IT戦略を問う 高度な人材育成の強化を

坂田 一郎
コンサルティングフェロー

IT(情報技術)の進歩と普及により、電子的に記録・保存される情報量が飛躍的に増大するとともに、情報の種類も増加している。例えば、ツイッターやフェイスブックのようなソーシャルメディアの登場により、かつての井戸端会議での内輪話のような会話も、電子的に記録され、再利用が可能となった。ビッグデータヘの期待感が高まり、大量に蓄積され、かつ、低コストで利用できる情報から、有用な知見や便利なサービスが次々と生まれることが想起されている。

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だが期待が高まる一方で、現実には、情報の量や種類の増加と比べて、経済社会において活用される情報の量や種類はごく一部にとどまっている。有用な情報が蓄積されながら、活用されない「埋没現象」が生じているといえる。

これについては、2つの側面がある。1つは、我が国と世界の先進国家との溝である。世界の技術開発をリードするとともに、企業社会や官公庁においてクラウド化、オープンデータ化(官を含めた情報公開)を迅速に進める米国や北欧などと比較して、我が国での情報利用の立ち遅れが目立っている。

もう1つは、分野間の違いである。既に有効に活用されているPOS(販売時点情報管理)データのような購入履歴や、近年、利用が急速に進みつつある検索履歴やソーシャルメディア上の情報がある一方で、公的機関内の記録、電力の利用、診療や検診などの情報は、非常に限られた形でしか利用されていない。総じて、官に近い分野ほど、情報の利活用が進んでいない。

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埋没現象の背景には、3つの「壁」が存在している。それは(1)技術及び人材の不足(2)情報を有効に生かすビジネスモデルの企画構想力の不足(3)情報の利活用を進めるための社会システムの不足である。情報は蓄積しただけで価値を生むものではない。今の状況は、情報の急速な蓄積に、それを生かす処理技術やサービスの進歩が追いついていないと捉えるべきであろう。

今、注目されている情報処理技術は、人間が使う言葉をコンピューターが扱える形にする自然言語処理、行為者などの関係について法則性を探るネットワーク分析、データから法則性を自動的に見いだしそれに基づき予測する機械学習やそれらの応用技術が代表的である。こうした技術開発で、日本は米国などに水をあけられている。世界のトップ論文誌の幾つかでは、日本の研究機関発の論文のシェアは数%にとどまっている。

同時に、こうした技術を使いこなす情報科学者(データサイエンティスト)の数も不足している。グーグルやマイクロソフトの事業展開に先だって大学院レベルの情報科学者を大量に養成してきた米国に対し、日本でその養成が本格化したのは1990年代末以降である(図参照)。この結果、日本のビジネス界では、腕の立つ情報科学者を奪い合うという状況に陥っている。

図:情報系の修士号取得者数
図:情報系の修士号取得者数

2番目の壁については、情報の人手や蓄積のコストが下がったとはいえ、分析を含めたコストは依然として大きいことを認識する必要がある。情報の分析と活用が付加価値を生むことで、情報収集や分析システムを維持するための資金が流入するとともに、一層の情報蓄積を促すといった好循環を生み出すビジネスモデルが必要である。グーグルはその代表例といえるが、日本では、そうしたモデルが次々と生まれる環境にはない。その原因の1つは、分析をする側が、市場ニーズや解決すべき社会課題を的確に把握できていないことにある。情報科学者の関心は技術に偏りがちであり、市場や課題を深く知る人材との間に溝がある。

もう1つは、ビジネスモデルを支える技術力の不足である。過去の購入履歴をそのまま用い、だれに対しても同じ商品を推薦する日本の電子書店と、米国発で既に実用化されている、機械学習を駆使して利用者別に購入候補としたくなる商品を予測し自動推薦するサービスとでは、付加価値がかなり違ってくる。

3番目の壁である情報の利活用に欠かせない社会システムとしては、(1)情報の保護と利用に関する規則や標準(2)情報のセキュリティー確保に関する基準(3)個人のマイナンバー(共通番号制度)や企業番号のように、同じ主体に関する複数の情報をひも付け、重ね合わせを可能とする仕組みが重要であると考えられる。

保護や安仝性確保の程度、利用範囲に関する社会的合意が不十分であれば、情報利用に伴うビジネスリスクは高くなる。また、診療情報と健康診断の情報のように複数の情報の重ね合わせにより付加価値が高まる場合が多い。一般に、投資の多寡は、期待収益率とリスクに依存する。リスクが高く、チャンスを捉えにくいような社会では利活用は進まない。分野別の情報の利活用度の差異は、これら社会システムヘの依存度の高低から生まれている面が大きいといえよう。

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世界最先端の情報利活用を実現するためには、先に挙げた3つの壁を乗り越え、2つの側面の情報埋没を解決することが必要となる。今年6月に政府が発表した「世界最先端IT国家創造宣言」は、この3つの壁と2つの側面に対処するため必要な施策をかなり広く包含していると評価できよう。その上で、成長戦略の深化のために、3つのことを提言したい。

最も重要なことの第1は、世界最先端IT国家創造への強い意思を示すことで、戦略を紙に書いただけのものとしないことである。

米オバマ政権は、発足時に医療制度改革とエネルギー市場改革を2大政策課題として掲げた。これは、社会課題の解決と経済成長の効率的な実現のために、ITの利活用において取り残されていた巨大市場の医療とエネルギー分野に焦点を絞り、国家としての強い意思を示しながら、ITをテコに構造改革を一気に進めようとしたと見ることができる。意思が薄らいだと見られれば改革は失速する。我が国でも、公共部門、エネルギー、農業、医療などを重点領域と定め、先行投資を呼び込み、また、抵抗を排除するために、官邸が強い意思を示し続けることが欠かせない。

第2に、特別なスピード感を持つことである。ITの進歩やその利活用による社会・経済の変化は驚くほど速い。ほかの分野に慣れてしまうと必ずスピードを見誤ることになる。また「世界最先端」を掲げる以上、競争相手国を上回る速さで実行する必要がある。先の戦略では明確でないが、相手の動きを常に調査し、戦略の改訂に反映させる機能が必要であろう。

加えて、戦略の企画や推進のために、世界のネット最前線を知る「ネットネイティブ世代」の若手を多数、政府内で意思決定に関与する立場に登用する必要がある。

戦略の実効性を高める手法として、課題ごとに達成度を図る指標(KPI)や工程表を作り実行プロセスを透明な形で管理する姿勢は評価できるが、その結果、すぐできることの先延ばしにつながることは避けなければならない。例えば、政府の電子行政サービスの評価で、ウェブサイトヘのアクセス数、利用者のサイト内での滞在時間、閲覧したページ数(ページビュー)などの把握や分析は、今日からでも可能であり、工程すら必要は無いはずである。

第3に、先端技術と人材育成の強化である。先に述べたように、我が国は人工知能や情報処理技術において世界をリードする位置にはいない。市場や産業の成長に先だって、インドなど海外から人材を呼び込みつつ、大学院レベルの高度人材の育成を進めた米国と比べ、我が国では、人材の層も薄く、教育体制も不十分である。技術と人材という基礎力の強化がなければ、戦略も実行力を持ちえないとの認識に立ち、国家的投資が必要である。

2013年8月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年9月10日掲載

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