中国経済新論:世界の中の中国

人民元切り上げ恐怖症をなくそう

余永定
中国社会科学院世界経済政治研究所 所長

1948年、南京市生まれ。79年中国社会科学院世界経済研究所において、西洋経済学を専攻、86年経済学修士学位を取得。88年からイギリスに留学、 94年オックスフォード大学より博士学位が授与される。その後、帰国し、96年から中国社会科学院世界経済政治研究所国際金融センター主任、1998年よ り同世界経済政治研究所所長を務める。世界金融、中国の経済成長及び中国のマクロ経済論を専攻する。"Macroeconomic Analysis and the Design of Stabilization Policy in China"など、論文、著書も多数発表している。

中国は1994年に管理変動為替制度を導入したが、アジア金融危機の間、やむを得ず実質的なドルペッグ制を実行した。それでも、中国はドルペッグという固定為替制を実行していると自ら宣言したことがない。

固定為替制度を実行することは、為替リスクに伴う経済コストを減少させる一方で、貨幣当局のインフレ対策の信用性を向上させることができる。しかし、名目為替レートを安定的に維持しても、国内外の物価変動が、実質為替レートの変動をもたらす。もし、名目為替レートが一定であれば、実質為替レートの変動は、「均衡為替レートからの乖離」を招き、さらに、国際収支の悪化および通貨危機、あるいは資源配分における効率の低下をもたらしかねない。

逆に、変動為替制の下では、こうした問題を概ね回避することができる。とりわけ、変動為替制は投機的資本移動に対抗する強大な力を持っている。1990年代、アジアで起こった通貨危機がいずれも固定為替制を実行していた国々(その大多数がドルペッグ制)で発生したのに対して、変動為替制を実行する国々にそのような通貨危機が発生したことは一度もない。

固定為替レート、資本の自由移動および独立した通貨政策という三者は、そのうちの二つしか同時に実行することができない。中国は独立した通貨政策を維持しなければならないし、また、すでに資本項目の段階的自由化を選択している。こうした情況の中、中国はいずれ人民元のドルペッグを放棄し、変動為替制を実施することになるだろう。しかし、今後の長い間にわたって、中国は金融システムの不安定性および経済構造と経済体制に関する様々な問題を抱えているため、大幅な為替変動に対応することはできない。従って、現在の時点では、完全に自由な変動為替制度を実行する条件は備わっていない。管理変動制を実行することは、現在におけるベストの選択肢である。

温家宝総理は最近、「人民元の為替レートの安定を維持することは、中国経済と金融の持続的発展だけではなく、周辺国家と地域の経済と金融の安定した発展にも有利である・・・中国が市場の情況に合わせて、単一的かつ管理的な変動為替制度を実行することは、中国の現実の事情に一致している」と指摘した。

こうした指摘は、人民元の為替レートは安定性が維持されることを示唆すると同時に、今後の政策にも一定の余地を与えた。人民元の安定性を基本的に維持することは、人民元為替レートを変えないということではなく、むしろ管理変動制の下で、中心となる為替レートに基づき、一定の幅の中での変動が可能であることを意味している。例えば、ブレトンウッズ会議で定められた固定相場制にしても、各国の為替レートは、上下1%以内の変動が認められていた。中心となる為替レートにしても一定のルールにのっとって、レートの設定と調整を実行することは可能であった。

人民元為替レートの小幅な切り上げが中国経済に与える影響は大きくない

管理変動制は決して完璧ではない。しかし現在の人民元に対する巨大な切り上げ圧力の中、人民元を小幅に切り上げるという管理された変動は、こうした圧力を緩和し、為替変動が経済に与える衝撃を和らげ、そして金融機構と企業に調整する時間を与えることができる。

人々が人民元の切り上げを恐れるのは、主に三つの原因による。第一は貿易黒字が減少し、極端な場合、赤字に転じることで経済成長が失速し、雇用の拡大に不利な影響を与えることである。第二は切り上げが更なる切り上げ期待の形成を促す結果、投機資本の流入が金融安定性に衝撃を与えてしまうことである。第三は、人民元の切り上げによってデフレがさらに悪化することである。以上の論点はいずれも一理あるが、しかし小幅な切り上げを反対する充分な理由にはならない。

まず、小幅な切り上げが貿易に与える影響は大きくない。中国の輸出の大半は輸入コンテンツの高い加工製品である。本国の通貨(人民元)から計算すると、切り上げによってもたらされる材料、原料および中間財価格の低下は、輸出製品価格の下落を相殺することができる。従って、企業の収益性が人民元の小幅な切り上げから深刻な影響を受けることはない。また、中国の輸出製品の価格弾力性は相対的に低く、海外市場における商品の小幅な価格変動は、需要に大きな変化をもたらすことがない。アジア金融危機での経験からも、理論計算の結果からも、切り上げの幅が大きくない場合、中国の貿易が大きな影響を受けないことは示されている。さらに、仮に貿易赤字になっても、これが市場の現状を正確に反映した価格というシグナルによって形成されたのであれば、長期的な観点から、経済成長にとってかえって有益である。

