貿易交渉と日本の農政

山下 一仁
上席研究員

一、ウルグァイ・ラウンド交渉

過去に例を見ないほどの包括的、野心的な交渉であったウルグァイ・ラウンドは、WTO(世界貿易機関)にモノの貿易のみならずサービス貿易や知的財産権の保護も取り込んだが、農業分野でも、数次のラウンドを経てやっとアメリカが世界貿易を歪め続けたECの農業政策を捕まえたこと、市場アクセス、輸出補助金のみならず、国内の農業政策までWTOが規制することとなったという点で、画期的な交渉だった。

ECでは農産物価格の支持水準を70年代から83年にかけて一貫して引上げたため、“バターの山、ワインの湖”といわれるような深刻な過剰が発生した。域内価格と輸入価格の差を全て徴収する可変課徴金で域内市場を完全に保護する一方、輸出補助金をつけて過剰生産物を国際市場で処分したため、国際価格は大幅に低下した。我が国は輸入数量制限や生産調整に裏付けられた高い価格支持により農業を保護した。このため、アメリカ、オーストラリア等の輸出国は、可変課徴金や輸入数量制限等の非関税障壁の関税化、輸出補助金の撤廃を求めた。

アメリカから攻め立てられたECは、穀物や牛肉の支持価格を大幅に引き下げ、農家に対する直接支払いによって補うという改革を行った。価格を引き下げれば、関税化後の関税引下げにも対応できるし、過剰の減少により補助金付き輸出量の削減も可能となる。

日本は米について関税化の特例措置を得る代償として、関税化すれば消費量の5%ですむ低税率の関税割当量(ミニマム・アクセス)を8%とすることに合意した。しかし、国内で大幅な生産調整を行っている中でアクセスの加重はさらなる生産縮小につながること、途中でも関税化すればミニマム・アクセスの増加を抑えられること等から、99年から関税化に移行した。しかし、関税化が遅れた結果5%ですんだミニマム・アクセスが7.2%となった。一般原則に対し特例を要求すれば必ず代償を要求されるのが、ガット・WTOの基本ルールである。しかし、ミニマム・アクセスの増大という苦い学習にもかかわらず、代償主義という基本原則は、未だに我が国農業界には理解されていない。

結局、ウルグァイ・ラウンドでは、国内支持、国境措置、輸出競争の3つの分野にわたり、95年から00年までの6年間で保護水準を引き下げていくことを約束した。国内政策については、農業補助金を交通信号方式で規律した。貿易歪曲性の少ない緑の補助金は自由に出してよいが、それ以外の黄色の補助金はAMSによって削減される。

二、改革の必要性

1 WTO・FTA交渉から要請されるもの
WTOでは現在更なる自由化に向けて交渉がなされている。かなりの産品について関税撤廃を要求される二国間のFTA(自由貿易協定)締結交渉でも農産物は大きな争点となっている。いずれの交渉でも、関税引下げが要求される。しかし、価格で農家所得を維持してきた農業界にとっては、価格引下げにつながる関税引下げは断じて認められない。このため、農業のせいでWTO交渉においてリーダーシップがとれない、FTAが結べないという非難が農業界に向けられている。

2 日本農業の衰退
明治から1960年まで、農業の不変の3大数字といわれた農業就業者数1500万人、農家戸数600万戸、農地面積600万ヘクタールは大きく減少した。今では、農業就業者数300万人、農家戸数300万戸、農地面積470万ヘクタールである。GDP(国内総生産)に占める農業の割合は、60年の9%から1%に減少している。農業者の著しい高齢化が進行し、65歳以上の農業者の比率は1割から6割へ上昇した。フランスでは、54歳未満の農業者の比率が6割である。WTO交渉やFTA交渉をうんぬんする前に、今のままの高関税政策を続けても、農業の衰退傾向に歯止めがかからない状況になっている。

三、日本農業保護の構造

1 日本の農業保護は高くない
農業保護の指標としてOECDが開発したPSE(生産者支持推定量)は関税による消費者負担(内外価格差×生産量)に納税者負担による農家への補助・支払いを加えたものである。2003年のPSEは、アメリカ389億ドル、EU1214億ドル、日本447億ドルとなっている。アメリカとほぼ同レベル、EUの半分以下である。GDP比でみても、日本1%、アメリカ0.4%、EU1.2%でEUより低い。農産物の平均関税率(12%)は、アメリカ(6%)よりは高いが、EU(20%)、タイ(35%)より低く、世界最大の農産物純輸入国になっている。

