小宮隆太郎先生を偲ぶ

森川 正之
所長・CRO

小宮隆太郞先生が御逝去された。

小宮先生は1987年に設立された通商産業研究所(通産研)の初代所長に就任され、1997年までの10年間所長を務められた。通産研は、2001年に発足した経済産業研究所(RIETI)の前身に当たる機関であり、現在のRIETIの研究体制の「基礎の基礎」を築かれたのが小宮先生である。先生は高度成長期のいくつかの局面で、通産省の政策に否定的な論陣を張ったことで知られており、御自身、通産研の所長への就任を依頼されたことは、「青天の霹靂」だったと自伝(小宮, 2013)の中で述懐しておられる。批判的な意見も持った一流の経済学者を所長として招いたことには、当時の通産省の見識と懐の深さを感じる。

小宮所長は、研究成果をディスカッション・ペーパーとして公表した上で、外部の複数の専門家の査読を受けて完成させるという手続きや、客員研究官として大学に在籍する経済学者を研究活動に参画させる仕組みを作られた。これらは、多少形を変えながらも基本的には現在のRIETIに承継されている。最近と違ってインターネットで学術誌の論文を簡単にダウンロードできる時代ではなかったが、研究員たちは所長室に備えられた先生個人所有の英文学術誌を過去に遡って閲覧できるという恩恵も受けた。

私自身は1990年代半ば、したがって小宮先生の通産研所長の後半の時期に、同研究所の主任研究官として、いわば「上司」としての先生にお仕えすることとなった。学生時代、『価格理論』、『国際経済学』という代表的な教科書(今井他, 1971-72; 小宮・天野, 1972)を使って勉強した者として、お名前はもちろん知っていたし、『国際経済学研究』(小宮, 1975a)や『現代日本経済研究』(小宮, 1975b)という単著も自分なりに拝読していた。しかし、小宮ゼミに所属していたわけではなく、先生の講義を受けたこともなかったので、直接お会いするのは初めてだった。

経済政策をめぐって論争的な文章を書かれる高名な経済学者なので最初は緊張したが、温かいお人柄のおかげですぐに打ち解けてお話ができるようになり、ランチや夕食会で御一緒することも多かった。その後、日本経済学会に入会する際には推薦人の一人にもなっていただいた。御自身も書かれているとおり(小宮, 2013)、日本各地の現場を見ることが大事だというお考えで、「産地調査」という通産省の資料にも丹念に目を通されていた。地方の工場見学に同行させていただく機会もあったが、技術的な質問も多くされるなど、幅広い好奇心を持った方だと感じた。

当時、通産研の常勤研究員のほとんどは通産省や民間企業・団体からの出向者だった。学術的なバックグラウンドのない研究員に対して、小宮先生はゼミでの指導経験をもとに論文の書き方について懇篤な指導をされた。①論文を書くに当たって明確な「仮説」を持つべきこと、②体裁を含めてきちんとした参照文献リストを付けるべきこと、を強調されていたのが強く記憶に残っている。仮説なくデータを解析して観察事実を示すというタイプの研究は、「解剖学的」研究と称してあまり評価されなかった印象がある。御自身が書かれるものもそうだったが、常識(「通念」)と異なる結論を導くような研究を高く評価されていたように思う。最近、私は論文執筆の指導や審査に関わることが多くなったが、間違いなく今でも小宮先生の影響を強く受けている。

当時は日本の貿易収支、経常収支の黒字が米国から強く批判されていた時代で、先生は主として貯蓄・投資バランスの考え方に基づき、黒字を問題視するのは間違いであるという論陣を張られていた(小宮, 1994)。1995年には急速に円高が進み、政策現場の関心も高まっていた。そうした中、「為替レートはどう決まるか」という共著論文を執筆させていただく機会をいただいた。その後、通産研時代の先生の論文をまとめた『日本の産業・貿易の経済分析』(小宮, 1999)の一章として収録されている。形式的には共著論文だが、実質的には小宮先生の考えを文章化したもので、私にとっては貴重なOJTだった。いくつかの論点が含まれているが、長期的に実質為替レートは交易条件を反映するというのが一つのポイントで、円安が進む最近の日本経済への示唆もあるように思う。

