| 開催日 | 2026年3月13日 |
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| スピーカー | 田上 英樹(地経学研究所主任客員研究員) |
| コメンテータ | 井上 誠一郎(RIETI理事) |
| モデレータ | 堺井 啓公(RIETI国際・広報ディレクター) |
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| 開催案内/講演概要 | 昨今、「経済安全保障」という言葉は浸透しつつあるものの、民間企業では経済安全保障の事業活動への影響に関する理解が進んでおらず、対策が不十分な状況にある。政策の整備が進展する一方で、企業からは「具体的に何をすべきか分からない」という声も聞かれる。本セミナーでは地経学研究所の田上英樹主任客員研究員が、経済安全保障の確保には民間企業による対応が不可欠であるとした上で、企業人として経済安全保障をどのようにとらえ、どう対応すべきかというポイントを網羅的に解説していただいた。また、経済安全保障専門の部署のつくり方についてもご教示いただいた。 |
議事録
本議事録に記載されている内容は登壇者個人の見解に基づくものであり、所属・関連する組織、ならびに(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
民間企業から見た地経学リスク対応
近年、世界の情報、通貨、物資の流れが1つにつながっていると感じることが非常に多く、些細なインシデントが即座に全世界に影響を及ぼす事案が増えています。民間企業はこうした地経学リスクに即応し、自社を守るため、ないしは自社のビジネスを伸ばすためにさまざまな対応を取る必要があります。一方、政府としても、外為法の強化やサプライチェーンの強靱化(きょうじんか)、重要鉱物の開発・確保、戦略物資の備蓄などが重要な観点となります。
これらのことを進めていくためには官民間の対話が今まで以上に重要と考えられますし、民間企業としては外部環境に対応する一方で、日本全体として経済安全保障を高めるために、今まで経験したことのない対応に迫られているといえます。
こうした中で「経済安全保障」という概念が新たに生まれています。いまだに明確な定義は存在しませんが、国家安全保障という大きな目標に向けて、従来の防衛力による安全保障と、重要物資や先端技術、基幹インフラ、人材・情報、食料安全保障、エネルギーなどの経済・ビジネスにまつわる安全保障を車の両輪としてとらえていかなければなりません。
その根源として、グローバリゼーションが徹底された中での米中技術覇権競争や、中東のように宗教をベースとした紛争、領土をめぐる地域紛争などの発生が挙げられます。またテクノロジーの進化により、世界の経済覇権の源泉は、かつての石油とそれを支える鉄鋼から、人工知能(AI)、サイバー、半導体といった先端分野へと移っています。こうした外部環境の変化が経済安全保障の重要性を一層高めていると考えられます。
経済安全保障という言葉は数年前までほとんど聞かれませんでしたが、今日ではメディアで聞かない日はありません。ここまで大きく変わったのは、世界もさることながら、わが国の環境の変化が大きかったのではないかと私はみています。
地経学リスクとテクノロジーの進展により、安全保障がもはや経済・ビジネスの視点を抜きにしては対応できなくなっています。そのため、民間企業や大学も国の目線を共有し、安全保障をともに考えないと国防が成り立たないという観点から、政治や防衛を起点とした指摘が行われるようになっています。
とはいえ、民間企業は経済合理性の観点から「これをやったほうがいい」と言っただけではなかなか始められない現実があります。その基本認識を官民が共有した上で、官民がどう対話し、結果としてどんな制度を作ればいいのか、どう官民連携すればいいのかを考える必要があるでしょう。
企業対応の新常識
経済安全保障はコンプライアンスなのか、リスクマネジメントなのかという論点がありますが、経済安全保障はコンプライアンスという核の部分を中心にいろいろなリスクマネジメント領域が四方八方に広がっているイメージで私はとらえています。
今回のイラン情勢のように明日どうなるか分からないという事態が生じれば、それを前提とした規制強化、経済制裁や新法令の導入など、コンプライアンスの拡張が行われますし、人権意識に根差した観点や企業の開示要求水準の高まりから、レピュテーションリスクが問題になる可能性もあります。
