中国経済新論:中国経済学

国情研究の第一人者―胡鞍鋼
政府と市場、公平と効率のバランスを模索

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

「一人当たりGDP(購買力平価)を基準にして中国における地域間の所得格差を評価していくと、国土全体を四つの地域、すなわち『四つの世界』に分けることができる。『第一世界』はすなわち世界的に見ても高い所得水準に達している地域で、北京・上海・深センの三大都会を含めた数少ない中心都市である。・・・最後に『第四世界』がある。わが国の国土の大半を占める中西部の貧困地域である。所得水準は世界の低所得国のレベルに相当するが、人口は中国総人口の半分以上である。」

胡鞍鋼

はじめに

胡鞍鋼(Hu An Gang)は中国の経済、政治、社会を総合的に捉える「国情研究」の第一人者である。1953年に遼寧省で生まれ、文化大革命のとき黒竜江省への「上山下郷」(都市部の若者が農村部に移住させられ、生産労働に携わった運動)を経て、1978年に大学統一入試再開の一期生として唐山工学院に入学した。北京科技大学の修士課程を経て、中国科学院自動化研究所に移り、1988年に博士号を取得した。理工系出身の胡鞍鋼だが、1991年に米国エール大学経済学部のポスドクフェローとして留学し、本格的に経済学に取り組むようになった。現在、中国科学院―清華大学国情研究センター主任、清華大学公共管理学院教授を務める。彼の著述する「国情報告」は、政策決定のみならず、国内外にも大きな影響を与えている。文革の貧しい農村生活を体験した胡鞍鋼にとって、祖国の富強に貢献することは夢であったが、現在、国情研究を通じて、彼の夢が叶えられつつある。胡鞍鋼は弱者の利益を代弁し、また強い政府を主張するという「左」の傾向も見られるが、一方で、グローバル化を支持し、国有企業による独占体制を反対するという面においてむしろ「新自由主義者」に近い。

一、文化大革命の洗礼

胡鞍鋼は、1953年に遼寧省の鞍山市で生まれた。鞍山市は、鞍山鉄鋼所を中心とする町で、「鞍鋼」は、これに因んだ名前である。胡鞍鋼は5歳の時に両親の転勤で北京に移り、幸福な少年時代を送った。早熟な少年で、よい家庭環境に恵まれ、学業成績もよく、「人民日報」や「参考消息」を読んで国内外の出来事を知ることができた。胡鞍鋼が小学校を卒業したばかりで中学の統一試験を受ける前の1966年6月、あの嵐のような文化大革命が勃発し、胡鞍鋼は同年代の友人たちと同様に、教育を受ける機会を失った。

胡鞍鋼の中国の国情に対する最初の認識は、書物から得られたのではなく、文化大革命の時、全国に拡がった「上山下郷」運動を源にしている。1969年9月、胡鞍鋼と10万人もの北京の青年は、黒龍江省の生産建設兵団の農業労働者として北の広大な荒地に送り込まれた。当時、胡鞍鋼はまだ16歳で精力旺盛な青春真っ盛りの時期に、その北の荒野で7年を過ごしたのである。

中国は人口大国であるが、人口の大半は農村に居住している。農村を理解することなしに中国を理解することはできない。農村での生活を通じて胡鞍鋼は、中国の数億の農民の生活の艱難辛苦、貧困、文化の立ち遅れを、身をもって体験した。当時、胡鞍鋼は、なぜ中国の広大な農村はいまだに経済的に貧しく、文化的にも立ち遅れているのか、中国はどうすれば貧困と立ち遅れから抜け出すことができるのかについて悩んだ。

1976年10月、胡鞍鋼は華北冶金地質勘探隊に配置換えになった。胡鞍鋼と労働者たちは、常に辺鄙な田舎に派遣され、奥地の山や川、谷を歩いた。労働条件は劣悪であった。現地の家庭に投宿したが、彼らの生活ぶりは貧困ラインを大きく下回っていた。彼らは昔と同じままの農業をしており、それは自然経済の生産活動方式と生活方式のままであった。しかし「文化大革命」を賞賛するスローガンはこうした農村でも随所に見られた。こうした生活経験が胡鞍鋼に、中華民族生存と発展の本当の意味とはなにかを深く考えさせたのである。この体験こそ、胡鞍鋼が中国の貧困と立ち遅れを何とかしたいと考える原動力であり、また中国のこれから歩むべき道を考える際、机上の空論ではなく実際の国情にたって出発できるゆえんである。

