1990年代後半に、マクロ経済の環境が大きく変化し、規制緩和・制度改革が急進展するなかで、日本企業では、事業戦略・組織戦略・企業統治に関して大規模な実験が展開され、この帰趨が内外の注目を集めてきた。これまで、筆者をリーダーとするRIETIのコーポレートガバナンス研究チームは、この分野の第一線の研究者、および実務家の参加を得て、1990年代後半以降の日本企業における統治構造の改革の実態と、その企業パフォーマンスに対する影響の解明を主要なテーマとして研究を続け、今年度からは企業統治分析のフロンティアの開拓を目指して、活動を続けている。この「企業統治分析のフロンティア」のコーナーでは、月1回ぐらいのペースで、RIETIのコーポレートガバナンスの研究成果を紹介していきたいと考えている。
まず、この第1回目のコラムでは、本研究チームのこれまでの成果、現在のメンバー、あるいは関心の所在について紹介しよう。これまでのコーポレートガバナンス研究チームの主要な関心は、かつて日本型と呼ばれた日本企業の統治構造はいかに変化しつつあるのか、その変化の方向はアングロ・アメリカ型への収斂を意味するのか、それとも日本型システムのOverhaulなのか(つまり、資本主義の多様性は持続する)、という疑問を探る点にあった。その関心から、企業・銀行関係(メインバンク関係)の変容、持合い解消の決定要因とその含意、取締役会改革の決定要因とそのパフォ-マンス効果などが、本チームの分析の焦点でもあり、その成果は、Aoki, Jackson and Miyajima eds.,Corporate Governance in Japan, Oxford University Pressにまとめられた。その内容は、近くこのコラムで紹介しよう。
また、2005年には、コーポレートガバナンス研究を推進するために、"Corporate Finance and Governance: Europe-Japan Economic Comparisons"をテーマとするCEPR・RIETI共催の国際コンファランスを開催した。このコンファランスは、Jenny Corbett(Oxford, CEPR, and Australia-Japan Research Centre)と筆者が中心となり、欧州・米国から、第一線に立つ金融・コーポレートガバナンスの研究者の参加を募り、日欧を中心にコーポレートガバナンスをめぐるトピックを議論する機会を提供した。また、コンファランスでは、日欧の学会・経済界のコーポレートガバナンスに関心をもつ実務家・アカデミクスによるラウンドテーブルを持ち、コーポレートガバナンスコードの世界的統合、M&Aの実態とその法・制度的対応を検討した。
他方、本研究チームは、急増するM&Aの決定要因とその経済的役割の分析を課題として、関係者からのヒアリングの実施、新たなデータベースの構築などを進め、それを基に、M&Aの決定要因や、その経済的機能に新たな実証研究を試みた。その成果は、TFPを利用したM&Aの経済成果の実証分析、銀行の再編成の要因と経済効果の分析、M&Aと雇用調整、M&Aと事業再組織化のケーススタディ、およびGregory Jackson(King's College London, 前RIETI客員研究員)と筆者による国際比較研究などからなり、宮島編『日本のM&A』(東洋経済新報社)として、まもなく出版予定である。
こうした研究を前提に、本研究チ-ムは、本年度よりM&Aに関する研究を継続する一方、企業統治分析に関するフロンティアの開拓に取り組んでいる。コーポレートガバナンスに関する問題領域のうち、内部ガバナンス(取締役会・インセンティブシステム)、外部ガバナンス(株主・債権者による規律、M&Aの役割)などの問題は、すでにある程度まで研究が進展した。しかし、日本企業の企業統治に関連して現在残されている問題も少なくなく、そうした問題を洗い出し、新たな分析の地平を切り開こうというのが、プロジェクトの当面の狙いである。ここで論点として想定されるものとして、次の4点が考えられる。
1) ポスト持合い期の日本企業の株式所有構造
1990年代に銀行との持合いは大幅に減少し、他方、外部株主の保有比率が上昇している。その結果、買収防衛意識の高まりから「持合解消」の見直し機運も一部に生まれている。こうした実態的変化を踏まえると、日本における望ましい株主保有構造とそれを規制する法的枠組みは何かを検討することは緊急の重要性をもつ。
