中国経済新論:中国の経済改革

第二代の改革戦略(前編)
― 国家の制度建設を積極的に推進せよ ―

王紹光
国家長期戦略研究グループ

1954年重慶市武漢生まれ。1982年北京大学法学部卒業後渡米、1984年米国カーネル大学政治学修士、1990年同大学政治学博士取得。1990年から2000年までイエール大学政治学部にて教鞭を執る。現在、香港中文大学政治行政学部教授を務める。Failure of Charisma: The Cultural Revolution in Wuhan (Oxford University Press、1995年)、The Chinese Economy in Crisis: State Capacity and Tax Reform (Studies on Contemporary China) (胡鞍鋼との共著、M E Sharpe Inc、2001年)、『多元と統一:第三セクターの国際比較研究』(浙江人民出版社、1999年)など、著書多数。

胡鞍鋼
国家長期戦略研究グループ

1953年遼寧省生まれ。1979年から88年にかけて唐山工学院、北京科技大学、中国科学院自動化研究所より工学学士、修士、博士を取得。1991年米国イエール大学経済学部のポスドクフェローとして勤務。現在、中国科学院主任、清華大学国情研究センター主任、清華大学公共管理学院教授を務める。胡鞍鋼氏は中国国情研究の専門家であり、彼の著述する国情分析の論文は、政策決定のみならず、国内外にも大きな影響を与える。近著に『かくて中国はアメリカを追い抜く』(PHP研究所、2003年)がある。

周建明
国家長期戦略研究グループ

上海社会科学院アジア太平洋研究所所長

中国の改革開放は世界における最も重要かつ重大な歴史的事件の一つであるだけに、当然のことながら中国の研究者たちの注目を集めている。われわれは現在も進行中の改革開放をいかに歴史の観点から正確に評価すべきなのだろうか。また、われわれが直面している重大な挑戦とその結果をいかに冷静かつ客観的に分析すべきなのだろうか。この論文では長期的視点に立ち、いかに中国を持続的に発展させながら、社会と政治の安定を維持するのかについて考えたい。

一、改革開放の歴史評価:「千年に一度の大変革」

1978年末に開催された中国共産党第十一期三中全会は大きな歴史的変革の始まりとなった。大会では第一代の改革開放路線への転換が初めて打ち出され、共産党の任務の重心は社会主義による経済の現代化へと移ることになった。ここでは決定された対内改革と対外開放という方針は、中国の長期発展と社会変化に全面的かつ深い影響を及ぼすことになった。政策転換の結果、わずか一世代という時間で、五千年にわたる歴史を持つ文明を誇ってきた中華民族は、「千年に一度の大変革」を経験することになった。

改革開放によって、中国は世界からも注目されるような歴史的な業績を達成した。その成果の端的な例としては、国民経済が二十数年間にわたって未曾有の高度成長を遂げてきた。歴史上、人類の経済発展において、十数億の人口を抱える巨大な経済体が、これほど短い時間で、これほどの速度で経済成長を実現した先例は一度もない。これが中国において「千年に一度の大変革」と呼ばれるものの経済的な特徴であり、そう呼ばれる原因でもある。グローバルな角度から中国改革開放の成果を評価するとき、この変革は19世紀、20世紀における「アメリカの奇跡」、20世紀の日本、そしてNIEsによる「東アジアの奇跡」と比べても、より大きな成果を獲得し、より多くの人口にその恩恵をもたらし、そしてより深遠な影響と人類に対する大きな貢献を与えたと言っても過言ではないだろう。

また、今の中国における社会変動は、どの地域の歴史にもいまだかつて見られたことのなかった大規模な人口流動を伴っている。推定によると、西暦1000年から1890年までの中国での都市部人口の割合は3.0%-4.4%であり、1950年の時点においても、11.2%に過ぎなかった。しかし、1978年に都市人口の割合は17.9%となり、2001年には37.7%に達した。その間、全人口は3億人増加したが、都市部の人口は3億人増加の4.8億人に達し、増加分のうち、約2億は地方からの人口移動によるものである。

さらに、中国社会が外に向かって開放された度合いや世界との融合のレベルもこれまでの歴史上では見られなかったほどに高まっている。これが中国における「千年に一度の大変革」の外部的な特徴であり、変革をもたらした要因の一つでもある。中国が経験してきた歴史上でも、内部改革は幾度となく行われてきたが、今度の改革には対外開放が含まれたため、最も大きな改革となった。現在、中国は真の意味での大国としての役割を演じ、世界諸国と連動しながら、世界の発展に大きな影響を与えている。中国はすでに世界第六位の貿易国家となり、商品輸出額は世界全体の4%を超えている。ちなみに1870年は2%以下、1950年が1%以下、1978年には1%に過ぎなかった。1980年代、中国が世界全体のGDP(PPP、1990年のドルベース)の増加への寄与率は全体の15.1%、世界全体の商品輸出の増加額(ドルベース)への寄与率は2.9%であったが、90年代にはそれぞれ26.5%と6.5%まで拡大した。

