IoT, AI等デジタル化の経済学

第147回「DXリスキリング(1)」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

1 リスキリングとは

リスキリングのイメージを、スキルアップとの対比で図表1に示した。スキルアップは、旧来の技術・旧来の市場の中で、スキルを磨いて、より高いスキルを身に付けるものである。一方、リスキリングは、それまで働いていた職場、自分自身が身に付けていたスキルを離れて、新しい職場、新しい市場分野においてスキルを身に付けることを示している。

市場が徐々に縮小している分野に、多くの雇用者が働いて余剰人員となる一方、市場が拡大しているDX分野において、人が圧倒的に足らないと言う現象が起きている。

このままでは、旧来の市場で働いている人々の雇用が守られないという個々人の問題のみならず、新しい成長市場において日本は世界に負け続け、経済成長しない「失われた30年」が今後も続いてしまうという国全体が抱える大きな問題がある。

図表1 リスキリングとスキルアップの違い
図表1 リスキリングとスキルアップの違い

2 DXリスキリングが求められる背景

(1)低い労働生産性を向上させること

公益財団法人 日本生産性本部は、2021年12月17日、「労働生産性の国際比較 2021」を公表した。これは、同本部がOECD.Statデータベース等をもとに毎年分析・検証し、公表しているものである。

2020年の日本の一人当たり労働生産性(就業者一人当たり付加価値)は、78,655ドル(809万円)。OECD加盟38カ国中28位であった。ポーランド(79,418ドル/817万円)やエストニア(76,882ドル/791万円)といった東欧・バルト諸国と同水準となっており、西欧諸国と比較すると、労働生産性水準が比較的低い英国(94,763ドル/974万円)やスペイン(94,552ドル/972万円)にも水をあけられている。前年から実質ベースで3.9%落ち込んだこともあり、OECD加盟38カ国でみると28位(2019年は26位)と、1970年以降最も低い順位になっている。

日本が強いと思われている製造業においても、2019年の日本の労働生産性水準(就業者一人当たり付加価値)は、95,852ドル(1,054万円/為替レート換算)。OECDに加盟する主要31カ国中18位であった。これは米国の65%に相当し、ドイツ(99,007ドル)をやや下回る水準であり、OECDに加盟する主要31カ国の中でみると18位(2018年も18位)となっている。

図表2は、世界時価総額ランキングについて、平成元年と平成30年の比較である。上位50社のうち日本企業は、平成元年は32社、平成30年は1社(トヨタ)のみとなっている。平成30年の企業名を見ればわかるように、インターネット元年と呼ばれている1995年頃を境に世界はデジタル技術がお金を稼ぐ時代に入ったが、日本企業は、現状維持を続けてきたことがわかる。

図表3は、デジタル技術を導入しないで現状維持を続けてきた日本企業が、デジタル技術を積極的に活用する米国の企業にどんどん追い抜かれていることがわかる。

図表2 世界時価総額ランキング 平成元年と平成30年の比較
図表2 世界時価総額ランキング 平成元年と平成30年の比較
出典)東洋経済新報社
図表3 東証一部上場企業の時価総額と米国GAFAM5社の時価総額との比較推移
図表3 東証一部上場企業の時価総額と米国GAFAM5社の時価総額との比較推移
出典)未来人材ビジョン 令和4年5月 経産省

労働生産性が低いというと、職場で働く日本人は怠けているという印象を持つ。だが、職場で使うパソコンなど情報機器が発展し、その恩恵を受けて企業などで働く人々の仕事は、楽になると思いきや、ますます忙しくなっているという実感がある。忙しくなっているのに、従業員は頑張って働いているのに、なぜ、労働生産性は上がらず、企業は売り上げが伸びず、付加価値が増えず、賃金が増えないのだろうか。企業で働いている人々は決してさぼったり、怠けている訳ではない。なのに、なぜ賃金が増えないのか、というジレンマにも似た気持ちを持っている人が多いと思う。

隠れたチャンピオン(Hidden champions)の提唱者であるドイツのハーマン・サイモン(ドイツのコンサルティング会社サイモン・クチャーアンドパートナーズ創業者)は、日独の企業を比較し、日本の企業は技術力は遜色ないが、エネルギーが内向きであると指摘している。

例えば、内部会議で使う資料など、90%程度の完成度の資料3枚程度でいいのに、98%の完成度の資料50枚を要求され、情報機器が発展するにともなって益々資料の細部にまで細かい要求が出される。また、情報機器に様々な高度な機能が付くにしたがってそれらを使って作成する資料や動画に最新の技術を使用した内容を求められるなどが挙げられる。そのような作業は企業の売り上げには結びつかないが、従業員に膨大な負荷を課す。役員に忖度する部長が若い部下にこうした負担を課す。

企業の業績に結び付くような作業に可能な限り時間を集中し、そうでない作業を極力切り捨てていく、ということが今の日本企業ではとても難しい。

賃金が長期に渡って停滞した要因に関する分析は下記に詳しい。

深尾京司(2021),『労働生産性と実質賃金の長期停滞:JIPデータベース2021および事業所・企業データによる分析』,経済産業研究所セミナー,2021年12月9日
https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/21120901_fukao.pdf

