インタビュアー:尾崎 大輔(日本評論社『経済セミナー』編集長)
所属・役職はインタビュー当時のものです。
1. 公務員を経て、労働経済学の世界へ
尾崎:
このインタビュー・シリーズでは、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)で研究に取り組む皆さまに、政策現場に近いところでの研究の実際や、その醍醐味を伺います。今回は橋本由紀さんです。まずは自己紹介からお願いします。
橋本:
RIETI上席研究員の橋本です。専門は労働経済学ですが、RIETIではEBPM(Evidence-Based Policy Making)担当の政策エコノミストとして産業政策の評価分析も行っています。
東京大学経済学部では経済史の岡崎哲二先生のゼミに所属していました。岡崎先生は、歴史的な事象の影響をデータに基づき分析するというアプローチを日本でいち早く取り入れていらっしゃいました。岡崎先生に相談しながら卒業論文を書く過程で、データからみえる影響の輪郭や論文の執筆がちょっと楽しかったという感触を得て卒業しました。勉強が好きで得意そうに見えた人が選んでいた一般均衡理論、ゲーム理論、金融などに関心は向きませんでした。経済学全般が好きということもなかったので、データ分析のぼんやりとした充実感がなかったら、今のキャリア選択はなかったかもしれません。
学部卒業後は法務省に就職しました。いわゆる就職氷河期世代です。厳しい環境はわかっていたつもりでしたが、働く覚悟や意欲も低調で、「面白そうなことに遭遇すればアンテナが反応するだろう」くらいに考えていた「ぬるい」学生でした。法律や外国人行政との接点も皆無でしたが、面接官の方と出身(富山県)が同じだったり、「経済学の知見が法務行政に必要となる時代が間もなく来るはずです」と言われたりしたことでご縁を感じ、入国管理局を中心に4年間勤務しました。
研究者への転向を意識した転機は、2年目に配属された東京入国管理局の現場での経験でした。関東管内の裁判を傍聴し、不法残留や偽装結婚など有効な在留資格を持たない外国人女性の帰国や残留の意思を確かめる聞き取り調査が日々の業務でした。彼女らが日本に来た理由は、仕送りをして母国の家族に楽をさせてあげたい、貯金をして商売を始めたいなどの経済的な理由が大半でした。外国人を搾取する人や企業、法律違反を知りつつ仕事を続ける外国人の双方に言い分があり、生々しい現実を見聞しつつ行政手続きを遅滞なく進めていくことは、強烈な社会勉強となりました。こうした日々の中、外国人が国境を越えて働くという意思決定、外国人を雇う企業の動機や帰結など、外国人労働と経済社会の関係について、徐々に興味がわいてきました。
同時に、法律の専門家の方々が居並ぶ法務省において、法制度の整備や執行の面で私が貢献できる部分はあまりないとも感じていました。そこで有給休暇を取得して、岡崎先生にご相談に伺ったところ、「外国人労働を研究するのなら、労働経済学を専門とした方がよいでしょう。『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論新社、2001年)を読んでから玄田先生を訪ねてください」と助言くださり、東京大学社会科学研究所に着任されたばかりの玄田有史先生をご紹介いただきました。翌春、法務省を辞して大学院に入学しましたが、やりたい研究があるという意欲はあっても、研究のスキルや研究者としての意志が確立しない中で、かなりつらい大学院生時代でした。
尾崎:
ご研究では、外国人労働の中で特にどんな問題に注目されたのでしょうか。
橋本:
外国人労働は、それぞれの時代に人数が急増したグループに関心が集中します。大学院に入学した2005年頃は、南米出身日系人労働者の就労がピークを迎えつつありました。
北関東や東海地方に大きなコミュニティが形成され、その多くは製造業現場の派遣・請負労働者として約30万人が就労していました。フィールドワークをまとめた事例研究はすでに相応にありましたが、データ分析へのこだわりから、修士論文ではブラジル人労働者向けの求人広告からデータベースを作成して、彼・彼女らの雇用が日本人と比べて不安定であることを明らかにした論文を書きました。
尾崎:
博士課程でも、引き続き同様のテーマで研究されたのですか。
橋本:
2000年代は、技能実習生も増えていました。日系人労働者を技能実習生に置き換える事業所、はじめての外国人として技能実習生を雇う事業所が増えていました。技能実習生制度はすでに人権侵害などの批判にさらされていましたが、労使の双方にメリットがあればこそ制度が急拡大したのだろうと考え、技能実習生の雇用と企業の成長や存続との関係、日本人労働者への影響について分析したいと思いました。しかし、外国人労働についてデータ分析を行いたいと意気込んでも、大学院生が使えるデータは、調査対象や方法に偏りのあるサンプルサイズが数百程度のアンケート調査くらいしかありませんでした。
