リサーチインテリジェンス

アセモグル氏ら3氏にノーベル経済学賞、歴史データから検証する政策の「帰結」

広野 彩子
コンサルティングフェロー

スウェーデン王立科学アカデミーは2024年10月14日、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のダロン・アセモグル教授、MIT経営大学院のサイモン・ジョンソン教授、そして米シカゴ大学のジェイムズ・ロビンソン教授3氏のノーベル経済学賞授賞を発表した。「社会制度が国家の繁栄に与える影響の研究」に関して新しい洞察を提供したというのが主要な授賞理由である(注1)。イデオロギーではなく歴史的なデータに基づく実証的な政治経済学を切り開いた貢献は大きい。

米ハーバード大学の政治経済学者、ダニ・ロドリック教授は米ニューヨーク・タイムズ紙で3氏の受賞について、「民主主義が長期の経済発展に重要な影響を与え得ることを明確にした」とのコメントを寄せた(注2)。

制度を分析する経済学、といった言葉を聞くと、日本ではRIETIの初代所長である著名な経済学者、青木昌彦氏が切り開いた比較制度分析を真っ先に思い浮かべる方が多いかもしれない。青木氏らの比較制度分析は、制度を法律や政策、文化など外生的に与えられるものではなく、ゲーム理論に基づき、社会ゲームにおける均衡現象として概念化した。またこの分野を切り開いた著名な経済学者としては1993年にノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノース氏が知られ、発展してきた。ジャンルとしては長年、膨大な研究の蓄積がある。制度を扱う経済学そのものが新しいわけではない。

アセモグル氏らの貢献は、制度も、社会や外部環境の変化が相互に作用しながら変化することを数理モデルで説明したこと、記録に残った数字や歴史的事実などのエビデンスを盛り込み、ある(外生的な)出来事が別の出来事にどう影響するかを調べる「因果推論」で実証的な研究をしたことにある。

因果推論の手法に注目

因果推論については2021年にグイド・インベンス氏、ジョシュア・D・アングリスト氏ら3氏が労働経済学の実証分析への貢献で、ノーベル経済学賞を受賞したことが記憶に新しい。3氏も経済データから因果関係を導き出す手法として「自然実験」と呼ばれる実証的な手法に基づく研究を進めた。これは社会制度や歴史的な偶然から、あたかも原因が操作されたかのような状況を用いて因果関係を推定する手法である(注3)。

アセモグル氏らの研究も歴史データを活用した自然実験であり、このトレンドの延長線上にある。ただし史実を歴史学者の手法で詳細に考察するわけではない。3氏の研究に表れる歴史的事実に対して、歴史学者や政治学者、社会学者などから批判があるとも報じられている(注4)。

因果推論を広めたインベンス氏らは、労働経済学分野での貢献が受賞対象だった。2023年に労働市場における男女の格差をエビデンスで解明したクラウディア・ゴールディン氏は経済史と労働経済学が専門だ。今回は、因果推論と歴史データのかけ算である。ちなみに今回、筆頭で受賞したアセモグル氏の博士論文は、契約形態や賃金を決定する組織、制度上の特徴などといったミクロの構造により、景気循環や失業率と賃金の関係などマクロ経済を解き明かそうとした研究だった(注5)。

筆者の印象に過ぎないが、ノーベル経済学賞は、選考委員の専門やスタンスを前提としつつ、時の社会課題の解決に実装して実績があるもの、あるいは実装したら役立ちそうなテーマが選ばれているように見える。その意味でここ数年は、格差の根源を解明しようとしてきた研究が目立つように思う。

例えば今回、授賞理由になった研究として筆頭に「欧州の植民地制度が導入した政治経済システムの解明」が挙げられている。2001年に経済学の代表的な学術誌「American Economic Review」に掲載され多数引用された、経済発展を植民地の制度を起源として比較した実証研究“The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation”(注6)である。アセモグル氏、ジョンソン氏、ロビンソン氏3氏の共同研究だ。ここでは制度の違いをもたらした1つの要因が、入植者に致死率の高い病気がまん延したかどうかだと説明する。

