中国経済新論:中国経済学

林毅夫教授のマーシャル・レクチャー
発展と移行-思潮、戦略と自生能力

林毅夫
北京大学中国経済研究センター所長

2007年10月31日と11月1日に、北京大学中国経済研究センターの林毅夫教授は、英ケンブリッジ大学の「マーシャル・レクチャー」を行った。以下はその要旨である()。

マーシャル・レクチャーは、世界的に大きな影響力がある。レクチャーに招かれ、私は非常に光栄である。私が1984年にシカゴ大学に在学していた時、R. ルーカス教授がマーシャル・レクチャーの講師として招かれた。彼は、一学期の時間を費やし、文献を読みながら、われわれと何を準備すべきかを議論し、彼の考え方やモデル構築方法に対するわれわれの意見を聞いた。その後、彼の発表した論文は、内生的成長理論へ大きく貢献したと認められ、また、ノーベル賞の受賞の際、彼の主な業績のひとつと評価された。私は、今回マーシャル・レクチャーの招待を受け、たいへん驚いた。私は、まだ充分研究を行ってきたわけではない。中国の経済学者が「マーシャル・レクチャー」に招かれたことは、世界が中国の発展と移行の経験を重視しているからだと思う。

1. 発展と移行の成功要因

学者の間では、農業経済の段階にある多くの国や地域においては、生産性が低く、一人当たりの生産水準に大きな上昇がなく、一般の人々は貧困や飢餓と背中合わせで生活しているとの見方がされている。多くの研究成果が示しているように、農業経済の時代では、中国の所得水準は西欧諸国よりも高かった。インドも同様である。しかし、18世紀半ば以降、イギリスで産業革命が起こり、技術は日進月歩を遂げ、西側諸国の経済が離陸を果たした結果、西側諸国と他の地域との間に大きな格差が生じた。この状況は、ケネス・ポメランツ(K. Pomeranz)に従って、学術的に「Great Divergence(大いなる分岐)」と呼ばれる。このような大きな分岐と転換の下、世界の大半の地域は西側諸国の植民地と化した。しかし、第一次世界大戦の終結後、抑圧を受けたすべての後進地域の民族は独立に努め、その努力は第二次世界大戦後に実った。独立後、これらの国は、近代化を推進し、所得水準の改善に力を入れたものの、先進国との格差は逆に広がり続けた。むろん、すべての国が失敗したわけではない。日本やアジア新興工業経済群(NIEs)は成功した。しかし、中国やほかの発展途上国・地域では、先進国との格差が拡大の一途をたどるばかりでなく、相次いだ経済危機もあり、様々な社会的矛盾が激化した。

70年代末から80年代初にかけて、ほとんどの発展途上国が改革と移行を余儀なくされた。これらの国のうち、中国とベトナムはその後大きな成果を上げたが、ほかの社会主義国家は景気の停滞と崩壊を経験し、ここ数年になってようやく回復している。しかし、旧ソ連では、今でも一人当たり所得が1990年の水準に戻っていない。29カ国のCIS(独立国家共同体)と移行経済国に対する欧州開発銀行の調査によれば、移行後の15年間、生活が改善したと感じる人は30%にとどまっている。改革を実施してから、すでに何年も経ったが、移行と発展に成功した例は少数で、大半は失敗したのである。

今回の講演で、2つの問題について取り上げたい。ひとつは、なぜ日本とアジアNIEsの努力は大きな成功を収めたのに対し、ほかの途上国は失敗したのか、もうひとつは、なぜ中国とベトナムは移行後も経済の安定を維持しながら急速な発展を遂げたのに対し、ほかの大多数の社会主義国家は移行と改革の後、経済の後退、崩壊、停滞を経験してからようやく緩やかな成長に向かったのか、である。

2. 富国・貧国の根源

国を発展させ豊かで強い国にするにはどうすれば良いのか。これは、近代経済学の根本的問題である。アダム・スミスの「国富論」はまさにこれについて探究したものである。学術文献をみると、最初に見つかった富の根源は先進国の一人当たり資本が高いことであったが、その後、人的資本が多いこと、技術水準が高いことも加わった。回帰分析を用いてこの3つの根源を分析してみると、確かにこの3つの要素は一人当たり所得の向上をもたらすことがわかる。しかし、一般的に学者たちの間では、この分析は表面的な事象しか捉えていないとみなされている。なぜなら、資本は蓄積によって形成され、技術も開発が必要であるからである。なぜ途上国は資本の蓄積ができず、優れた技術を採用しないのか。