知識を渇望することは、人類の最も崇高な要求である。しかし未曾有の「文化大革命」によって、「知識」はもっとも残酷なダメージを受け、胡鞍鋼たちの世代の最も大事な学業の機会も奪われた。ほぼ毎日の過酷な労働の合間を縫って、胡鞍鋼は必死になって本を読んだ。『マルクス選集』、『毛沢東選集』を精読し、歴史や哲学も学んだ。もちろんこっそりと理数系も自習し、新聞のすみで問題を解いた。胡鞍鋼の心に「勉強がしたい」という強烈なる望みが潜んでいた。正規の大学への進学など望むべくもなかったが、せめて「社会という大学」で一生学んでいこうと決心した。

人生の開拓者は、希望やチャンスを待つのではなく、チャンスを自ら掴み、利用するものである。1977年、大学統一入試の再開は、「上山下郷」の世代に希望と平等な競争の機会を与えた。多くの知識青年たちの運命がこの大学入試制度で根本的に変わったのである。当時、胡鞍鋼は中学の卒業証書はもっていたが、実際に受けた教育は小学校程度のものでしかなく、中学・高校の課程は独学であった。しかし、胡鞍鋼は、自らの手で合格を勝ち取るために、何のためらいもなく試験に応募した。

1978年2月末、胡鞍鋼は唐山工学院の合格証書を手にした。これは彼の努力と苦労への酬いであり、学習と実践、探索と思考の新しいきっかけとなった。

二、国情を踏まえた政策研究

胡鞍鋼は大学では理工学を専攻したが、中国科学院の博士課程で国情研究に出会った。当初は人口の増加と資源の制約という矛盾に焦点を当てたが、1989年に起きた天安門事件をきっかけに、「長治久安」(安定成長が持続される状態)を実現するための制度建設を追い求めるようになった。

1)人口増と資源制約の矛盾という中国の国情

胡鞍鋼が初めて国情研究に加わったのは、彼が中国科学院自動化研究所の博士課程に在席した1980年代の半ば頃であった。当時の中国は改革開放の波に乗って経済発展が急ピッチに進んでおり、彼はこの時代の変化に強烈にひきつけられ、1986年に、胡鞍鋼は中国科学院国情分析研究グループに参加し、中国の現代化を阻む最大の要素である人口問題を博士論文のテーマとしながら、同時にそれを中国の国情研究の入り口ともした。

1988年の夏、胡鞍鋼は「人口と発展」をテーマに博士論文を完成させた。この論文で彼はゲーム理論、経済学、人口学とシステム工学など多くの理論や方法を用いて、人口と就業、消費、都市化、資源環境、経済成長との関係をも考察した。現代中国の人口の構造と、人口増加の長期的なすう勢を踏まえて、厳格に人口抑制を行うと同時に、人材開発を重要視し、国民の文化的素質を高めなければならないと提案した。

1988年末、胡鞍鋼が代表執筆者を務めた中国科学院の国情分析研究グループは、第1号となる国情報告「生存と発展」を完成させた。このレポートは中国が現代化の過程において直面する長期的かつ無視できない四大制約要素、すなわち、(1)雇用機会の創出が人口の継続的な膨張に追いつけないこと、(2)食糧や資源の制約が顕在化すること、(3)自然生態環境が悪化し、環境汚染が急速に進むこと、(4)食糧需給が逼迫し、増産が追いつかないこと、について体系的に分析した。急速な経済発展を目指すという指導思想に対し、報告は、中国の国情によって生じた制約要素により、中国の現代化は常に、構造調整を進めながら量的拡大を目指すという、漸進的かつ長期的な過程になると予想した。

報告はさらに長期的な視野に立って提案した。それは、中国の現代化の道は、西洋の伝統的な現代化の発展モデルを踏襲することはできず、中国独自の道を歩むしかないという見解である。つまり中国の国情に基づき、新しい長期的な発展モデルを探し、中国独自の生産力発展のモデルを探すのである。最後に、報告は中国の長期的な発展戦略が、すべての民族の生存の条件と生存の空間を保証し、現世代の人々の需要を満たしながら、次世代の人々の生存の基礎や発展能力を破壊したり障害となったりせず、人類と自然の間の調和を促進するものでなければならないとした。

