Special Report

熟練再考―古い機械を使いこなすまでの熟練を目指すのか

橋本 由紀
研究員(政策エコノミスト)

この20年ほど、日本の高度成長を支えた中小企業のものづくり現場を再評価する機運があった。例えば厚生労働省は、技能労働者の高齢化や熟練技能者の引退によって技能の維持・継承が困難となり、国際競争力の源泉である優れた技能が喪失しかねないという危機感から、熟練技能の継承・発展のための支援を行ってきた(注1)。しかし、1990年代後半以降、日本の中小企業の生産性は停滞したままである。技能労働者の技能や熟練が継承されず、失われてしまったことで、多くの中小企業は成長できなかったのだろうか。

では、技能を引き継ぐ若い労働者がいれば、企業は再び成長の軌道に乗れるのだろうか。先ごろ、人手不足の深刻な14業種で就労する外国人に付与される在留資格「特定技能」において、2022年度にも在留期限を事実上なくす方向であることが報道された(注2)。「熟練した技能があれば在留資格を何度でも更新可能で、家族の帯同も認める」ことが検討されているという。記事を読み、この政策によって人手不足は補えるだろうが、中小企業の成長や生産性の向上にはつながらないのではと感じた。しかし、熟練労働者が育つのに、なぜ企業の生産性は高まらないと感じたのか、このパラドックスをすぐに説明できなかった。同時に、技能実習と特定技能による就労で蓄積した「熟練した技能」を持つ外国人を、専門的・技術的外国人(高技能外国人)と同等にみなすことにも違和感が残った。

このふに落ちない感覚をたどると、自身が「熟練」を消化できていないことにありそうな気がした。そこで、近年の中小企業の「熟練」について、少し考えることにした。

そもそも熟練とは?

筆者がはじめて「熟練」を感じたのは、最近はめっきり見なくなってしまったが、1990年代後半に、新宿や池袋の繁華街でポケットティッシュを配る人たちだった。3-4個のポケットティッシュを同時にザッと指の間に挟み、手首を返して、歩行者が受け取りやすい腰の前あたりにサッと差し出すスキルに「熟練の域だ」と思った。医療ドラマでは、手術中の若手医師がとまどうところに、経験豊富なドクターが登場して披露する熟練した手技がクライマックスになる。労働問題を研究しはじめた大学院では、ブルーカラー正社員の仕事の習熟の文脈で「熟練」の文字を見ることが多かった。そして、今研究している外国人労働者の雇用では、日本の技能を学ぶ過程の技能実習生は熟練への途上にあり、特定技能外国人には一定の熟練があると整理されている。

これらの事例に共通する「熟練」の要素は、「経験を積んで巧みにできるようになった段階への到達」にあると思われる。しかし、ポケットティッシュ配り、手術の手技、工場のライン作業の熟練に共通する技能はほとんどない。つまり熟練は、各仕事に固有に存在し、経験とともにその域に接近・到達するが、多くの場合、仕事間で比較可能ではない。仕事の数だけ、それぞれの熟練がありそうである。

各仕事において「熟練」と評価される閾値は、その仕事に従事してきた先達の「共同主観」(濱口2017)であろう。その仕事の経験や知識のある人が、「免許皆伝」「独立可」「指導者として適格」と考えれば、熟練者と認められる。到達基準が、何らかの試験や審査を経て客観的に決められる場合と、先達の主観で決まる場合の両方がありうるが、熟練の基準は、企業の成長への貢献とは独立に決められることも少なくないのではないか。

斎藤(1990)では、技術と技能(熟練)の違いを次のように説明している。「技術、とりわけ生産技術とは、(中略)基本的にはマニュアル化できる知識の集合である。(中略)これにたいして、技能あるいは熟練とは、(中略)知識そのものではなく、さまざまな事態や状況に対応して目的遂行のために活性化されるポテンシャルな力なのであり、経験を通して身につける以外にはない。」斎藤(1990)の定義でも、熟練の本質はOJTを通して目的の遂行に近づくことであり、熟練と組織の成長の関係は議論されていない。