70~80年代以降、学者たちは国家の存続・発展を決める根本的な要因を捜し求めてきた。まとめると、5つの仮説がある。一つ目は、似ている国同士の間でも、わずかの初期条件やショックの差で、一部の国々は成長の軌道に乗る一方で、貧困の罠に陥ってしまう国々もあり、国の繁栄と衰亡は完全に運によるものである。二つ目の仮説は、地理説である。世界中のすべての先進国は温帯にある。熱帯では、一人当たり天然資源は豊富であるが、病気が発生しやすく寿命が短いため、人的資本を累積したがらず、経済が発展しない。あるいは、熱帯では、鉱物資源が豊富で生活しやすいため、比較的怠け者になりやすく、経済が発展しない。三つ目の仮説では、文化的作用を強調している。ある文化には、人と人の協力を容易にする要素があったり、ある文化では信用に重きをおいたりして、経済を発展させる。また、ある文化は政府の効率性を高くし、発展しやすくしたりする。四つ目の仮説では、輸出主導型国家は経済が発展しやすいとしている。なぜなら、このような国家は国際経済に融合しやすく、対外貿易を通じて新しい知識、技術、ノウハウを獲得できるからだ。最後の仮説は、最も一般的で最も影響力がある。一国の経済発展は、その国の制度的取り決めによるという仮説である。一国の制度は、その国のインセンティブ・メカニズムを決定する。よい制度の下では、人々が教育水準の向上、技術の革新のために積極的に働くため、経済発展も速い。

私は、制度は確かに最も重要な要素であると考えている。制度は、一国のインセンティブ・メカニズムを決定する。しかし、問題は、制度自身は内生的であるということだ。では、制度は何によって決定されるのか。西側の主流的な見方では、制度の内生的要因は、利益集団の衝突にあり、一国の利益集団の間の力関係はその国の制度の良し悪しを決定する。最初に「利益集団」という概念を提起したのはM・オルソン(M. Olson)である。一国・地域の安定が長期化すると、所得分配を主目的とする集団が形成され、そして、この経済はより多くの富の創造ではなく、富の分配を主な目的とするように変わる。最近、非常に影響力があるのはD. Acemoglu、J. Robinson、S. Johnsonなどの研究である。彼らは、なぜ北米の米国とカナダの発展が速いのに、中南米は一般的にあまり発展しないのか、その原因がラテン・アメリカの植民地状況に関係すると指摘した。しかし、これらの理論は、東アジア経済や、中国、インドの発展を説明する時には、問題があるかもしれない。これらの国では歴史の安定性が保たれており、従来の利益構造も大きな変化が生じていないからである。

利益集団の衝突は、一国の良し悪しを決定する最も根本的な要因であろうか。私は、ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」の最終章の最後の一文、すなわちこの本の結論を引用して答えたい。「社会に良い影響と悪い影響をもたらすのは、既得利益ではなく、最終的に思潮または思想である。」社会思潮は、一国の政治体制と経済制度の形成を促し、これらの制度がうまく運営されなければ、それに変わる制度への模索が始まり、やがて新しい社会思潮が誕生するのである。

私は、途上国において政府は最も重要な制度的取り決めであると考える。なぜなら、政府の政策決定が経済における他の政策の取り決めの質を決定するからである。また、政府は、政治指導者によって管理、運営される。政治指導者の目標は何なのか。経済利益の考慮は全くないわけではないが、指導者にとって経済利益は実際二の次のことである。政策運営を安定させ、歴史に名を残し、豊かで強い国にしてはじめて政治指導者の目標が達成される。個人の目標と社会全体の目標は完全に重ね合わせることができる。政治指導者が目標を実現するためには、その時の社会思潮に照らして政策決定を行うことが最良の選択肢かもしれない。社会思潮に照らした政策決定は、国民の支持が得られる。それ故に、T. W. シュルツ(Theodore W. Schultz)は、社会思潮は一国の政治・経済の制度的取り決めを左右すると締めくくった。

