慣習、規範、法の経済学に向けて

瀧澤 弘和
研究員

非常に残念だが、私は「法と経済学」を体系的に学んだことがない。しかし他方で、ゲーム理論を応用した「契約理論」については、かなりのことを勉強してきた。ひょっとしたら、今では時代遅れになっているかもしれないが、私の頭にある契約理論は、大きく「完備契約の理論」と「不完備契約の理論」とに分類される。

完備契約の理論は(すくなくとも契約当事者にとって関連性のある)、状態が観察可能かつ立証可能(verifiable)であり、配分をそれぞれの状態に依存させた契約が書ける状況を想定している。これに対し、不完備契約の理論は、契約当事者にとって意味のある状態が(観察可能であっても)立証可能でなかったり、予測することが困難であったり、すべてを契約に書くとすると大変なコストがかかるなどといった理由のために、事前に状態依存型の契約を書くことができず、再交渉の余地が発生するような、当事者間の状況を分析するものである。ここで「立証可能性」という概念は、裁判所に行ったときに確定可能な事実に属するか否かによって判定されるものである。

この分類の仕方が示しているように、立証可能性という概念は、契約理論において極めて重要なキーワードとなっている。契約理論はある程度の成功を収めてきたといえるものの、私自身は、以上のような契約理論の枠組みに多少の疑問を抱いてきた。第1には(これは契約理論の専門家自身も重大視して研究を進めてきたことであるが)、完備契約の理論によって得られる予測がきわめて複雑な契約となると同時に、直観的に想定される契約形態(たとえば業績がよければ賃金を上げるといった)が限定的な仮定の上にしか成立しないことが明らかになっている点である。第2には、第1の点に深く関連するが、最適な契約がもっぱら効率性の基準によって導出されていることである。第3には、この枠組みにおいては、立証可能な変数に基づいた契約を書けば、それは100%実効化可能(enforceable)であると考えて分析を行っている点である。この小論のテーマは主として、この第3の点にかかわっている。

法現象と法の実効性

実際、経済学者ならずとも、法制度の存在が法にかなりの実効性(enforceability)を与えているものと多くの人々は考えている。もう少し、実効性という言葉を噛み砕いていえば、(1)多くの人々は法に抵触しない生活を送っており、(2)権利の侵害があった場合でも、法制度によって正当な権利が守られる、と考えているわけである。しかし、現在の日本の法制度の実態を見るとき、第1の点についてはある程度認めたとしても、第2の点についてはそれほど簡単に認めるわけにはゆかない。実務家として多くの事例を見てきた山口・副島(1997)が詳細に描写しているように、金銭貸借の場合などのように「正義」のありかがあきらかな場合でも、現代日本における現実の裁判制度は借金を踏み倒したものが「得」をするような悲惨な状況である。

通常の経済学の理論で考えるならば、このように罰則が事実上機能しないような法制度のもとでは、人々はそもそも法を守らなくなってしまうのではないかということになろう。つまり、上の第1の点までもが浸食される可能性があるということである。しかし、山口・副島(1997)は、日本人の多数の人々が遵守する社会規範の存在がかろうじて第1の点の意味における法の実効性を支えているという。

法現象とは何なのだろうか。この問いは社会科学全般に関わりのあるものであり、経済学もまたその誕生以来、この問題を考察し続けてきたといってよい。しかし、管見の及ぶ限り、慣習(convention:黙約と訳すこともある)、社会規範、法との区別をもっとも明確に規定しているのは、法哲学者Hart (1961)の議論である。実際には彼の議論においては、慣習や社会規範といった言葉は使用されていないが、ここでは経済学者に馴染み深い、これらの言葉を用いて彼の議論を説明することにしよう。

ハートは、集団が慣習をもつには人々の行動が事実上一致するだけで十分であるのに対して、ある行動が社会規範であるためには、(1)そこからの逸脱が一般的に過ちや失敗と見なされ、批判にさらされること、(2)ルールからの逸脱がそれに対する批判の十分な理由として一般的に受け入れられていること、(3)社会内の少なくともいくらかの人々が当該行動を集団が全体として従うべき一般的基準とみなしていること、が必要であると考えている。その上で、こうした社会規範=責務のルールは、人間の性質に関する自明な真理に鑑みて、暴力の勝手な行使、盗み、欺罔を制限するルールを含まなければならないとし、これを第一次的ルールと名づける。

