市場へのまなざし

瀧澤 弘和
研究員

最近、昨今の日本の改革を「市場原理主義」に基づくもの、グローバリズムの流れを世界のアメリカ化と断じ、市場原理主義が不平等な格差社会を生み出したとして、「市場原理の弊害」を弾劾する議論が流行っているようである。その議論を聞いていると、まるで19世紀イギリスの自由主義vs.保守主義のイデオロギー対立が復活したかのようである。人類はこれまでにも、あらゆる社会病理に対して、「市場を抑圧せよ」というイデオロギーと「すべてを市場に任せよ」というイデオロギーとの間の不毛な意見対立を経験してきた。しかし、市場は「イデオロギーの信奉者に任せてしまうわけにはいかないほど重要なものである」(McMillan, 2002)というマクミランの意見に筆者は賛成である。

市場はうまく機能すれば最も良い貧困治療法になる

多くの場合、「市場原理主義」という言葉を用いる人々の頭の中では、市場=合理性=効率性(=経済)という図式が成立していて、倫理や社会規範とは無縁の(場合によっては反する)世界と映っているようである。しかし、市場そのものは文明とともに古いし、人間の社会生活と深く結びついている。それは必ずしも合理的ではない(限定合理的な)人間が創り出した人工物であるため、人間同様の不完全性を持つものであり、全能でも全知でもない存在だが、人間の本性に深く根差した「唯一の自然な経済」(ヴァツラフ・ハヴェル)である。

市場が自生的なものか、計画による創造物かは、論者によって意見が分かれるところだ。よく知られているように、ハイエクは市場システムを計画によって創られたものではなく、自生的秩序として生成したと考えている。これに対して、筆者の記憶が正しければ、カール・ポラニーは『大転換』の中で、資本主義を一部の階級が計画的に創造したものと断じている。しかし、現代の市場に自生的な側面と計画された側面の両方が含まれていることに、ほとんど疑いの余地はない。

たしかに、市場はときどき最悪の側面を見せつけることがある。McMillan (2002)の中では、エイズ薬である抗レトロウィルスが製薬会社の保有する特許権のために高値で売られており、エイズに苦しむ貧しいアフリカの人々の手に届かないことが国際的な問題となったことがこと細かに描写されている。しかし、忘れてはならないことは、これまで多くの人命を救ってきた素晴しい薬剤の開発を加速させてきたのが市場のインセンティブであったことである。エイズ薬の問題は、一時は国際紛争にまでなったものの、最終的には、知的財産権のルールを弾力的に変更し、ジェネリック薬を認めるという製薬市場の再設計によって問題が解決されることとなった。この事例が示す通り、市場はそのままで何でも解決できる存在ではない。しかし、市場を支えている諸制度を適切に再設計してやるならば、ある種の問題解決ができることを示している。

市場には、人間が創造した他の組織には出来ないことをやってのける力がある。世界の貧困解消には経済成長が必要である。しかし、最近の成長に関する統計的研究は、そのためには、市場をうまく機能させるための制度を正しく持つことが必要であることを明らかにしつつある。市場はうまく機能する限りにおいて、利用可能な最も良い貧困治療法なのである。

市場は公共政策の役にも立てることができる。たとえば、酸性雨の主要な原因である二酸化硫黄の排出量を削減するため、アメリカの環境保護庁(EPA)は排出許容量(emissions allowances)を設け、それを自由に売買できる市場を創設することで、大きな成果を挙げた。これにより、排出量を、政府が設定した上限を30%も下回る水準にまで削減することができた。なによりも、市場を創設することで、排出量削減のコストが当初考えていた額よりもずっと低いものであることが明らかにされたのであった(McMillan 2002, Ch.14)。

市場の効能を説くのに、超リバタリアン的な信仰は必要はない。市場はわれわれのためになるツールとして扱わなければならないのであって、そのために市場をうまく機能させる必要がある。市場は、古代アテネのバザールから現代のインターネット・オークションに至るまで、さまざまな環境や技術的条件のもとで形態を変えて機能する適応能力を持っているが、他方では、カリフォルニア電力市場のように、間違った制度設計によって、機能不全に陥る例もある。ここにこそ経済学の出番があるというべきである。

集団的な合理性を持つ市場

市場経済というと、それぞれの社会が有している価値観・文化と無関係であり、効率性や合理主義によって規律づけられたものと考えがちである。アダム・スミスが『国富論』の中で、市場参加者が完全に利己的であっても(あることにより)、競争市場がうまく機能することを指摘したことはよく知られている。しかし、彼は同時に『道徳的感情の理論』の著者として、人間の他者に対する態度の根幹には「同感(sympathy)」があることを指摘していたのである(最近では、相手の立場を理解するというより弱い意味の"empathy"という言葉が使用される)。ゲーム理論や実験経済学を始めとする最近の経済学の1ブランチは、(市場を含めた)制度の働きに、単なる合理性ではなく、社会規範や慣習が大きく影響していることを強調しつつある。そうした研究の例は多数あるが、ここでは2、3の例を紹介することにしよう。