私は個人的に、すべての途上国には先進国より速く経済を発展させ、先進国の仲間入りを果たすチャンスがあるのではないかと考える。産業革命後の歴史をみれば、国の発展を決めるのは技術の変遷であることが分かる。途上国がうまく技術を導入することができれば、後発性の優位を利用して先進国に追いつくことができる。ただし、これは、政府の追い求める発展の道とその制度的取り決めによる。不幸にも、大多数の国は、国の発展を決定する最も根本的な要因を見極めることができず、一部の表面的な事象しか見ていない。追い求める目標が正確でなければ、形成される制度的取り決めも効率的でなくなる。発展も進まず、危機が絶えなくなる。移行後、一部の国ではこれと似たような問題が発生した。これらの国は、移行問題の表面的なことだけ見て、根本的な要因を見なかった。途上国に失敗をもたらしたのは、認識上の問題、思潮の問題である。

第二次世界大戦後、これらの国は、先進国との大きな格差の原因は先進国より産業が劣ることにあると認識していた。ゆえに、国民が良い生活を送るには、政治・経済的な独立を手に入れ、西側諸国と同じように産業を発展させなければならないと考えた。ドイツとフランスはイギリスより後れていたが、国の指導下で重工業を発展させることにより追いついた。ソ連も同じである。発展経済学における市場失敗論では、途上国で重工業が発展しない原因は、市場の失敗により市場による効率的な資源配分ができないためであり、政府の強力な介入により問題を解決しなければならないとしている。当時、世界銀行や国際通貨基金は、途上国に対し市場の失敗を克服し、重工業を発展させることを教えた。しかし、市場の失敗に関するこれらの認識はすべて誤りである。

経済が比較的良く発展した国は、すべて労働集約型産業からスタートし、資金、労働力、資本を蓄積した後、徐々に資本集約型産業にシフトした。このような産業発展は、比較優位の変化に沿ったものである。このため、企業は「自生能力」(開放された競争的な市場の中で、正常に経営される企業が、市場から投資家に受け入れられる期待利益率を獲得できる能力のこと)を身につけることができ、保護・補填を必要とせず、市場も機能する。しかし、市場が機能するには前提条件がある。その前提条件とは、各種の価格シグナルが資源と要素の相対的な希少性を反映することができ、国がより完全な市場制度を作らなければならないことである。市場制度を作り、価格シグナルが機能すると同時に、比較優位と後発性の優位を十分に発揮することができれば、資本の蓄積と産業の高度化は急速に進む。

産業の高度化は、企業の様々な内部化しにくい問題に関係する。例えば、どのような新しい産業を目指すべきか、高度化する時の金融面や教育面の取り決めはどのように協調していくか、などである。さらに、産業の高度化はリスクを伴うものであり、各企業の経験は成功にせよ失敗にせよ、他の企業に有用な情報を提供することになる。市場経済ルールを守り、比較優位の発揮を目指す政府であれば、産業政策を通じてこのような問題を克服することができる。

では、比較優位に沿った産業政策と追いつき・追い越せを目指す産業政策との間における最大の相違点は何であろうか。それは企業が自生能力を持つかどうかである。中国の比較優位に沿った業種に政府が力を貸し、情報処理の問題や、調整の問題、外部性の問題を解決すれば、企業の設立後、その製品は国内外で競争力を持つことになる。これに対して、比較優位に反し、企業も自生能力がなければ、政府の保護・補填は長期化する。つまり、「幼稚産業は永遠に幼稚である」という状況になる。

このような成功と失敗は、発展過程において比較優位を利用するかどうかによる。比較優位を利用すれば、後発性の優位を生かし、技術の進歩を加速させ、先進国に追い着くことができる。途上国が先進国の最先端産業を追いかけることは、目標としては正しいものの、認識としては間違っている。これによって形成された制度的取り決めは、モチベーションを低下させ、資源配分が非効率的になり、レントシーキング行為が一般化してしまう。

