イラク戦争後の日本

白石 隆
RIETIファカルティフェロー

イラク戦後、どのような秩序が世界に形成されつつあるのか。これから日本はどう世界に関与していくべきか。これを考える上で重要なことは。「いま」をより長期の歴史的趨勢の中において見ることである。それは、大きく3つ、ある。

米国の振り子

第一は米国政治の趨勢である。冷戦の終焉以来、軍事技術の革命もあって、米国の軍事的優位は圧倒的なものとなった。しかし、世界の秩序は軍事力のみで作られるものではない。

また米国には世界への関与の仕方について大きく2つの考え方がある。1つは安全保障における「力の均衡」を基本とする現実主義の考え方で、もう1つは国際協調により開かれた国際経済体制を構築しようという自由主義の考え方である。

米国の外交は伝統的にこの2つの考え方の間で振り子運動を続けてきた。ごく単純化していえば、共和党政権は安全保障を重視して現実主義に傾き、民主党政権は経済を重視して自由主義に傾く気味がある。9・11テロ以来、アメリカ人は自分たちの安全に大きな不安を抱くようになり、そんな「戦時」ムードの中で、ブッシュ政権は「テロとの戦争」を戦っている。しかし、アメリカ人が「戦時」から「平時」のムードに戻るにつれ、米国政治の振り子が大統領選を契機に大きく揺れることは十分ありうる。

崩れた「合意」

第二は米国を中心とする同盟体制の変容である。第二次大戦後、米国は国際秩序の再編に際して2つの戦略的課題を設定した。1つはいかにして世界を資本主義にとって安全なところとするかであり、もう1つはいかにして米国の優位を確保するかだった。ソ連「封じ込め」と「抑止」、グローバルな「力の均衡」、そして民主主義と市場経済がその答えとなり、制度的にはNATO(北大西洋条約機構)と日米安保条約、IMF(国際通貨基金)と世界銀行などの上に、米国を中心とする先進資本主義国の同盟が構築された。

問題はこの2つの課題の整合性だった。冷戦時代、それは何の問題もなかった。ソ連の脅威に直面した日本にとっても西欧にとっても、米国の保護が必要なことは自明だったからである。その意味で日米、米欧同盟の基本には、米国が日本と西欧の安全を保障する代わりに、日本と西欧は米国主導の国際秩序を受け入れて米国のジュニア・パートナーとなる、そういう「合意」があった。

この「合意」の前提が冷戦の終焉で失われた。日本と西欧では、ソ連の脅威が消滅したいま、なぜ「われわれ」は米国のジュニア・パートナーでありつづけなければならないのか、改めて国民を説得することが必要となった。一方、米国では自らの圧倒的な軍事的優位を踏まえ、同盟体制に縛られることなく行動の自由を確保したいとういう欲求が高まった。

本来であれば、同盟体制の再編が90年代に行われるべきだった。しかし、そうはならなかった。湾岸戦争、旧ユーゴスラビアの内戦などによって、「合意」が支えられたからである。その「合意」が今回、米国のイラクにおける戦争をめぐって崩壊した。それが同盟体制の危機をもたらした。

「有志の同盟」は答えにならない。体制としての安定性を欠くからである。また仏独枢軸の立場もあまりに内向きで生産的ではない。実際、その結果として、米国と仏独の関係はかつてないほど悪化し、米欧同盟の再構築にはしばらく時間がかかることになった。

破綻国の影響

第三は破綻国家の問題である。第二次大戦後、多くの独立国家が誕生した。1950年には69あった独立国家は、2002年には192となった。しかし、これらの国家のうち、国づくり、つまり国家の建設、経済の発展、国民の統合に成功したところはそれほど多くない。東アジアは例外であり、南アジア、中央アジア、アフリカなどではその成長には惨憺たるものがある。かつてならば、こういうところの人たちは国家が破綻してもそこに住み続けた。

しかし、いまでは人々は、米国へ、欧州へ、日本へ、やってくる。また、こうした国家のなかには、タリバン政権下のアフガニスタンのように、テロリストに聖域を提供するところもある。つまり、破綻国家の問題は、われわれとは関係のない問題だ、といってすまされなくなっている。

では日本はこういう世界にどう関与していくべきか。3つ指摘したい。第一に、日米同盟の再構築は湾岸戦争以来、着実に進んできた。日米ガイドラインの策定から最近の有事法制、イラク特別措置法に至るまで、集団安全保障の問題を別とすれば、日米同盟の再構築はほぼ完了した。

日本には、米国のイラクにおける戦争について、独仏がとったような選択肢はありえなかった。欧州と違って東アジアでは今なお安全保障上の脅威が存在する。また経済的にも、米国は東アジアとともに日本にとって決定的に重要である。つまり、日本の安全と繁栄は日米同盟に決定的に掛かっており、自主外交、自主防衛といった自主路線は、たとえナショナリズムに訴えるものであっても、現実的選択肢とはなりえない。

第二に、しかし、そのことは、日本が米国の「テロとの戦争」をいつでも、どこでも、同じように支持するということではない。アフガニスタンとイラクを考えればよい。アフガニスタンに戦略的重要性はなく、日本はその戦後復興において「応分の負担」をすればよい。

一方、イラクは戦略的に重要である。原油埋蔵量は世界第二位で、中東地域の中心に位置するからである。イラクにおける米国の民主化プロジェクトが成功し、イラクが中東における米国のジュニア・パートナーとなることは、日本にとっても利益である。

しかし、これは成功するとしても、時間のかかる話であり、米国の政権交代によってそうしたプロジェクト自体が放棄されることも十分ありうる。それを避けるには、「有志の同盟」を超えた、普遍的主義、自由、民主主義、人権を原則とする(そしてこの原則は米国にも当てはまる)、もっと安定した国際的なイラク支援の枠組みが必要である。そうした枠組みの構築は、米国を中心とする同盟体制再構築の一助ともなる。日本はその努力をすべきである。

第三に、日本の対外的な行動の自由度は分野によって違う。日本は安全保障においては日米同盟を基本とする。しかし、それ以外の分野、金融、貿易、人の移動、教育、文化などにおいては、様々なことができる。

例えば、日本は東アジアの経済連携をより推進すべきである。東アジアの安定と繁栄に貢献するだけでなく、東アジアが米国からもと自律的になることで、ちょうど仏独がEU(欧州連合)によって大きな行動の自由を享受しているように、日本自らの行動の自由をさらに拡大することができるからである。

国内の改革も

しかし、そのためには日本は譲るべきところを譲る必要がある。農業市場の開放はそのひとつであり、もうひとつは専門的技能をもった人々の受け入れである。その意味で経済連携の推進は日本の国内改革と密接に関連している。

そしてその基本は、ごくあたりまえのことながら、安全保障のように日本に行動の自由のあまりない分野では日米同盟を基本とし、日本が行動の自由をもっているところでは、それをさらに拡大すべく、主体的に行動するということであり、そのためには国内体制の改革を同時に進めていかなければならない。

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2003年7月30日 朝日新聞に掲載

2003年8月4日掲載

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