リサーチインテリジェンス

MITが「見える化」した気候変動問題とシステムダイナミクス

広野 彩子
コンサルティングフェロー

世界の有識者団体ローマクラブの報告書「成長の限界」が、経済活動と人口増が地球のサステナビリティー(持続可能性)にもたらすリスクをシミュレーションで示したのは今から半世紀以上前の1972年である。多くの読者がすでにご存じのように、そのシミュレーションを担ったのが米マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院の研究チームだ。

今はかなり定着した感のあるサステナビリティーという概念と言葉は、MITスローンのチームによるこの一連のシミュレーション研究を端緒として生み出された(*1)。シミュレーション手法「システムダイナミクス」の現在の第一人者は、MITスローン経営大学院のジョン・スターマン教授である。筆者はスターマン教授の展開する最新シミュレーターを体験する機会を得た。

「炭素税、植林、再生エネルギーへの補助金……。気候変動に取り組む選択肢が画面にあります。何をどう動かしますか」。スターマン教授は「EN-ROADS気候解決シミュレーター」の画面を見せながら穏やかに語りかける。

2100年までの気温上昇が「プラス3.3度」と表示される。現状が続いた場合の数値だ。エネルギー源や温暖化ガス排出量などが時系列のグラフで示され、個々の項目を増減させると、それに応じてグラフ全体が動き、最終的な気温上昇の値が変化する。それぞれの施策が引き起こすシステム内の挙動(Behavior)が、瞬時に反映されるのだ。

筆者はまず植林を増やした。気温上昇度合いはあまり変わらない。再生エネルギーの利用を補助金で増やし、森林伐採やメタンガスなどの排出を減らし、ビルと交通機関のエネルギー効率を高め、ビルと交通機関の電動化に補助金を出し、高い炭素税を導入……。ここまで多くの施策を組み合わせてみて、ようやく2100年の気温上昇が「プラス1.7度」まで下がった。

EN-ROADSは政策メニューの組み合わせが気候変動にもたらす効果をゲーム感覚で体験できるので、ぜひ試してほしい
https://en-roads.climateinteractive.org/scenario.html?v=24.1.0)。

システムダイナミクスは「現状理解の精度が高まる」

スターマン教授はシステムダイナミクスについて「私たちが世界に対して抱くイメージ、つまりメンタルモデル(世界観)を改善するためのツール」と説明する。

システムダイナミクスは、身近な、あるいは社会的な問題の中で、どちらかといえば複雑な問題をモデル化することで理解し、状況の行方をシミュレーションで予測する方法論だ(*2)。

システムダイナミクスは数学、物理学、工学で開発されたフィードバックループ(システムの出力が入力に戻ることで再び出力に影響を与えること)や非線形ダイナミズムの理論に基づく。そこに、認知心理学、社会心理学、経済学をはじめとする社会科学の知見も活用する(*3)学際的なアプローチをとる。

システムダイナミクスの重要な概念、フィードバックループには2つある。1つが、出力が増えるとそれが出力を減らすように働き、出力が減るとそれが出力を増やすように働くことで、結果としてシステムを安定させる「負のフィードバック」。もう1つが、出力が増えると出力が増えるように働き、出力が減ると出力も減るよう働くという「増幅効果」を持つ「正のフィードバック」だ。

負のフィードバックは、例えば次のような状況を指す。「人口が増えれば死ぬ人の数も増える。死ぬ人の数が増えれば、人口は減少する。逆に、人口が減れば、死ぬ人の数は減る。死ぬ人の数が減れば、相対的な意味で人口は増加する」。また正のフィードバックの代表的なものには、勝ち馬に乗ろうとする「バンドワゴン効果」が挙げられる(*2)。

システムダイナミクスができるまで

システムダイナミクスは、MIT所属のエンジニアだったジェイ・フォレスター氏が1950年代後半、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の冷蔵庫製造工場に助言した内容がルーツである。注文が絶えないのに不安定な雇用政策を採る経営判断が在庫にもたらす影響を、手書きの図を描きながら見せたのだ。

この図は、各変数を多元微分方程式で表した数理モデルへと落とし込まれ、「産業ダイナミクス」と名付けられた。「システムダイナミクスのモデルはシンプル。因果関係を捉えたシミュレーションで、現状理解の精度が高まる」と、日本システムダイナミクス学会会長の田中伸英学習院大学名誉教授は指摘する。そこには、人間の認知の限界を補完しようとする狙いがある。

認知や計算によって視野が届く限定的な範囲でしか合理的になれないのが人間であり、ハーバート・サイモンはそれを「限定合理性」と呼んだ。シミュレーションを使う立場からすれば、範囲が限定的な人間の視野を改善して、世の中を「見える化」する手法の1つがシステムダイナミクスといえる。