3. 「ショック療法」はなぜ失敗したのか

理論モデルとしては、「ショック療法」の論理展開は厳密で隙がないが、結局失敗した。その原因は、「ショック療法」を提唱した経済学者たちがある要因を無視したからである。その要因とは、計画経済体制の国あるいは途上国のもつ歪みは無作為に生じたのではなく、歪み自身は結果であり、歪みの原因はこれらの経済が比較優位のない産業を先に発展させたため、その産業に属する企業は、開放された市場では保護と補填がなければ競争に生き残れない、つまり自生能力を持っていないことにある。途上国の制度的歪みを考える時、利益集団の観点より発展戦略の観点の方が明確に移行の失敗を説明することができる。利益集団論に基づけば、歪みは利益集団の間の利益配分、富の移転問題にとどまり、これまで保護と補填を受けた企業は、競争・開放の市場においても存続することができ、「ショック療法」も成功するはずである。しかし、発展戦略の観点では、このような企業は競争・開放の市場で生き残ることができない。

このように、「ショック療法」は、制度的歪みの内生的な面を無視し、「ショック療法」の3つの内容――価格自由化、民営化、財政均衡・マクロ安定の維持は同時に実現することができないことを認識していない。価格自由化あるいは民営化を別々に進めるのであれば問題はないが、二者を同時に実施すると、企業が自生能力を持っていない状況下では経済全体が崩壊し失業者が急増するか、それを避けるべく、政府が自生能力のない企業に補填をし続けなければならない。自生能力のない企業は一般的に多くの労働力を雇用するからである。政府が補填を提供する理由は国有企業だからというわけではなく、自生能力がないからである。「ショック療法」の実施後、技術と産業に変化がなくても、政府は次の2つの理由で保護と補填をし続け企業の破産を回避する。一つ目の理由は、これらの産業は先進産業のため、国の近代化にとって重要であるからである。二つ目の理由は、これらの企業は大量な労働力を抱えているため、破産すると失業者が急増し、さらには社会不安が高まるからである。このように、「ショック療法」が失敗したのは、問題を分析する時、表面的なことしか見ず、問題の深層にある原因を認識できなかったからである。

指摘しておかなければならないのは、民営化された企業の場合、政府が提供する保護と補填は国有の時よりも大きい点である。自生能力のない国有企業が、企業の工場長、経営者は政府に対し保護と補填を要求するが、彼ら自身は補填を占有することができない。しかし、企業が民営化されると、工場長、経営者は、余分の補填を正々堂々と自分のものにすることができる。このため、民営化した場合、企業の所有者は、政府に保護と補填を要求するモチベーションが高くなり、理由も多くなる。また、政府側では、資金は自分のものではないので、企業に保護と補填を提供するモチベーションに変わりがないため、保護と補填は減るどころか増加するのである。90年代初、多くの人がこのことを信じなかった。だが、世界銀行と東欧諸国の研究を含めた大量な実証研究は、民営化後の大企業の受け取る保護・補填は民営化前より多いことを明確に証明した。また、改革後、政府収入は減少した。国有の時、国有企業の余剰は国に帰属するため上納しなければならなかったが、民営化後、政府は企業に税を課すものの徴税は容易でないため、政府は紙幣を大量に印刷し、企業に保護と補填を提供しなければならならない。しかし、このことは高インフレを招く。1993年と94年に、ロシアのインフレ率は10,000%を超えた。これはまさに当時の誤った認識がもたらした結果である。ロシアに比べ、東欧諸国の中で最も良い成績を上げたポーランドは、「ショック療法」をまったく実施せず、国有企業は国有のままで、価格も自由化しなかった。もうひとつの成績の良い国であるスロベニアでは、長期にわたって企業の国有制を維持し、ユーロ加盟の一、二年前にようやく民営化に着手した。