また、中国は切り上げ期待を有効にコントロールすることができる。国外投資家は普通、人民元に20-30%の切り上げ余地があると考えている。中国の国際収支のバランスが逆転しない限り、切り上げを実行しないというあらゆる宣言も信憑性に欠けており、投資家達の切り上げ期待を変えることがない。同様、人民元の小幅の切り上げも、すでに存在していた切り上げ期待を大いに強化させることはない。仮に強烈な切り上げ期待が存在したとしても、中国の通貨当局は依然として投機的な資本流入を抑制する手段を多く持っている。例えば、資本管理をより強化したり、経常項目と関係のない外貨と外貨先物、オプションに対する取引を厳しく制限したり、トービン税(為替取引に対する取引税)を実施することによって短期資本流動の取引コストを高めたり、国内の金利を引き下げて人民元資産の魅力を低下させたり、人民元の一回限りの大幅な切り上げを行い、投資者の切り上げに対する期待を解消したりする、などがある。

さらに、人民元の切り上げは、デフレをさらに悪化させるかどうかは簡単に断言できない。人々は、プラザ合意後の円の切り上げが日本のバブル経済を作り出し、そして後にデフレをもたらした要因と見なしているが、1987年2月にルーブル宮殿での七カ国蔵相会議があったことを忘れがちである。ルーブル会議の目的は、円とマルクの行き過ぎた切り上げを防止することにあった。日本のバブル経済の主要かつ直接的な原因は、円の切り上げにはなく、むしろ日本が拡張的貨幣政策を実行したことにある。1990年代前半の円の切り上げは、むしろ日本バブル経済の崩壊とその後遺症との関連で語られるべきであろう。

人民元の為替レートを維持するためには、中国人民銀行は米国国債及びその他のドル資産を大量に購入し続けざるを得ない。同時に、通貨供給量が急激に拡大しないように、中央銀行は国債によってすばやく増加したベース・マネーを吸い上げるという不胎化政策を行わなければならない。中国人民銀行が購入した海外資産の収益率は、国債など国内資産の収益率を明らかに下回るため、中国人民銀行は大きな損失を負うこととなり、しかもその損失は最終的に財政負担になるだろう。

人民銀行は、売りオペを行うに当たって、保有する国債がすでに不足しているため、現在、自ら証券を発行し、商業銀行に買ってもらう操作をしている。その際、人民銀行は商業銀行に対して、法定のレベルを超えた準備金より収益率と流動性の面においてより有利な条件を提供しなければならない。しかし、それは人民銀行にとって実行不可能であるか、それともそれに伴う損失を引き受けなければならないことを意味している。今のところ、中央銀行の証券がベース・マネーの増加を相殺することは非常にうまくいっているが、世界で長期的に不胎化操作を実行して、本国の通貨体系の正常運営に深刻なマイナス影響を与えなかったという前例はない。

人民元レートを調整する時期が到来した

経済発展は不確実性を常に伴い、最も良いタイミングであったかどうかは、事後になってから初めて判断することができる。管理変動制を前提に、人民元を小幅に切り上げても経済に深刻なマイナス影響を与えることはないと断言できるであろう。われわれは現在が切り上げを実施する最も良い時期であると思う。逆にひたすら待つことで時機を逃す恐れがある。

ある人は、中国の金融システムは非常に脆弱であり、切り上げを行うにはまだ期が熟していないと主張している。確かに中国の金融システムは脆弱であり、人民元の大幅な切り下げは金融危機を招く恐れがある。しかし、人民元の小幅な切り上げは、金融システムに深刻な衝撃を与えることはない。切り上げ期待と圧力が逆に金融改革に有利な条件を与えることになる。

「市場の現状に合わせた単一的で、管理された変動制」の下で、もし人民元が切り上げ圧力に直面した場合、本来、人民元の切り上げが行われるべきである。しかし、切り上げの幅はコントロールされなくてはならない。管理変動制の下、中央銀行が情況に合わせて為替市場に介入することは当然である。操作のレベルから言うと、最も安全な方法は人民元のドルに対する為替レートの変動幅を少し拡大することである。例えば、一ドルあたり8.27人民元という現在のレートを中心に、上下1~3%の変動を容認することである。

そして、経験を重ねるにつれて、変動の幅をさらに拡大させることができる。例えば、変動の幅を中心相場から上下10-15%まで許容する。「正確」な為替レートを確定することは難しいため、現在実行されている為替制度を基礎として、変動の幅を徐々に拡大することは一種慎重な方法であると言える。もし予想外の事態が発生すれば、再びドルペッグ制に戻ることもできる。

人民元の小幅な切り上げは、少なくとも三つの役割を期待できる。

まず、人民元の小幅な切り上げは、責任感を持つ大国として、中国が他の国家の利益を充分に考慮し、また中国が他国との貿易不均衡問題をできるだけ解決しようとするメッセージを世界に送ることになる。すなわち、他国の利益を考慮することが、自らの利益にもつながるのである。

次に、人民元の小幅な切り上げによって、中国の企業と金融機関に対して、今後は為替リスクがますます拡大するため、それに対応する準備を行い、リスク分散の用意を強化しなければならないというメッセージを送ることができる。

さらに、中国の国際収支が悪化する局面を迎え、人民元の切り下げが求められた時点においても、管理変動制の下で、企業と金融機関が強い対応能力を身につけておけば、人民元レートの切り下げ、極端な場合、大幅な切り下げを実行してもその悪影響を限定的なものに留めることができるだろう。比較的柔軟な為替制度の下では、人民元の為替レートを情況にあわせて調整することが可能となり、大幅な切り下げの可能性と必要性もかなり少なくなる。このような情況の下で、人民元の切り下げを実施したとしても、国際世論に批判される理由はもはやないだろう。

2003年9月30日掲載

出所

「消除人民元昇値恐懼症」、『国際経済評論』(2003年9-10月号)、中国社会科学院 世界経済政治研究所。一部省略。
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

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