IoT, AI等デジタル化の経済学

第124回「AI・ロボット税は経済の救世者か、それとも破壊者か?」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/日本生産性本部

AI・ロボット税とは何か

最近、「AI・ロボット税」又は略して「ロボット税」と呼ばれる構想が世界中で議論されるようになった。その背景は、以下のとおりである。

現在、議論されているロボット税は、主に所得税としてのロボット税である。従来、企業は労働者を雇用してきた。だが、AI・ロボットにより労働者が代替されると、今まで労働者が払ってきた所得税が減少するため、労働者が払う筈であった所得税をAI・ロボットに代わって払ってもらおうという考えである。実際には、AI・ロボットの所有者である企業が払うことになる。企業には、AI・ロボットの維持費として毎年ロボット税が課される。

だが、AI・ロボットと言っても、多種多様なものがある。例えば、単なる最適化プログラムラムでさえAIと呼ぶ人々がいるくらいで、AIは学術界でさえ定義されていないのであるから、課税対象として定義することはもっと難しい。またおもちゃの少し進化したもの、例えば、aiboは介護士を代替するロボットか、などという議論も厳格になさないといけない。もしaiboがロボットならば、年金で暮らしている介護老人が、介護士が払ってきた所得税を代わって払うことになるし、aiboが壊れたとき、誰がどのように税務署に課税停止を申請するのか、という問題も議論が必要である。

また、AI・ロボットの何にいくら課税するのか、という議論もなされていない。例えば、AI・ロボット1台が生み出す付加価値は一体どうやって計算するのか、例えば自動車の生産ラインでは溶接ロボットと人間が一体的に働いているが、そのうちロボット1台が生み出す付加価値を一体どうやって計算するのかといった議論もなされていない。ロボット税は、まだその程度のレベルでしかない。

にも関わらず、これほどの世界的に広範囲で賛同する人々が出てきたのには背景がある。それはAIの登場である。AIを会社の事業として推進している方々は、多かれ少なかれ、ロボット税、そして以下に述べるベーシックインカム(以下、BIという)の推進者である。AIによる雇用不安が大きいため、ロボット税で得られた税金を雇用確保のために使うことで、雇用不安を解消し、スムーズなAI導入を図ろうという考えを持ってい方々である。AI・ロボット税が出現してきた背景には、BIの登場がある。その実現のためには途方もない財源が必要である。その財源の期待先としてロボット税が浮上した。

AI・ロボット税は従来政策の180度転換

これまで、日本を含め、どの国においても、ロボットの導入に対しては税控除があった。この制度でロボットの導入を促進し、省力化・機械化を進めて、産業を強くし、企業の付加価値を増やし、企業からより多くの税を納めてもらおう、という政策が一貫して続いてきた。

だが、税控除をAI・ロボット税に変えると、当然ながら、その逆の現象が起きる。すなわち、AI・ロボットの導入にブレーキがかかる。するとこれまでの議論からわかるように、企業の利益は減少し、法人が納める税金も減少する。企業には、AI・ロボット税が追加されて課税されるのであるから、企業の税負担は一層重くなる。

その意味で、AI・ロボット税は、従来行ってきた政策の180度転換であると言える。その判断が果たして正しい判断なのかどうか、それを見極めることが重要である。単に、AI・ロボットが人間に代替するから、人間に代わって税を徴収すれば良い、という単純な問題ではない。政策の180度転換から生じるさまざまな現象を予想し、そのような転換が本当に正しいのかどうかを見極めることが重要である。

このように、政策を180度転換すべきだ、とまでの極端な意見を主張する方々が出現してきた背景としては、先に述べたようにAIの出現である。これまでは、人間の肉体労働を代替するロボットであった。学術的には「routine manual」を代替するのがロボットとされていて、人間の頭脳労働を代替するのがAIであり、学実的には「routine cognitive」と呼ばれている労働の代替である。

これまで肉体労働者が機械に代替されてきた歴史では、ロボットの導入を促進する税制を導入し、その普及を加速してきた。ところが、人間の頭脳労働を代替するAIが出現した途端、政策の180度転換を主張する人が出現してきたということである。

そのくらい、一部の人にとっては、肉体労働を機械に代替することと、頭脳労働を機械に代替することとの間には、大きな違いがあるということだろう。

ロボット税が導入された場合の損得勘定

おおざっぱではあるが、ロボット税が導入された場合の企業の損得勘定について考えてみよう。

まず、AI・ロボットを導入することで雇用者は少なくなる。初期投資は必要だが、企業の生産性は上がるので、付加価値や利益が増える。税務の面から見れば、雇用者が払う所得税は減るが、企業が納める法人税は増える。そこにAI・ロボット税を課すと、雇用者が納めていた所得税分は復活するかもしれないが、企業の競争力は低下し、利益は減り、法人税は減少する。企業は国際競争から脱落し、利益は益々減少し、雇用者をかかえることができなくなり、解雇が始まる、という可能性がある。