2 保護の仕方の間違い
それなのに、FTA・WTO交渉において常に後向きの対応しかしない最も農業保護主義的な国という内外の批判があるのは、保護の仕方が間違っているためである。

PSEは消費者負担と納税者負担の部分からなる。関税により高い価格で農業を保護している消費者負担の部分は、1986~88年から2003年にかけて、農政改革によってアメリカ46%→38%、EU85%→57%と低下しているのに、日本は90%→90%のままである。

アメリカは、60年代農家への保証価格と市場価格との差を政府が不足払いすることによって、農家所得を維持しながら国際競争力を確保する方向に政策を転換していた。96年農業法は、不足払いに代えて、生産とデカップルされた直接支払いを導入した。これは緑の政策とされた。しかし、穀物価格は96年をピークとして低下に転じたため、98年度から総額273億ドルの緊急農家支援策(市場損失支払い)を実施した。

96年農業法及び緊急農家支援策の延長線上に、連邦議会は07年までを対象とする02年農業法を成立させた。直接支払い制度は継続され、さらに、過去に穀物等を生産した農家に対して、これらの作目の市場価格等に直接支払いを加えた額が農家への保証価格を下回った場合、その差額を補填するというCCP(価格変動型支払い)を導入した。これは、生産制限が96年農業法で廃止されたため、生産制限なしの不足払いの復活である。

EUは92年、00年の穀物等の改革に続き、03年乳製品の支持価格を脱脂粉乳15%、バター25%引き下げるとともに、作物ごとの直接支払いの相当部分を生産とデカップルされたアメリカ型の緑の政策(単一直接支払い)へと変更した。砂糖についても、04年欧州委員会は、価格の33%の引き下げ、単一直接支払いへの移行を加盟国に提案した。いまやEUの穀物支持価格は、小麦シカゴ相場を下回っている。EUはアメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できるのである。しかも、EU拡大等自らの域内事情から先んじて農政改革を行い、これをもって関税引下げ、輸出補助金撤廃を提案するなどWTO交渉に積極的に対応している。

EUがアメリカと同じ納税者負担型農政に転換したにもかかわらず、日本のみ取り残され、かつてのアメリカ対EU・日本という構図がアメリカ・EU対日本という構図になっている。しかも、日本の保護は米など特定の品目に偏在している。平均関税は低いが、一部品目に突出した高関税(米490%、バター330%、砂糖270%)がある富士山型の関税構造となっている。

(表)各国の政策比較

3 なぜ、関税依存の消費者負担型農政ができ上がったのか
1961年の旧農業基本法は零細な農業の構造改革を行い、規模拡大・コストダウンによる農家所得向上を目指した。

しかし、実際の農政は所得向上のため米価を上げた。農業資源は収益の高い米に向かい、過剰となった米の生産調整を30年以上も実施する一方、麦等の生産は減少し、食料自給率は60年の79%から40%へ低下した。品種改良等による収量の向上は農産物コストを低下させるが、生産調整の強化につながるので抑制された。農地集積による規模拡大もコストを下げるが、高米価のもとではコストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細兼業農家が滞留し専業農家に農地は集積しなかった。高米価は農協が肥料、農薬等を高く農家に売るためにも、農家戸数を維持し農協組織の存続を図るためにも必要だった。平均農家規模は40年かけて0.9ヘクタールが1.2ヘクタールになっただけである。53年まで国際価格より安かった米は、いまでは490%の関税で保護されている。高米価政策は食料自給率や国際競争力の低下という大きな副作用をもたらした。

兼業化が進み、兼業米単作農家の所得(792万円)は勤労者所得(646万円)を大きく上回っているが、食料供給の主体となる専業農家は育たなかった。政策対象を専業農家に限定し構造改革を積極的に推進したフランスでは、自給率は99%から132%へ、農場規模は2.5倍へ拡大した。

四、国内の農政改革の頓挫

1 WTO交渉と農政改革の連動
全ての農家に一律に効果が及ぶ価格支持と異なり、直接支払いの最大のメリットは問題となる対象に直接ターゲットを絞って政策を実施できることである。日本のように構造改革の遅れた国では、将来の食料生産を担う農家に直接支払いの対象を限定しなければ構造改革効果はなくなる。しかし、対象を限定するという政策上の最大のメリットこそ、政治的には最大のデメリットとなる。さらに、種々の利益が絡まる予算を抜本的に見直す事は大変なリーダーシップを要する。