人工物の科学(The Sciences of the Artificial)という切り口からシステム科学を切り開いたサイモンは、フォレスター氏がGEの工場に図を描いて助言した頃に相前後して、限定合理性(Bounded Rationality)の概念と言葉を確立している。サイモンは幼い頃に父の部屋で見かけた、エンジニアがペンと絵の具で描いた大不況時の経済システムのモデルが印象に残り、ケインズ経済学をシミュレートするモデルの構築に興味を持った。

「いったいシミュレーションは、いかにしてわれわれに未知の事柄を教えることができるのだろうか」(*4)。サイモンはそうした問いも踏まえ、1968年にMITに招聘されて記念講演し、新しい知識の源としてのシミュレーションについて語った。きっとフォレスター氏も聴講し、膝を打ったことだろう。

システムダイナミクスはシステム内で起こっている複雑な挙動がもたらす相互作用の帰結を見せるツールで、コンピューターの演算能力がかぎを握る。「成長の限界」が世界で脚光を浴びた70年代当時、システムダイナミクスを活用するには大型コンピューターや専門知識を必要とした。

田中名誉教授によれば、当時の日本でも、システムダイナミクスがにわかに注目され、自治体や大企業の若手らがシミュレーションづくりを競ったという。だが当時、コンピューターを理解し活用できる組織や企業の幹部は限られたことと推察される。実際、日本企業でシステムダイナミクスが大々的に生かされることはなかった。

一方で、システムダイナミクスから生まれた「システム思考」は、広がりを見せた。「成長の限界」の研究メンバー・主執筆者だった、米ハーバード大学出身の化学・生物物理学者ドネラ・メドウズ氏による著書『世界はシステムで動く いま起きていることの本質をつかむ考え方』(英治出版)がベストセラーになったからだ(*5)。本書日本語版に解説を執筆したチェンジエージェント会長の小田理一郎氏は「フォレスター氏の教えを世間にうまく伝えたのが、メドウズの貢献」と解説する。

振り返ればやや時期尚早だったこともあってか、学界での広がりもMIT周辺のみと限定的だったシステムダイナミクスだが、デジタル技術の進歩や新型コロナウイルスをきっかけに、再び注目を集めつつある。

最新のシミュレーターは画面上のアイコンを普通に操作するだけで、あっという間にシミュレーション結果をたたき出すことができる。近年はシステムダイナミクスに、人工知能(AI)分野の機械学習なども取り入れられている。新型コロナウイルスの感染抑止政策やリサイクル物資の流通分析など、公衆衛生やサプライチェーン(供給網)マネジメント、サステナビリティーなどの分野で大いに活用されている。

新型コロナ対応で活用広がる

例えば米スタンフォード大学と米グーグルのソフトウェアエンジニアのチームは、インド政府に協力し、新型コロナ感染シミュレーションにシステムダイナミクスを使った。またシミュレーション画面へのアイコン導入などシステムダイナミクスの社会実装で長年の実績がある米アイシーシステムズ(isee systems、ニューハンプシャー州)の「The COVID-19 Simulator」は、「何もしない」「効果的な検疫」「追加の試験」「封じ込め」といった4つの選択肢から政策を選び、死者数、入院患者数、罹患(りかん)者数などをシミュレーションできる(https://exchange.iseesystems.com/public/isee/covid-19-simulator/index.html#page1)。

さらに、スターマン教授らによる2022年の共同研究は、93カ国で新型コロナウイルスの動きをシミュレーションした。そこでは、感染の波の繰り返しはウイルスの型だけでなく、感染リスクに対する人々の行動から生じるとした(*6)。

リスクが高まると、人々は自己隔離をしたり社会的に距離を置いたり、マスクを着用するなどで対応し、それが感染を減らして命を救った。だが見かけ上の感染リスクが下がると人々は元通りの生活を切望し、予防措置を減らす。国によるその行動反応の違いによって、死亡者数に100倍以上の大きな差が生じていたのだ。

「システムダイナミクスはほとんど何でも分析でき、大きな因果関係が分かる。だが気候変動では、価格や二酸化炭素(CO2)排出量への影響などの精緻な分析は(問題を数式に落とし込み、最適化を図る)オペレーションズ・リサーチや応用経済学と組み合わせる必要がある」とMITスローン経営大学院のマイケル・クスマノ副学長は言う。

MITのMBA課程では必修に

もちろん経営や行政の意思決定にもシステムダイナミクスは生かせる。前述の通り創始者のフォレスター氏はもともとエンジニアだが、1956年にMITの工学部からスローン経営大学院に異動した。そして30~40代の企業管理職に講義した実践的な内容を踏まえ、1961年、著書『Industrial Dynamics』でシステムダイナミクスの方法論をまとめた(*7)。

