食糧は国民生活に不可欠のもの、というより生命維持に不可欠なものといってよいので、国民・消費者がこれに関心を持つのは当然である。しかし、最近では以前にも増して国民・消費者の間に食についての不安が高まっている。本稿では、まずこのような不安の由来と、その不安の中身が2008年にはいって変化していることを説明する。「不安」と一口に言っても、安全についての不安と量についてのそれを区別して論じなければならない。
ところで、こうした不安の解消を図ろうとも、そもそも、食糧・農業問題が正しく理解されていないと、誤った対応策がとられる。実際、小農は貧農であり、農薬や化学肥料を使う金もないので規模の大きい農家よりも環境にやさしい農業を行っているという、戦前の古い日本農業のイメージに基づく間違った理解が、日頃農業と接する機会の少ない人々の間に広く定着している。しかも、政治力を活用しながら自己の利益を増大したいと考える集団は、このような理解に乗じて彼らに都合のよい政策を実現しようとする。事実これこそ戦後、農政をめぐって現実に生じた歪みであり、本稿ではその点を明らかにしつつ、日本の農業の将来への展望を示したい。
食の安全についての不安――情報の非対称性
賞味期限の切れた食材を活用したり、豚肉を牛肉と偽ったり、外国産を国産と偽ったりするといった食品企業の不祥事が立て続けに起こっている。さらに、偽装表示だけではなく、食の安全性にかかわる事件もひんぱんに発生している。
1996年、イギリス政府が牛のBSE(1)と人の変異型クロイツフェルド・ヤコブ病(vCJD)の間に関連性があると発表したことに続いて、2001年、わが国で最初のBSE感染牛が発見された。2003年にはアメリカでBSE感染牛が発見され、日米協議がたびたび実施された後、2005年、せき柱を含む2005年、せき柱を含む特定危険部位(SRM)を除いた20カ月齢以下の牛肉の輸入再開が認められた。しかし、その後もたびたび条件に違反する牛肉が輸入され、国民の不安を増加させている一方で、アメリカはこの条件の緩和を要求している。2000年には、食用に向けられないはずの遺伝子組換とうもろこしが食用とうもろこしに混入したスターリンク事件が発生した。中国との関係では、2002年、輸入された中国産農産物について基準値を大幅に上回る残留農薬が検出された。国内では、1996年に大阪府堺市でO157による食中毒事件が学校給食で発生した。2000年、雪印乳業は黄色ブドウ球菌毒素による大量食中毒事件を引き起こした。2008年9月には、国から売却された安価な事故米を食用に転売して大きな利益を得た三笠フーズ等の事件が明るみになった。
今日の食品の安全性を巡る問題は、現代社会の2つの特徴と結びついている。1つは科学技術の進展である。作物や家畜の改良という技術進歩によってコシヒカリや霜降り牛肉などおいしいものが食べられるようになっている。また、加工や流通の技術進歩によって簡便な冷凍食品が普及している。しかし、技術進歩によって、農薬や食品添加物が多用されるようになったり、遺伝子組換食品などの新しい食品が開発されたり、草を食べてきた牛に肉骨粉を与えるようになってBSEという新しい病気が発生してしまうという問題が起きている。もう1つは、グローバル化や貿易の進展である。BSEは羊のスクレイピーという病気から伝染したといわれるが、貿易がなければ羊の少ない日本では発生しなかった。製造メーカーが特定できる工業製品と異なり、食品の場合には原料の農産物を生産する農家が多数いるし、加工や流通の段階が多いと、だれが問題を起こしたのか特定できないことも起きる。貿易が絡むと責任追及がさらに難しくなる。生産と消費の時間的、空間的な距離がますます広がっているのである。特に、食品・農産物供給の多くを輸入に依存している世界最大の農産物純輸入国である日本にとって、食の安全と貿易は国民の大きな関心事である。
しかも、食品という財の特殊性によって問題はより深刻になる。消費財は消費者がその特徴を購入前に確定できる「探索財」、購入後にはじめて特徴がわかる「経験財」、購入後においても特徴を把握することが困難な「信用財」に分類される。
