やさしい経済学―実験で解く 制度の設計

第1回 悪習を打破する

戒能 一成
研究員

実験経済学というまだ新しい経済学の手法が、すでに政府の経済政策で制度の新設や評価に使われている、というと多くの人が驚くのではないだろうか。本稿では筆者が実験経済学を経済制度の設計に応用した経験を基に、その論点と展望について述べたい。

筆者の仕事の1つは規制や税・補助金などの経済制度を新設し評価する際に官庁の担当官を支援することである。

通常、経済制度の多くは識者や利害関係者を集めた審議会の場において検討される。そこでは過去の制度の実績についての評価にはじまり、海外での例などを参考に、関係者が合意できるまで担当官が案を練り直すことで立案が進んでいく。多くの場合、現状の制度を維持する強力な慣性が働くが、それでも手近にある「失敗例に関する知識(失敗知識)」には大きく影響される。簡単にいえば、類似の制度で誰かが犠牲になって制度の欠陥の存在を実証し、制度の「失敗知識」をつくってくれると、その教訓から制度が急に改善されるのである。

しかし、この手法はまだ誰も欠陥の存在を実証していない状態、つまり前例のない制度をつくる際や新設直後の制度を評価する際には使えない。その結果「内外の動向を注視する必要がある」などと称して問題を先送りし、誰かの犠牲で「失敗知識」ができるのを待つといったことが実際に行われる。また「大英断」と称して新制度をつくり旧制度の一部を廃止した結果、経済状態をかえって悪化させる事態を招き再三にわたり制度の修理が繰り返されることもある。時には使い勝手が悪すぎて利用者に見限られる「廃虚政策」が出現することもある。どれもが筆者が実際にみてきた寒い現実である。

そもそも経済制度の世界では失敗を忌み嫌うあまり、工学の世界で常識となった「失敗知識の蓄積と教訓化」とは正反対の「失敗知識の廃棄と現状の正当化」の取り組みが長く続けられてきた。したがって新しい制度の創設が必要になるたびに過去の「失敗知識」の不足に苦しんでいるのである。このような厳しい現実のなか、実験により仮想的な「失敗知識」を得て、それで制度設計を支援できないか、という発想が重要になる。それは筆者がこの世界への実験経済学の応用を考えはじめた動機でもある。

2006年11月28日 日本経済新聞「やさしい経済学―実験で解く 制度の設計」に掲載

2006年12月21日掲載

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