しかし、社会がより複雑なものとなると、ルールの存在が不確定であったり、ルールが静的・固定的であったり、ルールの違反を確定する権能がないことから非効率性が生じたりするなど、第一次的ルールだけでは不十分となる。このため、これらの欠陥を補い、強制するために、第二次的ルールが必要とされる。それは、ルールの存在に関する疑いを処理するための「承認のルール」、新しい第一次的ルールを導入し、古いルールを排除する権能を個人または団体に与える「変更のルール」、第一次ルールが破られたかどうかを権威的に決定する権能を与える「裁判のルール」などから成る。第二次的ルールによって、成文法、立法機関、裁判所などを備えたフルセットの法制度が出現すると考えるわけである。

以上の議論の含意を後の論点との関係で必要な部分に即して要約するならば、以下のようになる。第1に、慣習と社会規範は非常に重要な点で異なっており、ある行動が社会的に実効化可能となるのは、それが慣習であるだけではなく、社会規範となっていることが必要だと考える根拠があることである。第2には、制定法といえども、その実効可能性には第一次的ルールを構成する社会規範の存在に大きな影響や制約を受けるだろうことである。先に言及したように、たとえば日本の法制度のように、第二次的ルールに関係する制度が弱いということになれば、ますます第一次的ルールとしての社会規範の重要性がハイライトされることになる。

慣習のゲーム理論から規範のゲーム理論へ

慣習や規範は、社会の中の他の人々がそれに従うならば、自分もそれに従った方が得になるという性質-戦略的補完性-をその特徴としている。このような状況を含む、より一般的な戦略的関係を分析するツールとして、ゲーム理論が急速な発展を遂げるとともに、慣習や規範をテーマとするゲーム理論の研究書が数多く出版されてきた。これらの研究は、伝統的な社会的選択理論のフレームワークとは異なる規範的アプローチを模索するものとして高く評価できるものである。こうした研究書のほんの数例をあげるだけでも、Lewis (1969)、Sugden(1986)、Binmore (1994, 1998)、Aoki (2001)、Young (2001)、松井(2003)などがある。

この多くは、非常に大雑把にいうと、ゲームの均衡(ナッシュ均衡)がもつ自己拘束性(self-enforcing property: 他者が均衡行動をとっている限り、自分も均衡行動から逸脱するインセンティブを持たないこと)を慣習の本質と見なすことに議論の基礎をおいている。また、一部にはホッブス流の社会契約論の考え方を取り入れようと試みているものもある。

その研究内容は非常に多岐にわたっており、思想的にも一様ではないので、串刺し的な論評は到底できないのであるが、あえて共通した難点をあげるならば、これらの研究のほとんどが慣習の分析に集中しており、上で述べた意味での社会規範の分析をフルに行うことに成功していないことがあげられる。

たとえばヒュームの『人間本性論』における慣習の議論をゲーム理論によって分析しようとしたSugden (1986)は、社会における財産権の発生を説明するために、次のような議論を展開している。今、2人の人がいるとし、彼らの両方が欲しがるが、1人の人によって排他的にしか使用されえない物的な財があると考えよう。この財をめぐる人々の利害対立は、以下のようなタカ・ハト・ゲームとして定式化されうる(行プレイヤーも列プレイヤーも「ハト」か「タカ」を選択する。そして、それぞれの組み合わせにしたがって得られる利得が各セルに書かれている。左の数字は行プレイヤーの、右の数字は列プレイヤーの利得である)。

ハトタカ
ハト1、10、2
タカ2、0-2、-2

このゲームの対称的な均衡においては、両者とも「ハト」と「タカ」をそれぞれ3分の2の確率でプレーすることになり非効率な結果となる。しかし、どちらか一方がそれをもともと占有している場合には、この事実がフォーカルとなって、ゲームの対称性を破ることが可能となり、社会的に効率的な結果がもたらされる。このことからサグデンは、占有と所有を束にした財産権が発生するという説明をしている。一方でサグデンは、社会規範と慣習の違いについてかなりのページを割いて解説しており、社会規範に関して「他者にもその行動に従ってもらいたいと考える」という性格を抽出し、慣習が社会規範になりうるかどうかをゲームの利得構造によってチェックもしている。しかし、社会規範そのものの十全な分析は与えていないといってよい。

