ノンテクニカルサマリー

労働者の限界生産性と賃金の差の計測への新しいアプローチ

執筆者 児玉 直美 (コンサルティングフェロー)
小滝 一彦 (上席研究員)
研究プロジェクト サービス産業生産性向上に関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

基盤政策研究領域II (第二期:2006~2010年度)
「サービス産業生産性向上に関する研究」プロジェクト

労働者の賃金と生産性は必ずしも一致していないのではないか? この問いは、経済学のみならず、企業の人事労務管理や、政府の社会政策に至るまで、現実の経済社会において非常に重要な論点である。経済学者は、勤続年数-賃金カーブを描くことを可能にしてきたが、生産性と賃金の差異の計測に成功した例は少なく、これが経済学の発展にとっても、経済政策や企業の人事戦略の企画立案においても、大きな隘路となってきた。

この論文では、労働者の賃金と生産性のギャップを測定する新しい方法を提案する。この方法では、まず生産性と賃金のギャップの関数表現を、人的資本関数から導出する。次に、このギャップ関数を企業の生産関数に代入することで、ギャップ関数の係数を推定する。賃金関数に、ギャップ関数を上乗せすれば、労働者の生産性を得ることができる。

その結果、労働者の限界生産性と賃金ギャップはそれほど大きくなく、賃金を生産性の代理変数とする従来の方法は、一次近似として使えることが示された。また、今回の我々の推定から、2000年前後の製造業において、(1)高卒男性の生産性は、入社時には賃金より15%程度低く、入社から10年位までは賃金より低く、10年過ぎから27年目位までは賃金を超え、27年後からは再び賃金を下回ること、(2)高卒女性の生産性は、入社当初から20年目位まではほぼ賃金に一致し、その後賃金を下回ることが分かった。これは、高卒男性の場合には、若年期は企業による教育訓練が施されており、中年期にはその教育訓練投資を企業が回収し、熟年期にはラジアー型()の後払い賃金体系を持っていることが推察される。高卒女性では、入社直後の教育訓練投資が男性ほどにはなされておらず、人的資本の蓄積を必要としない仕事を与えられていることと解釈できる。

高卒男性正社員は、新卒就職後数年間に、企業の負担で、相当額(入社1年目で賃金の15%、3年目で10%程度)の教育訓練投資が行われ、その投資は長期間の雇用によって回収されていることが分かった。近年、離職率が高まっていることは、こうした正社員への訓練投資を妨げる要因となっているが、正社員の就職直後の訓練投資を公的に助成することは有効な解決策であると考えられる。一方、現在検討されているような、数年間雇用された非正社員を強制的に正社員に転換させる政策は、非正社員の訓練とセットでなければ、賃金と生産性の高い正社員の増加にはつながらず、むしろ低賃金の正社員の増加や、転換対象となる非正社員の予防的雇い止めをもたらすおそれがある。

高卒女性正社員は、男性よりも、企業による初期の訓練投資が小さく、またその後の生産性の伸びも小さいことが判明した。企業が高卒女性に投資しない原因は、離職率の高さにあると考えられるが、その問題を解決しないまま、男女の正社員の賃金の平等化を政策的に強制していくと、高卒女性の賃金が生産性に対して割高になってしまい、結果的に企業が女性を雇用する動機が失われてしまう。今回の分析でも、中高年期の高卒女性社員の賃金は、生産性の男女差を考慮すれば、既に男性より割高になっていることが示されており、女性より男性を雇用することが合理的であるという結果になっている。

定年間近の高卒男性正社員については、賃金後払い仮説が指摘するとおり、賃金が生産性を上回っていることが判明した。勤続42年目の高卒男性労働者の生産性は賃金よりも20%程度低い。このため定年を延長するならば、定年間近の賃金のまま定年延長を強制するのではなく、さかのぼって中年期からの賃金体系を変更する必要がある。

脚注

  • ラジアーは、労働者の努力水準を使用者が直接観察できない場合に、若年期には生産性以下の賃金を支払い、企業が潰れず業績が好調であれば、中高年期に生産性以上の賃金を支払う賃金体系によって、労働者のインセンティブを維持できると指摘した。