伝統的な食品の場合には、腐敗や変色をしていれば購入前に危害要因を識別できる(探索財)し、どれだけ日持ちするかなどは時間がたてば消費者がその特徴を把握できる(経験財)。
しかし、ある食品がビタミンなどの栄養素をどれだけ含んでいるか、どの程度の農薬が残留しているのか、山形牛が神戸牛か、魚沼産のコシヒカリか千葉産のコシヒカリかなどは、購入・消費後においても一般の消費者は判断できない。DNAを科学的に分析すれば、コシヒカリかササニシキかは識別できるが、産地の違いまでは厳密にはわからない。これらは事後(食べた後)にも消費者が安全性や品質を検証できない信用財である。
今日では、栄養の充足だけを食品に求める時代は遠く過ぎ去り、消費者の食に対するニーズが多様化・高度化したため、「信用財」の割合が増加している。
都市生活者の比重が増加したため、生鮮食品の購入の比率が低下し、加工食品や惣菜、外食の比率が増加している。生鮮食品である牛肉と豚肉の違いは見ればわかるが、加工食品である冷凍コロッケの中身は判断できない。健康飲料にビタミンがどれだけ含まれているのか、どのような食品添加物が入っているかなどは表示を信用するしかない。
さらに、消費者の関心が、同じ食品でも遺伝子組換農産物を使用しているかどうか、産地はどこか、有機農産物かどうかなど、食品の内容よりも生産のプロセスに関するものに移っている。ひもじさを満たすだけの時代であれば、消費者が産地などに関心を持つことはありえない。しかし、遺伝子組換大豆を使用したかどうかについては、豆腐ならDNAを検査すればわかるが、醤油ではわからない(2)。有機農産物かどうかも判別不可能だ(3)。
所得水準が高まり、消費者の食品に対する要求が高度化し、「信用財」という特性を持った食品が増加してきたことによって、企業が持っている情報を消費者は知ることが出来ないうえ、企業が情報を開示しても消費者は情報の真偽を判断する手段を持たないという問題が生じているのである。
このような「情報の非対称性」が食品企業で偽装表示や不正転用などが発生する要因である。残念ながら、市場において企業に不良品を供給させないようにする自発的なメカニズムは存在しない。これまで事件が発覚したのは内部告発によるものがほとんどであり、事件発生の予防のためにもこれを助長するようなメカニズムが必要である(4)。
食の安全と貿易の問題について、WTO・SPS協定は、偽装的な貿易手段として検疫措置が活用されないよう、検疫措置に科学的な証拠を要求している。しかし、安全と安心は異なる。農薬を多投する隣の農家の野菜は安全ではないかもしれないが安心である。遺伝子組換食品は科学的に安全であるといわれても、消費者は不安を持つ、また、BSEとvCJDの関連性が1996年に初めて認知されたように、科学も変化する。これらの問題に対処するためには、検疫措置を検討する食品のリスクアナリシスにおいて、科学的な証拠だけではなく経済学の費用便益分析の考え方を重視して消費者の関心を考慮する必要がある。終戦後のように飢えから逃れることが第1の目的であったときは、より多くのリスクを受容できる。逆も真である。さらに、十分な科学的証拠がなくても措置がとれるという「予防原則」を採用することも必要である。
食の量についての不安――食糧危機
食糧が満ち足りているときには、安全性の問題に目が集まる。また所得が高くなると安全性の要求水準も高くなる。しかし、食糧が十分に手に入らない状況では、安全よりも量の確保が心配になる。終戦後、ひもじさを満たすために人々は安全性という観点からは問題の多い食品を闇市で購入して食べた。
2007年、北米で中国産ペットフードにより犬や猫が死亡し、中国産食品の安全性について世界的な関心が高まる中で、2008年1月にわが国で発覚した中国産冷凍ギョウザによる中毒事件で、中国産食品に対する消費者の評価が大きく低下した。このため、売れ残った中国産ウナギの在庫を抱えた業者が日本産のウナギだと偽装して販売するといった事件も派生した。中国産冷凍ギョウザ事件によって、国民は食生活の中国への依存の高さ、ひいては食糧自給率の低さに気づき、食の安全というよりも量についての不安を抱くようになったのである。
