知的生産に競争ルールを

長岡 貞男
RIETI研究主幹・ファカルティフェロー

知識生産の基本的な競争ルールは、最初にユニークな知識を創造した者だけが権利を獲得できるというものである。このルールをきちんと確立することが重要だ。同時に、企業や大学の連携を進めるとともに研究の質を高め、一方で不確実性やリスクを吸収する市場を育てるべきだ。

スピード早いと特許の質も高い

新たな知識の創造と活用により生産資源の生産性を高めるイノベーションは、労働力の減少、資源制約、環境制約などを克服しながら高い経済成長を達成する上で不可欠である。失われた10年の間でも、IT(情報)分野を中心とした技術革新は日本の経済成長を下支えしてきた。自動車産業などは長期の技術開発の蓄積に基づき省資源・省エネルギー技術の開発で世界をリードしている。

政府も、1990年代後半から、通信の競争強化、知的財産制度の拡充、国立大学法人化と産学連携、科学技術予算拡大などを進めてきた。しかし、一層の改革が求められる分野も多い。本稿では、中でも研究開発の生産性自体に焦点を合わせ、これを高める上での課題を論じたい。

第1に重要なのは、企業や大学がユニークな研究を早く進めることを促す制度を作りそのための能力を高めることだ。知識生産の基本的な競争ルールは、最初に知識を創造した者だけが権利を獲得できることにある。このルールにより、企業や大学は独創研究を迅速に行うように促され、社会全体としても重複研究が排除され、研究開発の生産性が高まる効果を持つ。

図1はIT分野で世界の主要企業の研究開発のスピードと特許の質の関係を示したものだ。特許の質(縦軸)は各企業の特許が他の特許出願の際に引用されている回数をとった。研究開発のスピードが速い企業がより質の高い特許を確保しているのは明らかである。つまり、先に述べた「最初に知識を創造した者だけが権利を獲得できる」という知識生産ルールが機能しているといえる。

図1.研究開発のスピードと技術の吸収能力/図2.発明に利用する技術知識の多様性と量

異分野融合する能力強化が重要

知的財産権として権利が認められるためには創造性がなければならないが、この創造性の基準を高くしておくことが、知識生産の競争ルールがうまく機能するために必要である。もし創造性の基準が低いと、各企業間で重複的な研究が行われやすくなるとともに、すでに公知の技術であり本来なら誰でも無償で使えるはずの技術を利用するのにコストがかかってしまい、その利用が妨げられる。その結果、知的財産権の件数は増加しても、実際に創造・利用される知識量で評価した研究開発の生産性は低下する。

米国では最近、特許の質の低さに伴う問題が広く認識されるようなった。日本でも特許出願の多くが、かなり古い先行文献を根拠に新規性や進歩性がないと却下されており、これは昔に類似の研究開発がなされた場合が多く、先駆性を重視した研究開発が必ずしも行われてきてはいないことを示している。新規性・進歩性の基準を厳格に運用し、各企業がそれぞれユニークで水準が高い研究開発に取り組んでいくことが重要である。

第2に、これと関連して、先進的な科学の知識を活用したり、また異分野の知識を融合する研究開発能力を育てることが重要である。こうした能力を持つ企業がパイオニア的研究を行い、先行者の優位性を確保できる。再び図1を見てみよう。ある発明が既存の科学文献を引用している回数(サイエンスリンケージ)と企業が保有する特許の質の関係を見ると、研究開発のスピードにかかわらず、サイエンスリンケージが高い、つまり先進的な科学の知識を活用している企業の方が特許の質が高いことがわかる。また図2によれば、先行特許文献を引用する量が多い上に技術分野が多様である特許群を保有し、異分野の知識を融合している企業が、平均して質の良い特許を確保している。

科学的な知識や異分野の知識を融合した研究開発を進める上で、日本の大学や国立研究機関の役割も重要だ。これらの機関が産学連携を重視しながら、企業では対応できない分野で外部効果が高い基礎研究・基盤研究を世界水準で行うべきである。また、法人化を生かして新分野や境界領域へ効果的に資源を配分することも必要である。

国際競争力がある人材の育成も急務である。日本企業は、他の先進諸国と比べ国際的な共同研究が著しく少なく、これが今後研究開発の生産性向上の障害になる可能性がある。語学力を含め、学生時代から世界的な学会に参加し、世界の最前線で交流できる人材育成が求められる。企業自体の先進的な科学の知識の吸収能力・評価能力の強化は、産学連携上も重要であり、この観点からも企業の基礎研究を奨励すべきであろう。

投資回収できる国内市場を作れ

第3に、創造された知識が新製品の商業化などに円滑に生かされるよう、知的財産権の譲渡やライセンス、標準関連の必須特許のプールの形成、著作権管理システムなど、知的財産権の流通・移転の仕組みの整備が重要である。こうした制度が不整備なまま知的財産権者の権利を強化すると、所有権が複雑に入り組んでいるため、知的財産権が利用されないという、いわゆる「特許の藪」や「著作権の藪」の問題が悪化する。

あるビジネスに関連して、多数の権利者がいて、これらの権利者との間で権利を利用する契約が事前に結べない場合、企業は知的財産権を活用した商業化投資を行っても多額の特許使用料(ロイヤリティー)を事後的に請求され投資回収ができない恐れがある。その結果、知識利用が困難になり、結果的に知的財産権者自身の利益も損なう危険性も高い。職務発明による発明者保護も同様の問題をはらんでいる。

これに対処するには、研究開発から発生すると見込まれる知的財産権の最終帰属について事前に契約するようにし、それが難しい場合は研究開発を行う事前段階での仮想的交渉をベースとして、事後の権利調整を行っていくべきである。

第4に、新技術を具体化した商品やサービスを受け入れるリード役の市場を積極的に育てて、イノベーションに伴う不確実性やリスクを許容しこれを効果的にプールする制度の構築が求められる。

液晶技術、カーボンファイバーのように、米国で産業化できなかった技術の多くが日本で花開いたのは、開発投資を回収できる国内市場があったからである。イノベーションには元来、不確実性とリスクがあり、イノベーションのダウンサイドリスクのみを追及するだけでは、イノベーションは活発にならない。

医薬品では、新薬を認可しなかった機会損失は十分考慮されておらず、官公庁調達でも政府の最低基準を満たすかどうかが問われ、それを上回る品質・サービスを提供した企業を評価し報酬を与える仕組みになっていない。ダウンサイドのリスク規模を抑える効果的な措置を講じながら、こうした市場をよりイノベーティブな商品やサービスに開放していくことが、イノベーションへの誘因の強化につながる。

また、多くの不確実要因がある新技術開発プロジェクトで成功するのは少数で、大半は当面商業化できない。他方、そうした不確実性は比較的費用がかからない基礎段階の研究でも大幅に低下する場合もある。失敗の可能性が高いプロジェクトを含め基礎研究段階で多様な研究アプローチに取り組み、リスクをプールして結果的に社会全体の不確実性を減少させる。同時に研究開発プロジェクトを段階に区切って選別していき不効率な研究開発投資を避けるシステムを構築する。こうしたことが社会全体として重要であろう。

2006年11月27日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年12月5日掲載

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