やさしい経済学―実験で解く 制度の設計

第7回 EUは反面教師

戒能 一成
研究員

温暖化ガスの国際排出権取引制度をめぐる実験経済学の応用をさらにみてみよう。

国際排出権取引の分野では京都議定書が成立した時点から数多くの実験が行われていた。国内では西条辰義・大阪大教授らの分析などから、市場での取引価格の推移は2つのパターンに大別されることが早くから知られていた。1つは取引開始から終了まで価格が理論価格の前後で安定的に推移し市場機能が有効にはたらく「成功型」だ。もう1つは価格が取引開始直後に高騰するものの、中盤から暴落や取引停止に陥ってしまう「失敗型」である。

「失敗型」が発生するのは、目標達成に不安を感じる政府や企業が、初期の価格の高騰をみて、高価格での排出権購入を回避しようと、少々割高でも省エネ投資を強化する方がよいなどと無理な(不経済な)排出削減にはしる結果、排出権の需要(見通し)が激減するのが主因だが、こうした点も実験から解明されていた。前例のない規制を受ける企業の不安な心理や行動を定量的に予見できる理論がまだ十分でない以上、実験の世界からの警告は真摯に受け止めるべきである。つまり国際排出権取引制度を導入する政府はある確率で「失敗型」が生じることを考慮しておくべきなのだ。

ところが、2005年に始まった欧州連合(EU)域内の排出権取引制度の価格は現時点までで、まさに実験結果が予想した「失敗型」で推移していると評価されている。

排出権価格は初期に二酸化炭素(CO2)1トンあたり30ユーロまで高騰し、コスト面で不安を感じた企業が無理な排出削減対策を採ったせいか、多くの国で過剰削減に陥り、EU域内排出権価格はその後同10ユーロまで暴落してしまった。EU委員会は企業への初期の排出量の割り当てが甘すぎたので排出権の需要が思いのほか伸びていないとみるが、それも含めて制度的な欠陥というべきであろう。

仮に「失敗型」の可能性を十分考慮していれば、(1)世界中の商品取引所が設けている値幅制限や建て玉制限を初期に厳しく運用する(2)排出権の政府持ち分を活用した価格安定化対策を初期に限り実施する――など「失敗型」に陥らないための弾力的な制度設計や制度運用ができたはずである。「失敗型」の発生は予見できたものの、環境保護への政治圧力で制度の早期導入が最優先されたということだろうか。現実の世界で「被験者」にさせられたEU域内の企業には同情を禁じ得ない。

2006年12月6日 日本経済新聞「やさしい経済学―実験で解く 制度の設計」に掲載

2006年12月21日掲載

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