同時に穀物などの農産物価格の高騰がパンやマーガリンなどの食品価格の上昇を招き、消費者家計を圧迫している。2000年に比べ大豆の価格は2.5倍、とうもろこしは3倍、小麦は5倍に高騰している。これは、人口・所得の増加による食用需要の増加やエタノール需要の増加等によるものである。しかも、今後さらに需要が増加することが予想される。
世界人口は20世紀初めの16億人から2000年には61億人となり、2050年に92億人へ増加すると推測される。さらに、(畜産物1キログラムを作るのに、牛肉では11キログラム、豚肉では7キログラムのとうもろこしが必要なので)経済成長による畜産物消費の増加によって穀物需要は大幅に増加する。
世界のエタノール生産は、2002年の3407キロリットルから2007年には6256キロリットルに約倍増した。このうち41.7%のシェアを持つアメリカは国内とうもろこし生産の3割を、32.3%のシェアを持つブラジルは国内サトウキビ生産の5割を使用している。穀物のエネルギー利用が進むことで、穀物価格と石油価格が連動するという新たな現象が起きている。
これに供給サイドが対応できなければ、国際価格はさらに上昇する。これまで世界の農業は、人口増加に単位耕地面積当たりの収量(単収)の増加で対応してきたが、単収の伸びは1960年代の3.0%から1970年代の2.0%、1980年以降の1.5%へと逓減傾向にある。
アメリカやオーストラリアなど世界の大規模畑作地域等において、土壌流出、地下水枯渇、塩害などによって生産の持続が懸念されている。土壌は風と雨によって浸食されるが、アメリカでは、大型機械の活用により表土が深く耕されるとともに、機械の専用機化により作物の単作化が進み、収穫後の農地が裸地として放置されるので、土壌浸食が進行する。かんがい等のための過剰な取水により、アメリカ大平原の地下水源であるオガララ帯水層の5分の1が消滅した。乾燥地で排水を十分しないままかんがいを行うと、地表から土の中に浸透する水と塩分を貯めた土の中の水が毛細管現象でつながってしまい、塩分が地表に持ち上げられ、表土に堆積する。これが塩害である。これで古くはメソポタミア文明が滅び、20世紀ではアラル海が死の海となった。さらに、地球温暖化が食糧生産に与える影響がいまだ十分には解明されていないという問題がある。
農地確保こそ食糧安全保障の根幹
わが国では「比較優位のない農産物を日本で生産するのは不合理だ。石油を輸入に頼っている日本では、食糧安全保障だけ考えても幻想であり、自由貿易を守り、輸入供給ルートを確保することこそが重要だ」という議論がある。
農業の生産要素について、例えば除草剤や農業機械は労働で、化学肥料は堆肥でそれぞれ代替可能である。農業機械を動かすのに必要な石油の輸入ができなくなれば農業生産が行われなくなるという議論は、生産要素間の代替性を考慮していない(5)。農薬、化学肥料、農業機械がなくても戦前まで農業は営めたのである。終戦直後のように食糧危機が生じるときは、食糧・農産物の相対価格が大幅に上昇している事態である(6)。このようなときには市場に委ねた場合でも、他の財の生産を犠牲にしても労働やエネルギー等の生産要素を食糧・農業生産に振り向けるはずである(7)。
ウルグアイ・ラウンドでは、農産物の輸入数量制限はすべて廃止され関税に置き換えられた。関税化である。1973年のアメリカの大豆禁輸のような輸出数量制限の禁止を我が国は提案したが、インドの大使から不作の時に国内消費者への供給を優先するのは当然ではないかと反対された。また、輸出税は国際経済学では輸入関税と同様の効果を持つ(8)とされながら、GATT・WTOでは何ら規律もない。輸出国の論理で組み立てられているWTOでは、他の国が輸出制限や輸出税を課せば、供給が減少し国際価格が上昇するので輸出国は利益を受けるからである。現在、多数の国で輸出制限等が行われている。生命維持に不可欠な食糧については、自国の国民も苦しいときにほかの国に食糧を分けてくれるような国はない。日本でも戦後の食糧難時代、生産県の知事たちは東京などの消費県への食糧供出に抵抗した。自由貿易が食糧安全保障を確保してくれるというのは国際食糧市場の実情を理解しない議論である。