日本が成長していたころの研究にみる「熟練」

次に、現在政府が支援する「国際競争力の源泉である優れた技能」としての熟練について考える。資料の前後の文脈より、この熟練は、日本の競争力が高かった時期の技能を前提にしていると思われる。そこで、日本が高い経済成長率を誇った時代の研究から、当時の「熟練」の捉え方を整理したい。

イギリスの産業革命期の技術革新を分析した斎藤(1990)や日本の高度成長期の向上労働を分析した中岡(1971)の事例をみても、新たな工作機械の導入が人間の熟練の多くの部分を奪ったことは確かである。しかし同時に、「機械に体化された新しい、より高度な技術は、新たな熟練を労働者に要求」してきた(斎藤1990)。

中岡(1971)ではこの変化を「機械によって新しく導入される熟練」と呼んでいる。中岡(1971)は、生産現場でのクレーンの導入事例から、「機械によって新しく導入される熟練」を観察した。クレーンの導入によって、重いものをはこぶための集団的協力に関する技術や熟練が一挙に不要となったが、高度なクレーン手の熟練が新たに生み出されたという。

過去一世紀近く、工場の中へ導入された無数の機械は、新しい熟練の領域を拡大していった。工作機械の導入は、たしかに人間の手作業の熟練の多くの部分を機会に奪いさった。しかし、その機会を土台にして工作の精度を上げなければならないという要求は、機械の操作や素材のとりあつかいをめぐる新しい熟練の要求を生んだ。(中岡 1971:77)

また、1980年代に東南アジア諸国と日本の人材育成を比較検討した小池・猪木(1987)には、以下のように記されている。

技能の伝播は基本的には模倣であるが、新しい技術は常に古い生産方法を徐々に新しいものに替えていくというプロセスを含む場合が多い。(小池・猪木 1987:43)

1970年代と1980年代の製造業現場の事例を考察した両研究において、熟練の領域の拡大や技能の伝播は、機械による新しい技術を用いた生産方法とセットで議論されている。小池和男氏の有名な「知的熟練」の議論も、先端的な生産技術を導入した日米の大企業の生産現場の事例をみて発案された(小池1991)。いずれの事例も、新しい機械や技術を用いて技能を高めた人材が、企業の成長に貢献する様子を描いている。

実は、小池・猪木(1987)は、「生産性の上昇は必ずしも技術革新を前提とはせず、同一の機械設備を用いつづけても、生産性は持続的に上昇しうる。技術革新は生産性上昇の必要条件でも十分条件でもない」とも述べている。彼らのこの主張は、日本の熟練労働者が、最新機械を用いた東南アジアでの生産よりも生産性が高かった参与観察結果に基づく。

しかし、筆者は、技術革新は生産性上昇の必要条件であると考える。以下の図を参照されたい。技術革新を伴う熟練と技術革新が伴わない熟練のモデルである。標準的な学習曲線を想定すると、技術革新を伴わない場合でも、経験年数とともに、生産性は高まる(A→B)。しかし、その高まりの程度は、限界的に小さくなっていく。機械の操作に習熟する過程で、工夫の余地が徐々になくなることを想像してもらえばよいだろう。一方、技術革新を伴う場合(C)では、古い機械を用いた場合の生産性レベル(B)により短い経験年数で到達できる。生産性を効率的に高めようとすれば、新しい技術の導入と労働者の技能習得は同時であることが望ましい。

図 学習曲線
図 学習曲線

近年の日本の中小企業の生産性の停滞と「熟練」

翻って2000年代以降、日本では、特に中小企業において新しい技術が積極的に導入されなかった可能性が高い。平成30年度(2018年)の『中小企業白書』によると、日本の中小企業の設備は大企業と比べて老朽化が進んでいること、中小企業の設備投資は(既存設備の)「維持更新」目的のものが多いことが記されている(注3)。深尾ほか(2021)でも、2009-2015年にかけて、企業規模が小さいほど、設備投資は減少していたことを実証している。このような企業では、労働者の熟練も老朽化した機械の操作を通じて形成されたと考えられる。

