1. 第4次産業革命における「ビッグ・データ」と労働環境
現在、第4次産業革命による動向は、世界各国の一大関心事である。AI(人工知能)/IoT(モノのインターネット)といった新たな分野がもたらす技術進歩は、世界規模で産業構造を転換させる可能性があるからだ。
そしてこの技術革新を下支えしているのは、「ビッグ・データ」およびこれを扱う専門家(ITエンジニア、データ・サイエンティストなど)の存在である。
ところが、こうした職種における日本の労働市場では、労働環境や人材育成の点で、実は多くの問題を内包している。
本稿では、ビッグ・データを扱う専門家らが抱える課題とその解決方法に焦点を当てる。まずビッグ・データがもつ可能性を再度確認した上で、その労働市場上にある克服すべき課題を検討したい。
2. 「ビッグ・データ」の再定義と真価
そもそも、このビッグ・デ―タとは文字通り、広く大量に集められたデータを意味するが、なにも新しい技術というわけではない。たとえば、生命保険入会時に計算される保険料は、死亡率に関する大量のデータから計算されている。さらに身近な例でいえば、天候予測も気象衛星による観測に加え、過去の気温・温度などのデータをもとに報じられている。
つまり、数理統計学の基礎となる「大数の法則」を利用することで、ビッグ・データの利用価値が一層高まるのである。この「大数の法則」とは、ある事象の発生確率について、その事象を繰り返し観測することで得られる経験的確率は、真の発生確率に近似するという定理である。つまり、データ数が増えれば増えるほど、発生確率の予測精度を高めることが可能となる。
また、データを大規模に収集できれば、より複雑な数理関数モデルの設計も可能だ。多くの変数をモデルに組み込むことができるためだ。AIの高い演算処理能力とビッグ・データが結びつく背景はここにある。膨大なデータを瞬時に計算し、予測値を求めることを可能にする。勿論、AIの活用は横断的で一機能に限定されるわけではないが、もっとも基本的な演算処理の機能が、大量のデータを変数として利用されることで、定量的な行動予測が実現するわけである。
3. ビッグ・データを扱う専門職とその苦慮①
このように、「ビッグ・データ」の活用分野は、一部の、しかも専門的な領域に限定されていた。その理由の1つとして、上述した事例でみたように、大量のデータを分析・活用するには高い専門性が要求されるためである。保険業で大量の統計データをもとに保険料を決定するアクチュアリーという専門職などがこれに当たる。またこうしたデータを大規模に収集することができなかったことも、もう1つの理由だ。たとえデータから有意義な結果を得て、市場予測が可能となっても、データ収集に要したコストを商品・サービスに転嫁してしまえば、収益性は下がり、“旨味”は小さくなってしまう。
ところが、スマートフォンやタブレット端末が普及したことで、「ビッグ・データ」の収集が容易になり、データの活用範囲は拡大した。
全国的に高い普及率を誇る携帯端末により、誰でも気軽にインターネットにつながることが可能となった。まさに「モノのインターネット」、つまり、IoTである。こうして多くの情報を、アプリケーションを通じて低コストで収集することが可能になった。企業側は、需要予測を組み込んだマーケティング戦略や、製造ラインの問題点などの課題解決・効率化も可能になったのである。
しかし、それはひとえにデータ処理の専門家の能力水準に負うているのが実態である。にもかかわらず、こうしたデータ加工や分析を行える人材は日本では不足している。数少ない人材で第4次産業革命の変革に対応するのでは限界がある。
事実、ある大手企業では、工場設備のデータを収集はしたものの、社内の人材でそのデータを加工・分析ができず、外資系企業に委託したという。
つまり、日本ではこうしたITエンジニアの人材育成が不十分であり、その中でもIoTに関連し、付加価値が著しく高いと思われるデータ・サイエンティストの数は不足しており、エンジニア1人あたりの負担が大きくなってしまっている。労働環境の改善が課題となっているのが現状だ (後述のアンケート結果を参照)。
4. ビッグ・データを扱う専門職とその苦慮②