2)「長治久安」のための政策研究

1989年、世界を震撼させた「天安門事件」をきっかけに、胡鞍鋼は中国が如何に「長治久安」を実現するかという研究テーマに強い関心を持つようになった。この問題への最初の回答は、『中国:21世紀に向けて』(中国語原題『中国:走向21世紀』、中国環境科学出版社、1991年)にまとめられている。十数億の人口を抱える大国で改革を行うことは世界で最も大規模な実験であり、下手をすれば、重大な失敗につながってしまうことを胡鞍鋼は早くから察知していた。そして、現代化を遂げるためには、国の安定を保ちながら、改革を漸進的に進め、発展を持続していくしかないと胡鞍鋼は結論付けた。

当時、胡鞍鋼は、90年代における中国の発展について3つのシナリオを想定した。第一のシナリオは、経済が成長し続け、社会が安定を維持し、政治が絶えず発展する希望と夢に満ちた、将来が約束された中国。第二のシナリオは、国がひどく乱れ、経済が衰退し、混乱ないし長期的に分裂した、希望も将来もない中国。第三のシナリオは、上述した二者の間に位置する中国である。国が統一された状況を保ちながらも、共産党の統治能力は低下し、景気変動が激しく、政治制度の発展が遅い中で、さまざまな社会矛盾がお互い衝突し、動乱がしばしば発生する情勢不安な中国である。胡鞍鋼は、第一のシナリオを実現するにはかなり難しく、第二のシナリオに陥る可能性も完全に排除することができないため、第三のシナリオとなる可能性が最も大きいと予想した。しかし、その後の中国は、改革、発展と安定の関係を比較的上手く処理し、理想的なシナリオである一番目に近い発展ぶりを見せた。

1991年、胡鞍鋼はエール大学のポスドクフェローとして渡米した。これを機に彼は中国の長期的発展と安定という問題についてさらに研究を深め、同時に、外から中国を客観的に観察する機会を得た。

1993年、胡鞍鋼は『中国国家能力報告』(王紹光との共著、中国語原題『中国国家能力報告』、遼寧人民出版社)を執筆した。当時の国際環境には、ソ連の解体、東欧の激変、アメリカの中国への制裁など、中国にとって不利な要因が含まれていた。その一方で、中国国内では、行政の分権化改革で財政能力が低下し、マクロ経済が再び過熱化し、バブル現象が現れていた。中央政府によるマクロ経済への調節が急務となっていったが、マクロ調節を行おうとする中央政府と、それに歯止めをかけようとする地方政府との矛盾はより顕著となっていた。そこで胡鞍鋼は「安くして危うきを忘れず、存して亡ぶを忘れず、治まりては乱るるを忘れず」(『易経』)という精神の下、ソ連とユーゴスラビアの解体の教訓に鑑み、「長治久安」を国の目標とし、それまでの分権化政策を改めて、現代的な分税制度の構築によって、中央と地方との関係を規範化することを提案した。

1995年になると、ポスト鄧小平時代の中国の政治が安定性を保つことができるかどうか、リーダー世代の平穏な交替を実現できるかどうか、中国は内部からの重大な挑戦を正確に認識し適切に対応できるかどうか、といった問題が国内外から注目された。胡鞍鋼は毛沢東の「十大関係を論じる」(1956年4月25日に中共中央政治局拡大会議におけるスピーチ)を勉強し、中国発展の経験を総括し、経済転換期の十大関係をまとめた(表1)。同時に、中国の政治、社会、経済の安定に影響する要因にも注目した。制度の構築は現代国家における最も重要な基本建設であり、経済成長をもたらす基本建設よりも重要であると胡鞍鋼は主張した。同じ時期に、胡鞍鋼は著書『中国における地域格差に関する報告』(王紹光、康暁光との共著、中国語原題『中国地区差距報告』、遼寧人民出版社、1995年)において、地域発展の格差を優先的に解決すべきであるという提案を行った。