しかし、03年の8月末、唐突に「諸外国の直接支払いも視野に入れて」食料・農業・農村基本法に基づく計画を見直すという農林水産大臣談話が出された。農産物関税に上限を設定するというアメリカとEUのWTO交渉に関する合意が同年8月13日になされたためである。上限関税率は今のEUの最高関税率200%を超える事はありえず、アメリカの現行関税率、EUの改革状況から100~125%と考えられる。490%の米の関税率等をそこまで下げると、今のままでは日本農業は壊滅する。直接支払いの政治的困難さなど頭から吹っ飛んでしまうほどの危機感が大臣談話になった。

(1) 最初の後退
EUは中東欧への拡大や農業支出の増加等EU独自の事情に対処するため農政改革を実行した。これによりWTO交渉のポジションは有利になったが、交渉がなくても改革は不可避であった。我が国も日本農業それ自体に内在する問題に対処するために改革を行う必要がある。しかし、03年9月のカンクン閣僚会議議長案で米は上限関税率の特例にできるかもしれないという期待が生じたため、改革の意欲が後退した。同年12月、農林水産省は最も構造改革の遅れた米を直接支払いの対象としないことを明らかにした。

(2) 次の後退
04年8月には、麦、大豆等の不足払いの一部を緑の直接支払いに移行する、次に述べるWTO交渉枠組み合意で本格的な関税引下げの議論が先送りになったので、米のみならず麦、牛乳等他の農産物を含め関税引下げへの対応としての直接支払いは見送るという内容にさらに後退した。

2 WTO交渉枠組み合意(2004年7月)
直接支払いによって関税依存度を低めているアメリカやEUと異なり、米、麦、乳製品等に突出した高関税を持つ日本にとって、関税水準の維持は最重要交渉課題である。

枠組み合意では、上限関税率は事実上先送りされ、関税率の高さで品目をグループ化し高い関税品目には高い削減率を課すという階層方式が採用されたが、一定の重要品目については例外が認められることになった。しかし、例外を要求すればかつての米の特例措置のように代償を求められる。今回の合意文書でも、“実質的なアクセス改善はそれぞれの品目に要求され、関税削減と関税割当約束によって行われる”、“そのような品目全てについて関税割当の拡大が要求され、その拡大は階層方式の全体的な目的を損なわないように関税削減方式からの乖離具合を考慮して約束される。”と書かれている。普通に読めば、例外を要求すれば、通常要求される以上の関税割当の拡大が要求されることになろう。

しかし、日本政府は、“最終合意は品目の重要さを反映する限りにおいて交渉のバランスは達成される”という字句を根拠に、関税割当約束はその拡大だけではなく、枠内税率の削減、運用の改善を含むものであり、『関税割当の拡大についても義務付けされないように交渉していくことが可能』と解釈している。上記の農政改革もこれを前提にした。

合意文書をどのように解釈しようと各国の自由であるが、交渉の最終局面ではそのような解釈をアメリカ等の輸出国に納得させなければならない。全ての品目について、実質的なアクセス改善、関税割当の拡大とはっきり書かれているし、また、米、麦、乳製品など日本の主要関税割当の消化量は100%であり、枠内税率の削減等を約束されても、現状に比べ何も日本市場に追加的アクセスが見込めないようなものをアメリカ等が受け入るはずがないだろう。盟友であるはずのEUの農業担当大臣も本年5月のG5の会合で例外品目には関税割当の拡大が必要であると明確に発言している。

最終的には、輸出国が上限関税率をあきらめる見返りとして、米等について関税割当の拡大を認めさせられることになるのではないだろうか。ウルグァイ・ラウンドの再現である。

五、今次WTO交渉の見通し

1 疎外される日本
ウルグァイ・ラウンドまでの交渉と違い、今回のドーハ・ラウンド交渉ではアメリカとEUの合意にもかかわらず、途上国の反対によりカンクン閣僚会議は決裂した。競争力の面でブラジル等に追い上げられているアメリカは、途上国市場を含め自国産農産物のさらなるアクセス拡大を求めざるをえない。EUは国内価格を大きく下げている。両先進国とも、関税引下げ交渉に応じる余地がある。中国等途上国の多くは、米など自国産農産物輸出拡大のため先進国に市場アクセスや農業保護削減を求めている。アメリカ、EUも途上国も先進国の関税引下げを容認したり求める点では共通している。