4. 中国とベトナムの移行の成功を後押しした漸進的改革

中国、ベトナムの移行は比較的成功した例である。二国とも、漸進的で、二重レール制(中国語は「双軌制」=制度の二重構造)、「石を探りながら河を渡る」という移行方法を採用した。この移行方法は、3つの特徴がある。第一に、社会主義制度を壊すこともなく、いわゆる「資本主義勝利論」も唱えない。第二に、移行の初期では、経済主体の効率が低く、モチベーションが欠けていたため、都市部で利益留保策を実施し、業績の良い企業と個人がより高い収入が得られるようにし、モチベーションを高めた。第三に、経済主体に一定の自主権を与えた。これにより、モチベーション、ひいては生産性が高まっていった。。同時に、計画というレールのほかに市場というレールを認め、二重レール制を導入した。つまり価格面では、計画価格を残す一方、市場価格も容認した。また、従来発展が妨げられていた軽工業部門への集団企業、私営企業、合弁企業の参入を認めた。(国有企業や農民の余剰に由来する投資は、利益を追求するため、自ずと製品が不足し技術の比較優位のある軽工業部門に向けられた。)ただし、国有企業と農民は、政府による一括仕入れ・一括販売の枠を満たしてから初めて市場で産出物を売ることができる。これにより、経済主体のモチベーションが高まり、経済主体のコントロールする資源が比較優位のある分野に投入され、資源配分の効率が向上し、そして計画部分の割合が次第に低下する。ある分野の大半の産出物が市場により配分されれば、政府は価格を自由化し、完全に市場による配分ができる。

このような漸進的改革の結果、自生能力のない企業は移行過程において引き続き保護されるため崩壊しなかった。また、ミクロ経済主体のモチベーションが向上し、ますます多くの資源が比較優位に適した分野に向けられ、経済の力図良い発展が実現された。これは、まさに中国とベトナムの移行が成功した理由である。中国とベトナムのほか、チリ、モーリシャスなど一部の追いつき・追い越せ戦略を実施した非社会主義国家の70年代の改革も効率的であった。これらの国も、当初は計画部門があったが、移行期に二重レール制を採用し、競争産業の輸入を大幅に制限する一方で、輸出加工区を設置し輸出を奨励したことで成果を上げた。

私は、これらの国の経験を抽象化した数学モデルを使って次の仮説を導いた。
(1)産業構造は、要素の賦存構造により内生的に決定される。
(2)制度的取り決めにおける発展の目標と産業構造が相反すれば、様々な歪みも同時に存在することになる。
(3)歪みが存在すれば、経済成長が遅く、先進国の所得水準に収斂することを実現できず、所得分配が不公平になる。
(4)政策的負担は、ソフトな予算制約の原因となる。政策的負担を解消せず民営化を実施すれば、政府は自生能力のない企業に対しより多くの補填を提供しなければならない。
(5)二重レール制は、相対的に有効な移行戦略である。

次に実際の経験からこの理論を検証してみる。TCI(技術選択指数、Technology Choice Index)で国の追いつき戦略に傾いた度合いを測る。比較優位に反する戦略を採った経済の特徴は、製造業の労働投入に対する資本の比率(資本集約度)がほかの産業よりもはるかに高いことである。この点に基づいて統計の取得可能性を考慮し、二種類のTCI指標を作成することができる。一つ目の指標は、製造業部門の一人当たり資本集約度と国全体の一人当たり資本集約度の比率である。国の追いつき戦略に傾いた度合いが高ければ、製造業部門の一人当たり資本集約度が高く、TCI指標の値も高くなる。二つ目の指標は、製造業部門の一人当たり生産と国全体の一人当たり生産の比率である。戦略が徹底されれば、製造業部門の就業者が少なくなり、価格も相対的に高くなるため、製造業の一人当たり生産は経済全体の一人当たり生産より高く、TCI指標の値も高くなる。

政府介入の度合いは、次のようなところに反映される。
(1)闇市場の状況である。1960年代から90年代のデータに基づいた推計によれば、追いつき戦略に傾いた度合いが高ければ、闇価格と政府公定価格の差も大きくなることが分かる。
(2)経済自由度である。追いつき戦略に傾いた度合いが高ければ、ミクロ経済主体がある産業に参入するのに必要な政府認可の手続きが多くなり、時間も長くなる。経済に対する政府介入度が高ければ、経済は不自由になる。
(3)追いつき戦略に傾いた度合いの高い国は、経済発展の成績が悪くなる。

次に移行方法の影響について検討する。比較優位に基づいて発展すれば、労働集約部門の急速な発展が予想される。しかし、「ショック療法」を実施すれば、多くの資源が自生能力のない企業への補填に使われるため、労働集約型産業の発展が遅くなる。移行期におけるTCI指標の低下幅で改革方法と二重レール制改革との接近の程度を図ると、二重レール制改革に近ければ、移行後の経済発展の速度が速くなるという、おおむね理論の期待値に一致する結果が得られた。