データがなければ現場を見ようと考えて、外国人集住地域の自治体や工場、監理団体や支援組織など、国内外で聞き取り調査も行いました。それでも執筆する論文はデータ分析に固執しました。「この程度の質のデータしか準備できないのであれば、よい査読雑誌には載らないだろうし、そもそも研究する意味はないのでは」と言われたりもしました。その一方で、「君は(夫が仕事をしていて)生活には困っていないのだから、査読や就職への近道を求めるような研究はすべきではない」と言ってくださった先生もいました。結局、研究テーマを選び直すこともなく、データがない間の修行と思い回り道を重ねました。今の若い方には推奨しません……。それでも、大学院からポスドク時代に関心の赴くままに方々を見て回り、研究の種はたくさん蓄えることができました。さらに、最近分析に使えるデータが増えて研究に着手できるようになったテーマもあり、蛇行の連続もこの数年はようやく「人間万事塞翁が馬」と思えるようになりました。
2. 大学での仕事と生活
尾崎:
続いて、大学院を卒業された後のキャリアについて教えてください。
橋本:
私は大学院に入学するタイミングで結婚しました。夫の扶養家族として社宅に住み、リサーチ・アシスタントのアルバイトで学費を支払っていました。大学院博士課程の2年目に夫の会社派遣でのアメリカ留学が決まりました。同じタイミングで私は、日本学術振興会特別研究員(PD)に採用され、メリーランド大学に訪問研究員として受け入れていただきました。日米を往復しながら学位を取得した直後、夫にアメリカの関連会社勤務の辞令が発令されました。私の研究実績ではアメリカに残って研究活動を続けることは難しいと判断し、単身での帰国を選びました。一橋大学経済研究所での任期付きのポストを経て、九州大学に労働経済の教員として就職しました。
九州では、「あそこのちゃんぽん絶対食べたほうがよいです」とゼミ生から情報共有してもらったり、「このみかん食べてみて~」と温泉で居合わせた方からお裾分けをいただいたり、明るくオープンな土地柄に感化され今でも強い愛着があります。ところが、福岡に来て3年ほどたったあたりから、アメリカや東京との間を飛行機で往復する生活に体がしんどくなってきました。授業も研究も生活も、時間と体力が足りない、どれも中途半端にしかできないというジレンマに陥っていきました。そして、少し前に東京に戻っていた夫の不調、続く私の病気が追い打ちとなりました。それまで健康だけが取り柄と思っていましたが、単身生活が難しくなる中で、持続可能な生活のためには取捨選択が必要と悟りました。そして、大学の教職から離れて東京に戻ることを決めました。
3. 政策担当者と密に連携したEBPM
尾崎:
そして、RIETIに着任されたのですね。
橋本:
折しも政府でEBPMの機運が高まる中、RIETIが産業政策のEBPM分析を行う研究員を募集しており、2018年に「政策エコノミスト」の1期生として採用されました(注1)。大学院時代にRIETIのプロジェクトのリサーチ・アシスタントをしていたので、研究所内には知己の方もいらっしゃいました。EBPMの分析業務と所内外の研究プロジェクトの学術研究のそれぞれに割く時間は、時期にもよりますが、年間を通じて半々くらいです。
尾崎:
半々となると、EBPMのお仕事に割く時間や労力はかなり大きいのですね。
橋本:
EBPMのプロセスは、経済産業省の各部局が RIETIに分析を依頼したいテーマを官房業務改革課が集約し、RIETIに伝えられます。RIETIサイドでは、経済産業省からの出向者が政策コーディネーターとして調整役となり、政策エコノミストの関心や専門に応じて担当案件が決定します。分析の成果は、ディスカッション・ペーパーとしてRIETIのウェブサイトに公開しています。論文には書かれないEBPMの試行錯誤については、政策コーディネーターの関沢洋一さんが書かれたコラムをぜひ読んでいただきたいです(注2)。
EBPMにおいて効果をみたい政策は、政策が執行される前段階から研究者が調査設計に関わることが理想的です。しかし実際には、すでに執行された政策について、事後的に効果検証を求められることが多いです。そして、因果推論を行おうとして、処置群の情報はあっても統制群の情報が足りないというケースもしばしばあります。たとえば、補助金事業に採択されなかった事業者の方に、不採択後の5年間の企業業績を報告くださいとお願いすることは現実的ではありません。そのため、統制群の情報を得るために工夫が必要になります。たとえば、東京商工リサーチ(TSR)の企業データベースにある売上情報を両群に共通する効果の指標として利用したりします。しかし利用可能な変数が、分析対象事業の政策目標(KPI)と一致しないことも少なくありません。そのような場合は、経済産業省の担当部局と相談しながら代替の効果指標を探ります。