日本経済へのダメージ

更に、ロボット税が導入されると、日本経済に深刻なダメージが予想される。

世界の産業用ロボット販売台数は2013年から2017年の5年間で2倍に増加した。今後も年平均14%増見込みである。日本は世界一のロボット生産国であり、販売台数のシェアは90年代の9割程度よりは低下したものの、世界のロボットの6割弱が日本メーカー製(約38万台中21万台)である。従来、自動車産業がロボットの最大の導入先である。

世界の産業用ロボット推定販売台数(産業別)
図:世界の産業用ロボット推定販売台数(産業別)
世界の産業用ロボットの導入台数
図:世界の産業用ロボットの導入台数
(出典)International Federation of Robotics, World Robotics 2013, World Robotics 2018

以上からわかるように、日本は世界の中でも、ロボット税によるダメージがかなり大きい方に分類される。なかでも自動車産業に大きなダメージがあることがわかる。その自動車産業は、下記の工業統計を見ていただくとおわかりのように、今や日本経済は自動車産業だけで持っていると言っても過言ではない。かつて日本経済は電機と自動車の2業種で持っていると言われていたが、今では電機はすっかりダメになり、自動車産業の行方が日本経済の将来を大きく左右するようになっている。

その自動車産業は、トヨタの社長が「100年に一度の大変革」と呼ばれる時代になっていて、日本の自動者業界は外国との競争に負けないよう必死に頑張っているところである。そのようなデッドヒートで競争している自動車業界に、ロボット税を導入したら、日本勢は一気に負けてしまうだろう。

Structural changes in Japanese manufacturing by decade
図:Structural changes in Japanese manufacturing by decade
Source: Ministry of Economy, Trade and Industry.

自動車産業は今や日本経済にとって金の卵を生む鶏である。この鶏を殺してしまえば、一時的には日本経済は潤うかもしれないが、金の卵を失った日本経済は一気に貧しくなるだろう。「金の卵を産む鶏を殺してはいけない」というのが私の結論である。自動車産業には、もっともっとAI・ロボットを使ってもらい、もっともっと稼いでもらい、もっともっと税金を納めてもらい、それを雇用対策や経済対策の財源にあてる、というのが王道である。

ロボット税は経済の救世者か?

以上の議論に基づき、「ロボット税は経済の救世者か」という問題を考えてみたい。

ロボット税を導入すると、確かに一時的に税収は増え、それを雇用対策に使えば、雇用は救済できるだろう。だが、同時に、自動車産業の競争力が落ちるので、自動車メーカーの傘下の系列の抽象企業も含めた企業群で雇用が失われ、日本経済にも深刻なダメージが生じる。プラスマイナスで合計がどうなるかは、きちんとシュミレーションしてみたいとわからない。

だが、時間の経過とともに、自動車産業が納入する税金(ロボット税、法人税等、法人による納税)が減っていくので、やがて雇用対策に回す税金も減っていくだろう。それこそが、まさに「金の卵を産む鶏を殺した」ことになる。すなわち「ロボット税は、中長期的には雇用を救世しない、経済の救世者ではない」というのが私の考えである。

ベーシックインカム論の登場

ロボット税が出現してきた背景には、BI(ベーシックインカム)論の登場がある。BIを実現するためには、途方もない財源が必要である。その財源の期待先としてロボット税が浮上したということも背景にある。

最後に、BIについて説明しておきたい。

BIの特徴は、政府が全ての国民に、例えば、お金持ちでも、健康的な人でも、無条件に全ての人に一律に同じ金額を給付するものである。その代わり、現存している多くの給付制度、例えば、生活保護、年金、雇用保険、児童手当などは全て廃止するというものである。

推進論者が主張するメリットとしては、第一に、労働しなくても生活費が入る、ということが挙げられる。生きていくために、つらい仕事を続ける、という状態から脱出できる人もいるので、BIの推進派は、「労働からの解放」と呼んでいる。

逆に言えば、働かなくても、遊んでいても、生活のための収入が確保されるため、多くの人が働かなくなり、BIに必要な国家財政を誰も納税しなくなる可能性。そのため、BIに必要な国家財源を失ってしまう可能性もある。

第二に、全ての現存する社会保障制度をなくするために、現在、その作業に関わっている行政職員が不要になり、大幅な行政コストの削減が可能になるというものである。

一方、反対論者が主張する点としては、第一に、財源問題が挙げられる。

その制度は、「生活に必要なお金を全ての人に無条件に給付する」という趣旨であるから、例えば、今の憲法で保障された最低限の文化的な生活を維持するに必要とされる生活保護費を参考に、日本人1人当たり毎月15万円(年間180万円)を給付するとすれば、15万円×12ケ月×1.2億人=216兆円となり、この財源を一体どうやって確保するのか、という根本課題に突き当たる。もし毎月10万円(年間120万円)だったとしても、144兆円となる。

そうすると、働く人1人当たりの納税額は現在の何倍になるか? 一方で、納税せずに、国から生活費をもらって遊んでいる人々が大勢いる国になり、て社会の安定を維持できるのか、という問題もある。

第二の点としては、お金持ちにも全て一律に支給するという点がある。

私の意見は、どんなに理想的な制度であっても、現実的でないものは、実行できないということである。

2020年12月11日掲載

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