日本で「産学連携」という言葉が社会的容認を受け、企業、大学、政府の各界でキーワードとして頻繁に登場するようになったのは、ここ数年の現象である。
この背景には、イノベーション・モデルの再考、技術革新を牽引役とする経済成長への期待、科学・技術の社会に対するアカウンタビリティーの要求など「産」と「学」を取り巻く環境の変化がある。「知識集約型経済への移行」、「新企業・新産業創出による景気低迷からの打破・雇用創出」、「技術移転を軸とする大学の社会貢献」といった根拠がよく引き合いに出される。
「産学連携」の社会化のプロセスは、社会学でいう「価値観の共有」ではなく、「多様な価値観の共存」であるという点でチャレンジングであるが、それがゆえ、数多くの問題を内包する。各人がそれぞれの立場で、「産学連携」を解釈し、実践し、利用している。「産学連携」を目的化することさえある。うまく活用するすべを知っていればワンダフルなツールであるが、ツールに使われてしまうという危険も含む「諸刃の刃」である。
政策面においては、1995年の科学技術基本法の制定を機に、大学等技術移転促進法(1998)を始めとする一連の産学連携推進施策が取られてきた。また審議会レベル、総合科学技術会議においても「産学連携」に関する議論がなされ、政策ツールとしての位置付けも確固たるものとなった。
これまで政府主導で推進されてきた「産学連携」であるが、この数年間に蓄積してきた体験を踏まえた上で、「今後いかなる制度設計が必要か」、また「その制度の中で政府はいかなる役割を果たすべきか」、という議論を展開する時が来たのではなかろうか。
私が編者となった「産学連携―『革新力』を高める制度設計に向けて」は、この議論に一石を投じることを目的としている。以下その内容を簡単に紹介する。
経済産業研究所は2001年12月に政策シンポジウム「産学連携への制度設計――大学改革へのインパクト」を開催した。キーノート・スピーカーとして迎えたコロンビア大学のネルソン教授とカリフォルニア大学バークレー校のホッジス教授の基調講演が本書の出発点となっている。
第一部では、海外における「産学連携」の現状として、3つのケースを取り上げている。
第一章「技術革新における米国の研究大学の貢献」(リチャード・ネルソン)は、アメリカの大学が技術革新に貢献し、またそのことにより大学自らの市場価値を高め、アクターとして確固たる地位を築いてきたことを明示している。古くは農業技術の開発に始まり、州立大学工学部の地元産業へのサポートを通じで、長年にわたりアメリカの大学は「産学連携」を実践してきた。またアメリカの大学は技術移転のみならず、革新的技術が登場すると、それをいち早くカリキュラムに取り込み、また学問分野として発展させることにより、新産業の発展に貢献してきた。ローゼンバーグが指摘するアメリカ研究大学の「Responsiveness」である。まさに大学と産業はMutually beneficialな関係を構築してきたのである。この現象は、バイ・ドール法制定以前からのものであることをネルソンは主張している。また大学による特許取得が、大学からの技術移転を推進するために必須なものであるという通説に対し、このことがもたらすマイナスな面を指摘し、技術革新を停滞させる恐れすらあることを警告している。「産学連携」の促進に有効とされるツールにアクターの行動が制限されてしまう一例である。
第二章「産学連携とスピンオフ企業の台頭」(デビッド・ホッジス)は共同研究という切り口から「産学連携」を分析する。共同研究の主な成功要因として、科学的な基盤が存在し、派生効果を有効に活用できる環境が整えられ、また「産」と「学」がパートナーとして長期的なビジョンを共有することが挙げられる。「産学連携」がMutually beneficialであるためには、このような環境の整備が必要となるわけだが、アメリカにおいて政府は、研究資金と共同研究の枠組みの提供といった形で、産学連携の基盤作りに貢献してきた。大学による特許所得に対しても、医薬品・バイオテクノロジーの分野では大学からの技術移転に効果があったものの、他の分野、特にコンピューター・エレクトロニクス・ソフトウェア等の分野では、マイナス効果が大きいとしている。大学本来の機能である知の生産とその普及にブレーキがかかる恐れがあると指摘した上で、共同研究の成果を公共財産とする、あるいはそれに近い形で公開することを提唱している。「産学連携」の光と影を浮き彫りにしている。
