夢去りぬ、農政改革

山下 一仁
上席研究員

8月10日食料・農業・農村政策審議会は農政改革についての『中間論点整理』を行った。「中間論点整理がたたき台となって、国民的な議論が広く展開されることを強く期待する」と書かれているので、臆せず論評したい。はっきり言って、空のように期待が高かったため、海のように失望も深い。

経営安定対策の内容

改革の中心となる経営安定対策(品目横断的対策等)は、麦、大豆等の不足払いの一部を担い手農家に対する緑の直接支払いに移行する、WTO交渉で本格的な関税引下げの議論が先送りになったので米のみならず麦、牛乳等他の農産物を含め関税引下げへの対応としての直接支払いは見送るという内容である。この内容を中間論点整理本文から解読することは極めて困難である。農林水産省が作成した「品目横断的政策のイメージ」という資料を理解した上で、中間論点整理本文中の「諸外国との生産条件格差が国内市場において顕在化している品目」という表現を諸外国との生産条件格差があっても関税によって国境で格差が解消されていれば国内市場において顕在化していないので対象としないと読んでようやく理解できる。審議会メンバーに語り部という人がいて、また政策決定の透明性・わかりやすさをうたっているのに、普通人に理解できない表現・文章がなぜ作られるのだろうか。新聞各紙がこぞって誤った理解・評価をしたのも無理もない。

評価できる対象者の限定

構造改革が著しく遅れ副業農家の多い米に比べ畑作物については対象絞込みへの政治的抵抗は少ないが、対象農家を限定したことは評価できる。しかし、対象農家の基準は明確でなければならない。基準が明確でないと現場の行政が混乱する。「認定農業者」の認定は市町村でまちまちであり、これを基準とすべきではない。2年前の米政策の改革で経営安定対策の対象農家を都府県4ha、北海道10haとしたように、基準は客観的に面積規模で設定すべきだ。

食料自給率は低下する

新しい直接支払いに転換されるものは、外麦への課徴金(国内市場価格-輸入価格)をもって国内産麦への不足払い(農家手取保証価格-市場価格)を行っているもの等である。不足払いを廃止すれば農家手取保証価格は市場価格まで低下する。また、直接支払いは現在の生産に影響を与えない(過去の作付面積に応じた)緑の政策を念頭に置いている。

具体的な数値(トン当たり小麦、14年度)を示そう。国内産麦の農家保証手取り価格は145千円、国内市場価格は38千円、不足払い106千円である。小麦の生産費は北海道の帯広でも122千円である。価格が生産費をはるかに下回る水準まで下がるので、農家は生産を止めて直接支払いだけを受けることが最も経済合理的である。麦生産は壊滅する。これを避けるためには従前の不足払いを維持した上で生産費を上回る水準に農家手取保証価格を設定しなければならない(不足払いの一部を直接支払いに移行するというのはこの意味)が、そうすると従前の不足払い83千円(122-38)に比べ新しい直接支払いの額はトン当たり換算23千円(145-122)にすぎなくなる。この場合でも農家手取保証価格の低下により麦生産は減少する。

いずれの場合でもこれら品目に比べ農家手取価格が変化しない米の相対収益性はますます有利化し、米の過剰圧力はさらに高まり、食料自給率は低下する。高度成長期の米過剰・麦安楽死政策の繰り返しである。麦等の生産増加によって食料自給率を上げようとする新基本法の目的と矛盾する政策となった。

そもそもこのような政策変更を行う意味がどこにあるのだろうか。AMSは大幅に引き下げられており黄色から緑への転換は必要ではない。対象を限定したといっても生産とリンクしない政策なので構造改革効果も期待できない。

品目横断という言葉への呪縛

不足払い、関税引下げとも、野菜、果樹、酪農、肉用牛は品目横断的政策の対象とはされない。中間論点整理に従うと、(1)不足払いについて、1)米は不足払いがないので該当しない、2)過去に麦等を昨付けした水田、畑では不足払いを緑の直接支払いに転換する、3)酪農、肉用牛等の不足払いは緑の直接支払いには転換しない、(2)関税引下げに対処するための直接支払いは、1)米2)麦等については関税が下げられたら導入するが、3)酪農、肉用牛等については、乳製品や牛肉の関税引下げが行われても何も対策を打たない。