社会規範が与える影響についてのよく知られた古典的実験は、「最後通牒ゲーム」の実験である(Roth, Prasnikar, Okuno-Fujiwara, and Zamir 1991)。このゲームは、2人1組のペアで、10ドルをどのように分け合うかを決める。まず、プレーヤー1がどのようにお金を分け合うかを提案し、プレーヤー2がその提案を受諾するか、拒否するかを選択する。プレーヤー2が受諾する場合には、提案通りに2人の間でお金が分けられ、拒否した場合には両者とも何も得られないものとする。実験は、イスラエル、日本、アメリカ、ユーゴスラビアの4カ国で行われた。

このゲームを利己的なプレーヤー同士がプレーすれば、ゲームの結果は、プレーヤー1の側がほとんどすべての分け前をとるという結果になることが予測される。プレーヤー2は拒否して何も得られないよりも、少額でも受諾した方が得となるから、それを見越したプレーヤー1は自分に可能な限り有利な提案をすることになるからである。しかし、実験ではそうはならなかった。交渉をする2人が何も受け取らないことになる交渉の決裂がかなりの頻度で見られたが、通常は大雑把に言って半々に分けられた。しかし、プレーヤー1の提案の最頻値はユーゴスラビアとアメリカではほぼ50:50であったのに対して、日本とイスラエルではプレーヤー1が60%、プレーヤー2が40%という提案が多かった。日本人には多少、人の足元を見る傾向があるのだろうか。

Henrich et al. (2001, 2004)は、「最後通牒ゲーム」を4大陸12カ国における15の小規模社会で実験し、比較している。これら小規模社会の中には、狩猟採集民族、焼畑農業民、遊牧民、定住農業社会などが含まれている。この実験で観察されたプレーヤー1の提案は、これまでの実験で観察されたものよりもずっとバラツキの大きいものでり、提案の平均値は26%から50%、最頻値は15%から50%までの開きがあった。また、プレーヤー2の行動にもかなりの違いが観察された。

これらの社会を、市場統合度(どのくらいの頻度で市場取引するか)、生産での協力度(生産は集団的か個人的か)、匿名度(匿名的な役割や取引はどの程度支配的か)、プライバシー(自分の活動をどの程度秘密にできるか)、複雑性(家計より上のレベルでの集権的意思決定の頻度)という5つの指標でランクづけし、実験結果を回帰分析にかけたところ、5つの説明変数のうち市場統合度と生産での協力度のみが有意に影響し、各社会における平均提案額のバラツキの約50%を説明することがわかった。市場統合度が高いほど、生産での協力度が高いほど、協力の水準が高くなり、提案額が大きくなるのである。この結果の解釈は微妙ではあるが、市場取引が人々の協力行動を誘発している可能性があることは興味深い。

Fehr, Gachter, and Kirchsteiger (1997)による別の研究では、労働供給の実験を行っている。雇用者は賃金wと望ましい努力水準e*を特定した「契約」を提示する。従業員は賃金wをもらい、努力水準eを選択する(この努力水準は必ずしも契約された努力水準e*と一致しなくてよい)。雇用者の利益は100e-wで、従業員の利得はw-c(e)となる。ここでc(e)は努力コストを表わす、限界費用が逓増する増加関数である。賃金は1から100までの間の数字であり、努力は0.1と1の間の数字である。

契約の賃金水準は努力に依存しないものなので、従業員が利己的ならば、どのような賃金提示に対しても、最低の努力水準を選択するだろう。このことを知っていれば、雇用者は従業員が契約を受け入れるために必要な最小額1の提示を行うはずである。しかし実験では、従業員はこのようには振る舞わず、雇用者の賃金提示が多ければ多いほど、従業員が供給する努力水準も大きかった。

次に、従業員が選択した努力量に対し、雇用者がコスト1をかけて、従業員の利得を2.5だけ増加させたり、減少させたりできるようにしたところ(これにはコストがかかるので、雇用者が利己的ならば、まったく反応を示さないはずだ)、多くの場合、契約の努力水準に満たない努力量を選択した従業員に対して、雇用者は従業員を罰し、契約水準よりも大きな労働供給を行った従業員に対して報酬を与えた。その結果として、努力水準は顕著に増加した。入門経済学の教科書的では、賃金も需要曲線と供給曲線で決定されるかのように説明されるが、この実験は、賃金が互恵性のシグナルとして役立っていることを示している。雇用者と従業員との間で行われる賃金と努力との交換は、微妙な互恵性によって成立しているのである。

こうした研究は最近、Gintis, Bowles, Boyd, and Fehr (2005)によって、人間は「強い互恵者(strong reciprocator)」であるという命題にまとめられている。「強い互恵者」とは、相手が協力的であるという条件付きで協力する「条件付き協力者(conditional cooperator)」としての側面と、多少のコストが自らに降りかかったとしても規範からの逸脱を罰する「利他的罰則者(altruistic punisher)」としての側面からなるとされる。