市場経済指向の改革開放と経済発展は人々の生活水準だけではなく、中国の総合的な国力も明らかに向上させている。中国とアメリカとの間の国力での相対格差は1980年の5倍から現在(1998年)の3倍まで縮小した。現在の良好な発展の勢いを継続させられた場合、2020年には、中国はいよいよ最盛期を迎えることになる。その場合、中国は世界で最も大きな経済力と貿易量を誇る国家となるだけではなく、世界で最も総合国力の高い国の一つになろう。このことは、国家の統一と中華民族の大きな繁栄を実現するための強固な物質的基盤を与えてくれるのである。

二、千年に一度の大変革がもたらした空前の重大な挑戦

しかし、市場メカニズムは経済成長と経済発展を加速させ、社会変動と社会分化をも加速させている。その魔性に満ちた力はかつてないほどに大きく、中国社会のあらゆるものを変化させている。その最も重要な変化は、数量、性質、特徴だけではなく、人と人との相互関係にも現れており、中国全体の経済と社会の基礎となる部分が改革開放以前に比べて、実質的な変化を遂げているのである。具体的には以下のような変化を挙げることができる。

1)利益主体の数の激増:伝統的な大家族から現代的な核家族へ家族形態が変化した結果、世帯数が急増した。また、国有企業および集団企業の体制転換と譲渡、個人、民間経済の振興、さらに香港・マカオ・台湾および外資の参入によって企業数が激増した。

2)利益主体の多元化:計画経済・公有経済一色の状態が打破された後、各種の経済主体は規模、資金源、経営領域、活動範囲に関して様々な形態を見せるようになった。人々の就職形態と収入源も多元化と弾力化という方向へと変化した。経済の多元化は直接な結果として社会多元化をもたらした。従来の二つの階級(労働者と農民)と一つの階層(知識分子)から、現在の政治資源、組織資源、経済資源、文化資源の所有と職業の違いによって、概ね10つの階層に分けられるようになった。

3)各主体の利益意識の増強:市場経済には内在的なインセンティブ・メカニズムが存在する。すなわち、個人と経済主体による自らの利益最大化の追及である。市場によって、各種の経済社会の単位が自己利益の最大化を求める主体へと変貌した結果、従来、それらの間に存在していた様々な倫理関係が切断されるようになった。

4)人口流動の空前の増大:市場が様々な行政による規制の破壊を促し、県、省の境だけではなく、国境まで乗り越え、商品、資本、情報および労働力の流動範囲を拡大させ、流動速度を向上させている。その結果、世界で最も規模が大きく、そして最も長い時間にわたる人口流動と移住が起こっている。

5)経済社会における各種リスクの増大:計画経済の時代には、個人の自由は制限されていたが、一方で最低限の安全が保障されていた。市場は個人および経済主体の選択の自由を拡大させたが、自由を獲得した代価として、失業、病気の療養治療、老後の生活など様々なリスクを独自に負担せざるを得なくなった。この意味から言うと、市場経済では、一部の幸運者、強者にとっては天国であるが、逆に一部の不運者、弱者にとっては地獄であると言うことになる。

6)外国からの影響の増大と情報源の多元化:開放に伴って、中国は対外貿易および外資に対する依存度を次第に高めている。さらに人員の往来と通信手段の革命によって、われわれが望んでいない情報や偽情報も含めた各種の情報は、かつてないほどの速度と自由度で国境を越えて流動している。従って、人々は生活様式から価値観に至るまで外部からの強い影響を受けるようになった。国際的な要素が国内経済、社会及び政治に与える影響はますます大きくなっている。

7)深刻化する情報の偏在:市場経済はすなわち情報社会である。情報を確保できたものが市場におけるチャンスをうまく掴むことができる。しかし、消費者に比べると、生産者や販売者(例えば、偽者を売るもの)の方が商品についての情報をよく理解している。すなわち、情報の非対称性が存在している。これは病人より医者の方が、どのような治療法が最も安くかつ有効であるかを、よく知っているのと同じことである。

8)深刻化する権力の偏在:政府や官僚だけではなく、経済社会においては、より多くの資源を占有する個人や主体も権力を持っている。従って、市場経済は決して自由人の間の平等な取引が行われることを意味するものではない。同じ値段で交換を行う場合でも、その実質的な関係は不平等なものである。資本を使って労働者を雇う制度を見た場合、労働力の供給が無限であるという条件のもとでは、資本を持つものが強者となる。実際、資本を持つ側は労働者に対して非常に大きな権力を持っている。

