料理の煙で健康被害も 人々のリスク認知には歪み

横尾 英史
リサーチアソシエイト

私たちは日頃、「AをしたらBになる」という予想の下で暮らしている。例えば、「上着を着ないと風邪をひく」「手を洗わないと病気に感染する」「たばこの煙を吸うと子どもがせきをする」などだ。

しかし、同じ因果関係が誰にでも当てはまるとは限らない。体の強さや病気の重症化リスクは人によって違う。そして、ある選択が自分と他者にどんな結果をもたらすかを、皆が正しく見積もっているとは限らない。自分のことになると油断してしまう人もいれば、逆に、心配しすぎる人もいる。リスクに対する認知がずれているとき、個人の選択は本人にも社会にも悪影響を及ぼしうる。

スウェーデン・ヨーテボリ大学の環境経済学者、オロフ・ヨハンソン=ステンマンは2008年の論文で、個人のリスク認知がどのくらい偏っているかを示す枠組みを提唱した。筆者らの研究チームはこの理論を掘り起こして、個人単位の主観的なリスク認知の偏りを定量的に推定する研究枠組みを開発し、「主観的リスク予想関数」と名付けた。それを用いると、個人単位と社会全体の両方について、「リスク認知がどのくらい偏っているか」を示すことが可能だ。

主観をどう数値化するか

この研究枠組みの社会実装には2つの壁がある。1つ目は主観的なリスクをどう計測するかだ。疾病や環境問題などのリスクにさらされるのは、所得や教育水準が高くない人たち、あるいは子どもや高齢者、女性であることが多い。そうした人々の主観の数値化にはしばしば困難が伴い、情報をすくい上げるには慎重さが必要だ。

これに対し、豪シドニー工科大学の開発経済学者、アデリン・デラバンデらは、「小石やあめ玉」を用い、その数によって主観的リスクの程度を表現する方法を提案した。「確率」を視覚的、体感的に捉えやすくするものである。

2つ目の壁は「個人単位の真のリスク」をどう測るかだ。疾病なら医師に1人ずつ診断してもらう方法を思いつくが、そのコストは高い。だがこれは、自己診断をしてもらいつつその結果を統計学的な因果推論の手法で分析することで代替できる。

筆者らはこれらの解決法によって2つの壁を越えたうえで、前述の枠組みを実社会に当てはめ、「何がわかるのか」、「政策的な含意が得られるか」を確認した。

研究の対象としたのは「世界最大の健康・環境リスク」で、舞台はインドだ。日本ではあまり知られていないが、途上国の家庭では料理中に信じがたい量の煙が発生する。その理由は、かまどと薪(まき)による調理だ。料理の際に生じる煙が原因の健康被害や大気汚染は、大きな社会問題となっている。

とくに、調理を行う女性やそばにいる子どもの被害が深刻で、世界全体で年間390万人の死者が出ていると推計される。新型コロナウイルスが登場する前、この煙が地球上の健康リスクの中で最大のものだと考えられていた。

これに対してインド政府(とガス会社)は、コンロとプロパンガスの普及を試みてきており、例えば、17年からガスコンロの無料配布政策を実施した。しかし、それでも薪の利用は減らなかった。

理由の1つに挙げられたのが、リスクに対する誤解、つまり薪のリスク、あるいはガスのメリットの過小評価である。筆者らは、その誤解の実態解明に取り組んだ。対象地として選んだのはインドの中でも決して裕福ではない地域、コルカタ郊外だ。調査に協力してくれた588世帯の平均的な月収は、日本円で約1万2000円。87%の家庭が、薪か乾燥させた牛ふんを燃料にしてカレーを調理している。どちらも大量の煙を出す。

主観的リスクの調査にはあめ玉10個を用いた。「プロパンガスで1カ月調理した場合、目と呼吸器に症状が出る確率の予想」をあめ玉の数で表現してもらうのだ。同様に、「薪調理」ならどうかについても表明してもらった。

客観的リスクについては、調査協力者に過去1カ月の自覚症状と、前月の調理方法を詳しく尋ね、そのデータを使って「ガス調理のリスク」と「薪調理のリスク」を統計学的に推計した。もちろん、これが「真のリスク」である保証はないが、一定程度客観的であるとはいえるだろう。

そして、588人それぞれについて、ガス調理と薪調理に関する2つの「主観的なリスク予想」と、2つの「客観的リスク」を比較する。これにより薪からガスへの変更によるリスク低減の「予想のずれ」を1人分ずつ可視化できるのだ。結果を集計すればサンプル全体、588人の認知バイアスの傾向を論じることも可能だ。

「予想のずれ」にばらつき

結果は次のとおりだ。まず、調査に協力してくれた588人全員が、ガスのほうが健康によいことを正しく理解していた。ただし、その効果については過小評価していた。因果推論によると、客観的リスクは、ガスに乗り換えることで90%ポイント低減できるという結果だったが、主観の平均値では56%ポイントの低減にすぎなかったのである。

また、個々に見ると、リスク認知のずれにはばらつきがあった。では、どういった人がリスクを過小に評価するのだろうか。これについて再び分析を行ったが、簡単に調査できる世帯属性(所得など)によってこの認知のずれを説明することは、ほぼできなかった。つまり、主観的リスク認知そのものに対する調査でしかわからないことがあるのだろう。

本研究からは、政策的な含意も得られる。インド政府はもっと薪調理のリスクを啓発すべきか。確かに多少の効果はあるだろう。しかし、すでに皆がリスクをある程度認識していることから、効果は限定的になると予想できる。もっとほかの政策手段、例えばガスボンベの価格や流通形態への介入のほうが、効果を期待できる。

私たちは因果関係を想像して日々の選択を行う。政府もまた政策の因果効果を想定して政策を選ぶ。本稿で紹介したケースのように、因果関係が思い込みによって過小評価、あるいは過大評価されている場合もあるが、その思い込みの有無は因果推論で確かめることが可能だ。データを集め統計学的に分析することによって、主観の歪みを正しうるのである。

(本稿は以下の論文の内容に基づいています。https://doi.org/10.1016/j.jdeveco.2022.103000

週刊東洋経済 2023年4月15日号に掲載

2023年4月20日掲載

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