苦しいときには外国は当てにならない。食糧安全保障とは、国際的な食糧・農産物価格が高騰したり、海外から食糧が来なくなったときに、どれだけ自国の農業資源を活用して国民に必要な食料を供給できるかという主張である。このとき必要な農業資源が確保されていなければ飢餓が生じる。農業の生産要素の中でも水と土地は他の生産要素で代替できない。しかも、農地は、いったん他の用途に転換すると再び農地に転換することは困難である。生産要素が自由に産業間を移動するという、通常の国際貿易理論の前提条件が妥当しない。つまり、農地が減少していれば、輸入農産物価格が高騰し食糧供給が脅かされるときに、必要な農地を確保できず農業生産を十分に拡大できなくなるために、通常考えられる以上に輸入国は窮乏化する。これが平時において農地資源を確保しなければならない国際経済学上の理由である。
農地改革の大儀に背く農地転用
食糧安全保障の前提となるのは農地資源の確保である。戦後、人口わずか7000万人で農地が500万ヘクタールあっても飢餓が生じた。食糧安全保障の観点に立てば、国民へ食糧を供給する長野県の農地は、長野県民だけの農地ではない。東京都民の農地でもあるのだ。農家が自らの資産運用のため、あるいは地方が地域振興のためだと称して、宅地や商業用地に転用したいといっても勝手に処分を認めてはならない。それが食糧安全保障の考え方であり、だからこそ農業には手厚い保護が加えられてきたはずだ。
しかし、公共事業等により110万ヘクタールの農地造成を行った傍らで、1961年に609万ヘクタールあった農地のうち、全体の4割を超える250万ヘクタールもの農地が、耕作放棄や宅地などへの転用によって消滅した。戦後の農地改革は、10アールの農地を長靴一足の値段で地主から強制的に買収して小作人に譲渡するという革命的な措置をとった。所有権を与えて生産意欲を向上させ、国民の食糧を増産するという大きな目的があったからだ。しかし、その時小作人に開放した194万ヘクタールをはるかに上回る農地が潰されてしまったわけである。農地を農地として利用するからこそ農地改革は実施されたのであって、小作人に転用させて莫大な利益を得させるために行ったのではないはずだ。現在では、イモだけ植えてやっと日本人が生命を維持できる465万ヘクタールの農地が残るのみである。これが、わが国農業界が国際交渉の場で好んで主張する「食糧安全保障」の内情である。
高米価が農協の利益となる構図
1960年から2005年までの50年の推移を見ると、GDPに占める農業の割合は9%から1%へ、専業農家は34.3%から22.6%(うち65歳未満農家は9.5%)へ減少しているのに対し、フランスではパートタイム・ファーマーといわれる兼業所得の比重の多い第二種兼業農家は32.1%から61.7%へ、65歳以上の農業者の割合は1割から6割へ大きく増加している。つまり、政府は778%という異常に高いコメの関税で農業を外から守ってきたはずなのに、食糧安全保障を担うはずの農業の衰退に歯止めがかからないのである。日本の農業を衰退させ、食糧安全保障を脅かすものが国内にあるからである。
全農家を加入させ、資材購入、農産物販売、信用(金融)事業など農業・農村の諸事業を総合的に行っていた戦時中の統制団体を戦後転換したのがJA農協である。コメの供出団体は、農協とは別に作り、農民のための農協はじっくり作るべきであるという意見も農林省内にはあったが、コメ供出を優先するため、わずか3カ月程度のうちに1万3000のJA農協の設立を完了させた。
