ノンテクニカルサマリー

Investment-Based Capital Asset Pricing Modelからみた投資と資産収益率

執筆者 宮川 努 (ファカルティフェロー)/滝澤 美帆 (東洋大学)
研究プロジェクト 日本における無形資産の研究:国際比較及び公的部門の計測を中心として
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム (第三期:2011~2015年度)
「日本における無形資産の研究:国際比較及び公的部門の計測を中心として」プロジェクト

アベノミクスが開始されて2年が過ぎた。この2年間の経済動向を見ると、物価上昇率が上向きに転じたり、失業率や企業収益が大きく改善したりと、その政策が功を奏した側面もあったが、一方で円安に転じたにもかかわらず輸出が伸び悩むなど、当初の思惑とは異なる現象も見られる。中でも、2013年6月に公表された「日本再興戦略」の要として、需要・供給両サイドを引き上げることを期待された民間設備投資は、2013年からの2年間で年率1.9%の増加と、いま1つ力強さを欠く。

アベノミクスにおける大胆な金融政策は、株価を大きく引き上げることに成功し、これに伴いトービンのQ効果を通して、民間設備投資の増加が期待されていた。確かに多くの研究が、1990年以降の設備投資動向をトービンのQ理論またはトービンのQに資金制約を加えたモデルで説明している(注1)。こうしたことから、株価の上昇が、トービンのQの上昇を通じて設備投資を増加させると考えるのは自然なことであったように思われる。

しかし金融政策から設備投資の増加への経路に関しては、(1)日本の設備投資循環が2000年代に入って、前期から投資額を大幅に増やす大型投資主導から更新投資主導へとその特徴を変化させている点、(2)企業統治構造の変化が設備投資に与える影響、(3)無形資産投資の影響などいくつか留意しなくてはならない点がある。

本稿では、この有形資産投資の低迷に伴う(3)の問題点を、Investment-based Capital Asset Pricing Model(以下I-CAPMと呼ぶ)を利用して、日米の比較分析を行うことで考察した。I-CAPMは、企業の投資最適化モデルを利用した資産収益率の分析手法であり、Cochrane (1991,1996)によって開発され、2000年代に入って米国を中心に実証分析が進められている。I-CAPMにしたがえば、投資に伴う調整費用が存在する場合は、短期的には投資収益率が低下することになる。本稿では、この関係を無形資産の有形資産に対する比率の大きさで企業を分類して検証することを通して、無形資産が有形資産投資の収益率に与える影響について分析した。

日米の財務データを利用して、投資率の規模で資産収益率を分類すると、日米ともに、大規模な投資を実施した場合の資産収益率は、小規模の投資しか行わない場合の資産収益率を下回る。この点は有形資産投資だけでなく、無形資産を加えた投資の場合でも成立し、I-CAPMの妥当性を示している。また米国の場合は、無形資産投資を加えると大規模投資の場合と小規模投資の場合の資産収益率の差が縮小している。このことは無形資産投資を同時に行うことによって有形資産投資に伴う調整費用の分が緩和されている可能性を示唆するものであり、これは無形資産投資の規模が大きい米国だけに見られる特徴である(以下の表を参照)。

表:有形資産投資率、有形・無形資産投資率別の株価収益率 (2000-2011)
表:有形資産投資率、有形・無形資産投資率別の株価収益率 (2000-2011)
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注1)R-Rfは株価収益率(R)の安全資産収益率(Rf)からの乖離を示す。
注2)LowからHighの5つのグループは前期の投資率(有形資産のみの場合と、無形資産も加えた場合)で企業を分けた結果を示している。
Highは大規模な投資を実施したグループ、Lowは小規模な投資しか行わなかったグループを示す。

資産収益率を説明する要因は投資以外にもあるため、最も標準的なFama and French (1995)のThree factor modelを考慮してあらためて投資率の影響を見ると、有形資産投資の係数は負の符号をとるものの、有意な結果は得られなかった。一方米国では、無形遺産の比率が高いカテゴリーで、有形資産投資の係数は有意で負の符号となっている。このことは無形資産投資比率が高い米国では、無形資産比率が高い層で、有形資産投資に伴う付帯費用が大きく、収益率を押し下げる要因となっていることがわかる。ただこの傾向も有形資産投資と無形資産投資を合わせた推計では見られなくなる。この点はすでに述べたように、無形資産投資を合わせるとその一部が有形資産投資の付帯費用の部分をカバーして、資産収益率の低下を防ぐ役割を果たしているからだと考えられる(推計結果は、論文の表3から5を参照)。

以上から、日米ともに有形資産投資に伴う付帯費用が資産収益率に影響を与えている可能性があり、その程度は無形資産の規模にも影響されるが、無形資産規模が米国ほど大きくない日本では、その傾向は米国ほど顕著ではないといえる。また有形資産と無形資産を合わせて考えた場合には、投資規模による収益率差は縮小する傾向が見られる。

日本のこれまでの成長は、IT集約的な産業の寄与によるところが大きいが、IT化には無形資産投資の補完が必要であると強調している先行研究も数多く存在する。しかし、今後日本がより成長を高めるためにIT化を進めていくなかで、もし有形資産投資(ハード)面だけを重視するとすれば、それは短期的には資産収益率を低める可能性がある。米国の例で見たように、有形資産投資と無形資産投資が歩調を合わせて実施されることにより、収益率の低下を防ぐ必要がある。残念ながら21世紀に入り、日本はハード面の投資は増加しているが、無形資産投資は低迷を続け、有形資産投資と無形資産投資のバランスが崩れているように見える。この傾向は労働市場の逼迫による人材不足により、さらに顕著となっている。したがって、現在では有形資産投資を増加させる政策よりも人材投資を初めとする無形資産投資を増やす政策を取らなくては、さらにその先にあるさまざまな政策が功を奏さない可能性があるといえよう。

脚注
  • ^ 2000年代までの設備投資動向については、宮川・田中(2009)を参照されたい。
引用文献
  • 宮川努・田中賢治(2009)「設備投資分析の潮流と日本経済―過剰投資か過少投資か―」内閣府経済社会総合研究所, ESRI Discussion Paper Series、No. 218。
  • Cochrane, John, H. (1991) "Production-Based Asset Pricing and the Link between Stock Returns and Economic Fluctuations," Journal of Finance 46, pp. 209-237.
  • Cochrane, John, H. (1996) "A Cross-Sectional Test of and Investment=Based Asset Pricing Model," Journal of Political Economy 104, pp. 572-621.