2) 新興企業や上場子会社のガバナンス問題
企業統治の視点からの日本企業に対するこれまでの分析は、もっぱら公開会社のコントロールの問題、すなわち、株式分散にともなうエイジェンシー問題と、負債発行にともなうエイジェンシー問題、すなわち、メインバンク・負債による規律の問題に焦点があてられ、韓国の財閥企業、ロシアの旧国営企業で注目されてきた。その一方で、支配的株主(創業者・親会社・持株会社)により、少数株主の利益を収奪(exploit)されるというエイジェンシー問題のもう1つの側面は、等閑に附されていた。しかし、2000年以降には、IT関連部門を中心として、新興企業が急速に成長し(楽天・ライブドア)、そうした企業の統治構造の特性とその影響を分析する必要性が上昇している。また、持株会社の解禁によって、持株会社を頂点とする垂直型組織が増加しているし、日本企業に固有の慣行とも言われる上場子会社は、親会社と子会社の利益相反の問題を内在させている。こうした変化は、あらためて、わが国企業の企業統治の問題を、支配株主による少数株主利害の毀損の角度から検討する必要性を提議している。また、こうした問題の検討は、東アジア諸国のコーポレートガバナンスの平準化の問題の検討にも繋がる。
3) 企業統治と企業間競争との間の相互関係(補完・代替関係)の問題
企業統治は経済学的には企業の効率性を維持する仕組みと捉えられる。では、この意味での企業統治は、他の伝統的な仕組みである生産物市場の競争といかなる関係に立つのか。
企業統治と企業間競争との間の相互関係については、Aghion et al.(1997,1999), Nickell(1996)などによって重要性が指摘され、先駆的な分析が試みられながらも、その後十分な検討が進められてこなかった。また、わが国でもメインバンクの企業統治における役割の再検討を主題とした研究を除けば、この点に注目した分析は必ずしも多くない。しかし、資金供給者の関与の機能や、取締役会の選択の効果は、企業の置かれる競争環境と密接な関係がある。たとえば、資金供給者からの規律が有効であれば、経営者は、競争制限、産業政策によって発生したレントを、技術開発やR&Dに利用する可能性がある。すなわち、日本企業の統治構造の機能の実態を捉えるためには、単に外部の資金拠出者(外部統治)、取締役会・インセンティブメカニズムの効果を単独に取り上げるだけでは不十分であり、競争のインセンティブ効果を考慮に入れる必要がある。しかも、この問題の検討は、産業組織の機能にも影響を与えるだけに、企業結合法制に関わる制度設計に対して重要な含みを持つ。
4) 外部ガバナンス(ファイナンス)、内部ガバナンス(取締役・報酬システム)、企業組織(事業ポ-トフォリオ・組織構造)の総合的理解
企業統治構造は、資金提供者の関与(外部ガバナンス)、取締役会による監督、報酬システム(内部ガバナンス)などの複数の要因から構成され、それらの機能は、他の要因、あるいは上記の生産物市場の競争を含めた外生的な要因によって影響を受ける。たとえば、上記の取締役会の構成、報酬体系の選択などの内部ガバナンスの選択と機能は、企業の事業ポートフォリオ、内部組織(カンパニー制・持株会社の導入)に依存し、近年では、Harris and Raviv (2004)をはじめ、事業ポートフォリオと内部組織の両者の関係の検討が開始されている。以上の意味で、内部ガバナンス(取締役・報酬システム)、外部ガバナンス(ファイナンス)、企業組織(事業ポ-トフォリオ・組織構造)の総合的理解は企業統治分析のフロンティアとして重要な検討課題である。
以上は、現在、本研究チームが関心を持つ問題の一端に留まる。
本研究チームでは、本年度(平成18年度)から来年度(平成19年度)を、企業統治分析におけるフロンティア開拓の基礎研究の時期と位置づけ、経済産業省産業組織課・競争環境整備室とも協力しながら、企業統治に関連する重要論点を洗い出す一方、新たな実証分析の方向と、それを可能とするデータの構築の方向を目指している。この「企業統治分析のフロンティア」のコーナーでは、こうした本研究チ-ムの最近の実証研究の成果、それがもつ政策的な含意などを定期的に紹介していくこととしたい。