日本の産業政策は世界的に注目され、1980年前後から経済学者による研究も活発化していった。長期停滞に入る前の日本経済が好調だった時代で、経済学の分野では新産業組織論、新貿易理論、内生的成長理論といった産業政策の理論的根拠となるような研究が盛んになった頃である。それ以前を含めて、小宮先生ほど産業政策について多く書かれた経済学者は少ないのではないだろうか。例えば、産業政策に関する日本で初めての体系的な書籍『日本の産業政策』(小宮・奥野・鈴村編, 1984)の序章で、「産業政策とは何か」、「産業政策の理論的基礎」、「過当競争」、「産業政策の意思決定プロセス」などについて記述している。『日本の産業・貿易の経済分析』(小宮, 1999)では、「1980年代の日本の産業政策」、「日本の産業調整援助」という二つの章が産業政策と直接に関係している。

小宮先生は、いくつか慎重な留保をした上で、産業政策を「政府の経済政策のうち、いわゆる『市場の失敗』に対処するために、あるいはその他の何らかの目的で、政策当局がさまざまな手段を使って産業間の資源配分に影響を及ぼし、また民間企業のある種の経済活動を規制・抑制・促進しようとする諸政策」と定義している(小宮, 1999)。そして、戦後日本の経済発展は主として民間企業の創意・活力を通じて実現したもので、産業政策の果たした役割はマージナルなものだったというのが基本的な主張である。

他方、幼稚産業保護、研究開発の促進、政策税制・金融の情報効果、産業調整援助、環境保全といったさまざまな政策を「市場の失敗」を補正する産業政策として挙げており、産業政策の役割を否定していないのはもちろんである。経済学的な概念(「共通言語」)を使って産業政策を整理することを通じて、研究者と実務者の対話が成り立つ端緒を作られたわけで、その流れは学術研究と政策実務を橋渡しするという現在のRIETIの行動原理にもつながっている。ただし、具体的な個々の産業政策が産業・経済に与えた効果を評価することは困難であり、立ち入らないと述べておられる。政策の因果的な効果を解明する方法論が未成熟で、産業政策を対象とした質の高い実証研究がごく限られていた当時としては自然な判断だっただろう。

小宮先生が、現在の日本経済や世界経済の問題がどこにあり、産業政策を含めて最近の経済政策をどう評価されるのか伺いたいところだが、残念ながらもはやそれはできない。計量経済分析の技術進歩が進み、また、当時よりもデータの利用可能性が拡がった現在、エビデンスに基づく政策形成に役立つような研究の余地は拡がっている。政策実務者の間でも、そうした研究の重要性に対する理解が高まっている。我々としては、客観的・中立的な研究を積み重ね、良い政策提言を行うことを通じて、小宮先生から受けた御恩に報いていきたい。

参照文献
  • 今井賢一・宇沢弘文・小宮隆太郎・根岸隆・村上泰亮 (1971-72), 『価格理論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』, 岩波書店.
  • 小宮隆太郎 (1975a).『国際経済学研究』, 岩波書店.
  • 小宮隆太郎 (1975b).『現代日本経済研究』, 東京大学出版会.
  • 小宮隆太郎 (1994).『貿易黒字・赤字の経済学:日米摩擦の愚かさ』, 東洋経済新報社.
  • 小宮隆太郎 (1999). 『日本の産業・貿易の経済分析』, 東洋経済新報社.
  • 小宮隆太郎 (2013). 『経済学 わが歩み:学者として教師として』, ミネルヴァ書房.
  • 小宮隆太郎・天野明弘 (1972). 『国際経済学』, 岩波書店.
  • 小宮隆太郎・奥野正寛・鈴村興太郎編 (1984). 『日本の産業政策』, 東京大学出版会.

2022年11月15日掲載

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