当時農家の多くはコメ作だったので、米価引き上げがJA農政活動の中心となった。米価引き上げによりコストの高い零細な兼業農家もコメ作を継続した。週末しか農業をしない兼業農家は、コストを下げるため安い供給先から生産資材を買うとか、収入を上げるため販路を開拓するとかを考える時間的余裕はない。生産資材をまとめて供給し、生産物も一括販売してくれるJAは好都合だった。農協法の組合員一人一票制のもとでは数のうえで圧倒的な兼業農家の声がJA運営に反映されやすいし、少数の主業農家ではなく多数の兼業農家を維持する方が、JAにとっても政治力維持につながった。
JAは、高米価により、コメの販売手数料収入を多く得て、農家の肥料、農薬、機械などの生産資材を高く多く売れた。60年以降、肥料、農薬の使用量は著しく増加した。本来、協同組合による資材の共同購入は、商人資本に対し市場での交渉力を高めて組合員に資材を安く売るためのものだが、組合員に高く売る方がJAの利益になった。また、食管制度時代、このような肥料、農薬などの生産資材価格は、農家が支払った生産費を基に算定される米価に満額盛り込まれた。JAが農家との利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが制度化されていたのだ。また、高い米代金が振り込まれると、JAの預金額も増加する。
数年前、全農あきたが、公的な入札制度を通じて子会社と民間卸会社に高値で落札させ、米価を高く操作した事件があった。高い米価がJAの利益となる構図は今も変わらない。JAが主業農家の経営安定に役立つ米の先物市場の創設に反対するのも、JAの現物操作による米価維持が困難になるためだろう。
農業以外で豊かになる農協と兼業農家
農業が衰退する一方、経済成長による兼業機会の増加と農地転用売却益により兼業農家は豊かになった。JAは、農業縮小の見返りとしての兼業収入や農地転売代金を、ムラ社会の機能を活用して低コストで預金として調達し、准組合員や農薬・肥料会社への融資、海外での資産運用などによって、国内でも有数の金融機関となった。JA共済の総資産も国内トップの生命保険会社に並ぶ。
JAと兼業農家は、コメ、米価、政治、脱農化を介して強く結ぶつき、ともに豊かになった。JAは、主業農家を育成し、農業の規模拡大・コストダウンを図るという農業基本法以来の農政の考えに一貫して反対した。JAが売りたい農薬・化学肥料を使わない有機農業やJAを通さない産直を行う先進的農業者を、JA事業の利用から排除したりもした。兼業農家が滞留し、農地が宅地などへの転用で減少した結果、農業で生計を立てる主業農家が、農地を借りたりして規模を拡大し、コストを下げて所得を増やすことも困難となった。
1965年以降、農家所得は、勤労者世帯の所得を上回るようになる。2001年(9)において、兼業比率の高い零細稲作兼業農家の所得は801万円で、勤労者世帯の646万円を上回る。他方で農業依存度の高い稲作主業農家の所得は642万円である。本来サラリーマンである兼業農家は、週末しか労働力(創意工夫も含む)を投入できない。このため、雑草が生えれば農薬をまいて駆除してしまうというように、労働を安易に農薬、化学肥料で代替してしまう。一週間すべてを農業に割くことができる規模の大きい主業農家の方が環境にやさしい農業を行っている。にもかかわらず、小農は貧農で農薬や肥料を買う金もないという戦前からのイメージが定着し、農業に専念しようとする主業農家の育成を図る政策は貧農切り捨てと批判されたのである。稲作では、主業農家の戸数割合は7%にすぎない。主業農家の生産シェアは、野菜82%、牛乳95%に対し、米は38%にすぎない。
「自給率向上」議論の欺瞞