9)所得配分の労働以外の生産要素への傾斜:計画経済の時代には、所得配分は行政命令によって決定された。市場経済の場合、収入はいわゆる「生産要素」(労働、土地、資本、知識など)の寄与度に基づいて分配される。労働投入に基づいて分配するのに比べると、土地、資本および知識などの要素の収入が高くなる。

10)権力関係の資本所有者への傾斜:ひたすら経済成長を追求する状況において、市場経済メカニズムは多くの場合、労働によって資本を雇用あるいは制約するよりも、むしろ資本を持つ側が労働を雇用あるいは支配することを指向している。労働力が無限に供給される場合、労働者の人数は多いにもかかわらず、資本を持つ側と平等に交渉する立場を獲得することは非常に難しい。政治権力が経済成長を優先させるため、資本を持つ側に偏った政策を採ったり、資本と結託したりする。その結果、資本所有者の賄賂行為による経済腐敗や政治腐敗という現象が大量に発生してしまうことになる。市場における新しい権力者の前では、政治権力はもはや独占的な地位を維持することができなくなり、逆に後退するようにも見えてしまう。現に、各レベルの政府が「企業誘致」に、また、官僚たちが蓄財に励み、資本がもはや政治権力を凌ぐ勢いを見せている。

このような歴史的変化は、現在の中国に三つの問題をもたらした。第一は、かなり多くの人々が激変する社会に適応できず、困惑し、かつ混乱した状態に陥っていることである。

第二の問題は、経済社会の構造が激変した結果、従来の中国における国家モデルが多くの場合に有効性を失ってしまったことである。大きく変動した経済基盤と、一方で変化の非常に遅い上部構造との間に生まれた深刻な乖離、不協調、そして不都合が、各種の普遍的な、場合によっては暴発をもたらしかねない社会問題の根元となってしまっている。例えば、官僚の無能、汚職腐敗の氾濫、雇用問題の悪化、市場秩序の混乱、偽物の販売などといった問題はいくら禁止し、幾度となく取締りを行っても絶えることがなく、また管理体制が機能していないため、悪性の事故が頻繁に発生し、環境破壊や生態系の危機もその深刻さを増している。

第三の問題は、各種の市場的、政府的、社会的な力関係が、中国をますます「不均衡」と「断絶」の社会に向かわせていることである。これは統一的、安定的、かつ繁栄する民主的な中国を実現する上で、影に潜む最も危険な禍の源である。具体的には、以下のような不均衡と断絶が既に見られる。

1)都市部と農村部との間に見られる不均衡と断絶:他の第三世界国家と同様、中国も伝統と現代が断絶した二元的な経済社会である。しかし、世界全体で見ても、都市部と農村部との格差が中国ほど大きな国はどこにもない。改革初期、都市部の人々の間では収入格差が一旦縮小し、多くの貧しい農民たちは中国の改革による利益を受ける主要な階層であった。しかし1984年以降、都市部と農村部のギャップは拡大し始めた。2001年には建国以来最高の水準に達しており、しかも今後も拡大を続ける趨勢を見せている。現在、北京、上海、深センなどにおいては巨額の投資が投入され、一流の国際都市が築き上げられているが、その一方で多くの農村部地域は凋落の一途を辿っている。その格差は驚きを抑えきれないほどに大きい。さらに、従来の都市部と農村部との格差が行政によって作り出されたものであったにしても、かつては両者の間にはまだ何かしらのつながりが存在していた。しかし、現在は、都市部と農村部の間での流動を妨げていた行政による障害が次第に除去されつつあるが、それと同時に市場の力が両者のつながりを切断しかねない状況となっている。例えば、国際市場から都市部に輸入された食品やその他の生産原料が多くの場合、国内の農村と比べて品質が高く、価格も安いことが両者の断絶を促しているのである。

2)東西地域間の不均衡と断絶:中国のような大国においては、地域格差が存在していること自体は決して不思議ではない。しかし、世界のあらゆる国と比べても、中国における地域格差はあまりにも際だっている。現在、われわれが直面しているのは、「一つの中国、四つの世界」であると言っても過言ではない。すなわち、中華人民共和国という「一つの中国」に、北京、上海といった第一の世界、広東、江蘇、浙江といった第二の世界、そして広々した中部の省に代表される第三の世界、さらに貴州、チベットなどの中西部の省に代表される第四の世界が同時に存在しているのである。こうした四つの「世界」の間では、一人あたり収入、消費の水準、教育の水準、健康状態といった面において大きな格差が存在している。しかも沿海部の各省は内陸部に比べて国際市場とのつながりがはるかに緊密である。