2017年11月、NPO法人「ITスキル研究フォーラム(iSRF)」が行ったアンケート結果(第16回全国スキル調査)に、注目が集まっていることをご存知だろうか。このアンケートでは、近年急速に普及したIoT技術に対して、どのような人材育成を行うべきかを目的に、エンジニアなどの現状を把握するために実施された。有効回答人数はITエンジニアなどに携わる1946人である。以下の図1〜4はアンケート結果を一部抜粋したものである。
これらの結果は、以下のように要約できる。第1に、現場で活躍しているエンジニアたちにとって、IoTがもたらす第4次産業革命の影響は、彼ら技術者自身のみならず、企業レベルで対応する必要があると考えているようである(図1および2)。第2に、しかしながら、技術者たちがこうしたスキルやノウハウを習得するには、自分たち自身でそうした環境を整える以外に、方法がないというのが現状だ(図3)。現状ではホームページや書籍、雑誌などで個人的に学習するに留まっている。これは、大半の技術者たちが技術習得のためのインセンティブを減退させてしまう1つの要因となるだろう。第3に、実際、技術者たちは業務に対するやりがいがあるとはっきりといいきれていないようだ(図4)。以上をまとめれば、エンジニア自身はIoTという新たな技術がもたらす影響が大きいと思いつつも、企業がこうした機会を提供していないため、技術を向上させるインセンティブが低下してしまっているのである。同調査の過年度の結果をみると、ITエンジニアたちは他業種に比べて「高ストレス者」の割合が1.8倍高く、また大企業ほどその傾向が高くなっている(2015年調査結果サマリー)。現状では、こうしたストレスフルな労働環境で、エンジニアたちが技術力を発揮していくことはなかなかに難しく、企業の生産性上昇を妨げる1つの要因となっている。
5. 歴史的アプローチに基づく解決策
こうした労働環境を改善する方法は、歴史的なアプローチが1つの切り口となる。ケース・スタディとして製鉄事業と原子力開発の2つ産業を例にあげたいと思う。
鉄と原子力は、ビッグ・データに基づくIoT技術と同様、大きな影響力をもつ、当時としては最新の技術であった。
製鉄技術は、当初、「御雇外国人」と呼ばれる技術者を雇用していた。しかし、当時の産業政策当局は、「技術の国産化」を図るため、東京帝国大学などの各帝国大学をトップに、工業高等学校や中学校と連携し、技術者を養成した(表1および2)。
原子力開発も同様である。戦後、それまで停止されていた原子力開発はサンフランシスコ講和を経て解禁されると、国内で技術者を要請するために各方面で整備が行われた(表3)。勿論、保安の面から、原子力開発に国家が介入するのは当然であるが、技術者の養成は各大学・大学院で認可された。
上記の2例にみたとおり、国外で新たに開発された技術を国内に導入するには、民間経済主体の取り組みだけでは参入コストが高い。そうしたコストを、政府が市場介入し、法的な認可を与えることで、引き下げる必要がある。
無論、この第4次産業革命の流れに対して、政府が官営で何か事業を起こすべき、というわけではない。政府が行うべきは、資本面や労働面において、民間経済主体が多面なコストを引き下げるように、こうした技術市場の整備を行うことである。
実際、アメリカやドイツなどではIoT技術者の養成に力を入れており、専門学校や学部・大学院での教育が行われている。日本ではこうした技術者の養成はなかなか行われておらず、少数の大企業がセミナーなどを行うに留まっている。こうした状況を打開するには、政府は、企業が積極的に人材育成を行うことができるようなインセンティブ構造を構築する必要がある。
先進的な事例として、国立大学でIoT分野に関連する学部の新設もが認められるなど、日本でも少しずつこうした体制を導入し始めている(図5および6)。人工知能による労働者の雇用機会喪失に悲観するまえに、国内での人材育成を強化していくことが求められるべきである。
企業の連携や、産学連携による第4次産業革命への対応が大きく進んでいる。日本では企業間の連携は垂直的な関係が強く、水平的な連携は積極的とはいえない。こうした企業文化の違いを超えて、最新技術を国内に導入するには産学に「官」を加えた連携が必要である。政府による市場整備の進捗が国内へのAI/IoTの導入に果たす役割には注目すべきであろう。