中国経済新論:中国経済学

台湾にいた林毅夫の「北大(北京大学)への夢」

林毅夫
北京大学中国経済研究センター所長

北京大学中国経済センター所長の林毅夫教授は、1979年に台湾から海峡を泳いで渡り中国へ逃亡したエリート元軍人である。去る五月に、林氏の父親が他界したが、「不忠のうえ不孝だ」という彼に対する台湾の世論に配慮して、故郷での葬儀参列を断念せざるを得なかった(朝日新聞、2002年6月4日、第6面)。林教授はなぜ大陸に渡ったか、その経緯について、本人は次のように語っている。

私は1952年、台湾の北東部にある宜蘭市に生まれた。そこは三方が山に囲まれ、正面が海に面した小さな町で、交通の便は悪いが、気風の純朴な所である。初めて北大(北京大学)の名前を聞いたのはいつだったかよく覚えていないが、おそらく小学校4、5年生の歴史の授業の時だろう。私の心の中で、北大は憧れの学府であった。しかし、あのような時代と環境にあって、自分が北大の学生になり、北大の教授に落ち着くというようなことはまったく想像もしていなかった。

中学校に上がった時、そこには北京生れ北京育ちの地理の楊先生がいた。台湾へ来た彼は私の故郷に定住するようになった。無味乾燥な地理の講義を魅力的なものにした彼は、授業中、単純な地理用語に歴史的な物語を織り込んでいたため、私は彼の授業から古き良き北京と北大の多くの逸話を聞き、五四運動の時に活躍していた北大の学生に対して、この上ない尊敬の念を抱くようになった。

1971年、台湾大学に受かった。ちょうど盛んになっていた海外における釣魚台(尖閣諸島)主権保衛運動が終わりに近づく頃であった。台湾大学の学生の思想は非常に活発で、大学に入って間もなく、学校のクラス代表連合会主席の選挙でキャンパスは沸き返っていた。三人の候補者がいたが、最も声高に唱えてられていたスローガンは、「北大の伝統を継承し、北大の精神を発揚しよう」である。その時、台湾大学一年生代表会の主席だった私はどちらの候補者からも声をかけられる対象となり、いつの間にか、選挙の熱気に感動した。台湾大学のキャンパスには傅斯年()先生を記念する時計台があり、抑揚のある鐘声は授業の時間を知らせるベルの役割を果たしていた。高く聳えた時計台は台湾大学のシンボルでもある。大学の入り口の右側にこぢんまりとしたローマ式の庭園があり、傅先生の墓がそこにあるため、「傅園」と名付けられた。傅斯年先生と一部の北大の教授たちが、1949年に北大の伝統と精神を台湾大学へ持ち込んだと聞いている。実は、当時皆と一緒に実際にスローガンを多く唱えたが、北大の伝統と精神が一体どんなものなのかはよく分からなかった。

私は幼い頃から歴史の本を読むのが好きであった。北大の伝統と精神を知るようになったのは、近代史と新文化運動の各派の著作に夢中になった大学2、3年生の時だった。「民主」、「科学」は「五・四」期における北大一同の努力の目標である。その裏には、北大の学生の「天下を己の任とする(国を治めることを自らの任務とする)」という抱負、「国の発展のためには、どんなことがあっても不退転の決意で臨む」という決意と、「この世で我を除いて誰が大任を負えるか」という意気込みがあった。そのような伝統と精神は、長い歴史の流れにおいて中国社会の中堅となった知識人たちの「国を憂い、民を憂う」といった思いを受け継いだものである。

台湾で政治大学の企業マネジメントを専攻し卒業してから、紆余曲折を経て、1979年にようやく北京に来ることができ、ずっと憧れていた北京大学に入った。北大にいた3年間はちょうど改革開放の初期に当たり、当時の北大の雰囲気は、ある程度「五・四」期に似ていた。国の門戸が開かれたばかりで、中国の文化の中心にいた北大の学生たちは、民族存亡の危機意識を強く持ち、国を復興させるという強い意欲で、様々な新思想、新しい学説をむさぼるように勉強した。周りの教師、学生たちからは北大の伝統と精神がひしひしと感じられたのである。

1982年に卒業し、シュルツ教授から米シカゴ大学への留学に招かれるとは夢にも思わなかった。10年後、母校に誘われ北大へ戻り、易綱教授、張維迎教授、海聞教授たちと中国経済研究センターを創設することができた。これは正に、私が実現させたかった願いである。北大の学生として、母校の発展に微力を尽くすのは当たり前のことで、この世代の中国人として、祖国の文化の発展に貢献できる機会を北大が与えてくれたことを、とても幸運に思う。

北大の創立は、民族存亡の危機に際して、祖国の復興のためになされた多くの努力の一つである。百年来、数え切れない北大の学生たちがそれに心血を注いできた。私の世代の学生は最も幸運である。なぜなら、まさに1979年に改革開放政策が実施されてから今日までの20数年の間に、中華民族の新たな台頭が手の届かぬ夢ではなくなったからである。偉大なる民族は、豊かな物質文明だけではなく、広大な精神文明も持たなければならない。北大が新しい世紀に入るに際し、百年来、先輩たちによって伝えられてきた愛国愛民の伝統的精神を受け継ぎ、中国の経済的繁栄を達成できるよう、あらゆる北大の学生と手を取り、励まし合いながら頑張っていこうと決意している。

2002年6月10日掲載

脚注
  • ^ 傅斯年(1896~1950)、北京大学在学中に、文学革命に参加。五四運動では中心的な役割を果たした。英・独に留学して歴史学を専攻し、中央研究院歴史語言研究所長となった。1949年には台湾大学学長となった。
出所

「我在台湾的"“北大"夢”」『百位経済学家論国富』、福建人民出版社、2001年

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2002年6月10日掲載

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