他方、現代の「法と経済学」の議論も、社会規範の問題に十分な注意を払っていないように思われる。たとえばKaplow and Shavell (2002)においては、法的な議論は通常の経済学的な社会的厚生によってなされうるし、なされることが望ましいという主張がなされている。それ自体きわめて刺激的な主張であり傾聴に値するが、法を成立させている重要な基盤ともいうべき社会規範に関して十分な考慮を払っているとは言いがたい。

カプロフ=シャヴェルの議論は別としても、「慣習と規範の経済学」に見られる以上のような基本的傾向の原因は、経済学者たちがヒュームの慣習概念とゲームのナッシュ均衡が持つ自己拘束的性質との対応関係にとらわれてきたことに求められるのではないだろうか。今後は、最初に述べたようなハート流の枠組みに沿った研究が必要とされているように思われる。一方、近年のゲーム理論研究の展開は、Aoki (2001)が提案しているように、純粋な数学理論にとどまることなく、制度分析に関する知見とのインタラクションを重視する方向に突き進んでいる。その展開の仕方はかつてないほどに多様化しており、いまだに収束傾向は見られないものの、社会規範をとらえるための試みはその展開の中で、断片的にとどまっているにしても、より活発になされていると評価してもよいであろう。

知的財産権の例

以上の議論は理論的に過ぎ、政策的なレレヴァンシー(有意性)に欠けると思う読者がいるかもしれない。しかし、必ずしもそうとはいえない。

たとえば、昨今話題の「知的財産権」について考えてみよう。先に、社会の中に財産権という「慣習」がどのように発生するかに関するサグデンの議論を紹介したが、そこでは問題になっている財が複数の人々によって共用されえないことを前提としていた。しかし周知のとおり、今日では、このような性質を持たない人間の創造的活動の成果に対しても「知的財産権」の名のもとに「財産権」を樹立し、この権利を保護しようとする動きが強まっている。このことは、恐らくもともとは排他的な所有物と見なされなかったアイデアや情報に対し、有体物に関して長らく認められてきた権利関係を類推的に拡張しようとする試みと見なすことができるだろう。

「知的財産権」なるものが今後どのような運命をたどっていくのかについて推測を行うことは私の能力を超えることであるが、その帰趨を洞察する際にはこれまで述べてきたさまざまな概念的枠組みが適用可能である。

第1に、上に述べたような有体物の権利関係を無体物に類推して拡張するという物の見方は、昔に比べてかなり一般的になってきたとはいえ、そうしたものの見方が直線的に一般的になるとは考えにくいことである。たとえば、中国においては知的財産権を尊重するという社会規範が希薄であるという話を聞くが、こうした国においては、単に法的な取締りを強化するだけでは知的財産権の強化につながらない可能性がある。第2に、仮に有体物の権利関係を無体物に類推して拡張する考え方が一般的になったとしても、それが社会的効率性を保証するものではないことである。むしろ最近の実証研究では、知的財産権のこれ以上の強化は社会的厚生を引き下げる可能性があることが指摘されているように思われる。第3に、知的財産権が強化されたとしても、それが本当に実効性をもつことになるかどうかという論点である。このことは第1の点とも関連するが、知的財産権の強化が社会一般の規範として定着しうるか否か、かりに規範として定着したとしても、それを逸脱する人をどこまで追及できるかという問題に関連しているからである。

以上見てきたように、いまだプリミティブな状況にあることは否めないが、法の実効可能性について、既存の契約理論とは別のアプローチから接近することが必要とされているし、かなりの程度まで実現可能になっていると思われる。

2003年7月22日
文献
  • Aoki, M. (2001), Toward a Comparative Institutional Analysis, MIT Press.
  • Binmore, K. (1994), Game Theory and the Social Contract: Playing Fair, MIT Press.
  • Binmore, K. (1998), Game Theory and the Social Contract: Just Playing, MIT Press.
  • Hart, H. L. A. (1961), The Concept of Law, Oxford University Press.
  • Kaplow, L. and S. Shavell (2002), Fairness versus Welfare, Harvard University Press.
  • Lewis, D. (1969), Convention: A Philosophical Study, Basil Blackwell.
  • Sugden, R. (1986), The Economics of Rights, Co-operation and Welfare, Basil Blackwell.
  • Young, P. (2001), Individual Strategy and Social Structure: A Evolutionary Theory of Institutions, Princeton University Press.
  • 山口宏・副島隆彦(1997)、『裁判の秘密』、洋泉社。
  • 松井彰彦(2003)、『慣習と規範の経済学』、東洋経済新報社。

2003年7月22日掲載