なお、先進国の保護削減を求める一方、国内の脆弱な農業部門の保護のため特別かつ異なる待遇を求めている途上国もあり、また、関税など課さず安い農産物を輸入するほうが、労働コストを低下させ、工業部門のコストダウンを図る上で望ましく、農業保護には関心がない輸入途上国もある。輸入国だからといって日本と共通の利害を持つとは限らない。

この中で、関税引下げ等の市場アクセスに消極的な立場をとらざるをえない日本は孤立した。ウルグァイ・ラウンド交渉で日本はアメリカ、EU、オーストラリア(農業以外では、カナダ)とともにコアの交渉グループを形成したが、今次交渉では「農業でノーとしかいわない日本」(ゼーリック・アメリカ通商代表)はこれから外され、03年末から日本の代わりにインド、ブラジルがコアの交渉グループ(G5)に入って交渉が進められている。農業以外でも、今次交渉で日本が最も獲りたかった“投資”は交渉のアジェンダから落とされてしまった。

2 連続と不連続
今次交渉で目立つのは、ウルグァイ・ラウンドとの連続・類似性である。ウルグァイ・ラウンドの立上げに数年かかったように、今回もシアトルからドーハまでラウンドの立上げに時間がかかった。モントリオール中間閣僚会議の失敗が事務的に調整されたように、カンクン閣僚会議の失敗も一般理事会による枠組み合意の形で調整された。4年で終了する予定だったウルグァイ・ラウンドは、7年を要した。04年末に予定された今次交渉の期限も延長された。

アメリカ政府が議会から交渉権限を与えられているファスト・トラックの期限である07年6月末までに合意文書が間に合うよう、05年末の香港閣僚会議で関税をX%引き下げる等のモダリティーを合意し、その後それに基づき品目ごとの具体的な関税率等を記載する譲許表作成の交渉を06年末までに終了することが予定されている。しかし、成功した閣僚会議は交渉立上げのプンタ・デル・エスタとドーハを除き見当たらないうえ、モダリティーの合意は交渉の事実上の終結を意味する。例えば、輸出補助金の撤廃の期日を約束すれば、その後の譲許表のための交渉は単なる事務的なものに過ぎない。ウルグァイ・ラウンドの際、農業協定の案文と交渉モダリティーを含むダンケル最終合意案は91年末に出されたが、加盟国は公式的にはこれを肯定も否定もせず、ただし、これを事実上参考としながら個別品目の関税削減等の交渉を行い、その後農業協定に対するブレア・ハウス合意や米の特例措置等の修正を入れながら、93年末各国譲許表と同時に合意した。

06年末までの合意が約束されたが、08年以降の農政を連邦議会が決める次期農業法の内容が06年では明らかとならずアメリカ政府がディールできない、06年にはドイツ、フランスで選挙がありEUもディールしにくいとなれば、ウルグァイ・ラウンドの際と同様ファスト・トラックは延長され、実質的交渉期限は07年末までとなることも予想される。

96年農業法が財政事情の悪化を、2002年農業法が財政事情の好転を反映したように、農業法と財政事情には強い相関関係がある。WTO上級委員会による綿花についての判断やアメリカ財政事情の悪化から、次期アメリカ農業法で農業保護が大幅に削減されれば、アメリカは自国農家の所得維持のため海外市場の拡大を一層求めてくるだろう。

六、日本の取るべき方向

1 消えた日本提案
水資源の涵養等農業が農産物の生産以外に果たしている多面的機能を全面に打ち出した00年の日本提案は、パブリック・コメントを求めるなど国民合意プロセスを経て行われた。多面的機能は農業生産と密接不可分に結びついていることから、生産との切離しを要求している緑の政策の要件見直しを日本提案のコアとして主張した。現在のWTOの緑の政策は生産や貿易に影響を与えないものという基準で規定されており、経済学でいう外部経済の是正のための補助金は削減対象の政策になっている。過去の交渉と異なり、我が国はOECDでの検討成果をWTO交渉に反映するという戦略的・積極的意図をもってOECDでの多面的機能の検討を開始し、03年に期待通りのレポートを取りまとめることができた。しかし、このOECDレポートは活用されないばかりか、02年以降多面的機能についての提案自体いつのまにか消されてしまった。