食糧危機が唱えられる中で、60年の79%から40%にまで低下した食糧自給率を向上させるべきだと主張されるようになった。しかし、本来、食糧安全保障とは、海外から食糧を輸入できなくなったときにどれだけイモやコメなどカロリーを最大化できる農産物を生産して国民の生存を維持できるかという問題であり、飽食の限りを尽くしている現在の食生活を前提としたまま食糧自給率を云々することは無意味である。畑に花を植えることは、食糧自給率の向上には全く貢献しないが、農地資源を確保できるので食糧安全保障に貢献する。しかし、花農家に対しては農業保護政策は施されない。他方で、花とは異なってコメ、麦などのカロリーを供給する土地利用型農業に対しては、国際競争力がないため、関税や補助金等さまざまな農業保護政策が講じられている。自給率向上の主張の背後にあるのは、土地利用型農業に対する農業保護拡大の要求である。1918年の米騒動を起こしたのも、戦後タケノコ生活を送ったのも、消費者であって農家ではない。現在では、消費者ではなく農業団体が自給率向上を叫ぶ不思議、というより欺瞞がある。
自給率低下は食生活の洋風化のためであるというのが農林水産省の公式見解であるが、米の需要が減少し、麦(パン、スパゲッティ)の需要が増加することを見通していたのであれば、米価を下げて需要を拡大し、麦価を上げて生産を増加させるべきだった。米価を下げても農業の規模拡大等の構造改革を行い、コストを減少させれば、稲作所得は向上できるはずだった。これが1961年農業基本法の基本哲学だった。
しかし、正反対の政策が採用された。政治的な圧力に押された農政は、米価を大幅に引き上げて農家の所得を保障しようとしたのである。しかし、高米価により消費は一層減少し、生産は刺激されたのでコメは過剰となり、40年近くも減反・転作という生産調整を実施している。他方で、農業資源は収益の高い米から他の作物に向かわず、麦は安楽死し、自給率は低下した。EUも同じように高い農産物価格で農家を保護したが、日本が高価格で減少した国内需要量に生産をあわせて減反させたのに対し、EUは作りたいだけ作らせて過剰生産物に補助金をつけて国際市場に輸出した。輸出するのだから、EUの食糧自給率が100%を超えるのは当然である。これが、EUの自給率が向上し、日本では低下した大きな理由である。
生産調整は年々拡大し、現在では260万ヘクタールの水田の4割に相当する110万ヘクタールに及んでいる。コメは約1400万トンの潜在生産力がある中で、約500万トン相当の生産調整を実施する一方、麦については消費者価格がほとんど引き上げられなかったので需要は拡大し、毎年約700万トン以上を輸入している。
高米価は国際競争力の低下ももたらした。コストの高い零細な兼業農家も、高い米を買うよりも自らコメを作るほうが得になり、農業から退出しようとはしなくなった。農地は企業的農家に集まらず、規模拡大による農業の構造改革は失敗した。品種改良をして単収を上げればコストは下がるが、生産調整の強化になるので回避された。現在日本のコメの単収は、粗放的な農業を行っているカリフォルニアより3割も低い。終戦時で国際価格の半値、53年まで国際価格より安かった米は、いまでは778%の関税で保護されている。
生産調整をめぐる農協の政治
1970年以降、95年の食管制度廃止後も続いている生産調整は、コメの過剰分が市場に流れ、米価が低落することを防止するための供給制限カルテルである。
食管制度のときに生産調整を実施したのは、過剰米を食管で買い入れさせられて飼料や援助用に処分する(二次にわたる過剰米処理に合計3兆円を支出した)よりも、コメの代わりに麦や大豆を作らせてコメとの収益格差を補助金で補填するほうが、まだ財政的に得だったからだ。このとき、出来る限り多くのコメを政府に高い価格で売りたい農協は、生産調整に反対した。政府が食管の買入れ数量を制限しようとするのに対し、全量政府買上げがJA農協のスローガンになった。しかし、1995年に食管制度が廃止され、コメの政府買入が備蓄用米に限定されてからは、米価は生産調整によって維持されている。今や米価維持に不可欠となった生産調整を、かつては反対した農協が支持している。いずれの時代でも高い米価による農業保護を負担しているのは消費者であることは同じだ。