これらの実験結果は、各国のさまざまな文化的・社会的背景をもった市場参加者たちが、市場においても、それぞれの社会規範を内面化した行動をしていることを示唆している。こうした証拠があるにもかかわらず、通常、なぜ市場取引は市場参加者の合理的かつ利己的な行動に特徴づけられていると考えられているのだろうか。それはおそらく、市場は、参加者がたとえ非合理的でも、それを集計して合理的な結果をもたらす特性を持つからである(Becker 1962)。実は、市場のもたらす効率性は、市場参加者の合理性にはあまり依存せず、予算制約さえ課すならば、ランダムな買い値と売り値を提出するような知性ゼロの取引者たちでも資源配分の効率性が達成されるという実験結果も存在する(Gode and Sunder 1993)。市場というのは、参加者のさまざまな行動ルールを受容して、なお、合理的な結果をもたらす制度なのである。したがって、市場がもたらす合理的結果だけを見ていては、社会規範の影響を受けた市場参加者の行動ルールまで見透せないのかもしれない。

市場をよりよく再設計するためには経済学の知見が必要

競争的市場に反対する意見は、それがもたらす多大な恩恵を忘れさってしまった議論である。Rajan and Zingales (2003)が説得的に述べているように、既得権益を保有している「資本家」が、その既得権益を保持するために、競争市場からはじき出されてしまった困窮者の立場を見せ掛けだけ代弁して、市場の抑制を要求しているのかもしれない。しかし、マイクロファイナンスの事例が示すように、競争的市場は困窮者を助けることにも大いに役立つのである。われわれには、市場にマイナスの側面があるとはいえ、それをうまく機能させ、人間にとってより役に立つようなものにしていくしかないのである。

最近の経済学の研究が明らかにしつつあるように、現代の市場はさまざまな補完的な制度によって支えられ機能している(Aoki 2001, Dixit 2004)。したがって、市場をよりよく再設計する余地はあるし、そこにこそ経済学の知見を用いる必要がある。市場と社会の中の価値観とを対立させることも必ずしも正しくなく、市場は社会規範の規定を受けると同時に、社会規範に影響を及ぼして、われわれの社会生活の中で成立している。市場の限界はわれわれ人間の限界なのだから、市場に対する優しい眼差しが必要である。

2007年2月13日
文献
  • Becker, G. (1962), "Irrational Behavior and Economic Theory," Journal of Political Economy, Vol. 70, pp.1-13.
  • Fehr, Gachter, and Kirchsteiger (1997), "Reciprocity as a Contract Enforcement Device: Experimental Evidence," Econometrica, Vol. 65, pp.833-860.
  • Gintis, H,, S. Bowles, R. Boyd, and E. Fehr (2005), Moral Sentiments and Material Interests: The Foundations of Cooperation in Economic Life, Cambridge: The MIT Press.
  • Gode, D.K. and S. Sunder (1993), "Allocative Efficiency of Markets with Zero-Intelligence Traders: Market as a Partial Substitute for Individual Rationality," Journal of Political Economy, Vol. 101, pp.119-137.
  • Henrich, J., R. Boyd, S. Bowles, C. Camerer, E. Fehr, H. Gintis, and R. McElreath (2001), "Cooperation, Reciprocity and Punishment in Fifteen Small-Scale Societies," American Economic Review, Vol. 91, pp. 73-78.
  • Henrich, J., R. Boyd, S. Bowles, C. Camerer, E. Fehr, H. Gintis (2004), Foundations of Human Sociality: Ethnography and Experiments in Fifteen Small-Scale Societies. Oxford: Oxford University Press.
  • McMillan, J. (2002), Reinventing the Bazaar: A Natural History of Markets, New York: W.W.Norton and Company (邦訳:『市場を創る:古代バザールからネット取引まで (仮題) 』,瀧澤弘和・木村友二訳,NTT出版,印刷中).
  • Rajan, R. and L. Zingales (2003), Saving Capitalism from the Capitalists: Unleashing the Power of Financial Markets to Create Wealth and Spread Opportunity, New York: Crown Business (邦訳:『セイヴィング・キャピタリズム』,堀内昭義,アブレウ聖子,有岡律子,関村正悟訳,慶應義塾大学出版会,2006).
  • Roth, A., V. Prasnikar, M. Okuno-Fujiwara, and S. Zamir, "Bargaining and Market Behavior in Jerusalem, Ljubljana, Pittsburgh, and Tokyo: An Experimental Study," American Economic Review, Vol. 81, pp.1068-1095.
  • アダム・スミス(1776/2000),『国富論』,水田洋,杉山忠平訳,岩波書店.
  • アダム・スミス(1759/2003),『道徳感情論』,水田洋訳,岩波書店.
  • カール・ポラニー(1944/1975),『大転換―市場社会の形成と崩壊』,吉沢 英成訳,東洋経済新報社.
  • Aoki, M. (2001), Toward a Comparative Institutional Analysis, Cambridge: The MIT Press.
  • Dixit, A. (2004), Lawlessness and Economics: Alternative Modes of Governance, Princeton: Princeton University Press.

2007年2月13日掲載