だが熟練の議論では、労働者が用いる機械設備の年齢は考慮されないことが多い。つまり、新しい機械を導入しながら形成された熟練と、古い設備を使い続けて到達した熟練は区別されない。新しい設備を導入した企業の労働者が目指す熟練は、新たな設備を使いこなす技能レベル、古い設備を使い続ける企業で労働者が目指す熟練は、古い設備の操作に習熟した過去の熟練労働者の技能レベルに設定されるだろう。古い設備とその操作に熟練した労働者による生産では、生産量や生産性が大きく高まるとは考えにくく、同じ組み合わせで達成された過去の最高水準がせいぜいであろう。

生産性の高さで名高いファナック株式会社のHPには、「協働ロボットによる作業工程の部分的な自動化」によって「労働力不足の課題解決のための選択肢を増や」すこと、「未熟練者でも操作やプログラミングが簡単にな」る「使いやすいユーザインターフェース(UI)」を導入することで、今後の製造業従事者や熟練技術者の減少に対応すると記されている(注4)。ポイントは、経験年数が少ない労働者でも使いこなせる新たな機械を導入し、機械と人間との協働によって稼働率の安定を目指す姿勢である。新たな機械(ロボット)の導入と人間の協働によって高い生産性を目指すファナックの戦略は、高度成長期の企業と重なる。

結局のところ、2000年代以降、新たな設備投資を後回しにして古い機械を使い続け、生産性の向上につながらない経験や技能であっても「熟練」として評価し、継承しようとした中小企業は少なくなかったのではないか。熟練労働者の育成と生産性の停滞の間のパラドックスは、古い機械設備の利用を考えることで説明できるように思われる。

熟練=高技能?

古い機械設備を使っても、労働者が最終的に高い技能を獲得し、生産性が高くなくとも付加価値の高い製品を作ればよいだろうという議論もあり、筆者もこれは否定しない。伝統工芸品などはその代表例だろう。しかし、付加価値の高い製品は、それを生産する労働者の高い技能が前提となる。

では、労働者の技能の高低はどのように評価するか。上の熟練の議論では、熟練は仕事の数だけ存在し、それぞれの熟練は比較できないと述べた。一方で、高い付加価値を生む高技能は、作業に必要な技術の「飽和」を考えることで相対化できると考える。ここでの技術の「飽和」は、経験を積んでも付加価値や生産性の限界的な上昇に寄与しない状態と定義する。さらに高技能とは、長期間にわたり進歩が可能で、経験の蓄積によって適切な処置を選びわける豊富な判断力を備え、付加価値の増加につながる技能と考える(注5)。この定義に照らせば、作業過程で必要な判断の種類が少ない技能は、短期間(ほんの数年や数カ月)で飽和し、高技能とはみなせない。こうした短期間で飽和する技能は、技能への対価としての賃金が低いことが通常である。

どの仕事も、経験を積むことによって、それぞれの仕事の習熟という意味での熟練には到達する。一方、高い技能を要する仕事とは、複雑な作業が求められたり、難しい判断が頻繁に必要であったりするために、技術の飽和までに時間を要し、仕事の熟練とは必ずしも対応しない。つまり、新たな学びや工夫の余地が短期間でなくなるような仕事に求められる技能は、早い段階で熟練に到達できたとしても、高い生産性や付加価値を生む高技能としては評価されないということである。

特定技能外国人は熟練労働者で高技能人材か

ここまでの議論を踏まえ、外国人技能実習生や特定技能外国人の熟練と技能について整理したい。

まず、厚生労働省が継承を支援する「国際競争力の源泉である優れた技能」は、日本が国際競争力を誇っていた頃の技能と推察する。2000年代以降の中小企業の生産性の停滞や設備の老朽化の傾向をみる限り、多くの中小企業が、1990年代までの設備機械とそれを使いこなす技能に依拠した生産を続けていたと思われる。この間、生産拠点が移転してきた途上国が、最新設備を用いた生産で世界の生産シェアを高めたことをみれば、日本の古い機械設備を用いて育成される熟練が、現在でも「国際競争力の源泉」になっているとは考えにくい。