表1 1950年代と1990年代の「十大関係」の比較
表1 1950年代と1990年代の「十大関係」の比較
(出所)胡鞍鋼、『胡鞍鋼集-21世紀に向けての十大関係』(中国語原題『胡鞍鋼集-中国走向21世紀的十大関係』、黒龍江教育出版社、1995年)

胡鞍鋼は、その中でも、地域格差を是正するためには公平かつ競争的な市場環境を構築し、一部の地区のみが享受している各種の税制優遇政策といった特権を廃止しなければならないと強調した。「公平な競争は現代市場経済制度の基本原則の一つである。市場競争規則の制定者と監督者である中央政府が、自ら規則を破り、一部の地区に優遇政策または独占的地位を与えるべきではない。中華人民共和国の国境内では統一した税制を施行すべきであり、地方政府が中央税収を減免する権利、法律と制度が規定する以外の経済特権を持ってはならない。また、経済特区でも経済特権を享有したり、保留したりしてはならず、今後は如何なる特区、開発区も新たに許可すべきではない」と主張した。この「特区不特」(特区に特別な扱いをしない)という主張を巡って胡鞍鋼と深セン市政府の指導者との間で大論争が繰り広げられた。

1999年に胡鞍鋼は『中国の発展の未来』(中国語原題『中国発展前景』、浙江人民出版社)という著書を出版し、当時の不安定な社会情勢を次のようにまとめた。「中国は構造調整期に入り、それまでなかった失業問題がこれまでになく深刻化する。都市部住民間や、都市部と農村部住民、地域の間の所得格差が益々拡大し、環境破壊問題が深刻化する。汚職腐敗問題が蔓延し、社会における不安定要素が増加する」。また、胡鞍鋼は中国の改革の目標は競争的な市場環境を整えることだけでなく、公平な社会を作り上げることであると主張した。さらに、21世紀の初期に、中国は、強国、富民、民主、安定の四大目標を目指すべきであるという提案をした。

より体系的に国情研究に取り組むために、1999年に胡鞍鋼は中国科学院国情研究センターを立ち上げ、同じ年に清華大学と共に中国科学院―清華大学国情研究センターを設立した。国の重要な戦略課題を研究する同センターは、短期間で国内外で重要な影響力を持つシンクタンクに発展してきた。

三、政治・経済・社会に関する主張

胡鞍鋼は、自分の研究を「国情研究」と位置づけているように、その範囲は、経済の分野にとどまらず、政治や社会の分野にも及んでいる。中国の国情を踏まえて、「長治久安」を実現するために、胡鞍鋼は次のように提案している(『中国の発展の未来』(中国語原題『中国発展前景』)、浙江人民出版社、1999年)。

1)政治改革

(1)市場システムにおける政府の指導的役割

市場経済は優れた資源配分システムであるが、決して万能ではない。市場経済においても国家による介入は、経済発展の前提条件である。市場メカニズムは市場経済において国家の果たす役割(例として公共投資の実施、産業政策の制定、富と所得分配の調整およびマクロ経済の安定化など)を代行することはできない。そのため、国家の財政体質を強化して、国家による市場経済への介入を強化すべきである。ただし、介入の方法は改善すべきである。競争的生産・投資領域への政府の直接参入は減少させ、公共財と公共サービス、社会保障を強化するための政府の能力は向上させるべきである。

(2)中央・地方間における集権と分権

人口が多く国土が広い上、地域格差が大きい中国では中央集権と地方分権の混合体制を取り入れるしかない。中央と地方との関係性の原則は「統一性と多様性の結合」である。統一性とは、中央政府の政策と役割をさす。「経済のマクロコントロールの実行」、「均一な金融政策の制定と実施」などは、中央政府の統一指導が必要である。多様性とは、各地方政府の役割の多様性を指す。これは、国家の法律法令に抵触しない限り、各地方政府はそれぞれの地方の法律や行政法令を制定する権限をもつこと、中央政府は地方政府の活動に勝手に干渉してはならないことによって保障されなければならない。また、「地区政府」(省と県の間に位置する)を廃止するなど、地方行政システムの改革も必要となる。さらに、経済特区への優遇政策も取り消し、各地域が平等に扱われることも必要である。