第三章「中国の大学企業と産学『合作』」(角南篤)は、近年めざましい勢いで研究開発能力を強化し、モデルとしてのナショナル・イノベーション・システムに新しい息吹を導入しつつある中国に焦点を合わせる。民間主導の産業組織が未成熟な状況にあったことから、大学には技術革新の推進役として、また企業育成によるハイテク産業構築への貢献が期待された。よって「産学『合作』」において大学は主導的な立場にあり、企業と補完的な関係にあるアメリカの大学とは一線を置く。アクターとしての「産」を確立するためのツールとして「産学『合作』」を位置付けることができよう。大学の法人化を皮切りに柔軟化、重点化の方向に制度改革が進み、校弁企業の数もめざましい勢いで伸びていった。これまで「産業と大学の機能の境界を限りなく曖昧なものにすることによって」推進されてきた「産学『合作』」であるが、最近になり「教育・研究と企業経営をバランスよく管理する体制」の必要性が問われるようになってきた。また大学に発生する校弁企業の経営責任、教育機能および基礎研究のレベルアップの遅れ、偏った研究資源の配分といった問題も表面化してきた。実践から入った「産学『合作』」であるが、中国は今、その制度設計に着手し始めたのである。
第二部では、日本における「産学連携」の現状を分析する。「バイオテクノロジーとエレクトロニクスの分野では産学連携の形態がまったく異なる」というネイサン・ローゼンバーグの仮説が出発点となっている。
第四章「バイオテクノロジー分野の研究開発と産学連携」(中村吉明)は、バイオテクノロジー分野における産学連携の特徴を技術革新モデルの視点から明らかにした上で、インタビュー調査に基づきバイオ・ベンチャー企業を分析する。アメリカでは、バイオ・ベンチャー企業が「産」と「学」の仲介機関として機能していることを踏まえ、日本のバイオ・ベンチャー企業が、「産」と「学」との関係を自らどのように位置付けているかを調査した。また日本でバイオ・ベンチャー企業を育成し、またこれらが産学連携の仲介役として活躍できるようにするためには、いかなる環境整備が必要かという点にも言及する。
第五章「マイクロ・ナノ・システム・テクノロジー(MNST)分野における産学連携 現状と課題」(原山優子・和賀三和子・児玉俊洋・戸津健太郎)では、MENS(MicroElectroMechanical Systems)に代表される、マイクロ・ナノ・システム・テクノロジー分野に焦点を合わせ、「産」と「学」の間に存在するリンケージを考察する。電子工学、機械工学、材料科学、化学、生物学等、横断的なアプローチを必要とする点、多領域への応用の可能性、モード2タイプの研究体制、といったこの分野の特徴を踏まえた上で、MNSTの発展段階における大学と産業の役割を明確にする。産学連携の現状については、インタビュー調査を基に分析される。産学連携の形態は、共同研究、受託・委託研究、研究会、共同研究センター等、フォーマルなもの、人およびベンチャー企業を介した連携、個人ベースのものと、多種多様である。またこの分野では新たな産学連携のスキームも登場しつつある。比較要素としてアメリカの状況を取り上げた上で、このように形成された「産」と「学」のリンケージが、なぜ新産業創出へと発展していかないのかという点を論議する。そこには、MNSTに特有な問題が多分に存在することから、政策面においても、分野の特性にマッチした対策が必要であるとしている。
第三部では、日本の「産学連携」を取り巻く環境を取り上げる。