そのモデルが、米ボストン市や米ニューヨーク市の低所得層向け住宅政策のシミュレーター「都市モデル」に使われ、当時実施していた政策の失敗を的中させた。そのモデルがさらに地上の変化が環境に与える影響を俯瞰(ふかん)するシミュレーター「世界モデル」へと発展し、地球の温暖化問題に強烈な一石を投じたというわけだ。

そもそも、「科学的な経営学」の象徴としてフォレスター氏が経営大学院に移ったのは、元ゼネラルモーターズ(GM)社長、故アルフレッド・スローン氏の意向だった。「ハーバードとは違う、特色あるビジネススクールをつくりたい」との思いで寄付をし、既存のプログラムを改編し、実験的な意味も込めてスローン経営大学院を立ち上げた。

ハーバード流のケースメソッドは、専門家の分析で企業の過去事例やデータを書いた文章を読み、限られた時間と情報の中でどう意思決定するかなどを相互に議論しながら思考実験する。MITは、ハーバードとは違った工学的・科学的なアプローチによる経営者教育を志向したのだ。

「ハーバード経営大学院のケースメソッドは多くの範となった。(中略)だがすべての施策やその関係性を網羅することはできず、似たような状況なのになぜ意思決定の顛末が違った展開になるのかを分析できない」――。フォレスター氏は自伝でこう書いた(*7、仮訳は筆者)。

その理念は今も生きている。MITスローン経営大学院の経営学修士(MBA)課程の学生は、入学後のオリエンテーションでシステムダイナミクスの演習を受講するのが必修だ。同大学院は、経営者には目先の利益を追うのではなく、組織やコミュニティーの内部における出来事や行動の因果関係がもたらす未来を展望する「システム思考」が必要と考えるからだ。

スターマン教授が2007年にMBA課程でサステナビリティー講座を始めた時は2人しか履修生がいなかったが、2023年は100人以上が履修するほどの人気講座に成長している。スターマン教授が経済学者らと主導するサステナビリティーの関連プロジェクトには現在、米ハーバード大学、米スタンフォード大学をはじめ欧州やアジアなどの世界中の名だたる大学が多数参画し、大きな広がりを見せている。

サプライチェーンの複雑化や人の移動に伴うウイルス感染症の広がりなどさまざまな領域で世界システムのリスクが顕在化している。国家、企業、地域などシステムに変化をもたらす因果関係の掌握こそが、複雑なマネジメントを担う組織のリーダーの仕事である。

あなたのメンタルモデルはいかほどか

リーダーは、自分のメンタルモデルを自覚しなければならないだろう。ドネラ・メドウズ氏は「自分の前提のすべてを、他の人たち(そして自分自身)に見えるように、明らかにしなければなりません」と指摘する(*5)。見えていないものは何か。システムダイナミクスは経営者たちの意思決定を助ける、有力なツールとなり得る。

システムダイナミクスにも限界はある。例えば新薬の開発は、最後は治験に頼らなければ副作用を予測することはできない。人体というシステムはまだ多く未解明で、それこそ複雑性の塊だからだ。必要に応じた、補完的なツールの活用が望ましいことは言うまでもない。今後さまざまなシステムの解明が進み予測の情報量と精度が高まれば、システムダイナミクスが活用できる場面もさらに広がるだろう。

参考文献
  • (*1)サステナビリティーが認知されるきっかけとなった文書は、1987年に公表された「Our Common Future(我ら共有の未来)」(ブルントランド報告書)。さらに、92年のリオ・サミットを契機に広まった。
  • (*2)大澤光、『社会システム工学の考え方』、オーム社、2007年
  • (*3)ジョン・D・スターマン、枝廣淳子、小田理一郎訳、『システム思考 複雑な問題の解決技法』、東洋経済新報社、2009年
  • (*4)ハーバート・A・サイモン、稲葉元吉・吉原英樹訳『システムの科学 第3版』、パーソナルメディア、1999年
  • (*5)ドネラ・H・メドウズ、枝廣淳子訳、小田理一郎解説、『世界はシステムで動く いま起きていることの本質をつかむ考え方』、英治出版、2015年
  • (*6)Rahmandad H, Sterman J. 2022. Quantifying the COVID-19 endgame: Is a new normal within reach? System Dynamics Review 38(4): 329–353. https://doi.org/10.1002/sdr.1715.
  • (*7)Jay W. Forrester, “From the Raunch to System Dynamics”, Edited by Arthur G. Bedeian, Management Laureates A Collection of Autobiographical Essays (Volume 1), pp335-370, Routledge, 1992

2024年2月29日掲載

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