3)階級、階層間の不均衡と断絶:1978年から90年代半ばまでの中国の改革開放が、ほとんどの人々に利益をもたらしたが、その後の発展の趨勢は全く趣を変えた「一人勝ちのゲーム」になってしまっている。都市部の中においても、各地域の内部においても、階層および階級の格差は急速に拡大している。ごく一部の人々が豪華極まりない世界を満悦している一方で、多くの農民達は貧困から脱出できず、また、都市部でもかなり多くの人々が失業によって貧困に陥っている。富裕層は、合法あるいは非合法的な手段で生産手段の所有権と支配権を獲得した特殊集団によって構成されている。知識人や文化的なエリート層も、市場活動を行う際の「所得」の多さや政府からの財政支出による分配を通じて、全体でみると平均的な国民に比べて、かなり高い利得を得ている。また、共産党幹部や官僚の多くが市場経済における利益集団と結托して、違法行為を行い、賄賂のやりとりや腐敗行為を盛んに行っている。彼らは利益共同体となり、新たな金持ちの集団を形成している。これに対して、人口の絶対多数を占める労働者や農民は依然として社会の底辺層に置かれ、多くの差別を受けたり、疎外されたりしている。彼らの多くは、社会的地位が低下しており、生活水準も下がっている。

いわゆる不均衡の社会とは、一つの利益集団あるいは階層が獲得した各種の資源(公共資源を含む)が、その総人口に占める割合をはるかに上回っている状態を指す。この場合、もう一方の利益集団あるいは階層については所有する各種社会資源の割合がその総人口に占める割合をはるかに下回っている。また、いわゆる断絶した社会においては、いくつかの集団(利益集団と階層)が共存する一方で、集団間の有機的なつながりばかりではなく、流動性も欠いている。その結果、妥協も不可能である。社会における格差の存在は避けられないことではあるが、それが連続的かつ個人個人の努力次第で乗り越えられるものであれば、その社会は様々な挑戦を受けても、妥協という選択肢が存在するため、革命が起こったり、崩壊したりといった可能性は殆どない。しかし、断絶社会はそのような状況とは異なっており、社会の崩壊を避けるための操作は非常に困難である。ある集団に有利な政策を実行することは、多くの場合、別の集団を犠牲にするという代価を支払わなければならない。このような「ゼロ・サム・ゲーム」において、当事者は妥協しにくく、外部の人間による協調も難しい。より深刻なことには、上述した三つの「断絶」の中で、被害を受けているのが、人口の絶対多数を占める労働者と農民、つまり普通の民衆だということである。とりわけ中西部の省に住む農民が大きな被害を受けている。もともと、まさにこれらの人々が共産党政権の社会的基盤を長い間にわたって築き上げたことを考慮に入れると、彼らの不満は共産党政権の基礎を著しく侵蝕することを意味している。

こうした三つの問題が一体になったとき、社会をコントロールできなくなる局面が生じやすくなる。一部の人々が過去の十年間を「歴史上で最も良い時期」と言い、さらに一部の人々は「太平盛世」と高く評価した。しかし事情を理解している人にとっては、われわれがいる現在の時代はせいぜい「盛世」であっても、「太平」ではないことが一目瞭然である。経済的な繁栄はこれまでの中国の歴史に確かになかったかもしれないが、経済がますます繁栄していくうちに、様々な不安定要素も加速度的に増加する勢いを見せている。事実、最近行われた、都市部の人々を対象とした社会情勢に関するアンケート調査からは、現在の中国社会の情勢が非常に深刻であることが見て取れる。旧ソ連および東欧の共産党政権がわずか一夜にして政権を失い、社会が崩壊したこと、そして長い間台湾の与党を務めた国民党が一夜にして野党に転じたことも、断絶社会がもたらした結果である。われわれはこうした状況が中国にも発生する可能性を排除することはできない。実際、中国における現段階の断絶社会の状況は、旧ソ連、東欧、さらに台湾の国民党政権よりはるかに深刻である。「安くして危うきを忘れず、存して亡びるを忘れず、治にして乱を忘れず」(「易経」)、これが中国の歴史上「治国安邦」の最も重要な政治経験と教訓である。現在の中国に大局を左右する重大な政治事件が発生する可能性は小さいが、われわれが直面している困難と挑戦を十分認識すべきである。万が一の状況に備えるために、対応策と予備案を前もって用意し、不敗の状況を作り出さなければならない。

2003年8月4日掲載

出所

「第二代改革戦略:積極推進国家制度建設」、『戦略与管理』2003年第2期、戦略与管理雑誌社。
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

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