近年、モジュール化に代表される製品アーキテクチャのあり様が、産業組織や企業戦略、企業組織にどのような影響を与えるのかという研究課題が、経営学者・経済学者の少なからぬ注目を浴び、研究が蓄積されてきた。経済産業研究所(RIETI)は発足当初から、この研究の日本における中心としての役割を果たしてきており、たとえば最近に限っても、藤本(2005)、大鹿・藤本(2006)、延岡・伊藤・森田(2006)などのディスカッション・ペーパーがウェブサイトに掲載されている。
これらの研究によれば、日本の企業組織は、統合・摺り合わせ能力に優れており、IBM/PCのようにモジュール化された産業に対してはあまり適合的でなく、自動車のようにインテグラル型の製品において競争力を発揮しているということがわかってきた。しかし他方では、半導体産業に代表されるサイエンス型産業において、日本企業が国際競争力を失いつつあるとの危機感が強まりつつある。たとえば、半導体露光装置の開発は、常に個々の部品性能の総和以上の全体性能を発揮することが求められるため、摺り合わせ的要素が非常に大きい作業であり、従来、日本企業が非常な強さを示してきた。しかし、中馬(2004)によれば、この分野で日本企業は急速に国際競争力を低下させているという。また中馬(2006)は、日本企業の競争力低下が半導体の生産システムにおいても生じていることを示している。
これらの現象は、深いところで関連しているように思われるが、どのようにして統一的な枠組みの中で説明可能なのだろうか。このパズルを解くためには、もう一段深いところで、今日の産業におけるイノベーションがどのような特質を持っているのかを一般的な視点から考察してみる必要があるだろう。本稿では、人工物の複雑化、人間と人工物の分業と協業という視点から、何が言えるのかを説明してみよう。
人工物の複雑化と製品開発
まず、今日の製品システムの開発が人工物の複雑化によってどのような影響を受けているのかを、主に奥野・瀧澤・渡邊(2006)に基づいて述べてみよう。
人間は歴史を通じて、人間活動に役立つさまざまな人工物(artifact)を製作し、進化させてきた(Simon 1996)。人工物の進化を根本で規定してきた制約条件は、人工物の情報処理と人間の情報処理の本質的な差異である。今日の人工物は後に述べるように情報技術の発展によって、人間には到底不可能な精密な情報処理を行うことが可能だが、それにもかかわらず、その情報処理は予めプランされたものに限られるという意味で機械的である。一方、人間は状況に応じた判断をする文脈的情報処理が得意である(Suchman1987)。これは、今日の情報技術の発展によっても、いまだに埋められていない溝である。人工物と人間の情報処理のこうした差異を所与として、人間は人工物と人間の情報処理を補完的に組み合わせるようにして、自分に役立つ人工物を製作してきたということができる。
人工物と人間の情報処理の本質的な差異という溝は埋まらないものの、20世紀における情報技術の発展は、人工物による機械的情報処理で出来る範囲を急速に拡大し、また機械的情報処理のコストを劇的に削減してきた。そうすることによって、従来は人間にしか出来ないと考えられてきた情報処理を人工物に取り込んでいくプロセスが、今日でも進行中である。こうして、今日人工物は機械的情報処理の範囲を拡大して、それを自らの中に取り込むという形で、複雑化をとげているわけである。
その際、人工物を使用する人間に対しては、人工物の内部構造に関する専門知識はカプセル化されている必要がある一方で、人工物がどのような機能を持っており、どのような操作をすればどのように動作をするのかが一目瞭然化されている必要がある。また、人工物を設計し製作する人間が限定合理的であるということによって、人工物そのものが階層的な機能の構造とほぼそれに対応する部品の階層構造を持って、複雑化していくことになったという点が重要である。
その結果、人工物の階層的細分化が急速に進み、多数の部品からなる複雑な製品システムが登場した。こうした複雑な製品システムの開発では、個々の部品を設計・開発する部品開発作業と、個々の部品をコーディネートし、部品機能を適切にインテグレートする全体設計・開発の作業が別個のものとして分割され、専門化することになる。他方では、消費者(人工物のユーザー)の需要を適切に反映した製品を提供する必要がある。このことから、製品システムの開発は、製品開発者、部品開発者、消費者の三すくみの複雑なコーディネーション問題を解決しなければならなくなったわけである。
こうした複雑なコーディネーション問題を解決するための仕組みとして、どのようなことが考えられるだろうか。問題解決の1つの方法として考えられるのは、全体と部分との関係を開発標準=「製品アーキテクチャ」という(無形の、ソフトな)人工物を設定し、これに一定期間コミットすることによって固定化し、システム・コーディネーションやシステム・インテグレーションを行うという方法である。しかしもちろん、どのような製品システムでもこのような方法が有効というわけではない。たとえば自動車の「乗り心地」や「デザイン」のように、自動車を構成する部品全体のコーディネーションを通じてのみ実現可能な機能が重要性を持つ場合には、製品アーキテクチャを通じたコーディネーションは困難である。こうした場合には、全体設計の開発者と個々の部品の開発・設計者の間の人的なコーディネーション=摺り合わせが必要なのである。製品開発に関する1つの類型化は、このような製品アーキテクチャによる開発と、人間による摺り合わせによる開発との区別である。製品開発には、もう1つの類型化が存在する。製品開発を市場を通じて分権的に行うタイプ(オープンな開発形態)と、組織やネットワークを通じて人々が協力して行うタイプ(クローズドな開発形態)の区別である。