情報セキュリティーリスクに関しては、サイバー攻撃や人的窃取、権威主義国からの持ち出しリスクで拘束される事案も起こっていますし、サプライチェーンの途絶や紛争・有事事態などのビジネスリスクも考えられます。こうしたリスクに企業はどう備えればいいのかを考えなければなりません。
また企業にとっては、今までは経済合理性という1つの判断軸で考えればよかったのですが、今後は経済安全保障という2つ目の軸を加える必要があります。定量的にしっかりと検証されたものが再現性のある判断となり、それこそが経営判断の軸となる一方で、最近はそれだけでは判断しきれない局面も増えており、情報の深さや質によって判断が左右されることがあります。そこで経済インテリジェンスが重要になるのです。
経済インテリジェンスの収集・活用
しかし、経済インテリジェンスを収集するにあたっては、適切な情報はどこから入手すべきか、誰が分析したものを信じるべきかという問題が生じます。また経済インテリジェンス活用の観点においても、無加工のまま迅速に共有すべきか、一定の意見や補足が必要かという加工度の問題や報告タイミングを整理して考える必要があります。
さらに、各企業では経済安全保障が複数の部門にまたがる問題となる可能性が大きく、専門部署の整備が求められます。例えば、海外の人権団体から広報窓口に、「貴社が扱っている物資は人権上問題のある物資ではないか」という問い合わせが来たとします。すると、広報部では分からないので、サステナビリティ推進部でその団体について調べ、社内で実際に取引がどうなっているかというファクトを調べ、営業部が物資の仕入れ先を調べ、法務部が会社法上の見方を調べるなど、複数の部門がそれぞれの立場から調査・検討を行い、結論を導き出すことになります。
ただ、その結論は各専門部署の職能に合わせた結論であり、最終的にこの事業が妥当であったか、またそれをどのように対外的に発表すべきかとなると、複数の担当役員が検討した上で、非常に複雑な結論を導き出さなければなりません。
例えば経済安全保障の専任役員を置いている会社では、その役員が判断して社長に上げ、社長は担当役員からの情報を総合的に判断することが可能ですが、専門の役員・組織が存在しない場合、会社としての判断をまとめる段階で行き詰まってしまいます。従って、専門部署の設立が必要となるわけです。
経済安全保障に関しては、台湾有事がよく話題になると思います。企業によっては外部のコンサルタントを入れて有事のシミュレーションをした上で机上演習を行ったり、経済産業省もそうしたプログラムを整備し民間企業に提供したりしていると思いますが、依然として十分に対応できていない会社も多いと思います。
ただ、私が申し上げたいのは、民間企業としては、ホットウォー(武力戦争)になるのだとすれば、それよりもはるか前にトリガー(引き金)を設けて人員退避を徹底することは最低限必要ですが、人員退避以前の段階で、すでに貿易戦争のエスカレーションは始まっているということです。
経済制裁とそれに対応する経済的威圧によって、例えばデュアルユースの物資が日本に輸出されなくなる、あるいは日本の同志国側がある国の船舶会社を制裁対象に認定したためその国の船が使えないといった可能性があります。
従って、企業としては、自社のどの部門のどの部署が、世界のどこからどんな物資を運んできているのかをしっかりと分析し、問題・課題を明らかにした上で、事前に必要な対策を講じておく必要があると思います。
「攻め」の経済安全保障も重要で、トップマネジメントの立場からすると、経済安全保障が重要な外部環境の変化なのであれば、「守り」だけでなく自社の強みとしてビジネスチャンスにつなげる発想はないのかと当然思うはずです。
「攻め」の経済安全保障には、「既存ビジネスの延長」、「新規ノウハウの獲得」、「制裁環境への対応」という3つのカテゴリーがあります。防衛ビジネスや経済インテリジェンス関連のビジネス、情報セキュリティー関連のビジネスが一層重要になっていますし、政府の危機管理投資や「17の戦略分野」といった取り組みとも符合する部分だと思いますので、各社そうしたところに意を用いて事業を展開すべきだと思います。
そのために、新たなノウハウを組織として獲得することも重要です。セキュリティー・クリアランス法等も官民連携を進める上で肝要となりますので、こうした対応も都度行う姿勢が重要になるでしょう。また制裁非該当ラインを見極めた上でビジネスを推進したり(このやり方は、相応の難しさを伴いますが)、規制の厳しい国ではデータや技術を完全に地産地消する体制を構築するなど、制裁環境に対応することも求められます。
専門部署の設置
先ほど経済安全保障専門部署の設置が重要と申し上げましたが、そこでの業務として重要になるのがインテリジェンスサイクル(情報収集、分析・展開、方針決定、執行・評価)を回すことになります。