ノーベル経済学賞の解説サイトによれば、植民地の入植者たちは当時、できるだけ現地で欧州の制度を再現しようと努めた。だが、欧州人にとって危険な病気が存在し入植に適さなかった場所では、より収奪的な制度の国家になりやすかった(注7)。

民主主義制度の「失敗の研究」

具体的には、アフリカやラテンアメリカのように病気が多く入植者の生存がより困難だった地域では、植民地主義者たちは短期的に利益を回収しようとし、そのために労働者を搾取するような経済システムを築いた、ということだろう。それに対して米国やオーストラリアのように致死率が低かった地域では、入植者たちがその地での長期的な発展と定住を目指しより包摂的な政治・経済システムを構築した。

植民地時代の病気の致死率に関する歴史的な統計データから病気の発生率を分析し、病気による致死率と、当該国家の現在の経済状況に因果関係が見られることを説明したのである。いわば、民主主義制度の「失敗の研究」ともいえそうだ。

この20年ほどの間に、19世紀の植民地政策により搾取され、多大な犠牲を払った世界中の旧植民地の国々で、植民地時代の記念碑を撤去したり、奪った貴重品の返還を旧宗主国に求めたり、賠償を求めたりする動きが活発になっている。

米国の公共ラジオ放送NPR(National Public Radio)は、2015年に南アフリカのケープタウン大学で「ローズ奨学金」の創設者として知られるセシル・ローズの像に排せつ物が投げつけられてデモに発展、像が撤去されたことが、ムーブメントに火の付いた発端、と報道している。これが海を渡り米国で「ブラック・ライブズ・マター」の活動家たちが南部連合の像を傷付けるきっかけになったというのだ(注8)。

アセモグル氏らの入植に関する研究が発表されたのは2001年であり、こうしたムーブメントとは直接の関係はない。だが植民地の入植者たちによる欧州型の政策がうまくいった場所の多くが今も繁栄しているとするストーリーは、楽観的すぎる気もする。研究では制度がうまく機能しなかった原因を疫病のまん延による死亡率、という外的環境に見いだしているが、このエビデンスで当時の壮絶な搾取がもたらした遺恨があがなえるというわけでもないだろう。

キーワードは「主体性」

近年のアセモグル氏らは世論や政策に対する情報発信に積極的で、研究に対して賛否の議論が巻き起こり耳目が集まること自体は、望むところなのではないだろうか。アセモグル氏とロビンソン氏で『国家はなぜ衰退するのか』(早川書房)と『自由の命運』(同)を、アセモグル氏とジョンソン氏では23年に『技術革新と不平等の1000年史』(同)を共著で出版し、いずれも世界中で大きな反響を呼んでいる。

今回の受賞に最も関係があるのは、最初の1冊だ。だが、現代的な政策への含意という意味で、アセモグル氏とジョンソン氏が2023年に出版した3冊目『技術革新と不平等の1000年史』も重要だ。技術革新という外的要因の影響にさかのぼって経済的繁栄の源泉を分析する点において、入植研究の技術革新版といった趣だ。とりわけAIの急速な進歩も意識されている。

「AIは人から仕事を奪い、『主体性(Agency)』を奪う。つまり、人から有意義な選択肢を奪う。AIにより人が仕事や、重要な意思決定や、ソーシャルネットワークでのやりとりなどを通じて日々している行動を取り除かれてしまうとしたら、それがある種の主体性の喪失につながってしまう」。筆者の過去のインタビューでアセモグル氏はそう話した(注9)。

欧州委員会が2019年に発表したAIに関する倫理ガイドラインもHuman Agency(人の主体性)の重要性を指摘している。「AIシステムは、人が十分に情報を持って意思決定するという本質的な権利を育むための、人の活躍に資する存在であるべきだ。同時に、AIを適切に監視する仕組みを確保すべきだ」(訳は筆者)とする(注10)。

そうした議論も踏まえ、アセモグル氏はイノベーションの方向性について「市場はイノベーションの実現可能性を目指す場所としてはベストだ。だが技術の方向性を市場に任せきりにしていては(社会にとって)ゆがんだものとなってしまう」と指摘している(注11注12)。

