中国経済新論:実事求是

浮上する中国発の人民元切り上げ賛成論
― 始まったソフトランディングへの模索 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

日米欧各国による人民元の切り上げ要求が高まる中で、中国のマスコミでは、これを中国の経済発展を止めようとする陰謀と見なし、感情論が目立っている。しかし、ここに来て、景気の過熱など、無理に現在のレートを維持することの弊害が顕著になってきていることを受けて、専門家の間では、賛成論を含めて、多様な見解が見られるようになり、当局もより柔軟な姿勢を見せ始めている。

まず、温家宝総理は9月3日、スノー米財務長官と会見した時に、「為替相場の安定を保つことが米中両国の利益になる」というこれまでの公式見解を繰り返しながらも、為替レート変更にも含みを残している。具体的には、市場の需給を基礎とした、一元的に管理された変動為替制度の実施は、中国の実情に見合っているとしたうえで、「経済発展のレベルや国際収支の状況に基づいて、金融改革を進めながら、人民元相場を形成する仕組みを完全なものにしていく」とも表明した。中国がすでに変動為替制度を実施していることや、特に人民元レートの決定メカニズムの調整が必要であるという発言は、まさにドルペッグの維持にはこだわる必要がないことを示唆している。ドルペッグに代わるものとしては、中国人民銀行(中央銀行)の戴根有・貨幣政策司長が7月24日付のフィナンシャル・タイムズ紙のインタビューで「変動幅の拡大は市場の観点から自然の結論であろう」と明言している。

こうした中で、明確に切り上げを支持する意見が学者の間からも聞こえるようになった。中でも、政府から厚い信頼を受けている中国社会科学院世界経済・政治研究所の余永定所長が、同研究所の機関誌『国際経済評論』で発表した「人民元切り上げ恐怖症をなくそう」という論文は注目に値する。余氏は、現在の人民元レートがファンダメンタルズと比べて割安になっているという認識に立って、中国のマスコミで流行している切り上げ反対論を批判している。その要点は次のようにまとめられる。まず、人民元の切り上げは外需を減らし、貿易収支と経済成長(ひいては雇用)へのマイナスの影響が懸念されるが、中国の輸出に占める輸入コンテンツの比率が高いことから、輸出が減速しても、成長率や雇用への影響は限られるであろう。また、切り上げはさらなる切り上げへの期待を一層増幅させるというが、切り上げが行われなければ、投機が収まる保証もない。さらに、切り上げはデフレに拍車をかけると心配する声も聞こえるが、現状ではむしろ人民元の切り上げを阻止するために中央銀行が行った為替市場への介入が過剰流動性をもたらし、インフレ圧力が高まっている。貨幣供給の伸びをコントロールするために、中央銀行が債券を発行するなど「不胎化」政策を行っているが、利払いなどそのコストが非常に高いことも指摘している。

余氏の他にも、切り上げを支持する学者がいる。清華大学の胡祖六教授は、独立した金融政策、資本の自由移動、固定為替レートを同時に達成できないという「国際金融の三位一体説」を根拠に、資本移動が活発化する中で金融政策の有効性を維持するために、現在の実質上のドルペッグを放棄すべきであると主張している(「中国は為替制度の根本的改革が必要である」、清華大学中国経済研究中心『研究動態』、2002年6月9日)。また、為替の安定についても、対ドルのみならず、円やユーロといった主要通貨をも考慮した「実効レート」で考えるべきだという意見がある(国家情報センター経済予測部・陳明星、対外貿易大学国際経済貿易学院助教授・施丹著、「健全かつ安定的な為替政策は中国経済の健康的発展に寄与」『新浪財経』、8月4日)。ドルが円とユーロに対して、下落している現在の局面で、人民元の実効為替レートを安定させることは、直ちに人民元の対ドル切り上げを意味する。中国のマスコミとも、海外のマスコミとも一線を画しているこれらの学者の見解は、むしろ私がこのコラムで貫いてきた主張に近い(注)

中国が妥協の姿勢を見せるようになったことで、今後、人民元切り上げ問題のソフトランディングを目指す動きが活発化すると予想される。政府が外国の圧力に屈するという印象を国民に与えたくないことを考えれば、今後、為替政策の変更を行う際、日米欧のためではなく、中国自身のためであることを国民に説明しなければならない。その理論的根拠はすでに多くの経済学者によって用意されている。このような「元高待望論」は中国では今のところまだ少数派の見解にとどまっているが、政府の意向を反映したマスコミの主流になったときには、人民元の切り上げがもはや間近に迫っているのかもしれない。

2003年9月5日掲載

脚注
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2003年9月5日掲載