安倍晋三首相は、規制改革こそ成長戦略の「一丁目一番地」であると述べている。6月14日に閣議決定した「日本再興戦略」では、成長分野への投資や人材の移動を加速し「新陳代謝を促す」と宣言した。成長戦略の理念を明確にしたわけである。
成長戦略には(1)特定の産業を政府が選んで成長のために補助金をつける方策と(2)経済全体の新陳代謝を良くするための規制改革とがある。安倍首相がこのうち規制改革を成長戦略の理念として選択した意義は極めて大きい。
それにもかかわらず市場の反応はいまひとつだった。その理由は、規制改革が成長戦略の「一丁目一番地」である理由が詳しく語られず、規制を突き破るための作戦計画が示されなかったためだと考えられる。
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ではなぜ、規制改革こそが成長戦略の「一丁目一番地」なのであろうか。
成長は必ず衰退を伴う。同じ産業の中でも新しい工夫をした事業者が入ってくれば、既存の事業者は出て行かなければならない。新しい産業が生み出されれば、古い産業は衰退しなければならない。
例えば、幕末に開港するまで日本は綿花を完全に自給自足していたが、開港十年で国内の綿花生産は消滅し、全量輸入するようになった。戦後、巨大な雇用を生んでいた石炭産業は1960年代初頭の原油の輸入自由化とともにほぼ消え、それとともに高度成長が引き起こされた。
しかし経済成長がある程度進んだ段階では、既得権を持つ成熟産業は新産業の成長を止めようとする。そのために既得権集団は、様々な口実をつくり、政治家を使って、参入規制を法制化する。参入規制は、新陳代謝を阻害し、成長を止める最大の要因である。だからこそ、参入規制の撤廃が成長戦略の一丁目一番地なのである。
日本に満ちあふれている参入規制の例を挙げよう。
農業に関しては、よく知られている通り株式会社による農地所有が許されていない。企業こそが技術革新や販売先に関する情報で競いあうことができる主体であることを考えれば、この参入障壁がもたらす社会的コストは大きい。
医療に関しては、大都市の病床数が制限されている。既存の病院の既得権を守っている。この結果、新機軸を打ち出す病院は参入が困難になり、病床不足のために救急病院をたらい回しにされるなどという事が起きている。
美容師になるためには98年までは美容学校に1年間行けば済んだが今では2年間行かねばならない。美容学校の年数を1年未満にしてできるだけ早く現場で働くことができるようにすれば、経済的な理由で美容学校に行けない人達に門戸を開くことができる。しかし美容学校の既得権と業界の政治力によってそれが阻まれている。英国には美容師の国家試験はないのと対照的である。
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これらの参入規制は「岩盤」と呼ばれている。岩盤はマグマのように強い力を持った制度が生み出している。
その第1は、国家公務員制度である。エリート官僚は定年よりはるか以前に退職しなければならない。このため、官僚達は自分だけでなく先輩や後輩の退職後の就職先のことを考えながら行政を行わざるを得ない。必然的に、産業や企業の既得権を維持する規制強化の手助けをする。定年まで退職せずに働けるような国家公務員制度改革を行えば、省益を守る動機は大幅に低下するであろう。公務員をいじめるのではなく、公務員が省益を考えなくても済む制度を設計する必要がある。
第2は、労働の流動性を極端に下げている日本の雇用法制である。年功序列と終身雇用の組み合わせという戦後日本に独特の雇用制度の下では、若い人は自身の生産性よりも低い賃金をもらい、年配者は自身の生産性よりもはるかに高い賃金をもらう。若い人には、賃金が生産性を超える年齢に達するまで企業を去るインセンティブがない。一方で年配者をその賃金水準で雇おうとする他社はない。このため日本では労働の流動性が低く、自社にしがみつく。そのような従業員を抱えた日本企業には、競争的な新企業が参入することを防ごうとする強い動機が発生する。
しかし終身雇用と年功序列の組み合わせは、若い労働者が少なく年配の労働者が多い現在では持続しようがない。このため、有期雇用の比率が急速に増加しつつある。それにもかかわらず、人的資本を蓄積した労働者の流動性は低いままだ。
これは有期労働者が終身雇用労働者に比べて極めて不利に扱われているからである。すなわち、企業は、有期雇用で5年間雇った人を終身雇用に切り替えない限り、雇い止めしなければならないという雇用法制になっているためだ。これでは企業は人に投資しない。十数年の間、有期雇用を繰り返すことができるようになれば、企業は人的な投資を大々的に行うから、給与が大幅に高まるだろう。有期雇用に雇い止めを強制していることは、人的資本蓄積を生まず、結果として有期雇用の賃金を不当に低くしている。これが、有能な人材の流動性を妨げている主因である。
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成長戦略が成功するか否かは、岩盤と言われる参入規制と、それを生み出しているマグマをどれだけ勇敢に政治的コストを払って打破するかにかかっている。そのための作戦計画を3つ挙げたい。
第1は、景気対策に即効性のある内需促進型の規制改革を行うことである。岩盤の破壊には、強力な政権を持ってしても、一定の時間をかけざるを得ない。
しかし痛みを伴う規制改革をするには、その間も、景気を維持し続ける必要がある。幸いなことに、適切な規制改革を行えば、財政支出なしに、景気を維持し続けることができる。
まず都心のマンションの容積率の大幅な緩和が景気回復に有効だ。さらに規制改革によって長距離ガスパイプラインの建設を促すこともできる。現行制度では異なるガス会社の供給区域にまたがる長距離のパイプラインは、公益事業と見なされないため道路の地下を使うことが難しい。
第2に、競争を強化するほど、高所得者から低所得者への再分配を強化しなければならない。例えば現行制度では、生活保護から脱出したとたんに医療費の自己負担がゼロから3割負担に跳ね上がる。これでは持病のある人は、生活保護にとどまろうとする。一定期間、医療扶助だけは受け続けられるようにする必要がある。そのための財源は、相続税率を大幅に引き上げて捻出すればよい。これは、高齢者の生前における支出を促すから、景気拡大にも役立つ。
第3の作戦計画は、提唱された国家戦略特区を活用することだ。国全体における岩盤打破の第一歩として特区を活用できる。現に特区制度の下で、公立学校の運営の民営化を特区においては可能にするべく文部科学省は検討を開始した。つぎに、都心における住宅容積率の緩和も担当局は検討を始めた。研究者に限っては、有期雇用を何度も繰り返す制度を導入することも厚生労働省が検討している。
日本では戦後の成功神話に酔いしれているうちに国の至るところで既得権がうごめき、数多くの参入規制ができた。このため、成長産業に資源が移動しなくなり成長がとまってしまった。安倍政権の成長戦略はこれを打ち破ろうという試みだ。これまでの与野党双方の失敗の経験を通じて蓄積された作戦計画に関するノウハウを最大限に活用することが、戦略を実現に導くだろう。
2013年6月19日 日本経済新聞「経済教室」に掲載