深尾(2021)は、日本の実質賃金は2000年以降停滞したが、その主因は、労働生産性の上昇の減速だった、としている。

図表4 実質賃金、労働生産性及び労働分配率の推移
70~80年 80~90年 90~00年 00~10年 10~18年
実質賃金
(時間当たり労働コスト)
58.4% 4.2% 16.1% 3.4% 1.2%
労働生産性 51.3% 45.4% 20.8% 12.1% 5.2%
労働分配率 18.8% ▲9.2% 2.4% ▲1.6% 0.3%
出典)労働生産性と実質賃金の長期停滞:JIPデータベース2021および事業所・企業データによる分析 経済産業研究所BBLセミナー 2021年12月9日 深尾京司
(経済産業研究所・一橋大学・JETROアジア経済研究所)

図表4を見ればわかるように、日本の労働生産性は、バブルが弾けた1990年頃以降、急速に減速している。ではなぜバブル崩壊後、長期にわたって低迷しているのか。日本の労働生産性が低迷している要因は、現時点で誰も実証し確定していないので、経済学者の間では、主要因がいくつかあるという人もいれば、細かい要因がたくさん重なっているという人もいる。だが、賛同者が多い要因をいくつか並べてみる。

  1. 1)日本経済の実力に比べて円安に振れた期間が恒常的に継続した。そのため、輸出産業では大した努力をしなくても利益が出た。
  2. 2)本来は企業の将来に向けた投資である研究開発投資及び人的投資を固定費と捉え、これを削減することが日本企業の風潮となり、削減に成功した人が評価されて出世するという傾向が続いた。人的投資の削減は、非正規の拡大、能力開発投資(主にOFFJT)の削減、賃金の抑制の3点セットである(図表6~図表9)。また、日本型雇用のうち、新卒一括採用と人事部の命であれば何でもしますどこへでも行きます、という企業にとって都合の良い部分は維持しながら、いわゆる「終身雇用」という企業にとって負担となる部分は放棄していった。
  3. 3)上記2点の結果、売り上げが伸びなくても利益はある程度確保できたため、デジタル投資というリスクのある領域に手を出して、もし万が一、失敗すれば責任をとらされかねないという保身が経営者の間で蔓延した。折角、数十年間に渡る忖度でやっと手に入れたポストなので、将来の安泰な生活を危険に侵すようなことはしないという保身である。

こうした事情を背景に、岸田政権では、「人への投資」「DX投資」を「新しい資本主義」の重要な柱として掲げている。

図表5 名目GDP(USドル)の推移(1980~2018年)(日本, アメリカ, 中国)
図表5 名目GDP(USドル)の推移(1980~2018年)(日本, アメリカ, 中国)
出典)IMF
図表6 一人当たりの名目賃金・実質賃金の推移
図表6 一人当たりの名目賃金・実質賃金の推移
出典)経済財政白書令和4年
図表7 非正規雇用労働者の割合の推移
図表7 非正規雇用労働者の割合の推移
出所)労働力調査
図表8 人的投資と研究開発等に関する各国の投資額変化(2000年⇒2010年)
図表8 人的投資と研究開発等に関する各国の投資額変化(2000年⇒2010年)
出典)通商白書2017
資料:INTAN-Invest及びJIPより経済産業作成。
備考:「研究開発等」には、科学・工学分野における研究開発、資源探索権、著作権・ライセンス等、他の商品開発・デザイン・調査が含まれる。
図表9 我が国企業の人材育成投資額の推移
図表9 我が国企業の人材育成投資額の推移
出典)通商白書2017

人間にとって、どんなに一生懸命働いても長期にわたって賃金が上がらないと創意工夫をしたり効率的な仕事をして会社の発展に貢献しようというインセンテイブが失われてしまう。しかも、企業による人材育成投資は削減され、正規から非正規への転換も進んだ。「失われた30年」の間、日本人は企業から冷たく扱われてきたのである。それが、「失われた30年」の間、日本のGDPがほとんど増えていない大きな要因の1つである。

人間は、自分が働いて出した成果に比例する分だけ賃金が上がれば、すなわち生産性に比例して賃金が上昇すれば、不満はない。だが、この当たり前の現象が長らく日本では見られていない。

賃金の伸び率(実質)は、労働生産性の伸び率、交易条件の変化、労働分配率の変化により決まるとされている。これまで、労働生産性は、絶対水準が低いだけでなく、その伸びもとても小さかった。しかし、労働分配率がほとんど変化せず、もしくは低下し続けたため、賃金は、「失われた30年間」、全体的傾向として減少した。そして、賃金の安い非正規雇用者が大量に生まれた。非正規雇用者が増えたために、生産労働人口が減っているにも関わらず、総労働者数は減っていないという指摘もあるくらいである。

非正規雇用者は、最終的には仕事に責任を持たないので、非正規雇用者の大量雇用が、日本製の製品・サービスの質を低下させたと指摘する専門家もいる。国家財政は赤字が拡大しながら民間企業の内部留保(利益余剰)は増加し続けたのである。

賃金を上昇させるためには、何よりも生産性を上げることが最重要課題である。生産性を上げることにより、賃金上昇を促すという最も基本的なアプローチである。

賃金を上げる源は企業の「付加価値」である。そのため、賃金を上げるためには、付加価値を増やすようなデジタル投資を行う必要がある。付加価値を上げる投資は必ずしもデジタル投資に限る訳ではないが、図表2、図表3を見ると、明らかに今の時代、デジタル投資が企業の成長に大きく寄与していると考えられる。賃金を上げる方向に向かうデジタル投資と簡単に言うが、現時点においても、それが実現できている日本企業は極めて少ない。

2023年2月24日掲載

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