ここで指摘しておかなければならない点は、社会思潮が発展戦略の選択を大きく左右することである。東アジア経済の指導者たちは1950~60年代以前に追いつき・追い越せ戦略を実施せず、中国、ベトナムの指導者が1980~90年代に漸進的改革を選択したのは、運によるところが大きい。

1950~60年代に、全ての国の指導者は自分の指導下で、国を近代化国家に導くという、同じ目標を持っていた。そして、先進産業の発展は、近代化を実現するのに通らなければならない道であった。アジアNIEsの指導者も例外ではない。しかし、追いつき・追い越せ戦略の効率が低いため、膨大な動員できる資源に頼らなければならず、維持できる時間の長さと程度は一人当たり自然資源の豊富さと人口規模の多さに左右される。しかし、アジアNIEsでは、一人当たり資源は少なく、人口規模も小さいため、追いつき・追い越せ戦略の推進には不利である。台湾は50年代に重工業優先発展戦略の推進を試みたが、2年目に補填による政府財政赤字とそれに伴う悪性インフレが発生したため続かなくなった。その後、政府は重工業優先発展戦略を再度提唱したが、保護・補填を提供しないため、企業は比較優位に沿った、自生能力のある分野に参入するしかなく、これにより一歩ずつ比較優位に基づいて経済を発展させることができた。韓国、シンガポール、香港も同じである。アジアNIEsが比較優位に基づいて発展したのは、資源が限られたことによるところが大きい。

資源制約の影響は中国の文化思想にも現れている。中国の歴史において長い期間にわたり、一人当たり資源は非常に限られてきた。前近代社会の中国は西側に比べ発展の度合いは高かったものの、実際各個人は貧困や飢餓と背中合わせで生活していた。このため、中国文化は長期にわたって「実事求是」(現実に基づいて真理を求める)を重視する。儒家の「中庸」から毛沢東の「実事求是」、鄧小平の「思想解放」、現在の「時と共に進む」はすべて、単純で完璧なイデオロギーを追求せず、教条主義の影響を受けず、現実に基づいて政策を調整するという文化の伝統を反映している。中国、ベトナムが70年代末より移行を実施し、二重レール制や漸進的移行方法を採用したのは、政治的要因による制限があったためである。中国とベトナムの移行は(革命後の)第一世代の指導者が推進した。東洋の権威主義社会では、指導者の権威は、国民への利益そして正確な政策実施によって与えられる。第一世代の指導者は同時に計画経済の推進者であったため、彼らは計画経済を完全に否定することができず、計画経済に対し「石を探りながら河を渡る」式の補修を行うほかなかった。

現在、比較優位に基づいた発展を目指すべきであることは、コンセンサスになっている。しかし、中国の改革経験は、ほかの移行経済、途上国にとって参考になるのか。注意すべきことは、ソ連・東欧も80年代に漸進的改革を推進したことがあるが、成功しなかったということだ。では、漸進的改革の成否は、実施方法と関係するのだろうか。ソ連・東欧の改革と中国・ベトナムの改革には次のような相違がある。

第一に、ソ連・東欧は改革の時、企業に価格設定権を付与せず、国が完全に価格をコントロールしていた。しかし、中国では、計画内の価格は国が決めるが、計画外の価格は企業自身が市場の状況に基づいて設定することができる。ソ連・東欧では、製品の価格は低く抑えられていたため、企業が増産するモチベーションが低かった。これに対して、中国・ベトナムの企業は価格の変化に敏感に反応する。

第二に、ソ連・東欧では、これまで犠牲となった軽工業部門への参入障壁が多いため、資源配分効率の改善が難しかった。中国では、政府は郷鎮企業、民営経済、外資による軽工業部門への参入を奨励したため、ミクロ経済主体のモチベーションと資源配分の効率が向上した。

第三に、ソ連・東欧では企業に付与された自主権は賃金決定権であった。ゆえに、工場長、経営者の賃金率は高い水準に偏っていたため、賃金額を膨らませた。中国とベトナムでは、利潤留保制は導入されたが、企業の賃金総額は制限されたため、賃金上昇によるインフレが避けられた。