しかし、WTO農業協定では支払い額が生産のタイプと関連しないというのみで、個々の農家の経営が複合経営でなければならないというものではない(農林水産省は乳肉複合経営を推進していたはずだが?)。野菜、果樹も畑、酪農、肉用牛は草地について、面積当たりの直接支払いを検討できる。

農業資源保全対策

農地・農業用水等の資源は新たな施設の整備から保全管理等に移行する必要があるとし、その保全活動に対する支援を行うとしている。多面的機能を全面に打ち出した2000年の日本提案では多面的機能は農業生産と密接不可分に結びついていることから、生産とのデカップルを要求している緑の直接支払いの見直しを日本提案のコアとして主張した。これが認められるなら保全活動全てに対する支援が緑の政策となったはずだが、02年のモダリティ提案以降日本提案からこれは消されており、中間論点整理でも支援は規範となる保全活動を超えた効果の高い取組みに限定されている。既存の緑の政策のうち環境直接支払いに位置付けようとしたのだろう。

なお、筆者『国民と消費者重視の農政改革』(東洋経済)が主張するような本格的な直接支払いが導入されれば、担い手への農地面積当たりの直接支払いは地代の上昇によって地主の利益となり、地主はこれによって農地・水路等の農業資源の保全をすればよいので、このような支援自体必要ではない。

また、これも普通人には解読できないが「既存施策との整合性の確保方策」と論点整理に書かれているのは中山間地域等直接支払いとの整合性確保を意味するらしい。中山間地域等直接支払いが多くの場合農地の保全等に活用されていることは事実であるが、これは生産条件の不利の補正を目的とし交付単価もその観点から算出されるものであり、また、本来直接支払いの使途に限定はない(旅行に行ってもよい)ものであり、そもそも重複を議論するようなものではない。EUでも環境支払いと条件不利支払いが両立している。

夢よもう一度

兼業農家が圧倒的多数を占める稲作では、必要となる対象者にターゲットを絞って政策を実施できるという直接支払いの最大のメリットこそ政治的には最大のデメリットとなる。また、種々の利益が絡まる予算を抜本的に見直すことは容易ではない。しかし、一定以上の農産物関税(上限関税率)は認めないというアメリカとEUのWTO農業合意が昨年8月になされた後、「諸外国の直接支払いも視野に入れて」基本計画を見直すという大臣談話が出された。490%の米の関税率を100~200%まで下げると農業は壊滅する。直接支払いの政治的困難さなど吹っ飛んでしまうほどの危機感があった。しかし、改革の動機となった関税引下げの脅威が遠のいたため改革意欲は急速にしぼんだ。

WTO交渉で関税引下げを約束されるのはいつなのだろうか。早くて07年妥結と思われる今次交渉で重要品目については日本政府が解釈しているように関税の大幅引下げも関税割当の拡大もしなくて良いのであれば、10年以上も後になる次の交渉終了まで本格的な農政改革はされない。その時、WTOで生産とデカップルされた直接支払いしか認められていないと生産に影響し構造改革効果を持つ直接支払いは導入できない。現状の農業の衰退傾向のまま10年以上も改革を行わなければ、農業は内から崩壊してしまうのではないだろうか。

農政史上傑出した指導力を発揮した大臣が3人いる。第一次農地改革の松村謙三、第二次農地改革の和田博雄、農地管理事業団法案の赤城宗徳である。特に、地主階級に支持された保守党の中での異色の自作農主義者、松村謙三がいなければ農地改革は行われなかったかもしれない。しかし、和田博雄や小倉武一らの偉大な改革派農林官僚をもってしても農地改革から農業改革へという夢はかなわなかった。昭和の大農政改革である農地改革に匹敵する平成の大農政改革を実行するためには農林水産省事務当局には荷が重いのかもしれない。農業再生のため強い政治的リーダーシップが発揮されることを期待したい。

2004年9月25日号 『週刊農林』に掲載

2004年10月13日掲載

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