2005年7月21日に人民元がドルに対して2.1%切り上げられると同時に、為替レート制度が従来のドルペッグから管理変動制に変更されたが、それ以降も人民元の切り上げ圧力は一向に収まらない。12月2~3日にロンドンで開催された先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の共同声明においても、人民元について、「切り上げ」という言葉を避けながらも、中国を名指しする形で「世界経済と国際金融システム安定に向けて、さらなる柔軟化の実現を期待する」という文言が盛り込まれた。しかし、中国当局は切り上げに対する慎重な姿勢を崩しておらず、切り上げのペースを抑えるために為替市場における大規模な介入を続けている。その一つの理由として、一層の切り上げにより、多くの国有企業が倒産し失業者が増え、また農業も大きな打撃を受けることがよく挙げられている。しかし、為替政策はあくまでもマクロ経済政策の手段であり、無理して個別の部門を保護する手段として使おうとすると、対内、対外の不均衡の拡大など、多くの副作用をもたらしてしまう。
複数の目標が存在するときの経済政策のあり方を考えるときに、ティンバーゲンの定理とマンデルの定理が基本となる(注)。
1)ティンバーゲンの定理:複数の独立した政策目標を達成するためには同じ数の政策手段を必要とする。
2)マンデルの定理:政策の諸手段は、それぞれが最も効果を発揮する政策目標に対して割り当てられるべきである。
一例として、固定為替相場制の下で完全雇用(国内均衡)と国際収支の均衡(対外均衡)を同時に達成するためには、ティンバーゲンの定理に従って、財政政策と金融政策という二つの政策手段を使わなければならない。その中で、マンデルの定理に従って、財政政策は国内均衡、金融政策は対外均衡に、それぞれ割り当てた方が、もっとも効果的である。
現在、中国はマクロ経済の安定と、効率の悪い企業・産業を保護するという二つの政策目標を目指しているが、ティンバーゲンの定理に従えば、為替政策という一つの手段だけでは、両方を同時に達成することはできず、他にもう一つの手段が必要であることになる。また、マンデルの定理に従えば、為替政策はマクロ経済の安定に割り当てるべきであり、所得分配や構造問題の解決は制度改革に求めるべきである。
確かに、中国は深刻な失業問題に直面している。農村部の余剰労働力に加え、国有企業改革でリストラの対象となった都市部の労働者も多い。しかし、これは構造問題であり、需要不足というマクロ経済の変動によってもたらされた問題ではない。また、農業や国有企業は中国が比較優位を持たない部門であるため、市場の競争にさらされると、規模の縮小を余儀なくされることになる。効率の観点から見れば、資金、土地、人材といった資源をこのような効率の悪い企業や産業から、効率の高い部門に移転させていくべきである。これにより、経済全体の効率が向上し、産業構造も高度化していく。産業調整に伴って発生する失業者を救済するためには、為替政策よりも社会保障の充実化や職業訓練への支援といったもっと直接的かつ有効な手段を使うべきである。
そもそも、為替政策が「構造的失業」を解決するための最適な手段であるならば、中国は単に為替レートの切り上げに反対するだけではまだ不十分で、積極的に切り下げを実施すべきであろう。しかし、為替政策はあくまでのマクロ経済を安定化させるための手段であり、無理して雇用創出の手段と使おうとすると、本来の目標を犠牲にしなければならず、それに伴うコストは非常に大きい。
現に、為替レートを低水準に維持しようとする政策は多くの副作用をもたらしている。まず、為替の上昇を抑えるためには、供給過剰となった外貨を介入(人民元を売ってドルを買う)という形で吸い上げなければならない。その結果、金融政策の独立性が大きく制約されている。また、中国の貿易黒字、中でも対米貿易黒字が拡大している中で、諸外国との貿易摩擦が激化している。このような問題を回避しつつ、安定成長を維持していくために、中国はポリシーミックスの発想に基づいて経済政策のあり方を見直さなければならない。
2005年12月7日掲載