第1回

好きなことだけやって生きるが基本

原山 優子
RIETI研究員

1951年、東京・銀座生まれ。中学2年生の時にパリ郊外にあるサンピエール学園に3年間留学する。帰国後は暁星学園国際部日仏科に転入。暁星学園を卒業後、ブザンソン大学数学科に進学。大学卒業後すぐにバイオ研究者である原山重明氏と22歳で結婚。3人のお子さんを出産した後、御主人の仕事の都合で赴任したジュネーブのジュネーブ大学にて教育学と経済学を学ぶ。ジュネーブ大学教育学博士課程と経済学博士課程を修了後、ジュネーブ大学経済学部助教授、通商産業省通産研究所客員研究員などを経て現職。研究領域は「高等教育政策」「科学技術政策」「産学連携の国際比較」など。4月から東北大学工学研究科教授に就任。

祖父の夢をかなえるために、中学2年で渡仏

渡仏直前に成田空港で撮影された若き日の原山さん。初めての海外生活を前に、ちょっと緊張した面持ち?

渡仏直前に成田空港で撮影された若き日の原山さん。初めての海外生活を前に、ちょっと緊張した面持ち?

研究員、原山優子さんはRIETIWebサイトのフェローページにある 原山さんの経歴 をご覧頂くとおわかりの通り、ブザンソン大学やジュネーブ大学を経てRIETIの研究員になった方である。そんな海外経験豊な原山さんが外国生活を初めて体験したのは中学校2年生の時。そのきっかけはとてもユニークだ。明治生まれの原山さんの御祖父様は洋菓子を学ぶために渡仏し、帰国後は洋菓子の老舗であるコロンバンののれんわけの店を日本に開店させたという当時としては非常にハイカラな人物。そんな門倉(原山さんの旧姓)御祖父、ご自身が渡仏した時はすでに成人しており、フランス文化を吸収するには少々年を取り過ぎていた。その事が大変心残りだった門倉氏は、親族の中にフランス文化に親しんだ人材を生み出そうと考え、孫である原山さんにその白羽の矢が当たったというのだ。

「面白そうだったから、『行ってきま~す』って感じだったんですよね(笑)。パリ郊外のカトリック系の女子校に入学して、ハイソサエティな世界に3年間どっぷりつかってきました」

グローバル化が進んだ現代ならいざしらず、1951年生まれの原山さんの時代は単身フランスへ留学する子供など皆無に等しかった。高校の途中で日本に帰国した原山さんは東京にある暁星学園国際部日仏科へ転入するが、結局「日本の教育システムからドロップアウトした」扱いになり、日本の大学を受験するには、大検を受けなければならなくなった。その時、原山さんは初めて教育システムに対する疑問を抱いたという。現在の原山さんの研究領域の1つである「高等教育政策」のルーツを辿るとここに行き着くというわけだ。
日本に帰国した当初は日本の大学進学を考えていた原山さんだが、日本の大学進学は辞め、フランスのブザンソン大学へ入学する。

「結局、バカロレアがとれたのでフランス大使館にかけあったら給費が出たんで、スイス国境に近いブザンソン大学へ入学しました。当時は数学が好きだったので、数学を専攻しました」

今年で結婚29周年を迎える原山ご夫妻

今年で結婚29周年を迎える原山ご夫妻

フランスの大学に入学後も原山さんの流転の人生は続く。原山さんが19歳の時、暁星学園時代に家庭教師をしてくれていた男性(現在のダンナ様である原山重明さん)とパリのモンパルナスで運命の再会。その後おつきあいが始まり、結婚するために大学卒業後すぐに日本に帰国することになる。
帰国後、日本の大学の大学院に進もうと考えた原山さんだが、大学院の入学試験日が結婚式の次の日で受験失敗(笑)。早稲田大学の大学院で聴講生をしているうちに、第一子を妊娠。その後2歳違いの第二子を出産し、子育てに奔走する日々が続く。さらに3人目のお子さんが生まれ、原山さん一家はバイオ研究者であるダンナ様の仕事の都合で1983年にジュネーブへ赴任する。このジュネーブでの生活が原山さんを社会復帰へと導くことになる。

ジュネーブでの生活が転機。研究の道へ

子育てに奔走していたジュネーブ時代

子育てに奔走していたジュネーブ時代

「ジュネーブのアパートのすぐ側に託児所があったんですよね。上の子二人はもう小学校に通っていたし、下の子を託児所に預けて社会復帰することにして、ジュネーブ大学の教育学部に進学しました。ジュネーブ大学はとてもフレキシブルに学べるシステムになっていたので助かりました。単位や曜日も自由に選択できたし、最長8年まで在学できたのが、子育て等で忙しい私にとって魅力的でした」

ジュネーブ大学の教育学部で選択した「教育経済学」の授業をきっかけに、原山さんは経済学に目覚めることになる。
その後、ジュネーブ大学の教育学博士課程と経済学博士課程を終了し、ジュネーブ大学経済学部助手やジュネーブ大学経済学部助教授等を経て、研究員となった原山さんは、前述の「高等教育政策」のほかに「科学技術政策」「産学連携の国際比較」などを研究している。
この春から東北大学で「技術政策」について教鞭をとる原山さんだが、RIETIWebサイトのコンテンツ「 今週のコラム 」でも執筆していただいた「大学改革」は原山さんが最も関心のある研究分野の1つだ。昨年12月に開催されたRIETI政策シンポジウム「 産学連携の制度設計:大学改革へのインパクト 」で行われたパネルディスカッションでも原山さんはチェア・パーソンを務めている。最近では東京都の大学改革が面白い動きを示しているなど、「大学改革」に対する大学関係者の情熱は高いという。