第六章「産学官連携:工業技術院と産業技術総合研究所の比較」(藤本昌代)では、ここまで「産」と「学」を中心にとらえてきた「産学連携」から一歩踏み出し、「産学官連携」に焦点を合わせる。経済産業省所轄の試験研究機関である産業技術総合研究所の事例研究を通して、研究機関の三本柱の1つである政府研究機関の位置付けを試みる。工業技術院時代には、基礎的な研究もカバーすることから「学」に対して代替的な関係に、また産業への貢献をミッションとすることから「産」に対しては補完的な関係にあったが、独立行政法人化に伴い、2つの大きな流れが生じたようである。その1つが、「総合」の名が示すように、研究活動を総合的にサポートする体制の確立である。そこには、これまでは体系的に行われていなかった研究成果の発掘・運用を戦略的に遂行するスキームの整備、人材の確保等が含まれる。また自らの存在を外部にアピールする動きも出てきた。これまで受動的であった社会との関係が見直され、より積極的に産業、大学、地域へ貢献していくというスタンスがうかがえる。また2002年夏には「ベンチャー支援室」が設立された。研究施設利用、利用料の大幅な減額、起業に関する情報などインキュベーション機能を所内に設置し、産業技術総合研究所が関連した研究開発からの起業を積極的に支援する。
産業技術総合研究所と衣替えして2年目を終えようとしているが、「産」と「学」との関係は進行中のプロセスにあり、明確な位置づけは難しい。産業技術総合研究所は「産学連携」に新しいダイナミックスを生み出すポテンシャルを持っているが、それをいかに活用していくかは、ナショナル・イノベーション・システムにとっても今後の大きな課題となる。
第七章「カリキュラムの変遷に見る研究大学の外部変化への対応性」(星野友・原山優子・畑谷成郎)では、大学の持つポテンシャルを「外部への対応性」という視点から考察する。国立大学法人化に伴い、大学はこれまで以上に取り巻く環境から影響を受けるようになっていく。独自性・自律性を確保ながら、いかに産業をはじめとする社会のニーズに応えていくかが大きな課題となる。本書では、東京工業大学の電気・電子学科のカリキュラムの変遷を分析することにより現状の把握を試みた。そこで明白になったのが、学内組織の改革がカリキュラムの新陳代謝の大きな要因になっている点である。また新しい科目の導入に関しては、一律のルールが存在するわけではなく、カリキュラム委員の判断に委ねられている。よって、技術パラダイムの推移は、システマチックにというより、新しい分野がある程度成熟し、なおかつ学科の組織改革と重なったときに断片的に教育プログラムに反映されていく。人材養成においては、基礎教育・専門教育のバランスを考慮し、また現業実習といった企業における体験も重視しながら、企業のニーズに応えるというスタンスを東京工業大学は古くから取ってきた。工学系カリキュラムの標準化というJABEEが導入した新しい流れと、国立大学法人化の波により、対応性がさらに高まることを期待する。
これまでに施行された一連の産学連携推進政策により、「産」と「学」の関係を明確にするルール作り、規制緩和が進み、それと同時に「産学連携」は社会的な認知を獲得した。
大学においては「産」との連携が徐々に外部資金の獲得、社会へのアカウンタビリティーの向上へと結びついていっている。企業は「学」との連携を、技術ポルトフォリオの拡充、基盤技術の蓄積、情報源の確保、人材へのアクセスに活用しはじめた。教育と研究の間、基礎研究と応用研究の間、大学人と企業人の間にリンケージが起こることにより、「産学連携」がもたらす効果がよりビジブルなものになってきた。それと同時に、産学連携を一面的に捉えることによって弊害が生じてきている事も事実である。大学内における格差の広がり、アイデアの源となる自由なディベートの場の縮小、産学連携の目的化といった現象を回避していくことが今後の課題となる。「産学連携」のもたらす経済効果は中・長期的なものであり、また主に派生効果として間接的に出てくることから、短期的な経済効果は必然的に限られたものとなる。当初の期待が大きかっただけに、失望感も大きい。これらの問題を踏まえ、そして「産学連携」はあくまでも「産」と「学」が主体的に活用するツールであるとの認識のもと、「産」と「学」の連携をサポートしていく。今まさに政府の手腕が問われている。
(注)本稿の大部分は、本文で紹介した原山優子(編)「産学連携―『革新力』を高める制度設計に向けて」東洋経済新報社(2003年4月)の「はじめに」と「Mutually beneficialな産学連携の構築に向けて」から抜粋して再構成したものである。