「労働代替型」より「労働補完型」

アセモグル氏は、人間がそれまで担っていた仕事にAIが取って代わる「労働代替型」の技術進歩ではなく、AIが労働生産性を高める方向で進歩していく「労働補完型」を目指し、人間の主体性(Agency)を奪ってはならないと主張する。ベースは、「技術進歩の方向性」に関する研究、例えばパスカル・レストレポ氏との2018年の有名な共著論文だ(注13)。自動化やロボット、AIなどの進歩によって労働の生産コストを削減することによりさらなる自動化が抑制され、新たなタスクの創造が盛んになるとの分析を示している。

人のスキルが多様な状況では、技能の低い労働者の作業が自動化されていき、高度技能労働者向けの新しい作業が生まれる過程で格差が拡大する。だが、高度技能者向けの技能もゆくゆく技能の低い労働者が使えるレベルに標準化されていくので、長期的には格差が落ち着いてくるとする。

ただし労働市場にミスマッチや情報の非対称性などといった摩擦が存在し、技術変化の方向が内在化されている場合、過剰な自動化に向かう力学が働く。そこでアセモグル氏らは労働を補完し、自動化に対抗できる技術の方向性として「労働集約的な新しい業務の創造」を提唱している。

何世代も先の「帰結」を見据えた政策を

『技術革新と不平等の1000年史』でも、著者らは技術開発の方向性を「人ができることの自動化ではなく人間の能力を拡大する方向に転換すること」と繰り返し主張している。それに加え、新たな技術により高まった生産性の恩恵を、資本と労働でシェアできる仕組み(レントシェアリング)を整備することが、技術革新で繁栄を共有するための2つの柱だという。

技術革新の方向性について、開発の当事者であるIT(情報技術)企業や最先端の研究者の議論に任せきりにしてしまうと、過度な自動化へと突き進む恐れがある。労働補完型の開発に向かう方向性を政策的に明確に打ち出し、方向性がぶれない足腰の強いルールを設計することが、社会の安定にとって重要になる。

アセモグル氏らの貢献により、テキストの記録だけでなく、外的要因の影響度合いも加味した長期的なエビデンスに基づいて政策が評価される時代になった。「あの時の政策が現在の社会の安定に帰結した」と、日本でも証拠に基づいた政策立案(EBPM)によって、後世の何世代にもわたって感謝されるような政策を打ち出してほしいと願う。

参考文献
  1. ^ Popular information. NobelPrize.org. Nobel Prize Outreach AB 2024. Tue. 15 Oct 2024.
  2. ^ Jeanna Smialek, "Three Receive Nobel in Economics for Research on Global Inequality", New York Times, October 14, 2024
  3. ^ 川口大司、「ノーベル経済学賞に米3氏 『自然実験』で因果関係推定」 2021年、RIETIホームページ
  4. ^ Howard W. French, "Why This Year's Nobel in Economics Is So Controversial", Foreign Policy October 25, 2024
  5. ^ Acemoglu, Daron. "Essays in Microfoundations of Macroeconomics: Contracts and Economic Performance", 1992, University of London
  6. ^ Acemoglu, Daron, Simon Johnson, and James A. Robinson. (2001) "The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation." American Economic Review, 91 (5): 1369-1401. DOI: 10.1257/aer.91.5.1369
  7. ^ 前出、NobelPrize.org
  8. ^ Eyder Peralta,"In Africa, Colonial-Era Statues Began Coming Down Decades Ago", NPR Website, June 16, 2020
  9. ^ 広野彩子、「MITアセモグル教授の警告 『創造性奪わぬAIの技術開発を』」、「日経ビジネス」2023年6月5日号から要約
  10. ^ https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/library/ethics-guidelines-trustworthy-ai
  11. ^ Daron Acemoglu Delivers AEA Distinguished Lecture at 2023 AEA Conference, January 6,2023.
  12. ^ Acemoglu, Daron. 2023. "Distorted Innovation: Does the Market Get the Direction of Technology Right?" AEA Papers and Proceedings, 113: 1-28. DOI: 10.1257/pandp.20231000
  13. ^ Acemoglu, Daron, and Pascual Restrepo. 2018. "The Race between Man and Machine: Implications of Technology for Growth, Factor Shares, and Employment." American Economic Review, 108 (6): 1488-1542. DOI: 10.1257/aer.20160696

2024年10月30日掲載

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