のための輸送網の整備などの産業インフラ、商工会議所や経済振興公社による海外販路開拓支援、製造工程の生産性を上げるためのデジタル技術の導入(インダストリー4.0)、デュアルシステム、University of Applied Science等教育システム、Work4.0プロジェクトによるリスキリングなどである。ドイツでは、国内に有するあらゆる資源をものづくり分野に集中的に投資している。ものづくりこそが国の発展を支える基盤であるという強い国民的合意が存在するからだ。

筆者が質問したドイツ人らは皆、ドイツ国内で企業活動し、ドイツ人を雇い、ドイツ語をしゃべって仕事ができるのならそうしたい、旧東欧には行きたくない、と答えた。ドイツ人も人間なのだ。その率直な希望に沿って仕事ができるよう、行政・政治が投資環境を作ったのである。

ドイツ現地調査の際、ある市長は、「日本企業は海を隔てた中国に投資するが、ドイツ企業は陸路1~2時間の旧東欧に投資できる。工場の移転圧力は、ドイツの方が圧倒的に強い。にもかかわらず、移転しないよう、ドイツ国内で生産した方が利益が出るよう、必死で企業支援策を考え、企業をドイツ国内にとどめることに成功した。」と筆者に言った。

2024年7月30日掲載

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