(3)中央政府各機構間関係における権力の分散と集中

権力は制約を受けなければならない。憲法では、全国人民代表大会(全人代)および常務委員会は、国務院と互いの権限を制約する関係にある。全人代とその常務委員会は国務院の権力行使を制約し、国務院は権限の一部(公共政策の決定権など)を全人代とその常務委員会に返上すべきである。そして国務院も総理責任制の下、行政府としての権限を十分に行使する必要がある。国家安全委員会の設立も必要である。同委員会は国家の安全・国益上の危機に際しては各部門の行動を調節し、危機管理にあたらなければならない。

(4)意思決定の科学化・民主化と透明化

政策決定のプロセスの科学化・民主化・透明化と専門化が求められる。具体的には、政策ブレーンの形成や顧問委員会の設置、政府政策研究機構の改革、民間独立政策分析機構の設立、そのネットワーク作りなどが挙げられる。国家機密や安全に関わらない公共政策の制定あるいは修正のプロセスにおいては、公開討論、論争を行う。そうでない事件や問題(自然災害・失業問題・重大事件など)は、メディアが迅速に報道し、国民に知らせることで、国民の利益と要求を代弁しなければならない。

(5)軍隊による商業活動の厳禁と軍隊改革の促進

軍隊は国家財政によって諸費用を賄われるべきである。営利目的の経済活動を禁じ、駐屯地区からの寄付や生活援助を受けることは自粛すべきである。その代わり、国家予算の軍備費をGDPの2%まで引き上げる。任務の範囲も限定し、非軍事面での支出負担を減らす。軍による災害救援に対して、財政面で支援すべきである。

2)経済改革

(1)経済成長一辺倒から人間的発展へ

発展とは単にGDPの成長だけではない。人間的発展を中心とする社会全体の発展が望まれる。そのためには、まず、教育を受ける機会、社会保障を享受する機会、就業機会など、国民の発展の機会を増やさなければならない。また、教育などによって高められる競争力、所得水準をあげる能力、民主的参与能力など、人間としての自己発展能力を高めなければならない。さらに、国民の生活の質を向上させなければならない。これは経済成長と必ずしも一致しない。経済成長率が上がっても、在庫だけが増大し収益性が低下して企業が赤字に陥るなら意味はない。水増しのない、明確な経済効果を生み出す成長でなくてはならない。

(2)大国としての優勢を活用して国内需要を拡大せよ

中国が高成長を持続させていくためには、内需拡大が不可欠だが、それには5つの面がある。まず、第三次産業あるいはサービス業に対する需要拡大である。第三次産業の市場を開放すれば巨大な市場需要を生み出す。さらに金融保険業・交通運送業・通信業・貿易などの分野の開放と産業化を進める。雇用拡大への貢献度も高く外資の求心力も大きい。第二に、インフラ建設の規模拡大による内需拡大である。今後10年間は中国がインフラ施設の建設に力をいれる時期である。労働集約型建設方式の採用による就業機会の創出は重要な意味をもつ。第三に、都市化プロセスの加速化である。都市基盤整備に伴うインフラと住宅建設は投資と需要を呼ぶ。このために政府は農民の都市部流入制限を緩和すべきである。第四に、農村の経済社会的発展の促進である。農村の産業化で農民の所得水準を向上させる。最後に、環境保護関連プロジェクトの展開である。植林や水利事業、砂漠化対策などの環境保護と国土整備事業により農村剰余労働力などを吸収する。

(3)就業機会の創出こそ、当面の最優先発展目標

就業機会創出のために、労働集約型の産業・小規模企業を発展させる。いわば「少量資本・大量労働」の産業化路線こそ、労働力吸収の主力となるためである。また、こうした労働集約型製品の輸出貿易を拡大させ、付加価値を高めることも重要である。労務輸出による国際労働市場への進出も就業機会創出策の一つとなる。失業対策として非正規就業の拡大も必要である。非国有経済を発展させ、国有企業から非国有企業への人員移動を奨励する。さらに自営業・パートタイム就業など多様化した就業形態の発展も就業機会創出の重要領域である。