情報収集に関しては、シンクタンクやメディア、政府機関などの外部から有用な情報を取得するとともに、同業他社とのノウハウ交換や政府との対話も重要になるでしょう。一方、社内では、自社ビジネスの国・産業との関連を把握することが不可欠となります。特に大企業では、自社がどこで何をしている会社なのかを1人の頭で全て把握していることは困難であり、自社のビジネスを洗い上げることこそが経済安全保障の重要な第一歩になると思います。
その上で、専門部署を設置した場合に必要な人材要件が3つあります。1つ目が地経学の担当です。地政学的情報に自然と関心を持ち、分析できる人は非常に貴重な人材だと思います。2つ目が自社ビジネス担当です。経営企画や広報部、IR(インベスターリレーションズ)部にいる人が該当すると思います。3つ目が社内の取り進め担当です。複数の部門にまたがりやすい問題を、どのような形で業務としてデザインし、どの規定で誰が動くべきかを、社内の各職能のキーパーソンをよく知った上で差配できる人がいると、社内の経済安全保障施策がうまくいくと思います。
これら3つの機能を1人が持つのはなかなか難しいので、各機能を持つ人材を1人ずつ配置した、経済インテリジェンスのための専門部署の運営を検討してはどうでしょうか。
コメント
井上:
経済安全保障の確保は、政府の施策の立案・実施はもちろん、民間企業による対応も不可欠であり、官民協働の成否にかかっています。本日は田上さんから、民間企業が経済安全保障をどのように捉えて行動していくべきか、具体的なガイダンスを分かりやすく御説明いただきました。
経済安全保障について、RIETIとしても研究活動を行い、その知見の共有に取り組んでいます。例えば、RIETIの貿易投資プログラムディレクターを務める、早稲田大学の戸堂康之教授は「経済安全保障を踏まえたサプライチェーン・産業政策のあり方」というポリシー・ディスカッション・ペーパーをまとめ、昨年1月に公表しています。また、昨年12月に国際シンポジウムを開催し、サプライチェーンの脆弱性に関する経済分析について研究者や実務家の方々に議論いただきました。
田上さんには経済インテリジェンスの活用のノウハウについてもお話いただきましたが、民間企業の実務担当の方々はRIETIを含むシンクタンクから発信される情報・分析をどのように収集し、活用すべきとお考えでしょうか。
田上:
情報を選別して目利きをする力が重要になるでしょう。一人一人がリテラシーを高める必要がありますし、シンクタンクと企業との連携によって、対話の深化、情報の質向上につなげていけるのではないかと思っています。経済安全保障といっても、「安全保障」としてとらえることが重要です。日本は安全保障・防衛に関する情報への意識が相対的に低下しているのではないか、そしてその情報収集不足が故に、最終的に日本の安全保障が損なわれるのではないかと危惧しており、規制や基準を守ることばかりにとらわれるのではなく、情報収集をしっかり行って、コンセプトとして理解すべきだと思います。
Q&A
Q:
業界団体として経済安全保障に対応する場合、大企業のようなマンパワーがないため、大企業と連携してどのような対応があり得るでしょうか。
田上:
業界団体の中には恐らくリーディングカンパニーがあると思いますので、そうした企業が率先して自社ビジネスでサプライチェーンを描き、それをマンパワーが十分でない他の企業とディスカッションし、機微となる商材・物資に関する脇の情報を業界全体で整理・共有していくことが重要だと思います。また、営業上の機密情報を扱うことになるので、担当者を絞ることも必要だと思います。阻害要因を考えればきりがないと思いますが、しっかりと取り組んだ企業は対応力が高めることができますし、課題の焦点が定まっていれば恐らく政府側にとっても対応しやすいと思いますので、ぜひそうした観点で進めていただければと思います。
Q:
例えば技術的な優位性を持っている商品を作っている中小企業は、安全保障上の観点でどう対応したらよいのでしょうか。
田上:
実は大企業より中小・中堅企業の方が、自社がどのようなビジネスを行い、どのような広がりを持つのかを把握しやすいので、経済安全保障に対応しやすいと思います。トップマネジメントの方が安全保障の観点から自社にとって機微となり得る商材・国を洗い出し、真に重要な課題と判断した場合には、経産省などに具体的にはどのように守るべきかを相談するのが最善だと考えます。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。