生産調整には消費者だけではなく財政も負担している。およそカルテルというものは、カルテル参加者に高い価格を実現させておいて、その価格で制限なく生産するアウトサイダーの生産者が得をする。したがって、カルテル破りが得にならないようなメリットが必要となる。生産調整の場合は、政府による補助金がその役目を果たしてきた。この補助金は各年2000億円、累計で7兆円に達している。麦、大豆等に転作させて自給率向上を図るというのがその名目だが、生産調整面積が増加する一方、水田にコメ以外の作物を作付けた面積の割合は、むしろ1998年の75%から60%へと低下している。
生産者の間でも主業農家が生産調整の影響を最も強く受けた。コメの低コスト生産を行おうとすれば、規模の大きい農家がコメ生産を行い、零細な農家が生産調整すべきだということになる。しかし、JA農協の政治的な基礎となっている圧倒的多数の零細な兼業農家に多くの生産調整を強制することは政治的に困難だった。結局、経営面積に応じた一律の生産調整面積の配分が実施された。多くの生産調整面積を負担させられた主業農家は、十分に稲作を拡大できないため規模の利益を発揮できない。彼らは、コストが低下しないので所得が向上しないという不利益を受けた。
農産物供給以外の機能を農業が発揮しているという多面的機能を強調する主張もあり、しかもそのほとんどが水田の水資源涵養、洪水防止といった機能を重視しているにもかかわらず、水田を水田として利用しない生産調整という政策を採り続けている。
農地がなければ食糧安全保障は確保できない。しかし国民全体に必要な農地は足りないのに、コメ余りで「農地も余っている」との認識が定着した。戦後一貫して増加してきた水田面積は、生産調整を始めた1970年を境に減少に転じた。しかも生産調整のかなりの部分は、麦などへの転作ではなく耕作放棄につながる不作付けでの対応である。政府は生産調整をさらに拡大しようとしているが、これは東京都の1.8倍の39万ヘクタールに上る耕作放棄地のさらなる拡大を招くだけであり、日本の食糧安全保障をいっそう危うくさせる政策なのである。
このような農政の歪みを象徴するような政治的な出来事がある。
1970年からの本格的生産調整を打ち出した農政に、農家は反発した。しかし、食管制度が崩壊すると自らが困ると判断した農協は、全国一律一割生産調整を提示するとともに、10アール当たり4万円以上の補償金を要求した。1996年末の総選挙では、与党は補償金で面倒をみるという選挙公約を乱発して勝利した。しかし、選挙後の大蔵省原案は2万1000円、総額750億円だった。このため、農協に突き上げられた与党と政府との間で一大政治均衡が展開され、補償金単価を3万5000円にアップさせる一方、財政負担の増加を抑えるため、当初考えられた150万トン規模のコメの生産調整を100万トンに減少させ、残る50万トン分の農地を住宅用地等へ転用させて消滅させるということで決着した。食糧安全保障に不可欠な農地資源を減少させ、農業を犠牲にすることで、兼業農家と農協の利益を守ったのだ。
関税と高い国内価格の維持
減反が拡大しているにもかかわらず、米価は低下している。米価を維持しようとすると減反をさらに強化せざるをえない。これまでは総人口は増加したが、今後は高齢化しかつ減少するので、コメ総消費量は、1人当たりの消費量減少と人口減少の二重の影響を受け、現在の900万トンから350万トン程度まで減少するという予測もある。今後40年で1人当たりの消費量が現在の半分になれば、減反は210万ヘクタールに拡大し、コメ作は50万ヘクタール程度ですんでしまう。
それだけではない。現在進行中のWTO交渉では、高い関税の品目には高い削減率を課すという方式が合意されている。高関税品目が多い日本は、できる限り多くの品目についてこの例外扱いを求めている。しかし、原則に対し例外を要求すれば、代償として低税率の関税割当数量の拡大が求められる。これがWTOの交渉ルールである。ウルグアイ・ラウンド交渉では、コメについて関税化の例外を得る代償として、関税化すれば消費量の5%ですむ関税割当量(ミニマムアクセス)を年々拡大して8%とすることを日本は受け入れた。しかし、関税割当量の拡大による農業の縮小を回避するため、1999年に関税化に移行し、現在では7.2%、77万トンの関税割当量にとどめている。三笠フーズ等が食用に転用した事故米は、このミニマムアクセスで輸入されたコメである。