(4)貿易自由化・投資自由化戦略の展開

労働力以外の国内資源が不足している中国では、貿易と投資の自由化を加速すると同時に、金融の自由化と資本市場の自由化を慎重に推進すべきである。貿易では、資源集約型の食糧やエネルギー資源などを輸入し、野菜や石炭などの労働集約型の産品や埋蔵量豊富な鉱産資源を輸出する。また、名目関税率を引き下げ、関税の壁を取り除いていき、貿易自由化を加速させる。そして海外企業に対する制約を取り消して国内市場をいっそう開放していく。中国進出の外資には差別も優遇もしない「国民待遇」を与えるのである。そして国内企業も積極的に海外進出し、海外で石油などの資源を開発したり建設プロジェクトを受注したりして、国内からの労務輸出の拡大にも努力すべきである。

(5)より質の高い持続可能な消費モデルの提唱

「一部の人が先に豊かになる」という政策から、全国民の最低必要消費を保障する政策へと転換を行わなければならない。また、持続可能の視点に基づく、未来志向の消費モデルを提唱し、資源とエネルギーの利用率を向上させ、環境の保全に努めるべきである。政府はさらに生産者保護の立場から、消費者保護への立場へとその政策を傾斜すべきである。商品とサービス、安全に関する情報を提供し、競争を促すことで消費者がより高品質なサービスと商品を享受できるように市場の環境整備を行うのも、政府の担う役割である。

3)社会政策

(1)公平さを優先する社会政策の原則

社会政策の面では「効率性に配慮しながらの公平性優先原則」を主張する。つまり、経済では成長を促進するために、「公平性に配慮しながらの効率性優先」であっても、公共サービスなど社会政策では「効率性に配慮しながらの公平性優先」を貫くべきである。改革は、効率目標達成のためだけの改革ではない。失業者・貧困人口などの弱者に最大の利益をもたらす案を選ぶべきである。効率性と公平性は互いに排斥しあうものではない。社会主義体制下では経済的効率と社会的公平は両立できるはずである。市場メカニズムを利用して生産力を解放し、経済を発展させる一方で、公平の原則に基づいて、すべての国民に豊かさをもたらすのである。

(2)「利国利民」の社会保障制度の確立

中国では米国のような正式な社会保障はいまだに成立していない。一時帰休者や失業者は失業保険もなく、公民はリスクに直面しながら生活している。したがって中国の国情に即した社会保障システムの確立(社会保障・失業保険・医療保険・個人住宅ローン・生命保険などの制度)が急務である。こうした弱者に基本的生活保障を提供できる制度が確立してこそ、社会の安定と安全は保たれる。

(3)全国民を対象に公共サービスを平準化

国民が国民の権利(就業・教育・医療を受ける権利など)を行使するためには、全国統一の公共サービスの最低基準を制定すること、および基本公共サービスの平準化を図ることが必要である。その際、社会公平はもちろんのこと、人的資本の開発と経済効率の向上をも配慮しなければならない。

(4)機会平等性の提唱と貧困人口の救済

総人口に占める貧困人口の割合は10%以下に低下したが、その絶対数はいまだに膨大で、貧困救済のためには、国家財政と多くの社会的資源を動員した集中支援が必要である。また貧困救済には3つの政策転換が必要である。まず、道義的貧困救済から、制度化された貧困救済への転換である。第二に、「布施型」貧困救済から開発型の貧困救済への転換である。第三に、貧困救済・支援の対象を貧困地区から貧困人口へシフトすることである。特に第三では、国家による貧困救済の対象となるのは貧困地区の政府ではなく、貧困人口(貧困世帯が多数を占める「自然村」=行政区画で指定された村ではなく自然にできた村のこと)が対象となることを強調すべきである。

このように、胡鞍鋼は、効率を向上させるためには、市場競争が必要である一方で、公平の問題を解決するためには、政府の役割が欠かせないと主張している。このスタンスは、自由主義者とも、新左派とも一線を画しており、中国が目指すべき「第三の道」を示している。

2006年10月27日掲載

文献
  • 胡鞍鋼、『胡鞍鋼集-21世紀に向けての十大関係』(中国語原題『胡鞍鋼集-中国走向21世紀的十大関係』、黒龍江教育出版社、1995年)
  • 胡鞍鋼、胡聯合、『移行と安定』(中国語原題『転型与穏定』、人民出版社、2005年)
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2006年10月27日掲載