中国経済新論:中国の経済改革

後発性は途上国にとってプラスかマイナスか

林毅夫
北京大学中国経済研究センター所長

楊小凱教授は最近、後発国家が先進諸国の技術を真似ることは容易であるが、制度を真似ることは難しく、これが後発国の「後発劣位」であると述べていた。さらに、楊教授は、後発国が簡単にできる技術導入より、より難しいとされる制度の真似を先に完成しない限り、「後発劣位」を克服できないと断言し、先進諸国の制度をきちんと真似できるまでは、後発諸国には「制度革新」を語る資格はないと語っていた。私は到底、楊先生のこの考え方に賛成できない。真理の追究には学術的な弁論が有益であるという精神に基づき、私のいくつかの考えを述べさせていただきたい。

後発優位によって、われわれは未来に自信を持っている

技術のレベルについて言えば、一国の経済発展は三つの条件によって決められる。すなわち、生産要素、産業構造と技術革新である。

こうした三つの条件の中で、技術革新が最も重要である。なぜなら、前の二つはいずれも技術革新によって決められるからである。一国の経済構造の変遷の可能性は、その技術変遷の可能性によって大きく左右される。従って、一国あるいは社会の経済発展ないし生産力発展の可能性を判断するには、その国家あるいる社会が持つ技術革新の可能性を見ればよい。

「技術革新」は異なる発展段階において、その動機づけが違ってくる。発展途上国は先進諸国と同様、多くの資金と人力を投入することによって、技術革新を図ることができる。また、先進諸国から既存の、新しくかつ良い技術を導入することも、技術革新を実現する方法の一つである。

経験から言うと、新しい技術の発明には、資本や労働力の多大な投入が必要で、リスクも非常に大きい。仮に発展途上国が自分の発明で技術革新を図ろうとしたら、先進諸国と同様に、高いコストと高いリスクを背負わなければならない。これに対して、発展途上国が技術移転を頼りに技術変遷を図る場合、そのコストは、先進諸国よりはるかに低い。従って、先進諸国より発展途上国のほうが経済成長の潜在力は大きい。

先進諸国と比較すれば、発展途上国は収入、技術発展レベルなどの面において、明らかに差を開けられている。こうした技術面でのギャップを利用し、技術導入の方法を通じて、発展途上国の技術変遷を加速させ、経済発展をより早く実現できる。これがいわゆる「後発優位」の主な内容である。

私を含む中国国内の多くの学者、研究者達がこうした「後発優位」の存在を認めている。そしてわれわれは、こうした「後発優位」が存在しているからこそ、中国の未来の発展に大いに自信を抱いているのである。

制度変遷は一夜にして成らず

楊教授によれば、仮にある国が憲政改革をせず、ただ技術を真似しただけでは、結局、多くの困難に直面し失敗するだろうという。従って、憲政改革を行う前に、経済発展を求めようとすること、言い換えれば、楊先生が考えた順序に逆らう場合、必ず腐敗現象が発生し、その結果、長期的な経済発展の失敗が避けられないという。

果たして憲政体制は、経済の長期的な発展と成功にとって、充分かつ必要な条件であろうか。長期的な経済発展の角度から言えば、憲政体制改革を先行した国家が必ずしも後で行う国家より状況が良いわけではない。さらに、これまでの世界では、共和憲政体制改革を実行することによって、経済の持続的で速い発展を実現できた後発途上国の例はどこにも見当たらない。

実際、国家による機会主義的行動が制限されない社会はどこにもない。あらゆる政権も人々の支持なしては成り立たない。これまでの経験から言えば、英、米の共和憲政体制は、発展途上国が先進諸国を追いかけるための充分条件でもなければ、必要条件でもない。しかも、英、米が共和憲政体制を実行したからといって、こうした制度を実行しなかった国々より、経済発展は必ずうまくいくとは限らない。同時に、英、米のような憲政体制改革を実行しないと、必ず国家機会主義が制度化してしまう。

制度派経済学を研究した人なら、だれも分かるが、制度も体制も一国の事情によって決められる。制度変遷は決して一夜にして成るものではない。例え共和憲政体制が一国の発展に決定的な影響を及ぼすほど重要であるとしても、経験から言えば、制度とは憲法や政権の修正や一世代や二世代という時間で作れるものではない。従って、経済を発展させながら、制度の改善を徐々に図るしかない。

共和憲政体制が最も優れた体制とは言えない

新制度派経済学のこの二十年の研究では、二つの基本的結論にたどりついた。制度が重要であることと、制度が内生的であることである。後者の意味とは、最も優れた制度は一つの経済主体の様々な要素によって決められることであり、異なる経済主体は持つ要素が違う以上、「万国共通」のような最適制度はそもそも存在しないのである。

