スタートアップは、社会課題の解決と経済成長を担うキープレーヤーである。スタートアップ創出元年の2022年に策定された「スタートアップ育成5か年計画」は①スタートアップ創出に向けた人材・ネットワークの構築②スタートアップのための資金供給の強化と出口戦略の多様化③オープンイノベーションの推進――の3本柱から成る。
過去最大の1兆円規模の予算、税制、法制度など、あらゆる政策ツールを総動員し、日本にスタートアップを生み育てるエコシステムを創出することを目指すものだ。
新規性を阻む昭和の規制
「スタートアップ育成5か年計画」の策定から1年半、すべての施策が実行フェーズに入り環境整備が進められている。今後は、そこから生み育てられたスタートアップが、新市場を開拓して急成長を遂げる局面が一段と重要になるだろう。そこで課題となるのが、ルールとの関係だ。
現在、デジタルトランスフォーメーション(DX)が進む中、人工知能(AI)やブロックチェーンなどが社会に大きなイノベーションの可能性をもたらし、新しいビジネスモデルが次々と生み出されている。イノベーションのけん引役であるスタートアップがその担い手となっていることは多い。
しかし、こうした新しいビジネスモデルをうまく社会実装できないことがあるのはなぜなのか。その理由は、昭和のものづくりの時代に最適化された既存の関連規制と整合しない、新規性の高さゆえにそもそも適用されるルールが存在しない、といったルール起因の課題に直面するからだ。
技術やビジネスモデルが革新的であればあるほど、そして、とりわけ金融分野では関連規制との関係が密接であることから、事業実施にあたってルールのもたらす影響は大きいだろう。
規制のサンドボックス制度の可能性
こうした規制の壁を乗り越える際に活用されるのが、規制のサンドボックス制度だ。規制のサンドボックス制度は、「まずやってみる」ことを許容し、期間・参加者を限定した上で、既存の規制の適用を受けることなく、新しい技術やそれを活用したビジネスモデルの迅速な実証を可能とする。
そこで得られたデータを用いて事業化や規制の見直しにつなげる。いわば子供が砂場(サンドボックス)で遊ぶように、思い切って試すことのできる「実験場」を提供するとのコンセプトのもと、デジタルトランスフォーメーション(DX)時代ならではの革新的な制度といえる。
2018年の制度創設以来、これまでに31件・150社の利用実績があり、法改正につながったケースも存在する。金融分野の案件は以下のとおりである。
制度創設当初は各省にばらけていたが、現在は内閣官房にスタートアップをはじめとする事業者からの相談を広く受け付ける一元窓口がある。規制所管官庁への申請にあたっては、論点整理や申請書の作成支援を含めて内閣官房の一元窓口が一貫してサポートする仕組みとなっており、ユーザーにとってより使いやすい制度運用が図られている。
カウリス社の事例とオープンイノベーション
この中で、折しも24年3月に東証グロース市場への上場を果たしたカウリス社の事例を取り上げたい。カウリスは、金融機関向けの不正アクセス検知サービスを提供するフィンテックスタートアップである。19年に規制のサンドボックス制度を活用して適法に事業化が可能なことを確認した上で、ビジネスを拡大し、上場に至った好例といえる。
さらに、24年4月には、あらかじめ規制の適用の有無を確認することで、躊躇(ちゅうちょ)なく事業を実施できるよう後押しする「グレーゾーン解消制度」を活用し、電力契約者の個人情報の利用を可能とする形で、さらなるサービスの向上を図っている。
カウリスの事例は、「スタートアップ育成5か年計画」の3本柱の一つである、オープンイノベーションの推進の観点からも注目される。オープンイノベーションとは、UCバークレーのヘンリー・チェスブロウ教授が提唱した概念で、スタートアップが自社に不足するリソースを外部に求めて利用する枠組みを指す。
ここでいうリソースには、資金、人材、情報、販路、顧客基盤(市場)などが含まれる。定量的な指標として資金面に着目してみると、日本では、既存の事業会社によるスタートアップへの投資額について、米国、中国、欧州と比べて極めて低い水準にあることが指摘されてきた。
こうした中、本事例は、カウリスの持つ不正アクセス検知技術に、関西電力が保有する電力設備情報を組み合わせて、より確度の高いなりすましの可能性に関するリスク情報の提供が可能となった。結果、複数の金融機関へのサービス提供につながったという点で、大企業とスタートアップのオープンイノベーションの事例としても注目される。
具体的事案の持つリアリティーから得られる示唆は大きい。今後、オープンイノベ―ションの取り組みが広がるとともに、大企業も含めてさらなる積極的な制度利用が期待されるところだ。
さきごろ、このような内容についてまとめた『官民共創のイノベーション 規制のサンドボックスの挑戦とその先』が刊行された。見どころは、現役官僚による初のルールメーキング本であること、いま都内を駆け巡っている電動キックボードLUUPの事例分析をしていることなど多数あるが、普段なかなかオープンにされることのない行政官の思いや思考プロセスにまで踏み込んでいる点がユニークだ。
大きな挑戦をするからこその試行錯誤の日々、時に眠れぬ夜を過ごしたこと、前例のない法的論点の乗り越え方を盛り込むとともに、スタートアップや自治体へのインタビューを通じて、時代の変革者たちのダイレクトな声も収録した。
挑戦者は社会のあらゆるところに
振り返ってみると、新型コロナウイルス禍でのDXの急速な進展、22年のスタートアップ創出元年、23年には規制のサンドボックス制度創設から5年が経過して幅広い分野での事例が積み上がってきたところ、あらためて社会的な機運の高まりを感じるタイミングでの出版となった。
現に、スタートアップ政策が根付いたものとして地方も含めて広がっている背景には、DXをはじめとするトランスフォーメーション(変革)の時代にあって、イノベーションや創造性が一層重要になっていることが挙げられる。
同時に、日本社会が、年功序列や終身雇用といった大企業を中心とした旧来の硬直的な仕組みから解き放たれつつある中で、スタートアップはそうした社会構造自体の変化を象徴する存在でもある。
スタンフォード大学のマーク・グラノヴェッター教授は、「弱いつながり」こそが、多様で効率的な情報伝播(でんぱ)をもたらし、革新を引き起こすという「弱いつながりの強さ(Strength of weak ties)」を提唱した。
これまで我が国は、会社を中心とした「強いネットワーク」の人間関係には秀でているとされたが、先述のオープンイノベーションしかり、今後、革新的、創造的な活動を加速していくためには、オープンで広いネットワークの形成が不可欠だ。
実際、出版後、多方面から反響をいただく中で、革新的なアイデアを有する方々は、スタートアップ起業家にとどまらず、もっと言えば、官民を問わず、所属組織のヒエラルキーによらず、あらゆるところにいらっしゃるのだと実感している。
第4次産業革命という人類史の中でも数えるほどの「革命」の時代の真っただ中で、引き続き官の立場から官民共創のイノベーションを推進し、日本の未来が輝かしいものになるよう尽力していきたい。
2024年6月11日 NIKKEI Financialに掲載