2 関税か直接支払いか
農業を保護することとどのような手段で保護するかは別の問題である。関税はあくまで手段にすぎず、目的とすべきは農業の発展や国民への食料の安定供給であって関税の維持ではない。目的と手段を混同してはならない。消費者負担による関税と納税者負担による直接支払いは手段の違いである。消費者から負担を求める方が財政当局と折衝するより抵抗が少ないことが関税という手段を採ってきた理由である。しかし、納税者負担による直接支払いは、消費や貿易への歪みをなくし国民経済全体の厚生水準を高め諸外国との貿易摩擦を避けるとともに、受益の対象を真に政策支援が必要な農業や農業者に限定できるというメリットがある。

関税引下げに対応するためには、EUのように直接支払いを導入し国内価格を引き下げればよい。しかし、内外価格差のある中での低税率の関税割当の拡大は国内生産の縮小をもたらす。食料自給率の向上を唱えるのであれば、関税引下げ、関税割当拡大のいずれかを求められる場合は迷わず関税引下げを選ぶべきだ。

日本米と品質的に競合する中国産米の輸入価格は60kg当たり4000円なので、WTO交渉の結果関税率が200%(1万2000円の米価相当)となれば、現在の米価1万6000円は維持できず、本格的な農政改革に着手せざるをえなくなる。また、困難な品目については関税撤廃の例外を設けることができるFTAで、世界で最も競争的な国との関税を撤廃することは現実的にはありえない。WTO交渉で関税を撤廃することと同じだからである。FTA交渉で関税を撤廃する品目は、相手国がそれほど競争的ではない場合である。仮に、韓国の米価が1万2000円で日本が農政改革により米価を1万円に下げることができれば、韓国とのFTAで米の関税を撤廃できる。仮に韓国からの輸入が起こったとしても、最恵国(MFN)ベースの関税が低下しているので、FTAのデメリットとしていわれている貿易転換効果は少なくてすむ。

その際、護送船団方式的な対象農家を限定しない直接支払いでは、農業の効率化は図られない。零細兼業農家の米販売額109万円のうち農業所得はわずか12万円、これは1万6000円の米価が1800円低下しただけで消える。生産調整という価格維持カルテルを廃止し、米価を需給均衡価格9500円程度まで下げ、農業所得を大きく赤字にすれば兼業農家は耕作を中止する。さらに農地を農地として利用するための農業版特別土地保有税を導入し不作付け対応の機会費用を高めれば、農地は確実に貸し出される。一方、一定規模以上の専業農家に耕作面積に応じた直接支払いを交付し、地代支払能力を補強すれば、農地は専業農家に集まる。3ヘクタール未満層の農地の8割が流動化すれば3ヘクタールの農家規模は15ヘクタール以上に拡大しコストは大きく下がる。

このコストダウン効果により、構造改革を行わない場合より財政負担は大幅に軽減できる。しかも、直接支払い(農産物の関税を全廃する場合でも所要額は1.7兆円以内)を3兆円程の現行農業予算内で処理すれば財政負担は増えない。価格低下により農業保護の9割、5兆円(消費税2%相当)に及ぶ消費者負担は消滅し、国民負担は大幅に低下する。生産調整廃止による米生産の拡大及び米と他作物の相対収益性の是正を通じた他作物の生産拡大により食料自給率は向上する。週末しか農業を行わない兼業農家に比べ、週末以外も農業に専念できる専業農家は農薬・化学肥料の投入を減らすので、環境にやさしい農業を実現できる。

また、日本がアメリカやEU型の農政に転換すれば、再び交渉コア・グループに復帰し、今次交渉で3カ国による連携を図ることも可能となる。

農業を保護するかどうかが問題ではない。関税による価格支持か直接支払いか、いずれの政策を採るかが問題なのである。関税引下げという外圧が来るまで改革しないというのではなく、衰退の著しい我が国農業自体に内在する問題に対処するため改革を行わなければ、外から守っても農業は内から崩壊する。EUは先んじて農政改革を行い、WTO交渉で関税引下げ、輸出補助金撤廃を提案するなど積極的に対応している。これまでどおりの農政を続け座して日本農業の衰亡を待つよりは、直接支払いによる構造改革に賭けてみてはどうだろうか。

2005年6月号『法律時報』に掲載

文献

2005年6月10日掲載

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