農産物輸出は日本農業再生の切札となるか

山下 一仁
上席研究員

農産物輸出促進の動き

国産農産物輸出促進の旗がさかんに振られている。昨年5月、鳥取県知事の音頭により輸出促進都道府県協議会が発足した。ジェトロも、昨年7月「日本食品等海外市場開拓委員会」を設立し、東アジア市場を中心に、市場調査、国際見本市への参加等を行っている。農林水産省は輸出支援の予算を今年度、4700万円から8億400万円に増額し、外国の貿易制度の調査、海外市場開拓ミッションの派遣、日本米の輸出可能性調査、販売促進活動への支援等を行う。

東アジア地域の経済発展による食品需要の拡大、農産物輸出成功事例の出現等も背景にあるが、この輸出促進の動きは、行政主導による上からの取組みである。ウルグァイ・ラウンド交渉の最中だった1989年頃にもこのような動きがあった。今回もWTOドーハ・ラウンド交渉で、更なる農業保護の削減が議論されており、また、ほとんどの産品について関税撤廃を要求される自由貿易協定の締結交渉でも、農業界は譲歩を迫られている。前回と同様、暗く沈みがちな農業界に対し、輸出という明るい話題を提供しようという狙いが感じられる。

WTO農業協定により、日本にはダンピング輸出ができる輸出補助金の交付は禁止されており、政府は海外市場調査等により、民間事業者の輸出を側面からアシストすることしかできない。したがって、輸出できるかどうかは国産農産物自体に、海外市場で売れる実力が本来備わっているかどうかにかかっている。

なぜ輸出を促進するのか

その疑問に答える前に、関係者には冷や水をかけるようだが、国等が支援する公的な理由が、明らかにされる必要があろう。

貿易の利益は輸入・消費の利益であって輸出・生産の利益ではない。国際経済学者P・クルーグマンから引用すると「輸出ではなく輸入が貿易の目的であることを教えるべきである。国が貿易によって得るのは、求めるものを輸入する能力である。輸出はそれ自体が目的ではない。輸出の必要は国にとって負担である。」(『良い経済学、悪い経済学』日本経済新聞社147頁参照)とある。輸出促進は輸出しようとする産業にとっては利益であるが、国全体としては必ずしもそうではない。民間の輸出を国が支援することに対しては、食料安全保障、多面的機能等の理由により国内の農業を輸出という方法を採ってまでも振興する必要性についての説明が必要だろう。

輸出は促進できるのか

輸出が行われる場合には2つのものがある。
まず、同じ産品について輸出国がより安いコストで生産できる場合である。伝統的な国際経済学の理論によると「ある国は、その国に相対的に豊富に存在する生産要素を多用して生産される(集約的に用いる)財に比較優位を持ち、そうでない財に比較劣位を持つ。」―すなわち、各国における生産要素存在量の比率の違いが、比較優位の要因とされる。2003年のわが国の農産物輸入額は4兆4000億円、輸出はわずか2000億円となっており、世界最大の農産物純輸入国である。その大きな要因は、農業にとって重要な生産要素である土地の存在量が、労働力や資本など、他の生産要素の存在量に比べて相対的に少ないためである。わが国は土地利用・集約型産業である農業には比較優位をもちにくいのである。

しかしこの理論は、農産物と工業製品という産業間貿易の発生理由についてはうまく説明できるが、日本がトヨタを輸出しつつベンツを輸入するという、産業内貿易の場合を説明できない。このため考えられたのが、消費者は同じ商品をたくさん消費することだけではなく多くの種類の商品(トヨタとベンツは異なる)を消費することをも好むことに、貿易の原因を求める理論である。この理論によればわが国農産物でも高品質化等により製品の差別化(例えばすし用の日本米とピラフ用のタイ米は異なる)に成功すれば、輸出の可能性はないとはいえない。また、嗜好の差も貿易の原因となる。あるリンゴ生産者がイギリスに、日本では評価の高い大玉を輸出しても評価されず、苦し紛れに日本ではジュース用にしか安く取引されない小玉を送ったところ、やればできるではないかといわれたという話がある。

しかし、食品の場合、製品の差別化は主として味の差別化であるが、野菜、小麦、大豆、牛乳、卵等では味に差は出にくい。それが可能なものは果物、和牛肉、一部の米等に限られてしまう。市場調査により、イギリスのリンゴのような事例を発掘できたとしても、あくまで例外的なものだろう。

また、日本の米については、中国、台湾でもおいしいという評価があるが、いくら品質がよくても価格(コスト)差をカバーするには限度がある。国際経済学の新しい理論でも、製品差別化による産業内貿易には、コストや1人当たり国民所得の差が著しくない場合が想定されている。いかにベンツの評価が高くても、1台1000万円を要求すれば、日本の消費者は500万円の国産車を買うだろう。新潟魚沼産のコシヒカリがいくら美味といっても、1キロ100万円の値がつけば、日本国内でも買う人はいない。米を輸出しているのは、米生産コストや所得が日本と近く、価格差がそれほどかけ離れていない台湾であり、大幅な価格差がある中国などには輸出できない。台湾市場でもアメリカ産と輸入価格に10倍の差があるため台湾の米輸入にしめる日本のシェアは量で0.2%、金額で1.5%にすぎず、7割のシェアを持つアメリカに太刀打ちできない。本気で輸出しようとすれば、本格的な農業改革を行い米、果物、肉用牛等土地利用型農業の規模を拡大しコスト、価格を大きく下げる必要がある。それを行わない行政主導型輸出振興は、以前と同じあだ花に終わる可能性が高い。経済産業研究所のシンポジウム『21世紀の農政改革-WTO・FTA交渉を生き抜く農業戦略』でケン・アッシュOECD農業局次長は「国内市場で輸入品と競争できないものは海外市場でも競争できない、国内市場を守りながら輸出市場を開拓することは不可能である」と述べた。日本プロ野球の最下位球団が、メジャー・リーグに行っても勝てるはずがない。

また、海外市場を重要な市場と捉える意識改革も必要である。生産を完全にコントロールできる工業と違い、農産物には天候等により豊凶変動があるという特殊性がある。リンゴの輸出が伸びている台湾についても、国内で売った余りがあれば大玉を輸出し、なくなれば見た目も悪い中玉を輸出するという例がある。

このようなハードルをクリアーすれば輸出も有望である。しかし、土地という生産要素が少なく、農産物貿易については、基本的には伝統的な国際経済理論が妥当すると思われるわが国において、現在でも国内農業生産額の4%を占めるに過ぎない輸出が農業の再生を図れるほど切り札になるとは考えられない。むしろ農業も自由貿易協定(経済連携協定)に積極的に対応し、外国人労働者の受け入れにより、農業生産コストを下げていくほうが得ではないかと考えられる。特に自由貿易協定で、関税引下げ・撤廃等が迫られている豚肉、鶏肉等土地利用型ではない農業については、労働コストの低減が、競争力向上の唯一の対応ではないだろうか。

2004年11月号 『産業新潮』に掲載

文献

2004年11月5日掲載

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