尾崎:
これまでに取り組まれたプロジェクトの中で、特に印象的なものは何でしょうか。
橋本:
EBPM研究員として着任以来現在も取り組んでいるのが「ものづくり補助金(ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金)」の効果検証です。これは中小企業向けの設備投資補助金で、補助金を受給した事業者への効果を測定します。この補助事業のKPIは「生産性の向上」が示されていました。
ところが、中小企業向けの調査では、負担軽減のために調査項目の少ない簡易調査を行うことも多く、生産性の代表的な指標である付加価値額やTFP(全要素生産性)などを計測することができません。補助事業のKPIに合致する指標は利用できないことを経済産業省の方に伝えたうえで、1人当たり売上高を代替的な生産性の指標とすることについて納得いただき、分析を進めていきました。
尾崎:
分析の限界と政策現場のニーズの折り合いをつけるのは大変そうです。
橋本:
経済産業省には、大学や大学院で経済学を学ばれた方々も数多くおられるので、日々のやりとりで困ることはあまりありません。ただ、補助金への採択が中小企業の賃上げに及ぼした効果の検証を求められた際は困りました。2010年代後半、日本経済の目標として「賃上げ」に注目が集まり、ものづくり補助金のKPIにも賃上げに関する項目が追加されました。ところが、補助金と賃上げの因果推論は非常に難しいのです。
まず、賃金に関する政府統計は中小企業の場合はサンプル調査であり、補助金事業の応募・採択に関する企業情報データとの接合状況が非常に悪いです。また、賃金総額のデータを利用できた場合でも、額の変化をどのように評価するかという問題に直面します。賃金総額が上昇しても、労働分配率が低下していれば、成長の成果の分配は十分と言えるのか。企業の成長を伴わない、労働者の離職防止のために行った「防衛的賃上げ」も、補助金事業の効果と識別できなければ補助金の正の効果に含まれてしまうだろう。さらに最近は、中高年労働者の賃金を抑制して若年労働者の賃上げを行う企業が増えていますが、企業内の分配を考慮せず平均賃金の伸びのみを評価指標として論じてよいものか。このような困難を政策担当者の方と共有したうえで、最終的に賃上げの効果分析は断念しました。
尾崎:
とはいえ、政策的には「検証が難しいから見ない」というわけにもいかない気がします。
橋本:
その通りです。利用可能な情報を用いてできる限りの分析は行います。賃上げについては、ものづくり補助金の申請書類に2つの質問がありました。具体的には、企業が「去年賃上げを実施したか」と、「今年度賃上げ予定があるか」を尋ねていて、審査時の加点要素になります。補助金事業に採択されたい企業が、「賃上げをする予定です」と答えることは当然と思います。昨年度の実績についても、元々あった定期昇給によって「賃上げを実施した」と答えることも可能です。申請書では賃上げの対象者や金額を聞いていないので、賃上げの質を評価することはできません。賃上げ項目への回答と、補助金事業者の売上の変化などの関係を回帰分析することは容易ですが、このような「エビデンス」にどれだけ意味があるのかは微妙なところです。
尾崎:
学術論文を書くのとはかなり違った工夫が必要になりそうです。
橋本:
ディスカッション・ペーパーとして研究成果を発表する際、表現には細心の注意を払います。関心を引きたいがための表現は避け、誰が読んでも中立的に受け取ることができ、特定部分の結果のみを切り出されて誇大に引用されたりすることがないよう気を遣います。しかし、有意な効果がないと出たものを効果があるように見せてほしいという要請はありません。これは、EBPM評価を行ううえでの大前提です。
尾崎:
統計的に効果が確認できなければその点はしっかり書くのですね。
橋本:
はい。「RIETIの評価は厳しいので政策評価を頼みたくない」と思う部局ももしかするとあるかもしれません。しかし、ある事業について局所的にしか効果が観察できなければ、「メリハリを付けて効果のある部分を伸ばしたいと思います」とか、効果が見られない場合には「どう改善するかを考える契機になります」などのコメントをくださる政策担当者の方も増えています。これはEBPMのよい方向性だと思います。
4. ライドシェアと外国人労働者の実態に切り込む
尾崎:
ご自身の学術研究の方は、現在どのようなテーマで進めているのでしょうか。
橋本:
少し前までは、人事データを用いた男女の性別職域分離の分析や、過疎地のライドシェアとタクシー雇用についての研究も行っていました。特に過疎地の交通問題に関する研究は、日本の地方都市の挑戦と限界という文脈で、外国人雇用の研究と不可分であると気づくまでに時間はかかりませんでした。
ライドシェアの研究は、日本でライドシェアが導入されない背景についての日米比較研究をカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のサンフォード・ジャコビィ教授から提案されたことが端緒でした。アメリカでは、2010年代前後から急速にライドシェアが普及し、タクシー産業は壊滅状態となりました。当時のアメリカでは、テックによって自動車輸送サービスの質が劇的に改善したと称賛されていましたが、ジャコビィ先生は雇用者としての保護が得られないドライバーの働き方との矛盾に関心を持っていました。
そこで、日本のタクシー運転手の働き方や、過疎地域に限定して運行が認められたライドシェアサービスについて、(当時)東京大学の佐口和郎教授や埼玉大学の金井郁教授らと、全国各地で聞き取り調査をしました。北海道から沖縄まで全国10カ所以上、アメリカや中国にも足を延ばしました。タクシー産業の窮状と奮闘、有志ボランティアに頼る過疎地のライドシェアの困難を確認した調査結果を、何本かの学術論文にまとめました。
タクシーとライドシェアの研究プロジェクトは 研究助成の終了と論文の公表によって区切りとなりましたが、過疎地の交通課題の研究は、外国人労働の研究にもつながりました。過疎地の旅客運送は、タクシーであれライドシェアであれ、地域内の限られた資源をどう活かすかという視点から、多くの人が知恵を出し合っていました。買い物代行や副業を行う人向けの柔軟なシフトなど、地域の困りごとと結び付きながら細々と持続可能性を探り、地域の生活を支えていたように見えました。それでも域内での自助努力ではどうしようもなくなったとき、若い外国人住民を迎えたいという考えは腑に落ちます。
尾崎:
外国人労働についても、新たな研究を進めておられるのでしょうか。
橋本:
はい。最近は、再び外国人労働の問題に軸足を移し、いくつかのプロジェクトチームに参加しています。その1つである東海大学の万城目正雄教授のプロジェクトでは、技能実習生や特定技能生の仕事と生活について、追跡調査を行っています。特定技能外国人の日本での定住や永住も視野に入る中で、仕事の処遇面だけではなくメンタルヘルスなどの生活の質、ウェルビーイングにも分析の範囲を広げています。
まだ分析の途中なのですが、たとえば、外国人労働者の仕事や生活の満足度について、入国初年度は日本人よりも総じて高いということ、ところが、2年目以降は満足度が下がっていることがわかりました。
尾崎:
外国人労働者や技能実習生については、悲惨な事例に関する報道が印象深いのですが、ニュースにならない人々の実態は、必ずしも明らかではないように思います。こうした調査なら、満足度がどのように分布しているかもわかりますね。
橋本:
はい。全体の分布を見ることも調査の目的です。技能実習制度の創設から30年間、数多くの調査がなされてきました。公的な調査では満足度が高い傾向や良好な事例が多く紹介される一方で、悲惨な状況を強調する事例調査やルポも少なくありません。「本当のところ」がどこにあるのかは、母集団を反映した調査の分布をみてはじめてわかります。調査結果では、とても幸せな人ととても悲惨な人の二項分布は観察されません。
5. おわりに
尾崎:
最後に、メッセージをお願いします。
橋本:
経済学のみならず多様な分野を専門とする内外の研究者の方々の研究に触れられ、直接コミュニケーションをとる機会も多いRIETIの環境はありがたく感じます。専門に責任をもたなければと勝手に意気込んでいた大学にいた頃より、さまざまなプロジェクトに参加させていただく機会を通じて、専門を軸にしつつ関心や研究の領域を広げられているように思います。担当するEBPM案件が必ずしも自分の専門分野とは一致しないこともあり、知見や分析スキルの不足に悩むこともありましたが、今は研究の幅を広げる機会と思いポジティブに捉えています。
尾崎:
今後のご研究への展望はいかがでしょうか。
橋本:
遅筆で多くの方々にご迷惑をかけることも多いので、今取り組んでいる研究の結果は、「今これが知りたい」と思う方々を失望させないよう公表したいです。その一方で、AIなどの進歩によって一見もっともらしい「エビデンス」を簡単に生成して、特定の意図を込めた「ファクト」を広めることも容易になっています。研究は拙速であってはならず、予断のない分析でなければいけないことも常に意識しています。
[2025年11月25日収録]
※本記事は『経済セミナー』誌(日本評論社)とのコラボレーション連載です。