大学は歴史的に大転換期。この流れに大学内部から関りたい

昨年12月11日に開催されたRIETI政策シンポジウム「産学連携の制度設計:大学改革へのインパクト」でパネルディスカッションのチェアパーソンを務める原山さん

昨年12月11日に開催されたRIETI政策シンポジウム「産学連携の制度設計:大学改革へのインパクト」でパネルディスカッションのチェアパーソンを務める原山さん

「大学は今歴史的にも大変化の時を迎えています。これほど大きな流れはめずらしい。小泉内閣が『構造改革』とよくいっているけれど、国立大学が数年後に非公務員型の法人になる動きといい、大学改革が構造改革のはじめの一歩として国のモデルケースになる可能性は高いです。こういった新しい流れに大学内部から関ることはとてもチャレンジングですし、東北大学のオファーを受けた理由の1つでもあります」

原山さんの考える教育のコアとなる部分は"自立した人間を育てる"ということ。このコアを抜いてはどんな高等教育も意味はない。これまでの日本は良い大学を卒業すれば、良い企業に定年まで勤めることができ、定年後は年金をもらって生活できるといった「社会のルール」が整備されていたため、自分の頭で物を考えなくてもそこそこ真面目に生きていれば人生を渡って行くことができた。しかしこれからの日本ではそうはいかない。まず「自分で考えさせる」「自分でやらせる」といった教育を家庭教育から徹底しないといけないのではないか。

「学校はいろんなことを"知っていく"ことが楽しいということを知る場所であるべきなんですよ。大学が何のためにあるのか疑問に感じる部分もあるんですが、学生にとっての大学、社会から見た大学、いろんな角度からどんな大学が良いのか模索していきたいですね」

3人のお子さんの子育て、妻業、幾度とない海外生活など、目まぐるしい生活の中で常に新しい興味の対象を見つけ、目的に向かってチャレンジし続ける原山さん。そのパワーの源は一体どこにあるのかと伺うと、「面白そうだなと思ったことをいつもやっていただけ。基本的に好きなことだけやって生きてるだけですよ」とのなんとも気張らないお答えが返ってきた。女性ならではの人並みならぬ努力や苦労もあったと思うが...。

別居生活は長いけれど夫婦円満。時代の先端を行く原山一家に日本の家族の未来像を見る

「そりゃあいつもかけっこしてるみたいでしたよ。子供が大きくなるまでは子供を寝かしつけて夜の9時からようやっと本が読めるといった生活でしたから。就職の時に不満に思うのは、履歴書に"育児期間"を書く欄がないところ。ブランクがあると『あなたはこの時期何やってたんですか?』って聞かれちゃうから、"育児をしてました"とか書けるようにしてもらいたいですね。それから年齢制限をつけないようにもして欲しい。でも女性の特権は、最悪の場合、ご主人に食べさせてもらえばいいというところ(笑)。わたしの周りでも女性の方が労働に対してリスキーな選択をしていますよ」

お話を伺っていると、相当パワフルで努力家なことは確かだが、「気負うことなく軽やかに」が原山流という印象を受ける。また、原山さんだけでなく、原山一家も既成の"家族"という概念を越えたスタイルで成り立っているようだ。原山さんご夫婦は現在別居10年目(注:インタビュー中何度か確認したが、夫婦仲は良好)。ダンナ様は仕事の都合で現在岩手県の釜石市で暮らしている。4月から東京に戻ってくることになっているが、今度は入れ替わりで原山さんが仙台に行ってしまうというまさにすれ違いカップル。

数少ないという家族全員が揃った貴重な写真。写真左から、次男の武士さん、長女の明子さん、原山さんのお母様の輝子さん、ダンナ様のお母様の八重子さん、原山さん、写真後方左がダンナさん、写真後方右が長男の純一さん

数少ないという家族全員が揃った貴重な写真。写真左から、次男の武士さん、長女の明子さん、原山さんのお母様の輝子さん、ダンナ様のお母様の八重子さん、原山さん、写真後方左がダンナさん、写真後方右が長男の純一さん

「主人とは月2、3回会うって感じですね。会うと『オスッ!』って感じで(笑)。最近はEメールでやりとりしたり、コンファランスに一緒に行ったりしてますよ。研究分野が重なる部分も出てきたんで、トシとったら一緒にペーパー書こうかなんていってるんですよ。うちはほんと変な家族でね。長男と長女はスイスで暮らしてますし、一家5人が全員集合することなんて滅多にないの。誰かが欠けてる。今は私が次男と東京で二人暮らしをしているんですけど、4月からは私が仙台に行っちゃうでしょ。で、今度は主人が東京に戻ってきて次男と二人で暮らすことになるんだけど、男二人の生活がどうなるのか見物です(笑)」

成熟期を迎えた日本では女性の社会進出の増加に伴い、今後結婚制度もどんどん変化していくことだろう。案外原山家のようなライフスタイルが主流になる日も近いかもしれない。でも「別居結婚」はもちろん、「男女雇用機会均等法」という言葉すら浸透する以前の世代でそれを軽々と、しかもにこやかに実践してしまうとは、やっぱり原山さんは只者じゃない。原山さんにRIETIでの1年間の感想を伺うと「面白かった! やりたいことをやって仕事になるっていうのはこの上ない幸せ。いろんな人に逢えたし、ネットワークも広げられたし、ますますやりたいことが増えて大変」と、こちらまで元気になるような溌剌としたお答えが返ってきた。原山さん、RIETI同様に東北でも原山旋風を巻き起こしてくださいませ!

取材・文/広報グループ編集担当 谷本桐子 2002年3月25日

2002年3月25日掲載