制度は重要であるが、しかし一つの国にとっての最適な制度は実に内生的なものであって、発展段階ないし歴史、文化などの要素と深く関わっている。例え均衡的な共和憲政体制を形成するには、必ずいくつかの政治と経済の力が対等している集団の存在が不可欠である。仮にこうした集団が存在しない場合、例え憲法が発動されても、それが政治的に独占権力についたものだけの利益を反映し、独占をより強化するものである。従って、英、米の共和憲政体制は、必ずしも先進諸国にとって必要な最も優れた制度とは限らない。

楊教授は英、米以外の国家が経済発展に立ち遅れた問題を憲政体制改革が実行されていないこと、あるいは徹底的に実行されていないことに求めた。現実には、日本における経済不況の原因は、技術革新を外国からの技術導入から自主開発に変え、そして、経済が高度成長から低成長に移行したことにある。インド、エジプト、中南米といった追い上げ戦略を実行している国家、地域も、改革に向かう前の旧ソ連と同じように、問題に直面しているが、そうした問題の根本は資源動員の困難にある。

双軌制はビックバンより優れている

技術革新は一国の長期的な経済発展にとって、最も重要な決定要素である。市場経済国家あるいは計画経済から市場経済への移行期にある国家には、必ずレントシーキング、ソフトな予算制約、クローニ-資本主義、収入分配での不公平、マクロ経済における不安定といった問題が発生する。その結果、技術革新の「後発優位」を発揮するどころか、さらに多くの歪んだ「後発劣位」を導きかねない。

競争的な市場では、最も競争力を持ち、最も市場シェアを獲得し、利潤を最もあげられるものは、自国の要素賦存構造のもとで産業の高度化を最も早く実現することができる。そして要素賦存構造の高度化に伴い、産業そのものが高度化していく。比較優位の原則に基づいて技術導入すれば、導入コストと学習コストのいずれも非常に安くなり、こうした本当意味での「後発優位」が発揮されるのである。

中国の農業改革は、国際的には最も成功したものと見なされている。中国の農業の1978年以降における成長は、一種の回復的な成長に過ぎないとの観点は、極めて短絡的である。

そして、郷鎮企業という制度は結局、国家機会主義の台頭や強化をもたらし、経済発展を妨害するという論説もあるが、それは事実無根である。郷鎮企業の発展は、1980年から1990年代初めまでの中国の経済発展に大きく貢献したのである。仮に当時、郷鎮企業の発展がなかったら、経済の発展も、今日のような私有経済の発展も見られないであろう。

価格双軌制は中国経済改革における一つの成功した経験である。双軌制は、決して楊教授に指摘されたように、国家機会主義を強化したわけではなく、むしろ改革の深化に必要な条件を作り上げていた。一つの成功した経験として、双軌制は、経済の安定を保障すると同時に、経済の高度成長が図られる以上、明らかにビックバンの方法より優れている。

理論と経験の角度から見ると、一つの後発国は決して英、米のように、まず憲政体制改革を実現しない限り、後発劣位を回避することが出来ないとは限られない。発展途上国が、先進諸国との技術ギャップを利用し、経済発展を加速化するに最も重要なのは、発展戦略である。仮に政府が政策運用によって、企業の発展のあらゆる段階で要素賦存によって決定された比較優位を充分に利用し、産業の選択へと誘導することができれば、後発優位は充分発揮される。要素、賦存、構造がすばやく高度化され、産業構造も、先進諸国に向かって、「少しずつでありながら、確実に前に進んでいく」ことになるであろう。逆に、いきなり「追いつき、追い越せ」を求めようとすると、経済の中、各種の歪みやレントシーキングが発生し、結果的に、かえってその目標から離れることになる。「追いつき、追い越せ」が出来ないどころか、数多くの歪んだ「後発劣位」の制度が作られるかもしれない。

市場経済において、企業と個人は経済の主体であり、法治を基礎として、各経済主体の権利と義務が規定される。投資、生産、取引の自由が保証されることは、経済の持続的発展のための制度上での基礎である。政府の経済行動に果たすべき役割は、後発国の方が先進国よりはるかに大きい。後発国として、政府が比較優位に基づく経済発展の戦略を確定することができれば、上述した市場経済の法治基礎を尊重し、後発優位を活かし、先進諸国への追い上げを短期間で実現できるのである。

2002年9月30日掲載

出所

人民網

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