WTO事務局長案では、75%以上の関税については70%の削減が必要とされる。778%のコメの関税は、233%まで引き下がるということになる。これには例外も認められるが、その代償としてコメについては消費量の5%、45万トン程度のミニマムアクセスの追加が必要となり、ミニマムアクセスは合計で120万トン以上に拡大する。
政府・農業界は、麦等の他の農作物についてもこれと同じ方針で交渉に臨んでいる。しかも、こうした扱いを受ける品目をさらに拡大するよう交渉しているのである。これによって日本農業は大幅に縮小し、食糧自給率もさらに低下することだろう。
農業界が関税維持とミニマムアクセス拡大によって守ろうとしているのは、高い国内価格である。しかし、実は高い関税も必要なくなっているのである。コメの60キログラム当たり2万円という関税(778%という数字は、この関税を安いタイ米価格と比較したものである)は、今の国内米価1万4000円より高いので、輸入米価格が0円でも輸入されない。日本米と品質的に近い中国産短粒種米の実際の輸入価格は、平成10年の3000円から1万円まで上昇している。国内米価からすれば、関税は100%も要らない。40%、4000円で十分である。現に農林水産省が徴収しているマークアップといわれる関税見合い額(これが必要な関税率に相当する)は、ここ3年間50~80%に過ぎない。
米価引下げこそ農業復興の途
EUのように生産調整を廃止して価格を下げ、影響を受ける農家に直接支払いをしてはどうか。生産調整を止めれば、米価は60キログラム当たり約9500円に低下し、需要は1050万トンに拡大する。食管制度以来、米価を引下げようとすると、JA農協は農業依存度の高い主業農家が困ると反論してきた。であれば現在の1万4000円と9500円の差の8割程度を主業農家に財政で補てんすればよい。流通量700万トンのうち主業農家のシェアは4割なので、約1700億円で済む。これは、現在、生産調整のために農家に払っている補助金とほぼ同じである。市町村役場や農協の職員等、サラリーマンとしての所得の比重が高く、土日しか農業に従事しないパートタイム(兼業)農家に補償する必要はない。これらの農家も主業農家に農地を貸せば、現在の農業所得を上回る地代収入を得ることができる。さらに主業農家の規模が拡大してコストが下がれば、その支払い可能地代も増加する。
財政負担は変わらない上、消費者負担は価格低下で軽減される。中国から輸入されるコメよりも国内価格は下がるので、今まで日本を苦しめてきた77万トンのコメのミニマムアクセスは輸入しなくてよい。事故米も発生しない。中国は500万トン以上のコメのミニマムアクセスを設定しているが、ほとんど輸入していない。それだけではない。これまでは国内需要しか視野になかったことが生産を減少させた。日本の人口は減少するが、世界の人口は増加する。日本が米を500万トン輸出したとしても、中国の穀物生産の1%に過ぎない。EUが穀物価格の引下げでアメリカから輸入していた飼料穀物を域内穀物で代替したように、価格低下は輸出という新しい需要も取り込むことができる。食糧危機が生じた際には、インドや中国が行っているように、輸出していたコメを国内に向けて飢えをしのげばよい。農地はフルに活用され、食糧安全保障も多面的機能も維持できる。
戦前農林省の減反政策案に反対したのは、食糧自給を唱える陸軍省だった。食糧の供給を制限し、高い価格により消費者家計を圧迫する政策が食糧安全保障と相容れるはずがない。
自給率が40%であることは、60%の食糧を国際市場で調達し、食糧輸入途上国の飢餓を増幅させていることに他ならない。戦後農政から脱却し、生産調整を廃止して米価を下げ、輸出によって農業を縮小から拡大に転じることこそ、日本が食糧難時代に行える国際貢献であり、かつ我が国の食糧安全保障につながる政策ではないだろうか。
『環』Vol.35(藤原書店)に掲載