製品アーキテクチャというソフトな人工物を使用した製品開発は、各部品が全体の中でどのような役割を果たすかが予め明確化されているから、市場を通じたオープンな開発形態と強い補完性を持つ。他方、開発者同士の人的な摺り合わせと補完的なのは、組織やネットワークで共有されている暗黙知を、知的財産権を使わずに保護しつつ援用できるクローズドな開発形態である(表)。
人間の協働形態への影響
このように、今日の製品システム開発のあり方は、深いレベルで、人工物の急速な高度化・複雑化の影響を受けているが、人工物の高度化・複雑化が人間の協働のあり方に影響を与えているのは、製品システムだけではない。中馬(2006)で報告されている、最近の半導体生産システムの進化は、高度化した人工物との協業の中で、人間同士の協働のあり方が大きな影響を受けつつあることのよい例である。
今日の半導体生産システムは高度に自動化されたシステムである。しかし、自動化は人間の関与が必要なくなることを全く意味しない。むしろ、人間の組織がどのような協働のメカニズムをインストールするかによって、半導体生産工場のパフォーマンスは大きく異なるのであり、これが競争優位/劣位を区別する大きな要因となりうるのである。前節で述べたように、いかに洗練された高度な人工物であっても、人工物に可能な情報処理は機械的な情報処理という制約を受けている。したがって、人間は人間にしか出来ない固有の情報処理活動に専念することによって、機械による情報処理を補完するような協業の形態を、構築する必要があるのである。
人工物と人間との有効な分業・協業関係の構築の仕方を考察する際に重要な点は、コンピュータを利用した今日のオートメーションが生産活動に関する有用な情報を生成するという事実である。この事実はZuboff(1988)によって、19世紀のオートメーションと20世紀のコンピュータを使用したオートメーションの本質的な差異を構成するものとして喝破された。したがって、人間は生産システムの中で人工物によって生成された情報を用いて、人間にしか出来ない情報処理活動=問題解決に専念するという構図が成立するのである。
たとえば、中馬(2006)に報告されている広島エルピーダの例では、生産システムに関する詳細な情報がWIP StatusReportという形で頻繁にまとめられて、管理職、技能工、エンジニアの間で共有されており、生産システムに発生する異変の探知と問題解決が日々行われている(WIPはWork in Processである)。WIP Status Reportは、こうして職場の「相互認知環境」(Sperber and Wilson1986)の基礎となるとともに、従業員のミッションを明確化することによって、意欲を引出すことにも大いに役立っている。
ここで、今日の半導体生産は、高度な機械がさまざまに組み合わさった複雑な生産システムであり、前節の製品システム開発と似たようなコーディネーション問題の複雑化現象が発生していることに注目すべきである。このコーディネーション問題を人間同士の調整のみに頼って解決することは困難である。したがって、コーディネーションのうち機械的に実現できる部分は出来る限り人工物に任せた上で、そこで解決できない部分を人間が行うことが重要なのである。WIP Status Reportを生成しているMES(Manufacturing Execution System)というソフトな人工物が、まさにそのような役割を果たしている。しかも、人間たちが異変の問題解決に専念することを可能にするために、MESがシステム状態を一目瞭然化するような形で共有すべき有用な情報を提供していることは興味深い。
MESが果しているもうひとつの重要な役割は、組織内の情報共有の仕方を変えることによって、人々のインセンティブに大きな影響を与えていることである。これは従来の経済理論であまり顧みられなかった論点である。人的なコーディネーションが組織活動の大宗を占めるような協働形態では、人々は自分だけが持つ情報を自分の立場を有利にするために利用するだろうから、情報を操作したり、隠匿したりするかもしれない。MESはそれ自身が(ソフトな)人工物なので、必要とされる情報を常に共有情報として公開するコミットメント装置として機能しうるのである。
人工物の複雑化のその他の含意
以上見てきたように、人工物の複雑化と人間と人工物の分業・協業という観点は、製品アーキテクチャや企業組織内での人間同士の協働の仕方について、新しい見方を可能にする。この観点が有効な例はこれだけではない。開発すべき製品システムが複雑化するとともに、そこに体化されている技術のすべてを単一の企業でカバーすることが困難になってくるから、複数の企業間のコラボレーションによる問題解決が不可避なものとなる。人工物の複雑化は、製品システムの研究活動にも、大きな影響を与えているのである。
新しい経済現象は経済活動の一部を拡大鏡で見るように写し出すことによって、これまでもずっと存在していたがあまり注目されなかった現象を新たな考察対象としてフォーカスするという効果を持つ。また、そのことが経済理論の発展を促す。人工物の複雑化と人間と人工物の分業・協業という視点から、新しい経済理論が生み出されることを期待したい。