中小企業が、古い機械と過去に確立された技能を使って生産を続けるならば、そこで雇用される外国人技能実習生や特定外国人が目指す技能は、過去の熟練労働者の技能レベルである。3-5年間(ないしはそれ以上)の経験を積み、古い機械設備を使う技能に習熟し、熟練労働者となる者は少なくないだろう。ただし、設備投資の余裕がなく設備が更新されない中小製造業で育成されるのは、既存の老朽化した設備を使いこなす熟練人材である(注5)。

一方で、彼らを雇用する企業の付加価値や生産性が高まっていない現実を見る限り、外国人技能実習生や特定技能外国人の熟練は、高技能者の条件を満たしていないと思われる。技能実習生や特定技能外国人の低い賃金は、彼らの熟練が高い技能として評価されていないことの証左である(是川2021、橋本2022)。彼らが高い付加価値を生む高技能者であるのに、最低賃金+αの処遇しか得られていないのであれば、彼らの技能は正当に評価されておらず、成果の分配に問題がある可能性が高い。

虻も取り蜂も取る

2000年代以降、多くの中小企業では、古い熟練でもそれを称揚し、結果として、人手の必要を正当化しつつ設備投資を軽視してこなかっただろうか。この間、AIに代表されるICT技術の急速な発展のもとで、旧来の熟練の領域を機械で代替できる余地も少なくなかったと思われる。

日本経済の生産性を高めたいという目標を掲げて、その達成に向けて労働力を育成するには、まず、継承したいと考える熟練の現在価値を評価することからはじめるべきではないか。評価によって価値が減耗した程度を知れば、新しい技術や一層の熟練の必要性を認識せざるを得ない。そして次に実践すべきは、省力化を目的とした設備投資か、既存の設備をよりうまく使いこなす熟練人材の育成かという二者択一ではなく、新しい機械の導入とこれを使いこなす熟練労働者の育成の両方である。

ここまでの議論は、仮説の提起であり試論であり、私論である。実際のデータを用いて改めて実証課題として分析する必要があるだろう。

脚注
  1. ^ 厚生労働省職業能力開発局 https://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/jukuren/
  2. ^ 日本経済新聞(2021年11月18日)
  3. ^ https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H30/h30/html/b2_5_1_2.html
  4. ^ https://www.fanuc.co.jp/ja/sustainability/social/customers/workingpopulation.html
  5. ^ マイナースポーツの一流選手は、高い技能をもっているが収入は低い。これは観客の需要を反映した価値の値付けであるが、人気が出れば収入が激増するように、潜在的には高い付加価値を創出できる余地はあるだろう。なお、ここでの技術の飽和に関する議論は,中岡(1971)を参考にしている。
  6. ^ 前記の斎藤(1991)の議論を参照すると、マニュアル化できる知識の集合は技術であり,技能や熟練ではないため、特定技能の筆記試験によっては、労働者に一定の熟練があることは確認できないとも考えられる。
参考文献
  • 小池和男(1991)『仕事の経済学』、東洋経済新報社.
  • 小池和男・猪木武徳(1987)「技能移転と経済組織」『人材形成の国際比較-東南アジアと日本』、東洋経済新報社.
  • 是川夕(2021)「現代日本における外国人労働者の労働市場への統合状況-賃金構造基本統計調査マイクロデータによる分析」、国立社会保障・人口問題研究所Working Paper Series, No.45.
  • 斎藤修(1990)「熟練・訓練・労働市場-工業化と技術移転の問題を考えるために」、板垣雄三ほか編『生活の技術 生産の技術』、岩波書店.
  • 中岡哲郎(1971)『工場の哲学-組織と人間』、平凡社.
  • 橋本由紀(2022)「日本の労働市場と外国人労働者ー外国人の賃金率、雇用企業の生産性」『外国人労働者の適正な受入れと多文化共生社会の形成に向けて-外国人労働者の受入れのあり方と多文化共生社会の形成に関する調査研究会報告-』、連合総合生活開発研究所.
  • 濱口桂一郎(2017)「非正規雇用の歴史と賃金思想」『大原社会問題研究所雑誌』、No.699.
  • 深尾京司、金榮愨、権赫旭、池内健太(2021)「設備投資の決定要因に関する『経済産業省企業活動基本調査』調査票情報による実証分析」、 RIETI Discussion Paper Series, 21-J-014.

2022年1月6日掲載