第四に、ソ連・東欧では、賃金の上昇が需要の増加をもたらし、物不足が深刻化した。これらの国は、大量の外債発行、大量の輸入に頼り、消費者の需要を満足させた一方、国の負債が急増したため、改革が続かなかった。これに対し、中国・ベトナムでは、賃金の上昇は緩やかで、資源配分が改善され、生産効率が上昇し、市場が豊かになり、輸出、貿易黒字が増加し、マクロ経済の安定性が高まった。

このようなことから、中国、ベトナム、東アジアの改革は、他の移行期国家にとって次のようなインプリケーションがある。第一に、政府は、労働量に見合うだけの収入を得られる制度を採用し、ミクロ経済主体のモチベーションを高めるべきである。第二に、自生能力のない企業の大半は保護と補填を受けなければならないため、条件が変わる前に補填を減らすことはできないが、資源配分および価格面において二重レール制を実施し、抑圧された分野を開放しなければならない。第三に、ミクロ経済主体の効率が向上した後、二重レール制における政府配分の割合が低下すれば、二重レールから市場単一のレールに転換する時機が熟することを意味する。なお、この過程において、政府の法律制度などは絶えず改善しなければならない。このようにすれば、数段階に分けて計画経済から市場経済への移行という「大きな溝」を飛び越えることができる。

5. 貧困は途上国の運命ではない

今回の講演の内容を総括すると、以下の結論になる。

第一に、近代経済(産業革命後の経済)にとって、技術の高度化はどの国・社会にとっても長期の経済成長の最重要な原動力である。技術の変遷がなければ経済も停滞する。

第二に、思想、認識、社会思潮は、一国、特に、途上国が後発性の優位を利用し急速な経済発展を遂げることができるか否かの最大の要因である。後れの本当の原因(要素の賦存構造)を十分に認識し、これに基づいて政策を制定すれば、後発優位を十分に利用することができる。

第三に、途上国にとって、政府は最も重要な制度的取り決めを行う主体である。政府は強制力をもち、その政策が正確か否かによって国の制度的取り決めが効率的かどうかが決まる。

第四に、一国の要素賦存はその国の産業、技術選択の最大の制約である。。要素賦存構造は、一国の資本、労働の相対価格を決定し、さらにはその国が競争的で開放的な市場における最も有効な資源配分を決定する。

第五に、国の発展にとって、比較優位の発展は最重要な経済原則である。この原則を守ってこそ、競争優位を形成することができ、後進国も比較優位を十分に利用することができる。

第六に、企業の自生能力は、現在の経済学ではまだ真剣に研究されていないが、途上国の制度的歪みを理解するのに最も重要な概念である。多くの制度的歪みは、間違った戦略で生まれた自生能力のない企業を保護するために生じたのである。

最後に、移行過程において必要なのは、「実事求是」、「思想解放」、「時と共に進む」という発想である。実際の状況に基づいて移行のルートを選択すれば、途上国や移行期国家は、非常に脆弱な制度的枠組の下でも、急速な経済成長を遂げることができる。

私は、途上国の貧困は運命ではなく、すべての国にはチャンスがあると考える楽観主義者である。チャンスをつかむ勇気をもち、良い指導者と政府がいて、適切な時に適切な政策を採用すれば、基本的に50年代の東アジア、80年代の中国・ベトナムのように経済の離陸を実現することができる。無論、政治指導者は勇気と正確な認識を持って発展の意思決定を行わなければならない。

マーシャル・レクチャーを通じて、発展と移行の問題について理解をいっそう深め、必然の王国から自由の王国への飛躍を遂げることを期待したい。

2008年2月5日掲載

脚注
  • ^ 「マーシャル・レクチャー」は、ケンブリッジ学派の創設者として知られるイギリスの著名な経済学者アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall)を記念して1946年に創設された講演会である。レクチャーの講師は、世界の著名な社会科学者の中から毎年一人選ばれる。これまでは、G.ミュルダール、ピグー、クズネッツ、ソロー、アロー、ルーカス、スティグリッツなどが務めた。歴代講師のうち、その後ノーベル経済学賞を受賞したのは14名にのぼる。林毅夫教授はこの世界の頂点の講壇に立つ最初の中国人学者である。
出所

Marshall Lectures "Development and Transition: Idea, Strategy and Viability"
※和訳の掲載にあたり、先方の許可をいただいている。

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2008年2月5日掲載

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